〈辻斬りナギリは弱体化した〉

 辻斬りナギリは後に語る。「変な少女だった」と。実在の点でいえば、その場で聞く者はいなかった。夕闇が落ち、完全なる闇が訪れる。闇と闇の間を跨ぎ、辻斬りナギリは人類繁栄の地で猛勢を振るう。数ある猛者を薙ぎ払い、血を啜る。生命を流動させる赤い一滴が口に入るたびに、気分が高揚した。それは東京から新横浜へと移り、ここでも変わらないはず──だった。しかしながら、不死身と無敵の弱点となるものが壊されたことにより終わりとなる。そこから辻斬りナギリの運命が狂った。
 同時に、そのとき出会った少女の運命も狂う。もし、辻斬りナギリが『不死身』と『無敵』を兼ね備えた人類へ危害を加える非常に危険な存在のままであれば、少女の命はなかっただろう。易々と毒牙に掛けられ、全身の血を吸い尽くされていた。残るはミイラである。だが『不死身』と『無敵』のナギリは──残念な言い方をすれば[腑抜けた]存在となった──。隠した弱点を壊された以上、以前と比較にならないほど衰弱化・弱体化し、昔のように力を振るうこともできなくなった。吸血鬼退治人の一人にすら敵わない。昔なら、易々と撃退できたのに、だ。今は見つからないうちに逃げることしかできない。
 弱体化したナギリは、仮住まいの廃墟にいる少女を発見し、呆気に取られた。──なんだって、こんなところに人間の【女】がいる? もしや自分が弱体化したことを、吸血鬼退治人や吸血鬼対策課にバレたか──? 咄嗟に脳が仮定と対処を弾き出したが、矛盾点に気付く。
(いや、あんな格好をしていたか? 吸対の人間にしちゃぁ、弱々しい。見た目で騙すにしても、あまりにも貧弱すぎる)
 恐らく、ただの市民だろう。とはいえ、なんだってこんな【廃墟】にいるのか? 不審に思うよりも先に、心配が先立つ。そういう情に突き動かされている点が、〈辻斬りナギリは弱体化している〉と示す根拠だ。
 自身の正体が気付かれないよう、恐る恐る動く。細心の注意を払い、少女に近付いた。壁際に背を付けて膝を抱える少女は気付かない。膝を抱えた両腕に額を突っ伏し、顔を上げようとしない。
 腐っても、吸血鬼対策課や吸血鬼退治人組合から非常に危険な存在だとレッテルを貼られた身だ。気配の殺し方など、日常茶飯事である。だからこそ、一般人の少女は気付かない。吸血鬼が近付いても、一切逃げようとしない。
 己が吸血鬼であることを忘れ、辻斬りナギリは悩む。顔を反らし、首を反らし、奥歯を噛み締め、口をへの字に曲げ、頭を抱える。パカッと開けた口から声は出さないが、呻いた。どんなに一人百面相をしても、少女は一向に気付かない。辻斬りナギリは自棄を起こして、人間の【女】に声をかけた。
「お、おい。そこの女。こんなところで、なにをしている?」
 吸血鬼にしては、スラスラと話せた方だろう。気絶した相手へ話しかけたこと以外では、流暢に喋れた方だ。「え?」蚊の鳴くような声で、少女は掠れた声を上げる。「え?」顔も上げる。黒い涙が頬に幾重もの軌跡を残し、噴き出した石油が重力に従って落ちたような痕跡を作っていた。さらに目の形に添った睫毛の束が、頬骨の下に張り付いている。瞼も腫れて、赤い。このような人間の生態外を超えた風貌に、辻斬りナギリは絹を裂くような声を上げた。「ギャアアアア!!」訂正、声変わりを経た成人男性の甲高い悲鳴である。これに少女はビックリして、身体を起こした。
「うわっ!? いきなり人の顔を見て、なに。悪いけど、こちとら幽霊じゃないからね」
「化け物みたいな形相になっているというのにか!? こんなもん、地上の生き物として有り得んだろ!! なんだ、新手のUMAか?」
「人に対してかなり失礼なんですけど!? はぁ、人がしょげて泣いてるのにさぁ。本当、おっさん空気読めてないよね」
「泣いて黒い涙を流すのか。かなり変わった生き物だな」
「呼ぶよ? 警察」
「やめろ!!」
 今のナギリに吸血鬼対策課と張り合えるほどの力は残っていない。警察から吸血鬼研究センターへ連行されてからの正体暴露からの処刑が待っている。もしくは、警察から吸血鬼対策課への連行だ。己のしてきた所業を自覚しているからこそ、現状警察や吸血鬼対策課に関わることは避けなければならない。こういう人間へ即座に懇願する発言をするところなど、〈辻斬りナギリは弱体化している〉との所存である。ナギリは咄嗟に少女の行動を止めようとする。そのとき、制服のガーディガンに隠された手首の傷に気付いた。
 無数の傷跡が、古いものへ覆い被さるように新しく付いている。ナギリは反射的に指摘した。
「おい。それは」
 ナギリの表情と指の差すものを見て、少女は咄嗟に隠す。「ハッ!」から都合が悪いように顔を逸らすように俯かせた。スマートフォンを掲げた手を下ろし、もう片方の手で袖を下ろす。制服のガーディガンで隠しても、見られた事実は変わらない。ぐっと少女は唇を噛み締める。グルグルと見たものについて考えを巡らせるナギリを嘲笑うかのように、「ハンッ!」と顔を上げた。不敵な笑みを張り付けている。
「なによ。今時、自傷が珍しいっていうの? おじさん、遅れてるー」
「誰がおっさんだッ! 誰が!!」
「うわっ、なんか土臭いし、土手で野宿したような臭いもするし。うわぁ、今時の漫喫にすらシャワーがあるのに? そんなにお金がないわけ?」
「ぐぅ、ぬぬぬ!!」
 咄嗟に「殺すぞ」とのドスの利いた声が出かけたが、先の少女が出した行動の手前、辻斬りナギリは迂闊な行動に出れない。脅せば、即座に一一〇番の通報をされるからだ。こういうところが〈辻斬りナギリは弱体化している〉との現実を強める一手である。なにも反論できない辻斬りナギリは、ギリギリと奥歯を噛み締めた。
 負けず嫌いが先行し、負け惜しみのように反論の一手を踏んだ。
「そもそも! どうして人間の【女】が一人でこういうところにいるんだ!? ガキなら尚更、さっさと帰れ」
「帰る家があるとでも思うの? おじさん、意外と頭がメルヘンー!!」
「ケラケラ笑うなッ!」
「だってさぁ、一番危ない吸血鬼がいそうなところに、人間一匹がいるんだよ? それじゃぁ、やること決まってんじゃん」
 ナギリのツッコミにも応じず、少女はケラケラと笑う。【危ない】【人間一匹】これに、ナギリの肩がピクリと反応した。スッと少女の見えないところで、指の腹から血の刃が小さく生み出される。
 少女は観念したのか諦観したのか、それとも笑う笑顔の仮面で取り繕うことも疲れて曝け出すのか。隠した袖を小さく下ろし、自身の手首に創った自傷の痕をなぞる。
「お金もないし、高速バスに乗るお金もないじゃん? 下等吸血鬼にーって思っても退治人の人たちが邪魔だし。知ってる? あの人たち、飛び降りようとした私のことも助けてくれたの!! 本当、おせっかいー」
 アハハ、と笑いつつも目尻から涙が零れる。笑顔の仮面を張り付けたとしても、心の傷までは隠し通せない。無意識に自傷の刃となり、自分へ向かう。黙るナギリに、少女は続ける。
「だから、退治人でも見回りが少なそうなところを探して、見つけたのがここってなわけ!」
 パッと両手を広げて喜ばれても、ナギリは困る。(だからってここを自殺現場にするなッ!!)流石に、自分の持ち込んだ獲物でもない死体が仮住まいに生まれることは忌避した。とはいえ、そう伝えるのは気が引ける。何故なら、自分がここの部屋の主だといっているようなものだからである。──御託をいわず、さっさと斬ればいいのでは──? 即座にこの行動へ移らないことも、〈辻斬りナギリは弱体化している〉の一つだ。
「それと」少女は笑顔の仮面を身に付けたまま話す。
「昔、辻斬りナギリがこの辺に出たと聞いて。そうしたら、会えるかなって」
 突然出た自分の『通り名』に、ナギリの肩が跳ねた。絶好のチャンスでは? 弱体化した身を回復させるのに、手っ取り早い。まさに鴨が葱を背負ってやってきた。鴨鍋をするならば、今がチャンスだ。
 ジリ、とナギリは無防備な少女に近付く。自傷で心の平穏を保つ少女は話を続けた。
「辻斬りナギリだと、一発で斬るんでしょう? だったら、痛みを感じることなく死ねるかなって! だって、もう痛いの嫌だし!!」
 それで、ナギリの情が動いた。(は?)(なんだと?)(クソアマ、もう一度いってみろ)(俺は、あの聞いた人間は必ず恐怖で身体を震わせるという、あの『辻斬りナギリ』だぞ?)一気に文句が土砂崩れのように腹から喉へと濁流が如く押し寄せる。重力へ強制的に引っ張られるかのように、急激に頭へ血が昇った。
「は?」
 ようやくナギリが絞り出した声が、それである。ヒーローを憧れ待つ少女は、とても嬉しそうな笑みを浮かべたまま首を傾げた。
「ん? おじさん、知らないの? 辻斬りナギリの名前。吸対も手を焼いてて、絶対一撃で終わらせてくれそうだよね? 昔だと、そういうのが多かったようだし」
(昔、だと?)
 辻斬りナギリは『ナギリ』であると自覚する遥か昔のことに関する記憶はない。固まるナギリを前に、少女は理想を語った。
「早く来てくれないかなぁ。あっ、報酬とかいるのかなっ!? でも、処女じゃないし、そういうのでもいいのかな?」
「……ぃ」
「えっ?」
「そういうのはいないッ!! だからさっさと俺の目の前から消え失せろッ!! 小娘!」
「えぇえ!? なんでおじさんが急にキレてんの!? 意味わかんない! そもそも、私がここに来たのが最初なんですけど!?」
「俺が最初からここに住んでたわッ!! 不法侵入はお前の方だ! このクソ小娘!!」
「はぁ!? どうしておじさんにクソ小娘とかならないんですかぁ!? っつーか、ここに住んでたって。うわっ。おじさん、もしかしてホームレス?」
「急にドン引きするなッ!! そもそもドン引きしたいのはこっちだわ! クソッ!! 不法侵入小娘が! さっさと帰れ!!」
「だから! 帰る家なんて」
「だったら警察の厄介になれ!! それか然るべき機関に行ってちゃんとケアしてこい! それか頼りになる大人を探して頼れッ!!」
「だから、頼りになる大人なんて」
「声を出せば馬鹿でお節介な人間が気付くだろッ! お前みたいな小娘に構ってる暇なぞないんだ! こっちは!! さっさと帰れ!」
「な、なによ! さっきから帰れ帰れって!! ホームレスのおじさんになんかいわれたくないんだけど!?」
「今は宿がないだけだわ! 勘違いするなよッ!」
 小娘ッ!! と叫んで辻斬りナギリは少女を追い出す。「だから、帰る家が」「か、え、れッ!」問答無用で追い返す。「なによ! このおじさん!!」少女は捨て台詞を吐いて、人の街に戻る道を走った。これで、当分のところは戻ることがないだろう。
(ふぅ)
 同時に、あの少女が無事に人の街に戻れたか気にかかった。──人の営みの中にあれば、退治人か吸対が気付くだろう。それか警察が先に保護を行う。ともかく、あぁいうものは自分の手に負える範囲ではない。そもそも、ヒーローを求める人間を手にかけるなど言語道断──、と脳が認識を拒否する。「クソッ」突然生じた頭痛に、ナギリは罵詈を吐く。
 軽く頭を押さえ、壁に寄り掛かった。吸血鬼に救いを求めるなんざ、変な少女だ。変な少女だった、とても理解に及ばない。
 ──救いを求めるのは、吸血鬼退治人に求めるべきなのでは──?
「変な少女だった」
 ボソリ、とナギリは呟く。冒頭の過去を思い出し、現在の惨めな状況に「クソッ」と罵声を飛ばした。これが〈辻斬りナギリが弱体化している〉の現状である。

 血が吸えないからこそ〈辻斬りナギリ〉と恐れられていた諸事を、できない存在の現状である。



( music by 『あとのまつり/鏡音リン』ヤマモトガク/Peg)


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