先輩と山籠もり+1

 金柑の実を食べる。酸っぱい味が口の中に広がる。先輩は自分の分を袖で拭って、大きく一口を齧った。
「うん、美味い」
 シャリシャリと頬張る先輩の横で頷く。指についた金柑の汁を舐めたら、少しシャーベット状になっていた。やっぱり、寒い。冬の山というものは気温がとても低い。雪はサクサクとしてるし、ツララも多い。先輩が山籠もりをしたものだから、私もついてきたのだ。押しかけ女房ってやつだ。
 先輩が私に振り向く。先輩の口元も金柑の汁で濡れていた。
「この山の金柑は美味いんだ。寒くないか?」
「ん。大丈夫、です」
 といいつつ、手袋を外した指先は寒い。フーッと息を吹きかけると、多少はマシになる。赤い指を擦ると、ヌッと大きな手に包まれた。先輩の手だ。相変わらず、肉刺だらけだ。
「おい。やっぱり寒いじゃねぇか。あまり無理はするなよ」
「ん、すみません」
 先輩の手に温められてると、不思議に思った先輩が覗き込んでくる。近い。訝しそうな先輩の顔をまじまじと見る。先輩は口をへの字に曲げてる。けど、眉は吊り上がってる。どうしたんだろう。
 片手でギュッと両手を包まれる。そのまま、目の前でひらひらと手を振られた。
 先輩の手を目で追う。
「なんか、反応が鈍いな? 風邪でも引いたのか? おーい」
「んん……くっし。うぅ、寒い、だけです。すこ、し」
 先輩が黙る。少し、ヤバいことをいってしまったか?
 恐る恐る先輩の顔を覗き込むと、眉間に皺を寄せた先輩と目が合った。
「やっぱ駄目なんじゃねぇか。小屋の方、戻るか?」
「ん、んーん……。いえ、まだ、先輩の修行に付き合います」
「いいよ。お前の体調が崩れちまう方が問題だ。風邪でも引いたら」
 先輩の手が前髪を上げる。ヒヤリと先輩の冷たい手が額に当たった。
「修行に集中できねぇ」
 額の熱を測られる。先輩の心配そうな目を直視してしまい、否定の言葉が喉に突っかかった。
 視線を逸らす。先輩は視線を逸らさない。そのまま自分の顔にどんどん熱が上ってきたものだから、つい口から言葉を滑らせた。
「す、すみません……」
 小さく謝ると、先輩は困ったように「そうじゃねぇよ」と呟いて、ポンポンと私の頭を叩いた。
 最近になって気付いたことだが、私は人の好意を素直に受け取れないのらしい。本能字学園で先輩たちや皐月様に仕事ぶりを褒められたりするのは素直に嬉しかったのだが、どうも内面のことを褒められると反応に困る。乃音先輩からは「そんなところが鈍感っていうのよ」とツッコまれた始末だ。
 だから、そんなところが自分の欠点だと思うと、今まで先輩から褒められてきた一つ一つのことを逃してしまったんだと思い、申し訳なく思う。
 先輩が先頭を歩き、ザクリザクリと雪の道を踏み固める。行きと同じ道を歩いているのだ。三回も踏まれると、自然と足場も高くなる。
 行きと同じように、先輩の歩いた後を歩く。草履の先輩はきっと寒いに違いない。凍傷になっていないだろうか。先頭の先輩の袴を見る。紺色の袴に雪の埃がついていた。
(寒く、ないのかなぁ)
 先輩は、修行のためにわざと薄着をしている。対して私は厚着だ。だって、今は寒い二月の冬だから。如月の木も実をつけている。木の枝に留まる鳥も、寒さで羽毛をブワッと膨らませている。見れば、先輩の肩も小刻みに震えている。
(やっぱり、寒いんじゃないか)
 寒さが伝染して、自分の肩もブルリと震える。マフラーに口を突っ込む。もしかしたら、先輩、凍死しかけるかもしれない。春になって先輩の死体と対面することは嫌だから、先輩に行き先だけは聞こうと思った。
 先輩と泊まっている山小屋の扉が開く。
 囲炉裏に火がついていないから普通に寒いけど、外よりはマシだ。「あー、さむ」といって、先輩は囲炉裏の火をつける。
 先輩に続いて、私も床に座る。土間に足を伸ばす。先輩は草履を脱いで、片足を太ももの下に挟んでいた。
「はぁ、中々つかないな。もう少し待ってくれ」
「はい」
「あー……。うん? オイルがなくなったのか?」
 チャカチャカと先輩がチャッカマンを上下に振るう。もしかして、チャッカマンのオン・オフを切り替えてないのでは、と思ったけど既に切り替えてあった。
 じゃぁ、中身の燃料が切れたのだろうか。それとも、チャッカマンが寒さで凍った?
 そんなことを考えて、居間に上がって荷物を探った。鞄のポケットを探れば、持ってきたマッチがあった。
 それを先輩に渡す。
「先輩、これ」
「あ、あったのか!? サンキュー、千芳」
「いーえ」
 どさくさに紛れて、先輩の隣に座る。スッと背中に体を寄せると、ビクリと先輩の体が跳ねた。
 先輩の背中は冷たい。先輩の背中に頬を寄せても、同じことだ。でも、くっつき続けると段々と温かくなる。先輩はプルプルと震え続けている。シュッシュッとマッチを擦る音が聞こえる。ドッドッドと先輩の激しい心臓の音も聞こえる。
 緊張しているのかな? 先輩の体も段々と温かくなっているような気がする。
 簡単な湯たんぽになりそう。
 ふと、そう思った。
「ついた」
 ぞ、と小さく零した先輩の声に顔を上げる。囲炉裏を覗くと、パチパチと炭の間から火が顔を覗かせていた。先輩が安心したように溜息を吐いた。
「これで温かくなるはずだぞ。お前はここで待っていてくれ」
「え? 先輩、どこに行くんです?」
 あまりにも早い出発に、驚いて慌てて行き先を尋ねる。先輩は竹刀を肩に担ぎ直して、入口を指差していった。不思議そうな顔で私を見ている。
「へ? ほら、あそこだよ。あそこ。あの、いつもの」
「えーっと……。滝行? の、できるとこ?」
「そう、そこだ。なぁに、川に落ちるようなヘマはしねぇよ!」
「寒すぎて倒れないでくださいね。そこも心配してるんですから」
「な、なんだよ。自己管理も修行の一つなんだぞ!?」
 そんなヘマしねぇよ! と先輩は子どもみたいなことを吐いて、大股で小屋を出て行った。
 バタン! と大きく扉が閉まるかと思えば、ピタっと出たところで止まる。どうしたんだろう? と思って先輩の方を見れば、恐る恐るといったように振り向いて、ゆっくりと扉を閉めていった。
 閉じかける扉越しに、先輩が私の方を見る。
「あ、温かく、していろよ」
 そう鼻の頭を真っ赤にしていったものだから、つい自分の顔を触ってしまった。
 先輩はパタンと扉を閉めて、修行に戻ってしまった。
 サクサク、と雪を踏む音が小さくなる。とりあえず、私はいつも寝るのに使っている毛布を取り出して、体に包んだ。
 囲炉裏の火に当たる。パチパチと弾ける火を見続けたら、いつのまにか眠っていた。


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