※煉獄杏寿郎の死・略奪を含みます。
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ひぐらしが鳴いている。
かなかな、かなかなと。物悲しく里山に響くその声は、朱い空の下、家路につく人々の脚を更に家へと急がせる。
いくら日が長い夏とはいえ、もう少しすれば辺りは完全な闇に包まれるだろう。まるで鬼の出る時刻を告げるようなこの虫の声が、煉獄は昔から嫌いだった。

自身の硬い膝の上には、すやすやと寝息を立てる形の良い頭が乗っている。午後の稽古を終え気絶するように倒れ込んだ彼女を、煉獄はそっと縁側に横たえ膝を貸してやった。
時間にして一刻程だろうか。もうそろそろ起こさないと夕飯の支度が間に合わない。そっと彼女の肩を揺すれば「んん...」滑らかな眉間に皺がより、華奢な肩が小さく身動ぐ。そのまま目を覚ますかと思われたが、生憎彼女の目が開くことは無かった。

「ん...、きょ...じゅろ...、」

目覚めるかわりに鈴を転がしたような声で名前を呼ばれ、煉獄は平素から大きな瞳をさらに大きく見開く。
「ハハハ...」渇いた笑いが漏れ、ぎゅっと奥歯を噛み締めた。夢の中でも名前を呼んでもらえるなんて、幸せな事だ。

杏寿郎、杏寿郎、と彼女の細い腕が藻掻くように宙を彷徨い、煉獄はその手を取る。悪い夢でも見ているのだろう。掴んだ手をそのまま自身の頬へと添わせると、やっと彼女の目が開いた。

「......−杏寿郎?」

眠そうに瞬きを繰り返す彼女に、煉獄は泣きたくなるほど胸が締め付けられる。返事の代わりに微笑み返せば、そのままがばりと抱き着かれた。思わず縁側に手をついた煉獄に、彼女が叫ぶように口を開く。

「よかった...!酷い夢を見たの...、杏寿郎が大怪我をして、それで...っ」

肩口に熱いものを感じ、煉獄は優しく彼女の背中を撫でる。こんな世界に身を置いていると、悪い夢を見るのはよくある事だった。
夢は恐ろしい。しかし、現実はもっと恐ろしいものだ。

「うっ、うっ、杏寿郎...、無事で良かった...」

ひくひくとしゃくり上げる彼女の背を、煉獄は無言で撫で続ける。自分も彼女の名前を呼びたい欲に駆られ、しかし、そんな事をしては彼女が悲しむと思って止めた。

現実を知れば、彼女はもっと泣くだろう。
ナマエさん≠セなんて、他人行儀な呼び方をしては。


彼女は大きな勘違いをしている。目の前の男を、煉獄杏寿郎だと思い込んでいるのだ。それがよく似た弟であるとも知らずに。

兄の享年と同じ年になった自分は、自分でも怖くなるほどかつての兄に似ている。髪も、声も、身体付きも。薄暗闇の中で彼女が見上げたその顔は、まさに兄そのものだったはずだ。

兄のふりをして彼女を慰めているなんて、父に知られたら烈火の如く怒られるだろう。しかし、弟である自分を兄だと思って泣く彼女をどうして突き放せようか。刀の色さえ変えられなかった自分に、そんな事が出来るわけがなかった。

「杏寿郎」

薄暗闇の中、彼女の柔らかい唇が近付いてくる気配がする。これ以上はいけない。頭ではわかっているのに、身体は言う事を聞かなかった。
ゆっくりと唇が重なると同時に、ひぐらしの声が止む。辺りは完全な闇に包まれた。




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