犬牟田宝火の独白

『犬牟田先輩は考えが読めない』。犬牟田宝火に対する文月の感想は、正直にそれだった。
 会話は成り立つものの、ニヒルな笑みの奥に潜む真意へ文月は気付く術を持たなかった。
 犬牟田宝火は、肌身離さずパソコンを手にする。この点は文月も納得いった。
(ハッカーにとって、パソコンやスマートフォンは大事だし)
『ハッカーの仕事道具であるからこそ、肌身離さず持つ』。職人のプライドもわかる文月にとって、当然のことであった。
 文月は犬牟田の仕事を手伝うことがある。そういう時、犬牟田の持参したもう一つのパソコンを用いて仕事を行う。「君がパソコンを持てるスペースがあると思う?」の犬牟田の意見で決まったことだった。それに、文月は反論を特に持たない。
 省エネスペースのノートパソコンのお陰で、自由に好きな場所で犬牟田の仕事を手伝えるからだった。
 文月はエンターキーを押す。犬牟田のタイピング速度とハッキングのスピードも、文月のものより何百倍も速い。
(はたして手伝う意味があるのだろうか)
 と最近増えつつある情報戦略部の人員を見て、文月はそう思う時がある。そういう時は必ず、犬牟田が「人員は多ければ多い方がいい。雑用をする手だってほしいんだ」と言葉を返す。


 以上の事柄が、文月と犬牟田の関係であった。『仕事の同僚』もしくは『仕事の先輩と後輩』。そんな言葉が当てはまる関係性であった。

 文月は固まる。犬牟田宝火もまた固まる。


 ──文月は、犬牟田のパソコンに自分の盗撮写真が映っていること。犬牟田は、校内の映像ファイルを整理中に文月へ声をかけられて作業中を見られたこと──。

 双方、思いがけない事態に遭遇して、どう言葉を放てばいいのかとわからなかった。



 文月が口を開く。
「えっと、皐月様が、呼んでました」
「あ、あぁ、そう。で、なんていってたわけ」
「えーっと、情報戦略部のことについて、といえばわかると」
「そうか」
 犬牟田はなんでもないような振りをしてパソコンを閉じる。そして眼鏡のブリッジを指で上げ直したあと、立ち上がった。
 それ以上なにもいわない犬牟田へ、文月もなにもいわない。
 ふと、犬牟田の座っている場所に外付けハードディスクがあることへ気付いた文月は、部屋を出ようとする犬牟田へ声をかけた。
「あの、先輩!」
「はー?」
 この場に文月が『先輩』と呼びかけるのは犬牟田しかいない。
 犬牟田は文月に背を向けたまま、明らかに面倒くさくて気だるそうな声を出した。
『声をかけるな』と暗に示した犬牟田の態度に構わず、文月は尋ねた。
「もしかして、なにか仕事をしている途中でした? なんでしたら、引き継ぎましょうか?」
『できる後輩』として気を利かせる文月の提案に、犬牟田は口を閉じる。
 教室と廊下の境界線に立つこと数秒。犬牟田は先程自身が行っていた作業を思い出した。
 単純にいえば、校内の監視カメラを用いて文月の姿を収めた映像を回収していただけである。下心もあるし文月自身を解明するためでもあった。
 犬牟田にとって『未知』を抱く文月は、ジッと犬牟田の指令を待つ。「まるで犬みたいだな」と思いながら犬牟田は口を開いた。
「いいよ。別にアンタがやるようなことじゃないし」
「そうですか。じゃ、情報戦略部の方に」
「いや。それはいい」
 自身のやっていたことを部下に話されるのは非常に気まずいし、上に立つ者としても不味い。
 キッパリと即答した犬牟田に文月は首を傾げながらも、「はぁ」と返した。文月は他の者へ話す素振りはなさそうだ。よし、これでいい。
 犬牟田は胸を撫で下ろしたあと、情報室を出た。



 文月が犬牟田の手で情報や姿の映った映像や写真を掻き集めていることにも気付かない。犬牟田もそのような反社会的行動をおくびにも顔へ出さず、いけしゃあしゃあと行う。
 このような対比が気に食わなかった蛇崩が、ある時に口を出した。
「ねぇ、犬クン」
「は?」
「アンタさぁ、そう後生大事そうに文月の姿をパソコンで追ってるらしいけど、なに? アンタ、文月のことが好きなわけぇ?」
 犬牟田は蛇崩のチロチロと出す蛇の毒舌を見る。犬牟田にとって語弊はあるが、文月に好意があることはあった。『無関心』ではないの以上ではあるが。
 暇潰しの種を探す蛇崩に、犬牟田は嫌味で返す。
「別に。彼女のことは俺らの仕事をよく手伝ってくれる、優秀な補佐官だと思っているよ」
「ふぅん、そう? じゃぁ、文月に彼氏が出来たって気にしないってことなのねー」
 犬牟田の返答で興味の失った蛇崩は、ゴロンと寝返りを打つ。蛇崩の指揮棒がクッションの向こうで揺れる。オーケストラの指揮がされている一方で、犬牟田の指は止まっていた。
 パソコンは他校の情報を開いたまま固まっている。
 犬牟田もまた、蛇崩の一言を聞いた時の状態で固まっていた。
(は?)
 石化から解放された犬牟田がようやく発した言葉が、それだった。
(アイツに『彼氏』ができるだと? 馬鹿馬鹿しい。あんな変な奴、誰が好むんだ。そもそも、アイツは俺らと同じ『四天王』に近い立場。恐れ多くて手が出せないのが事実だろ)
 過去の事実と現在の照合。それらの作業で考えを纏めた犬牟田は、中断した作業を再開させた。
 犬牟田のタイピングが荒々しいものになる。荒れ狂うリズムの変化を見た蛇崩は、面白いものを見つけた狐のように、ニィッと口の端を上げた。



 文月は一向に、犬牟田が自分の情報を集めていることに気付かない。過去、皐月や蛇崩に文月は指摘されたことがあった。『犬牟田がお前の情報を集めている』と。その指摘に対する文月の返答は、決まってこうだった。
「それは当たり前ですよ。だって、私は元々見ず知らずの人間ですし、蓋を開ければブラックボックスの塊。例え味方であろうとも、『いざという時』を考えると、お互いのことを知りたいと思うのは当然ではありませんか? もちろん、私も犬牟田先輩のことをわかろうとしています。お互いさまであるから、大丈夫です」
 と自嘲を含んだブラックジョークで返すのだった。
 それを監視カメラの映像越しに見た犬牟田は、複雑な感情に囚われた。
『そうではない』と否定する自身がいる一方で『そうなのか』と納得する自身がいる。
 矛盾した感情である。犬牟田は頭を押さえる。今まで両親の手から離れるために市役所の戸籍を改竄し、遠くの中学へ引っ越して株で稼いで一人で暮らしていた天才的な頭脳を誇る犬牟田でさえ、手を焼いていた。
 犬牟田は文月に『未知』があるのではなく、自身の胸の内に『未知の感情』があることに気付いた。もっとも、文月自身が『ブラックボックス』であるのには変わりないが。



 犬牟田は疲れを滲ませている文月へ声をかける。文月へ仕事を手伝わせるつもりだったからだ。
 犬牟田の頼みに文月は顔を歪ませたものの、苦々しい顔のまま、重く頷いた。今の文月は、犬牟田の仕事を手伝うことが無理な状態であると自覚していたのだった。だが、犬牟田は肯定の返事以外を受け付けない圧力を文月へかけていた。
 文月が頷いたのを見たあと、犬牟田はスマートフォンを文月へ渡した。
「はい」
「え」
「これ、君の今までの戦闘データだから。君の動きや戦闘パターンを数値化して纏めておいた。確認しておいて」
「あ、はい。え、これ」
「そうそう」
『今でなくともできる』といいたげな文月の言葉を遮り、犬牟田はいう。
「それが終わったあと、少し寝てもいいから。他のヤツには俺からいっておくし」
 そういって、犬牟田は文月を生徒会室へ押し込んだ。蛇崩のクッションや猿投山のソファなどが寝ても大丈夫だろう。犬牟田は反論したげな文月の声を聞くよりも前に、生徒会室の扉を閉じた。
 そして外から鍵をかける。スペアキー以外自分しか持たない鍵を絶対的君主である皐月に渡せば、ややこしい話へとならないであろう。
 犬牟田は無理をする文月を無理矢理休ませたあと、生徒会室をあとにする。自身の未知の感情へ気付かず、捻くれた皮肉屋の彼に出来るのは、これが精一杯であった。



 だからこそ、この事態は彼にも予想できる範疇であった。
 彼の目の前で文月は破顔する。そして犬牟田の胸を抉る言葉を放つ。
『私、結婚するんです』
 犬牟田以外の人間とである。
 犬牟田は幸せの絶頂にいる文月の薬指を見る。左手には銀色のリングが嵌められている。婚約指輪であろう。シンプルながらもセンスの利いたデザインである。
 犬牟田はニヒルな笑みを口に浮かべた。だが、表情筋が震えて中々出来なかった。
 犬牟田の喉が震える。「へぇ、よかったね」と犬牟田が声に出そうとしたら、別の感情が彼の口から出て来た。
「――もうやめてくれ」
 嘆願する声であった。
 そのような自身の胸を抉る事実に対して、このような仕打ちはもうやめてくれと懇願する声であった。
 犬牟田は両腕で目を覆い隠す。喉からは自然と唸るような声が出ていた。「あぁあー」と、地の底から這うような声であった。
 最悪の気分であった。まるでREVOCS社の追跡から逃れようとするのに土砂降りの雨に遭って泥水の中へ転がり落ちたような気分であった。
 犬牟田は両目を塞いだ腕を下ろす。
 見慣れた、天井であった。
 文月が『結婚した』と報告した一連の出来事は、犬牟田のレム睡眠が作り出した架空の出来事だった。
 つまり『夢』である。
 犬牟田はゴロンと首だけで寝がえりを打つ。もそもそと寝袋から腕を出し、目覚まし時計を確認する。時刻はまだ、午前四時四十五分であった。
(さい、あくだ)
 蛇崩の一言で最悪の気分を仮眠の中まで引きずられた犬牟田は、ずるずると寝袋の中へ腕を戻した。
 相変わらず、寝袋の中は自身の体温のお陰で温かい。
(あー。うそ、だろ)
 何に対しての『嘘だろ』というのは、本人にもわからないことであった。
 犬牟田は未知の感情に引きずられる。パソコンのブルーレイだけが、犬牟田の迷う気持ちを映し出していた。


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