猿投山は思う(卒暁後)

 今日は珍しく文月が出掛けた。自然と猿投山が一緒に行くことが多いが、珍しく断ることもある。「まさか、出来たのか!?」「そういうのじゃないから」ピシャリと断り、文月は出掛ける。用事は産婦人科とかではないらしい。(それなら俺も付いていくっつーのに)寧ろ、踏み切れて自分のプロポーズすら受け取ってくれるんじゃないか、との期待もある。文月の要望もあって、未だに籍を入れていなかった。(もう殆ど、内縁の妻扱いになってるってぇのに)なにが気に入らないんだ、とさえ不思議に思う。不安さえ生じた。(こんにゃくか?)舎弟はともかく、鬼龍院皐月や蟇郡、犬牟田、蛇崩、伊織にまで呆れられたことはある。深い郷土愛とこんにゃう愛が故に冷蔵庫をそれ一品で埋めてしまいそうだが、自制している。猿投山は、ちゃんと他のものを食べていた。
(仮に、そうだとしたら俺と一緒に猿投山こんにゃく本舗神奈川支店をやってくれるわけ、ねぇだろうが。なら、どこにある?)
 問題を探し出す。以前直接文月本人に尋ねても「渦に問題があるわけじゃないから」とで話が終わった。自分に非がないとなれば、他になにがある? やはり、文月本人の気持ちの整理か。辺りが薄暗くなる気配に窓へ近付けば、雪が降っている。(アイツ、傘を持って行ってたか?)咄嗟に傘を掴んで玄関から出ようとするが、行き先を知らなければ迎えに行けない。ドアノブを掴みかけて、離した。傘を元の場所に置き、靴を脱ぐ。リビングに戻り、寛いだ。なにも考えることができず、筋トレをする。腕立て伏せをし、腹筋をし、スクワット。久々に竹刀を取り出し、軽く構えた。振り上げようとすると、竹刀の切っ先が電気に当たる。以前のように振ることはできない。(引っ越すとしたら、もうちょい天井の高いところを選ばないとな)ここは家賃と部屋の広さを折衷して決めた。引っ越すとしたら、時間が掛かるだろう。(っつか、それ前提に相談して、金を貯めねぇと)文月は金銭に煩い。それも生活や店の経済を任されているせいもあるだろう。(少しは、負担を軽くしねぇと)とはいえ、猿投山は事務処理などは苦手だ。こんにゃく作りのためなら、日の昇らない朝の内でも起きる。「とりあえず、それぞれの得意分野でやりましょう」暮らし始めて、疲労困憊になった文月の顔を思い出した。できないことは、できる相手へ任せる。できる範囲で負担を分散する。そういう感じに、仕事や家事の分担などを決めた。あれで文月から不満が出たことはない。出たとしても、必ず猿投山本人にいう。
(なにが嫌だってんだ)
 どうして結婚へ踏み切れないのか。文月の決断を待って、随分と経つ。(指輪、くらい買って。いやそれだとサイズがな)それに運命共同体だ。店の売り上げから抜くにしても、どうにか誤魔化す必要があるだろう。「脱税ですか?」鋭い文月の視線が猿投山を射貫く。「ちょっと野暮用で、俺が使える額をちぃっと多くしたいだけだ」これでいくか? 文月の疑惑は残りそうである。(浮気とか、そういうヤツじゃねぇってのに)安心させるためにも、色々とやることはあるだろう。なにせ貯めるのに長期間かかる。
 狭い空間を意識して、竹刀を振り続ける。腕は多少鈍ったが、家具や電化製品を壊すに至ってない。このやり方なら行けるだろう。ふぅ、と息を吐く。竹刀を休めていると、文月が帰ってきた。「ただいまー」この声は現実のものである。「おう、お帰り」猿投山は剣道着姿のまま、文月を出迎えた。
 外は雪が積もっているらしく、文月の頭に雪が積もっている。髪を叩いても、雪は落ち切れていない。猿投山は手を伸ばす。
「はぁ、本当寒かった。明日は晴れるのに」
「それまでに溶けてるといいよな、雪。朝の配達分も考えるとよ」
「本当に」
「せっかくの休みだってのによ」
 文月の声色から微かに滲んだ疲れと嫌気を察して、猿投山はそう同意する。しかし、文月にとっては別の意味に取ったようだ。微かに顔を赤らめて、気まずそうに視線を逸らす。「その、ごめん」不意に出た謝罪に「あ? なにがだよ」と猿投山が返す。文月は腑に落ちない猿投山に続けた。
「その、一人で過ごさせてしまって拗ねたのかと。渦、そういうところあるし」
 もじもじと理由を説明されては、ムッとするほかない。俺がそうガキみたいなことをするか、と反論したくてもできない。散々実証を重ねてしまった。
 口で反論できない代わり、態度で示す。無言で追い詰めたなりの抵抗を示す猿投山に、文月はギュッと抱き着いた。未だに靴を履いたままである。猿投山が玄関ギリギリへ近付いたことにより、できることだった。
「寒い。なんか、部屋が出掛けたときより寒くなっているような気がするんですが」
「修行をしてる間に暖房を消したからな。シャワー浴びた方が早ぇんじゃねぇの?」
「それはいったい、どういう意味で。いや、やっぱなんでもないです」
「あ?」
 猿投山が聞き返す間もなく、文月は靴を脱ぐ。「じゃ、浴槽を洗ってお風呂を溜めておくので、その間見ていてくださいね」と文月は持ち物を少なくしてから出て行った。コートのポケットに、エコバックを小さく畳めたものを入れていた。「おー」猿投山は頷きつつ、見送る。
 文月の発言を思い返して暫し、ハッ! と猿投山が気付いたような声を挙げた。


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