こんにゃく屋の夏のある日(卒暁後)

「そういえば、先輩って熱唱するんですよね」
「はぁ?」
 やれアイスを入れようだの、やれこんにゃくのみは止めようなどと議論した手前で、千芳が突拍子もなくいう。これに猿投山は言葉を失った。次の言葉が出てこない。顔を顰め、眉がいつも以上に吊り上がった。「やっぱ夏にはこんにゃくだろ」「だからって、アイスケースを出してきて、それ? せめて普通のアイスも入れましょうよ。パルムとか」「いいや、こんにゃくだ!」そう議論していたような気がする。脈絡のない会話をしでかすとは、満艦飾の影響か? 「ほら、あのとき」千芳が猿投山と同じ場面を回顧する。
「みんなとカラオケしてたとき、先輩熱唱してたじゃないですか。自分の番じゃないのに」
「あぁいうときは熱く歌うのがセオリーってもんだろ」
「そういう考え方をしてる時点で、熱唱してるんだよなぁ」
「はぁ?」
 二度も聞き返すが、ただ千芳が頷くだけである。確信を深める。それに猿投山は不平等だと感じた。自分が話を呑み込めていない。もう少し詳しく話せという話だ。さらに突っ込む。
「なにをいってるんだ、お前。さっきからワケの分からねぇことをいいやがって」
「カラオケで熱唱する先輩」
「だぁから、それがアイスとどう関係があるって」
「あのときの吊り上がった眉と比べたら、眉の動きが違うなって」
 例え同じ眉間の動き方としても。そう伝えることと並行して、猿投山の顔を覗き込む。この二つに、猿投山はドキッとした。不安や心配によるものではない。好意と興奮によるものだ。一つ目は、あの薄暗い室内で多人数いたにも関わらず、千芳は自分を見ていたこと。二つ目は、物理的に自分との距離を縮めてきたことだ。しかも、自分が腰を屈めばキスをできる距離にある。(されてぇっていうのか!?)猿投山の頭が熱暴走した。そうと知らず、千芳は続ける。
「今も、ほら。眉の動きが違う」
「うっ、さわ、るなって」
「声が小さい」
「触るな、っていったん」
「一旦匁ですか。確かに、こんにゃく刺身でだと、近いですね」
「急に話を戻すんじゃねぇよ」
「あぁ、また動いた」
「ざっけんなよ」
 平然とする千芳と違い、猿投山は動揺し続ける。普段なら怒声を上げて物事の荒に指摘やダメ出しをするはずが、今では段々とか細い声となった。目が泳ぐ。千芳は猿投山の眉を触ることをやめない。「あの、よ」猿投山が弱々しく切り出した。
「ここ、人前だぜ?」
「やっぱり、アイスケースは中に入れましょうよ。今の季節を考えると、電気代が馬鹿になるし」
「そういうことじゃなくてよ」
「眉を触ってるだけ、というより。そもそも」
 千芳の踵が降りる。眉と千芳の指との間を広げた距離に、猿投山はほんの少し寂しく思えた。
「先輩が、身体を屈めてるからいけないのでは? 嫌なら、伸ばせばいいじゃん」
「なっ!?」
「えっ、もしかして無自覚だった?」
 失言とばかりに千芳が自分で口を隠す。驚く千芳に対し、猿投山は顔を赤らめた。図星である。わなわなと肩が震え、二の句を継げない。黙る猿投山に、千芳が呆けた。これでは会話を続けることができない。横のアイスケースをチラッと見る。誰がこんにゃくを凍らせただけのアイスを窃盗で手に入れようとするか。値段の割に電気代を賄うには足らず、他の利益で賄う。正直、買い手が誠実ならば店に置いた方がいい。(アイスケースの取り扱いも、なるべく直射日光は避けるようにとあったし)廂の屋根があろうとも、店内と店外では温度が異なる。千芳は猿投山の袖を引っ張った。
「ほら、とりあえず店の中に入りましょうよ。中に入れる準備もしなきゃだし」
「抱いていいか?」
「人前でなにいってるんですか、馬鹿」
 さり気に議論の結論を都合の良い方へ改変しつつ、呆けたことをいう相手を一喝する。しかしながら、猿投山の気は晴れないようだ。引っ張る力に従いつつ、機嫌の悪い顔をする。否定に納得できないようだ。
 扉を開け、店に入る。客はいない。無人だ。この時間帯に買いに求める客は少ない。いたとしても一人か二人だ。それも、馴染みの顔である。袖から手首を掴む。猿投山がムッと顔を歪めた。
「今は営業中ですからね」
「だったら、キスならいいよな?」
「どこでスイッチが」
 入ったんですか、という前に顔が近付く。先に自分の行動で仕掛けていたということに、千芳は気付かない。仕方ないという態度を取りつつ、目を瞑った。踵を少し上げる。爪先をピンと伸ばした。千芳から近付けた距離に少し驚きつつも、猿投山は唇を合わせた。暫く触れて、一瞬だけである。猿投山が腰を伸ばした。合わせて、千芳も踵を下ろす。「まったく」空いた手で、自分の口を隠した。手首と手の甲に、キスをされたばかりの口を押し付ける。もう片方の手は、差し出した猿投山の手に置きっ放しだった。
「誰かに見られたら、どうするんですか」
「構わねぇよ」
 ツン、と猿投山が鼻を突き出した。


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