黄長瀬紬と美木杉愛九郎とその妹がスタバに行く話

 生命戦維の戦いに向けた研究は最優先だ。しかし、そんな研究者でも休息は必要だ。例え、束の間のものであっても。
 紬は珈琲を一口啜った。紬の目の前には、最愛の姉の婚約者である美木杉とその妹がいる。
 美木杉の妹である千芳は抹茶ホワイトマーブルフラペチーノを吸い、ぼやいた。
「それにしても残念ですねー。お義姉さんが来れないなんて」
「でも、その弟である紬と交流を深めるのはいいことだと思うよ? 将来僕の弟となるわけだし」
「そうだね。兄さんよりよっぽどマシなお義兄さんだね」
「千芳! 実の兄に対して随分と酷い言い草じゃないかぁ!!」
「言動が全く一致してないよ。お愚兄(にい)ちゃん」
 千芳は美木杉に抱き締められたまま毒を吐く。だが美木杉は千芳に頬擦りをすることをやめない。
 紬は涼しい顔をしてサンドイッチを齧る。このやり取りは紬にとって慣れたものであった。
 例え周囲がこの美麗な兄弟のやり取りにざわめいても、紬にとっては然したる問題ではなかった。
 紬はサンドイッチのソースが垂れた指を舐める。
「おい。自重しろ。秀麗兄妹。お前らを芸能人だと勘違いした連中がカメラを構えているぞ」
「えぇ? 僕の美しさに酔いしれてカメラを回し始めただって? 全く、我ながら僕という存在が怖いよ! ならば、オーディエンスの期待に応えようではないか!!」
「やめろ! 馬鹿兄ぃ!!」
 紫色の光源をバックに出した美木杉が一気にシャツのボタンを外したと同時に、千芳のハンマーが決まった。
 紬は涼しい顔をして珈琲を飲む。ナルシストが少し入った兄を妹が暴力で諌める光景は、日常茶飯事であった。
 千芳は美木杉が服を着用するのを確認したあと、席に戻った。
「まったくもう。兄さんのお陰で、クリームが袖についちゃった」
「そうかい? だったら舐めてあげようか?」
「実の兄といえどもセクハラは許さない。訴訟」
「ハハッ!」
「あー、もう。お手洗い行ってくる」
 笑い飛ばす兄に付き合い切れない妹は、一旦トイレへ逃げ込む。きっと袖のクリームを洗いに行くのだろう。
 紬はなにもいわず、千芳の退席を見送った。
 美麗な美木杉の遺伝子を持つ千芳は周囲の様子を気にすることなく、その視線を一気に掻っ攫う。入店した恋人も、夫婦の視線も全て。
 熱が冷めつつある珈琲を啜る紬に、美木杉はからかうようにいった。
「ごめんねぇ。僕の妹が。僕に似て、かわいいでしょ?」
「あぁ、そうだな。アンタに似ず、しっかりとしたいい子だよ」
「またまたぁ! 紬ってば照れ隠しが上手だなぁ!」
「いいや。俺は本音をいっただけだ」
 ぶっきらぼうに返し、紬は空になったカップを置く。
 美麗な兄妹のやり取りに釣られたオーディエンスが事実の確認を行うかのように、彼らの隣を横切る。
 紬は皮肉をいう。
「やれやれ。アンタら来た日にゃぁ、この店も大繁盛だな」
「そうだねぇ。足しげく何度も注文をしてくるお客さんも来てくれることだし。それより、紬」
「あぁ」
「僕が絹江さんと一緒に暮らすときには、千芳のことを頼むよ」
「チッ、まぁたその話かよ」
 美木杉の切り出した話題に、紬は嫌悪感を露わにする。
 カフェラテを口に運ぶ美木杉は、構わず話を続けた。
「あの子は僕と違って研究室に籠るタイプだからね。誰かが連れ出してやらないと、外に出ないんだよ。彼女の健康に悪い」
「頭の良い研究者は多い方がいい。生命戦維の研究も進むからな。俺たちにとって都合がいいじゃねぇか」
「僕と絹江さんの都合が悪いんだよ。紬、僕たちはあの子が大好きなんだ。なんだって、大切な家族なんだからね」
「チィッ!」
 紬は苛立たしく舌打ちをした。紬の大切な姉まで引き合いに出されては、断ろうにも断りにくかったからだ。
 逃げ場を失くす紬を前にしても、美木杉は声を潜めて会話をする。
 ヒソヒソと話す光景に訝しむ周囲の視線が、美木杉と紬を刺した。
「それに、僕に似て美しい子に育ったからね。どんなに、僕に似ず平凡な子であったらよかったと、思ったことがないよ」
「そいつはそいつでぐれたり拗れたりしそうだがな、千芳の奴が」
「おや? 紬、ようやく僕の妹の名前を呼んでくれたね?」
「フン。アンタの前でいっちゃぁ、アイツの苦労が増えるからな」
「またまたぁ、照れ隠しの癖に」
「うるせぇ」
 姉の婚約者の手前、強く出れない紬は負け惜しみだけをいう。
 顎の下で両手を組んだ美木杉は、笑みを絶やさず続けた。
「君と千芳が付き合ったら、どんなにいいことだろうね」
「まぁたその話か。いい加減にしてくれよ」
「僕は諦めていないからね!? 絹江さんと結婚したとしても、君と千芳は血が繋がっていない義理の兄妹同士になるんだし! あれ? 千芳が僕以外の人間に『おにいちゃん』と呼ぶ……? アウチッ! ますますお前と千芳が付き合わなければならないじゃないか!! それとも、禁断の愛がお好みだっていうのか!? 紬は!!」
「だぁあ!! 妄想も大概にしろ変態野郎!! いいか!? 俺はアイツにそんな感情をそれっぽっちも抱いていねぇ! 二つ、いいことを教えてやる!! 一つ、俺はアイツのことをそんなに」
「ただいまー」
 美木杉と紬のヒートアップした会話は、当人の登場により終わる。
 熱の引いた二人は、スッと自分の席に座り直した。
 袖の湿った千芳は、飲み差しのフラペチーノを飲む。
「あ、もう少しで無くなりそう。テイクアウトできればいいのに」
「でき」
「本当、悲しいよねぇ、できないのは。しかもタンブラー持参しないといけないし」
「それは百円ほど値引きする」
「タンブラーって、ここで買わなきゃいけないんだよね? 他の持ってきたら、さすがに恥ずかしいし」
「他店で買ったタンブラーでもでき」
「だよねぇ。本当、店舗で注文しなきゃいけないし」
「メニューも覚えきれないし。本当、店員さんってすごい」
「よねぇ!」
 千芳の隣を陣取ってしきりに頷く美木杉を前にした紬は、堪忍袋の緒が切れた。
 プツンと切れた紬はギッと美木杉を強く睨んだ。常人なら卒倒しそうな無言の恫喝を前にしても、美木杉は調子を崩さない。
 美木杉は思い付いたようにポンと手を叩いていった。
「そうだ! 紬に頼もう。紬、僕たちの分も注文、頼むよ」
「は?」
「え、いいんですか?」
「待て。俺がいつ、いいといった」
「僕はパッションティー抜きホワイトモカシロップホイップクリームマンゴーパッションティーフラペチーノで」
「は!?」
「じゃぁ、ホワイトモカシロップオートミルクホイップクリーム乗せ抹茶ティーラテ、ホワイトモカシロップ2/3に抹茶パウダー増量」
「はぁ!?」
「店員が通だった場合は『白桃フラペチーノウィズホイップクリーム』でも通じるからね。僕の場合は」
「コンディメントバーのシナモン追加のシュガードーナツもお願いします」
「お、お……お前ら!!」
 困惑する人間に追撃をかける兄妹に紬は怒りを覚える。しかしマイペースな美木杉兄妹だ。ここで紬が怒鳴ったとしてもどこ吹く風で避けきる。
 紬は怒鳴る体力を保温するために、大人しく彼らに従う振りをした。
 紬は席を立つ。その背中を千芳は見送る。
(俺だって)
 紬は急激に冷めていく周囲の熱に人心地つきながら、ぼやく。
(器用にできるもんなら、上手くやりてぇよ)
 紬の脳裏に、美木杉と千芳のやり取りが過る。
 美木杉似の美貌を受け継いだ千芳は、年齢差が広ければ彼の子ではないかと疑うくらいの美しさを持っていた。
 外交的な兄の愛九郎に比べ、妹の千芳は内向的で一つのことへ集中的に打ち込む。
――男性的な弟の紬と女性的な面の強い穏やかで優しい姉の絹江――。
 対照的な美木杉兄妹の分析をした紬は、自分たちのパターンも分析して苦笑した。
(まるで似た者同士じゃねぇか、俺らは)
「黄長瀬さん」
「うわ!?」
 突然の声に驚いた紬は、大きな声を出した。
 大袈裟に体を跳ねた紬に驚いたのか、紬の回想に出てきた当の本人である千芳は、小さく肩を引いて「おう」と呟いた。
 大きい動作をとった大柄の筋肉質な男と、小さく驚いた小柄のスリムな女性。紬の回想の他に現実でも、対照的なパターンが出来た。
 紬は自分より一回りも小さい千芳の旋毛を見ながら話し掛ける。
「いったい、何の用だ。注文し忘れか?」
「そういうところです。追加でアメリカンワッフルキャラメルソース味も忘れたので。十個ほど」
「見た目にそぐわずよく食うな。アンタは」
「そうですか? 持ち帰る分も合わせてですが」
「持ち帰る」
 紬は千芳の言葉を繰り返して、それを食べている千芳の様子を想像する。
 例えここでいくつか食べるにしても、十個ほどあるワッフルを研究室に籠って食べるつもりなのだろうか、この女は。
 紬は初めて、美木杉愛九郎の懸念に至る理由に気付いた。そう、美木杉千芳は天才的な頭脳を持ち常人の理解できるセンスを持つが故に、摂取したカロリーを脳の回転によって消費しているのだということに。
 それによって、徹底的に運動をしないタイプであることに。
 そうであるから、健康的な美を放つ美木杉愛九郎に対し、美木杉千芳は不健康な美を放つのだ。
 アンバランスな千芳の生活に気付いた紬は顔を青褪める。
(コイツは、誰かが見ないと早死にするタイプだ)
 姉の悲しみを危惧した紬は「千芳の世話をしなければ」との使命感を抱きつつあった。
 しかし、美木杉愛九郎の実妹である。そんな彼の使命感は、千芳の一言で消え去った。
「黄長瀬さんも食べます? オールバターショートブレッドとキャラメルワッフル。それに、キッシュも美味しいですよ」
「いらん! っつーか、それも食べるつもりなのか? アンタ」
「はい。兄も食べますし。キッシュくらいは」
 いや、それは違う――。紬は涼しい顔をした千芳の返事に、出かかった言葉を飲み込んだ。
 きっと、美木杉愛九郎の胃袋の十倍ほどの広さを持つのだろう、美木杉千芳の胃袋というやつは。
 外面は愛九郎の女版だと思えるほどそっくりなくせに中身が全く異なる美木杉千芳のギャップに、紬は戦慄した。
 そうであるからこそ、紬は一種の期待を抱いていた。もしかしたら愛九郎と違い、自分とまともに――美木杉愛九郎のような茶々を入れられることなく――話せる人物ではないのか、と。
 紬は千芳に話しかけようと、口を開きかける。
 だが、紬と千芳の順番はカウンターの前まで来ていた。
 千芳は顔を向ける紬を一切気にすることなく、口を開いた。
「『パッションティー抜きホワイトモカシロップホイップクリームマンゴーパッションティーフラペチーノ』と『ホワイトモカシロップオートミルクホイップクリーム乗せホワイトモカシロップ2/3抹茶パウダー増量抹茶ティーラテ』、アメリカンワッフルのキャラメルソースを二個に、ベーコンとほうれん草のキッシュ一つ、キャラメルワッフルを一つお願いします」
「かしこまりました。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「いえ。黄長瀬さんは?」
「……全部食うのか?」
「いえ。兄のドリンク以外は」
 眼前で千芳の暴食を見た紬は、無言で千芳の頬を抓った。
「いてっ!?」
「あ、あの。お客さま?」
「すまん。キャラメルワッフルはキャンセルで頼む。エチオピアの珈琲を頼む」
「え!? ちょっと、なにキャンセルしてるんですか!? この外道!」
「外道なのは手前ぇの胃袋の方だろうが!! 黙って自分の健康の心配をしろ! この不摂生女が!!」
「なにを!? 最低三時間は寝てるんだからね!? しかもお肌に良い化粧水とかも使ってるし!」
「関係ねーよ! 少しは自分の健康に気を遣えってんだ! この馬鹿女!!」
「はぁ!? 筋肉ダルマにいわれる筋合いはないんだけど!! ちょっと、店員さん! やっぱりキャラメルワッフルを追加で」
「キャンセルだ!」
「追加!」
「お持ち帰りで、頼める?」
「は、はい」
 騒ぎの大きくなった千芳と紬の喧嘩に終止符を打ったのは、美木杉の一言だった。
 秀麗男性による助け舟を出された女性店員は、美木杉に見惚れながらお持ち帰りの手続きを踏む。
 美木杉は笑う。紬と千芳は、自分たちの背中や肩に圧し掛かる美木杉を睨んだ。
「おい、美木杉」
「愚兄(にい)さん?」
「なんだい? 仲良きことは美しきだけど、周りのお客さんの迷惑になっちゃ」
「うるせぇ!」
「キッシュ!!」
「ぶべっ!」
 二人の喧嘩を中断させることとなった美木杉は、その拳を受けることとなった。



 結局。美木杉と紬の手によってキャラメルワッフルとキッシュを食べられなかった千芳は、紬が代わりにテイクアウトの商品を注文することによって機嫌を直した。
 千芳の健康を管理するかのように、紬はテイクアウトが入った袋を提げる。研究室でそれらを食べれることを望む千芳は、上機嫌で紬の腕を取った。
「やめろ」と紬は乱暴に千芳の腕を払う。「またまたー」といって千芳は紬の手を避けながら、標的の袋に手を伸ばす。それを紬は避ける。千芳は袋を狙う。そんな攻防戦が、研究所への帰り道にずっと続いた。
「アハハ」と笑う美木杉の入れた茶々で紬と千芳の声が揃ったのは、遠くない話であった。


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