ハルシオンの夜明け

■及日♀



例えば、さ。
蛙が蛇に睨まれると固まるように。
太陽は東から昇り西に沈むように。
春は暖かく夏は暑く、秋は過ごしやすく冬は寒さに凍えるように。
当然のごとく、女の子は俺に惚れちゃうんだよね。
と、級友に語れば、その級友は蔑んだ目で言った。
「お前、誰かを好きになったことあんのかよ」
だってさ。

*・*・*

ーー放課後といえども、校内は若者たち特有の、明るい声に満ち溢れている。
及川の座る席は、全学生たちの憧れである、窓側一番後ろに位置していて、さんさんと太陽の加護を受けていた。そこに彼は座っている。
暖かい春の陽気を全身に受けながら、部活にも行かずぼんやりと外を眺めている及川の姿は、どこか儚げだ。元々端正な顔立ちが、より際立つ。そんな及川をいいことに、女生徒数名が遠くから写真を撮っている。それあとでちょーだい。おk。ああ及川くんマジイケてる。ホントホント、一回で良いからお近づきになりたい。……あまり話の内容は聞きたくない。
この三年校舎からは、グランドがよく見える。しかし及川の視線はグランドを見ていない。そう、及川は部活動の様子を見るでもなく、帰宅していく生徒たちの姿を眺めるでもなく。ただぼんやりと、考え事をしているのだ。
部活に行かなくては。確かにそう思っているのに、なんだか今日はだるい気がして体が動かない。今朝、下駄箱に入っていた愛らしい字の手紙の送り主に中庭で会いに行かなくてはいけないのに。そう思っても体は重たくなるばかり。
及川は、ふうと息を吐くと、机に肘をついて、頭を手で支える姿勢をとる。ダメだ。いつもの調子に戻れない。
クラスメイトである女子二人がコソコソと話しているのが分かっていても、いつもなら笑みだけでも返すのに、何故かそんな気にもなれないなんて。
及川は級友を恨んだ。あんな質問さえされなければ、部活行って、帰りに最近お気に入りのたまたま発見した小さなカフェで一息つこうと思ったのに。朝立てた計画が台無しじゃん。……割と恨みごとの内容は薄い。
誰かを好きになったことあんのかよ、か。
及川は昼間、級友ーー岩泉、通称岩ちゃん、の言葉を思い出していた。それを内心で復唱する。最後まで言いきってから、また深い溜息をつく。はあ。なんでこんなことで悩んでいるんだろう。という自分への呆れも込めて。その繰り返し。
及川はそのループに気づくと、眉間に皺をよせた。彼は頭が頭脳的な意味合いでも、思考的な意味合いでも馬鹿ではないので(寧ろ良い方)、今日はずっとこのままだなと悟ると、部活をサボることを決心した。
一瞬、岩泉がキレている映像が脳裏に浮かぶ。ごめんね岩ちゃん、恨むなら自分を恨んで。理不尽な言い訳(自分の内心だけだけど)を残しながら、及川はエナメルを肩にかける。教室に残っていたチャラ目の女子がえーっと叫んだ。
「及川くん帰っちゃうのォ?」
「うん、ごめんネ」
「あたし達とゲーセン寄ろうよう」
「今日ちょっと体調悪くてさ。また明日ね」
えーッ、気をつけてねえ。今度は行こうねー。数々の言葉を受け、及川は持ち前の笑みを浮かべる。もちろんこれは作り笑顔だが、親しくない相手に暴露たことなど一度もない。証拠として、目の前の女子たちは言葉を述べながら顔を赤らめている。
教室から去る前にもう一度笑みを浮かべて「あげる」。
こうしていつも、彼は「愛される男」を作っているのだ。
(あ、そういえば)
手紙の女の子どうしよう。
思い出したころには時既に遅しだったのだが。

*・*・*

母からのお願いという命令の名の下、及川はとある商店街を訪れていた。
卵が切れちゃった、徹買って来てくれる?
それが今日の母からの命令(メール)である。
ダルいから早く家に帰りたかったのに。しかし母の命令は絶対。これが及川家の暗黙の領界。

使命を果たした及川は卵とついでに買ったミネラルウォーターを袋から取り出した。カシッ。蓋をあけて中身を口に含む。ごくり、と喉を鳴らしてからペットボトルを降ろして、及川はようやく帰路についた。
時刻は十七時半。時計がわりでもあるiPhone画面を確認して、歩きながら昼間の質問を思い出す。
誰かを好きに。それは流石にある。流石にそこまでゲスではないつもり……だ。うん。
誰かを、自分から、好きに。
これは、ないかもしれない。
大抵の女の子は、自分たちの方から言いよってくるし、大体俺は来る者拒まず去る者追わず、の精神でやってる。
それを了承して彼女たちも付き合ってきたわけだし、俺が悩む必要性はない。
けど。けどなんか寂しいんだよね。ソレって。
……そこまで考えてみて、及川は考えることをほうきした。昼間のあれから、ずっとこのことを考えていて、なんだか疲れが溜まっているようにも見える。
自分からなにかしなくても相手からやって来る。
それは他人からしてみれば、ある意味幸せ者だが、自分から好きになったことがない、というのは、それはまた別物だ、と思うのは及川だ。
だが、誰かを好きになったことはあっても、それは付き合いはじめて好きになったということであって、決して自分から好きになったわけではない。ただ流れに身を任せただけだ。自分から好きになるってどうすんの。
ここに知り合いがいたら聞くことができたのに。はあ。
彼らしくない悩みに、助言をくれる相手はいない。
開けたままだったペットボトルを、口元によせた、その時だった。
「きゃ、あっ」
「うわ、っと!?」
考え事をしていた及川に軽い衝撃が走る。どんという音と共に、ばしゃりと液体が跳ねる音。あ。制服にじわじわと染みていく。ミネラルウォーターで良かった。ほ、と一息つく。
声からして女性であることを感じ取った及川は、お互い倒れなくて良かったと思うことにして、制服から目を離した。女性はあわあわと慌てている。
「だッ、大丈夫ですか!! 怪我とか……制服は……!?」
「あー、大丈夫です。そちらこそ大丈夫ですか……ていうか、なんか君の声聞いたことがあ、」
「あ」
「あ」
「大お、……及川、さん?」
「烏野の……日向ちゃん? だっけ?」
及川の所属する青葉城西バレー部と、烏野高校バレー部とで、この前練習試合があった。
そこで烏野のマネージャーを務めていたのが、彼女。日向翔陽だ。
及川の中学で後輩だったあのバレー馬鹿(及川談)である影山が執着していたこともあり、話してみたいと思っていた相手。これはチャンスだ。なんだ、今日はツイてない日だと思っていたけど、良いことあるジャン。及川はそう思う。なんだか大王と言いかけられた気がするが、この際無視だ。及川は、いつも通りの作り笑顔で目の前の少女に問うた。
「もう制服のコトは気にしなくて良いよ。ところでこんなところまで来てどうしたの?」
「そ、そうですか? おれ、……じゃなくて私、この商店街の特売目当てに母親から駆り出されて……」
「そうなの? 俺も実は母親に命令……もといメールで買い物頼まれてさあ」
にこにこにこ。
なんせ親しくない相手だ。少しでも良い人として認識されたい。及川は今日最大の笑顔を日向に向ける。日向は少しだけ首を傾げた。
「ええと。及川、さん?」
「うん?」
「あの……やっぱり怒ってます、よね?」
「え」
なんのこと。今度は彼が首を傾げる番だった。
本当に水を零されたことは気にしていないし、寧ろ零してしまったのは自分の不注意だ。彼女が気にすることはないのに。
首を傾げてみせる及川に、日向は困惑顏で理由をのべる。
「だって、その笑顔、作ってますよね?」
「ーー」
何故バレた。及川は顔を驚愕に染める。
親しくもない相手に、完璧に作った笑みを、この子は。
及川が口を開いた、その時。
「及川さん!」
及川の後背から女子の甲高い声が響く。及川と日向がそろって声のした方向へと顔を向けた。
及川の通う青葉城西の制服を着た女子が、じろとこちらを睨んで立っている。肩が揺れていることから、走ってきたのだろう。
しかし、及川はこの少女のことを知らない。知らないが、及川には一つ、思い当たる節があった。
「……私の手紙には、今日、中庭に来て下さいて、書いてあったはずですよね」
「あー……今日体調悪くって」
「嘘。じゃあその女子誰? 私との約束すっぽかして、その子と会ってたんでしょう」
周りの人達は既に、高校生三人の修羅場を遠巻きに見ている。関わりたくない、という気配を及川は感じ取った。誰か助けて。そう思ってももちろん誰も助けてはくれないが。
(ていうか、)
あんたとは別に約束してないし。手紙を間接的に渡した時点でアウトでショ。意味わかんない。……なんて言えるわけない。こういうヒステリーになりかけの人間相手にそんなこと言えば、より事態は悪化するし。はあ。
やっぱり今日は厄日だ。さっさと弁解でもして、巻き込まれた日向も解放して立ち去ろう。
決心してから手紙の君ににこりと笑いかける。そして、
「知らない人だけどごめんなさい。あんた、何様のつもり?」
へ。及川の口から間抜けな単語が漏れた。
ちなみに、今声を発したのは日向だ。
手紙の君も、蚊帳の外だった日向の突然の発言にぽかんとしている。
「今の話し聞いてましたけど、一応わかりました。あんた、付き合ってる人ならまだしも、なんでそんなに文句言ってるの?」
「なっ……!」
手紙の君の少女の顔が怒りにカッと赤くなった。
及川は日向を見ながら、ほけと口を開けている。今まさに自分が考えていたことを、代わりにと言わんばかりに淡々と言い放っている日向に、若干の感謝を覚えた。
「それに及川さんとおれはそういう関係じゃない。体調悪いって言ってるんだから、好きな相手なら相手のこと考えて、早く帰すの妥当な判断でしょう」
「っ、な、何よあんた。関係ないなら黙って!」
「関係ないですよ。でも、この時期のスポーツマンが風邪でもひいたらどうなるか分かりますか? 一日練習しないだけでもこれからに大きく響くんですよ? しかも及川さんは部長なんだから、一層……」
「うッ、うっさい! 関係ないんでしょ!? ないんだから黙っててよ!」
翔陽ちゃん、こういう子なんだ。意外。
うっかり、もっともな正論に関心していると、手紙の少女はいつの間にか日向の目の前に立っていて、日向をどんと力強く押した。
「!!」
流石にその行為に驚いた日向は、反射的に目をつむる。しかし、いっこうに地面に倒れた衝撃がこない。日向はそっと目を開ける。
「っ……。及川さん、なんで……」
「ごめんね。俺、君とは付き合えないや」
日向が倒れそうになった瞬間、及川も ほぼ反射的に日向の背に手を回した。今もがっちりと支えらりれている。
「あ、ありがとうございます……」
「いやいや、大丈夫?」
日向に対し微笑みを浮かべてから、及川は正面に立つ正面に顔を向けた。びくり。少女の体が揺れる。いつも甘いマスクをつけた及川の表情が、見たこともない怒りの表情になっていたのだから。
「俺、君みたいに気遣いのできないコ、嫌いなんだ」
「ぁ……」
手紙の少女は消え入れそうな声で呟く。そんな。

「乱暴な女の子は、もっと大嫌い」

及川は一気に静かになった少女をそのまま、日向の手を引っ張ってその場を立ち去った。

*・*・*

「ごめんね翔陽ちゃん。巻き込んじゃって」
「そんなことないです! 私もあんなこと言っちゃて……すみません」
「謝ることなんてないよ。あんな強気な翔陽ちゃん、かっこよかったよ」
最寄りの駅に、及川は日向を送った。気づくともう六時を過ぎている。
「それより、駅まで送ってもらっちゃって……ありがとうございました」
「ううん。翔陽ちゃん可愛いからね。心配だし、何より少しばかりのお礼だと思ってくれれば」
「お世辞です及川さん!」
世間話もそこそこ、日向が改札を過ぎようとしたその時。及川はふと先程の疑問を思い出した。
「ねえ翔陽ちゃん?」
「はい?」
「なんで俺の笑顔、作り笑いだと思ったの?」
「え……」
自分的には完璧だと思っていたし、何より会ったのは今日で二回目。この子はマネージャーてこともあるから、鋭い観察眼を持っているのだろうか。
「んー……なんとなく、ですかね?」
「……は」
なんとなく。なんとなくで俺の作り笑いは見破られたのか。ちょっとショック。でも同時に。
「……嬉しい」
「? なんか言いましたか?」
「いや、なんでもないよ」
なんだろうこの高揚感。
まるで、バレーで好敵手ができたような。勝手に顔がにやける。
「ねえ、翔陽ちゃん、

メアド教えて」

及川徹ははじめて、『作っていない』笑みを浮かべた。
なるほど、誰かを好きになるって、こんな感じなのだな、と妙に心地よい気分で。

*・*・*

最近級友がおかしい。
岩泉はそう思う。
前からこういう奴だったが、部活を無断欠席してから、すこぶる調子がいい。
それからして疑問なのだが、休み時間のたんびに携帯をチェックする。たまにニヤニヤしながら画面を見ている。女子に関する悪い噂が無くなった、etcetc……。
昼休みである今も、ニヤニヤしながら画面を見ていて、気色が悪い。
「おい及川、最近お前どうした? 変なもん拾い食いしたのか?」
「拾い食い一択なんだね……」
そーうしん! 及川は軽快な手つきでiPhone画面を押した。どうやらメールの返信を行っていたようようだ。
「ねえ岩ちゃーん」
「キモい」
「ひどい!」
妙に間延びした声に、岩泉は率直に意見を述べる。
「で、なんだよ。下らねえことなら殴るぞ」
「ええー……」
拳を突き出す岩泉に、及川は震えた。
この男、本気でやるのである。
「いやあ、あのね」
恋っていいよねえ。
及川に岩泉の強烈なパンチが飛んだ、ある平日の昼下がり。


ハルシオンの夜明け




及日いやふー!!
及日もっと増えろ!
□サリドマイド=ドイツで発売された睡眠薬。確か今もまだある。一応調べたんですが間違えてたらごめんなさい!


かなり遅くなりました!
追伸 ↓ ↓ ↓ pixivに載せた文そのまま

▽03/15 あるお方からサリドマイドについてコメントを頂きました。> 「サリドマイド」は奇形児が生まれる原因となった薬物で、 > 睡眠薬のイメージは忘れられがちだと思われます。(一部抜粋)……ということです。私としましても、一応ウィキで調べ、その情報は確認していたのですが……。私の浅はかな考えでこのタイトルにしてしまったので、ご関係のある方など、気分を害してしまわれたかもしれません。本当に申し訳ないです。タイトルは、コメントを頂きましたある御方(Yさま)の意見を参考に、【ハルシオンの夜明け】に改変させて頂きたいと思います。自分勝手で本当に申し訳ないです。また、Yさまはご注意と当作品の感想、ありがとうございます。また何かありましたら、ビシバシ御指導してください。
(2013.03.12)
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