骨になるまで | ナノ




※現パロ


ひどい頭痛とともに重たいまぶたを上げると、見慣れたグレイのカーテンの向こうから、ひっそりと雨の気配がした。頬にかかる髪が鬱陶しくて右手を持ち上げたら、あたたかい毛布の下の体は何も纏っていないことに気付く。ああ、またやらかしたのかとひとつため息をついて、仙蔵は痛む頭を刺激しないようゆっくりと上半身を起こした。
スプリングが軋む安物のベッドの脇に置かれたサイドテーブルの上には、みずみずしいオレンジがひとくち大にカットされて小皿に載っている。その横にはわざわざグラスに注がれたミネラルウォーターまで用意されていて、(飲まなくても分かる。彼が仙蔵に水道水を飲ませるはずがない)いつものことながらよく気のきくやつだと、ここにいない幼なじみを思えばまたひとつため息が出た。
枕元に放置されていた携帯電話を手に取り、短縮の1番で呼び出した番号は、既に暗記してしまっている。ワンコールで繋がった先からは、屋外独特の喧騒が流れ込んできた。

『もしもし、仙蔵か?起きたのか?』
「…ああ」
『気分は?』
「大丈夫だ」

そうか、と呟くように耳たぶに落ちる声は電話越しだと少し擦れて聞こえる。仙蔵は密かにその声を気に入っていたけれど、彼に、文次郎にそれを伝えたことはなかった。仙蔵には文次郎に言えない事柄がいくつかあったが、その低く擦れた声を好ましく感じていることも、そういった中のひとつだった。まあこれに関しては、いつか自分が大病を患って、息を引き取る間際になったら教えてやってもいいか、ぐらいに考えている。

「今どこにいる」
『駅前のスーパー。夕飯、何か食べたいものはあるか?』
「…特にない。いいから、早く帰って来い」
『………分かったよ』

無造作に切れた会話とは裏腹に、きっと文次郎は一目散にレジを抜けて、仙蔵の言い付け通りこのアパートまで走ってくれるだろう。こういう時、文次郎はいつだって仙蔵に優しい。それこそ息が詰まって苦しくなるほど、彼は仙蔵の甘やかし方を心得ている。またひとつ恋が終わって、ぼろぼろに傷を負ったまま意識を完全に飛ばすまで酔い潰れた日、仙蔵が転がり込むのは決まって文次郎の部屋だった。そこへ逃げ込めば、自分を慰める腕が待っていると分かっているから。
切り分けられたオレンジをひとかけら、指で摘んで口に入れる。さっぱりとした酸味がアルコールに焼けた喉を労るように染み込んで、柄にもなく少し泣きたい気分になった。指先に移った柑橘のにおいはどうやら心を弱くするらしい。

「女々しいな」

言葉にするといよいよリアルな実感が迫ってきて、呼吸が不規則に乱れた。
今回も初めに想いを告げてきたのは相手だったし、別れを切り出したのも相手だった。大して気にもしていなかった男だったけれど、巧妙に隠していたはずの仙蔵の「本性」を嗅ぎ取って近寄ってきた辺り、実はかなり勘の鋭い人間だったのかもしれない。ちょうど前の恋人と別れてようやく落ち着いた頃だったから、この新しい恋を仙蔵は素直に受け入れた。今度こそ終わりに出来る。今度こそ最後の恋になる。そう信じて始めた関係だったが、蓋を開けて見れば実質二ヶ月も続かなかったのだから、一気に押し寄せて来た真っ暗な絶望に、昨夜は為す術もなく飲み込まれてしまったのだった。
仙蔵の元を去る時、恋人たちは皆そろって同じようなことを口にする。さよならと背を向けるだけではなくそっと言い添えられたそれらの言葉は、もしかしたら彼らなりの優しさだったのかもしれない。けれど仙蔵にしてみれば、彼らが離れていく度、元々狭い足場を更に削られてゆくような、恐ろしい感覚を味わうだけだった。あと何回同じ失敗を繰り返したら全ての逃げ道が塞がれてしまうのか、不安はますます膨らんで仙蔵の首を締め付ける。
それでも誰かの手を取ることをやめないのは、そこで立ち止まってしまえば一番大切なものを失ってしまうと、ちゃんと気付いているからだ。

がちゃん、とロックが外れる鈍い音と、フローリングを滑る乾いた足音に顔を上げる。目の前のドアが開いて、奥からジャケットの肩を濡らした文次郎が姿を現した。

「おかえり、文次郎」
「ああ」
「悪いな、記憶が飛んでる」
「…だろうな。泥酔ってレベルを越えてたぞ」

クローゼットから薄手のカーディガンを取り出して仙蔵に着せかけながら、文次郎はぎゅっと眉間に皺を寄せる。

「べつに、飲むなとは言わないけどな。どうせ潰れるならウチにしろ」

危ないから。
そう言って乱暴に頭を撫でる大きな手は、張り詰めていた心を柔らかくほどいていく。何もかもを許された気になってしまう。噛み締めた唇の痛みを頼りに、溢れだしそうな感情をどうにか堪えた。

(…だってお前は、何も知らない)

仙蔵には、文次郎に、最も親しい友人に、言えない事柄がいくつかある。
こうして毎回アルコールに溺れる原因が失恋であることも、その恋の相手がいつも同性であることも、もうずっと長い間文次郎に恋をしていることも。
このまま墓の中まで抱えていくつもりだった。空気に溶けて、まっしろなうつくしい骨になるための愛しい秘密たち。

(お前を失わないためなら、私はなんだってする)

わがままで不器用で手のかかる幼なじみであり続ける。卑怯だと責められても詰られても構わない。ただその困ったように笑う顔を、一番近くで見ていたい。

(忘れるな)

目を閉じれば、火葬場から高くのぼるしろい煙が浮かんでくるようだった。それを見上げる文次郎の横顔は少し寂しそうであればいいと、仙蔵はそう思うのだった。


骨になるまで

101127

……………………

ノーマル文次郎とガチ仙蔵



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