無意識ヘクトパスカル | ナノ




※無重力ハナミズキの続き
※現パロ高校生
※仙蔵と伊作がナチュラルにおんなのこ


「特別にも、色んな特別があるよね」
脱色のしすぎで傷みきった毛先を人差し指にくるくると絡めながら、伊作は唐突に話し始めた。
「例えばさ、留三郎は中学の時からたくさんの女の子と付き合ってたでしょ。でもその中から僕を選んでくれた。他の誰でもなく、付き合い出してからは僕だけを見ててくれる。そういう意味で、留三郎にとって僕は特別なんだ」
ピーッという甲高い笛が鳴って、奥のコートで試合が始まった。ボールが床に激しく叩きつけられる震動が、仙蔵と伊作が並んで腰掛けている雛壇にまで伝わってくる。小豆色のジャージの袖を手のひらの半分くらいにまで伸ばして、伊作は曲げた膝を抱え込んだ。
「それに対してさ、僕は小さい頃からずっと留三郎のことが好きだったじゃん。嫌われるのが怖くて、留三郎が他の女の子と付き合ってる時も何も言えなかったけど…」
留三郎に新しい彼女が出来る度、迷子になって途方に暮れた子供みたいに泣くのを必死で堪えていた伊作が仙蔵の脳裏に浮かぶ。思わず抱き寄せてあやした肩の頼りなさや、しっとりと汗ばんだ首筋の熱や、結い上げた項から香った柑橘のにおいを、今この時もはっきりと思い出せる。
「だから僕は留が好きって言ってくれたことが、本当に本当に嬉しかった。他に人を好きになったことがない僕には、留しかいないんだ。そういう意味で、留は僕にとって特別」
だん、だん、というボールが床をうつ断続的な音に、応援とも野次とも判別のつかない声が混じって騒がしい。よく耳をそばだてていないと、伊作の声も拾い落としてしまいそうだった。
高い天井に近い窓から射し込む日光を反射して、埃がちかちかと舞っているのが見える。体育館でのクラス合同体育など、運悪く試合の順番が回って来てしまった場合は別としても、人数の関係からほとんど運動をしないまま終わるのがいつものことだ。現にそうも広くはない体育館の壁ぎわでは女子が集まってけらけらと楽しそうに笑っているし、試合を控えた男子たちも適当にシュートの練習をして時間をやり過ごしている。
仙蔵は伊作の言葉が途切れるのを待ってから、隣に座る彼女の顔をひょいと覗き込んだ。
「それで、結局私はまた惚気られたのか?」
「違うよ!仙蔵、ちゃんと僕の話聞いてた!?」
細い眉を釣り上げて怒る親友に迫力は全く無い。大きな焦げ茶色の瞳がうっすらと潤んで、ただでさえ童顔のくせに余計幼くなるだけだ。その柔らかな頬をつねって冗談だよと笑いかければ、途端に伊作は大人しく押し黙った。
「特別には色々な特別がある。それは分かった。で?お前は何をそんなに留三郎と喧嘩したんだ」
「…僕の方がいつもいつも留を好きすぎる」
いじけているとしか思えない声音でこぼすと、伊作はふいとそっぽを向いた。仙蔵は苦笑して、そうかもしれないなと頷いてやる。その考えがどれほど的外れであるかは十分過ぎるほど分かっていたけれど、あえて口には出さなかった。イーブンを望む伊作にはきっと理解不可能だろう。昨日からひどく挙動不審な留三郎を見れば、彼がどれだけこの幼なじみを大切に思っているのかなんて一目瞭然だ。そこにはイコールを越えた感情が確かにあるし、大体そんなことは気にしてどうなるものでもない。それでも伊作が耐えてきた長い時間ずっと側にいて、あの泣き出す寸前の顔を知っているから、無責任に否定することだけはしたくなかった。
ただ、伊作の視線の先にはいつだって留三郎がいて、そんな彼女の姿を息を潜めて見守る静かな横顔もまた、仙蔵はずっと知っていた。
留三郎が、まして伊作が気付く筈もない。それは本当に密やかな眼差しだったから。

(あるいは私ですら気付くことは出来なかったかもしれない)

いくつもの不安定な憶測を積み重ねた結果、偶然その事実に行き当たってしまったことは、仙蔵にとって幸福とは言い難かった。けれど気付いた瞬間自分でも戸惑うほどすんなり納得していたのは、どこかでそれを予想していたからなのかもしれない。

「でもな、伊作。そんな風に意地を張っていると絶対後悔することになるぞ」
「……………………」
「留三郎はいい男だからな。あいつに惚れ込む女なんて、これから先もそれこそ掃いて捨てるほどいるだろうよ」
「……………………」
「ちゃんとお前が繋いでおかないと、すぐどこかに連れて行かれてしまうぞ」
「……………………」
「それともお前は、もうあいつを手放す気なのか?」

ならば私がもらい受けようか。

そう言って仙蔵がにっこり微笑んでやると、途端伊作は苦虫を噛み潰したような表情でそれは駄目、と呟いた。
「仙蔵相手じゃ僕がかなうわけないでしょ」
「大丈夫、あいつはどうせお前しか見えていないよ」
ほら、と指差した先。
得点板の脇の壁に凭れかかっていた留三郎は、虚をつかれたような顔をしてから、気まずそうに目を逸らす。わざとらしく組み換えた腕は、動揺している証拠だ。
伊作が何をどう言っても留三郎の視界には最初から伊作しかいない。外野がどう足掻いたところで、入り込める隙間なんてある筈もない。昔、隣のクラスの長次が二人を指して磁石のようだと言ったことがあったが、全くその通りだと思う。最初から引き合うように出来ている。それはもう、理屈じゃない。
「次の試合が始まる前にあのしけた面を何とかしてやれ」
うすい肩を叩いて促すと、膝の間に頭を埋めて少しの間うめいた後、伊作はゆらりと立ち上がって雛壇から飛び下りた。ポニーテールが上下に揺れて変わらない柑橘のにおいがかすかに香る。
「仙蔵」
「うん?」
「あの…ありがとう」
壇上の仙蔵を振り仰ぎ、わずかに頬を染めながらぎこちなく笑う彼女はやはり少し頼りなさそうで、それでもあの頃よりずっと綺麗だった。


※※※※※※


「機嫌直ったのか」
惚けていた隙をついて、いつの間にかもう一人の幼なじみが側に来ていた。
「気付いてたんだな」
「留三郎があの様子で気付かない方がおかしいだろ」
確かに、と仙蔵は頷き、雛壇から身軽に着地して文次郎を見上げた。濃い隈に縁取られた瞳には、呆れの色がまざまざと浮かんでいる。
伊作と留三郎の痴話喧嘩はしょっちゅうのことで、その被害は毎回仙蔵と文次郎に及ぶ。伊作の愚痴を聞き和解策を示すのが仙蔵、留三郎の鬱憤ばらしに喧嘩を吹っ掛けられるのが文次郎という役割分担には、もうそろそろ互いに飽きがきていた。
「世話が焼けるよ」
ため息混じりに言えば、そうだな、と文次郎が小さく笑う。ほんの少し胸が圧迫される感じがして、仙蔵はなんとなしに額へかかる髪をかきあげた。
「文次郎」
「あ?」
「お前、次試合か?」
「ああ。留のところとな」
「むかつくから、ボコボコに負かして来い」
「…要望はそれだけか?」
「顔面に思いっきりボールをぶつけてやれ。ファウル一回までなら許す」
「了解」
タイミング良く試合開始を告げる声が上がり、文次郎は仙蔵に背を向けコートへ駆けていく。仙蔵は自分を落ち着かせるように、ゆっくりと目を閉じた。
一定のリズムを刻む鼓動に耳を傾け、深く深く息を吐く。
またゆっくりと瞼を上げれば、コートで向き合う留三郎と文次郎が見えた。審判の笛の音と共に、ボールが垂直に宙へ舞う。
「とめーーーー!」
伊作の金切り声と、外野からのやたら黄色い声援とがない交ぜになって、一気にこちらへ押し寄せて来る。留三郎へ投げられたパスを、高く跳んだ文次郎が鮮やかにカットした。

(こういう時、伊作みたいに名前を呼べたら)
(そうしたら何か変わるだろうか)

その他大勢になんて括られたくない。
そんなのは欲しくない。
私の声だけを聞いて、私だけを見ていて欲しい。

(それは我儘なんだろうか)

ピーッと掻き鳴る警告音、顔に直撃したボール、仰向けに倒れる留三郎、その向こうで。
文次郎は仙蔵へと、拳を突き出して笑ってみせた。



無意識ヘクトパスカル

100413

……………………

続いてしまった



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -