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「……今、なんて?」


シャルロッテはその透き通る蒼い硝子のような瞳を、手にしている書物から先ほどからひたすら居心地悪そうにしている召し使いへと向けた。真っ直ぐな視線は光を帯び、それだけで人を救えるようでもあり殺せるようでもあるような力を秘めている。召し使いは明らかに機嫌が悪くなったこの娘の顔を直視できずに視線を反らした。


「……ですから…死者を蘇らせる、と…」

「……わたしは今、この国の終わりを見たわ。」


暖かな春の午後。シャルロッテ姫は賭け事をするでもなく演奏会へ行くでもなく、まして夜のパーティーの準備をするでもなく、温かいミルクティーを楽しみながら読書をしていた。若い娘にしてはどこか年寄りじみており、浮いた噂の一つもない。王子が現れるのはいつかと、国民だけでなく王宮の召し使いたちも心待ちにしていたが、シャルロッテにその気はまったくなく、ただ読書に明け暮れこの国の平安を祈る毎日。それというのも、彼女の父親に問題があったからなのだ。

シャルロッテの父親である現国王は大変な物好きであり、(そうは言っても王が物好きというのはどこにでもありそうな設定である)魔術や妖術にばかりうつつをぬかしているのだ。政治も食事も人付き合いも、すべてが魔術や占いとやらに頼りきっている生活は、決して素晴らしいものとは言えない。これはもはや王のすることではないだろう。
それに対し、王妃は実に聡明であったため、この国はなんとかそこそこに成長していた。ただしそれでも決定権はない。隣国との関係は徐々に悪くなっていき、次第に孤立していったこの国は、すでにぎりぎりな状態であったのだ。しかしこの国を憂いた王妃にとって、読書が食事より好きだという娘をもったことは幸福であったのかもしれない。何しろ、王は姫を溺愛していたのである。
つまり、シャルロッテはどこかの国に嫁ぐことは許されないのだ。
3週間前に亡くなった、王子の代わりに、
この国を父から引き継ぎ、女王となるために。


「…おとうさまがにいさまを忘れられないからと言っても…」


シャルロッテは静かに本に銀製の装飾がされた栞を挟むと小机におき、ため息をついた。


「…ですから、アンネリーゼ様はお止めしたのです。」

「おかあさまは駄目よ。おとうさまはもうおかあさまの言うことは聞かないわ。」

「…アンネリーゼ様もそうお考えになったようで、シャルロッテ様に知らせるように、と。」


シャルロッテは金の髪を揺らした。大きな窓からは、美しい町並みが見える。
どこからともなくバイオリンの音が聞こえ、シャルロッテは顔をしかめた。



「…アークライト…あの男はどこまで引っ掻き回す気かしら。」

「アークライトさま……ですか。」


バイオリンが、止んだ。



「……気づいているのはわたしだけね……レティシア、」


「…なんでございましょうか。」


「事態は飲み込めたわ、すぐに準備を。」


「…行かれるのですか。」


「ちょうど家出したい気分だったの。そうね、まずは…」


シャルロッテは、小指に嵌められた小さな指輪に、そっとキスをした。


「ランフォードを、呼んでちょうだい。」




************************************





「おかあさま、失礼致します。」



アンネリーゼの部屋は紅と金でまとめられたそれはそれは美しい部屋だった。金で縁取られた豪華な鏡、大きな衣装箪笥、彫刻されたクィーンサイズのベッドは紅いクッションで埋まっている。開け放たれた窓から風が入り、白いレースのカーテンが踊ると、日の光が部屋いっぱいに差し込む。ほのかに香るは薔薇、下に見えるは庭園、王妃は薔薇をこよなく愛していた。

アンネリーゼ王妃は、深紅のクッションに体を預けている。深い赤に金の髪が美しかった。


「シャルロッテ……」

王妃は疲れた顔でベッドから体を起こした。最近どうにも体調が優れないらしい。それでも威厳は損なわれておらず、そのことにシャルロッテは少しだけ安心した。

「……聞いたのですね。」

シャルロッテは、小さな椅子に腰をかけた。

「ええ。おとうさまが、にいさまを生き返らせようとしていることも、その“奇跡の花”とやらに有り得ない金額の賞金をつけていることも。」


レティシアの話は、到底現実のこととは思えない絵空事だった。
人を、生き返らせるというのである。


3週間前、この国の王子であり次期国王であったシルヴァン王子が亡くなった。
それも、何者かに殺されたのだ。
犯人はわからない。ただ、この国を一気にどん底へと突き落とすには十分であった。だからこそ、シャルロッテはますます聡明で気品ある姫にならねばならなかったのだ。この国を、守るためにも。


王は王子を愛していた。深い哀しみに落ち、以前よりも魔術にふけるようになった。そしていつしか……異国の怪しい奇術師、アークライトの言うことを真に受けるようになってしまった。


アークライトはどこからか聞いてきた、“奇跡の花”の話を持ち掛けたのだ。
その花は薔薇によく似て香り高く、たとえどんなに酷い場所でも凛と咲く。そしてその花は、死者を蘇らせる力を持つというのだ。

哀しみの中にいた王は、この話に縋った。

この花を探し出したものには、巨額の賞金を与える、と、国中に伝えたのだ。
隣国との冷戦状態の今、国の経済状況はぎりぎりである。
当然、多くの若者が、この話に乗ってしまった。

「事態は深刻です。話を聞いたものたちがこぞって名乗りをあげています。」

アンネリーゼは悲しそうに目を伏せた。

人は、窮地に陥るとまともな感覚がどこかへ行ってしまうらしい。
元はと言えば王のせいで冷戦状態になってしまったというのに、国民は全力で王の怪しい趣味に賛同しているのである。

皮肉だ。

「騎士たちが名乗り出ないのがせめてもの救いです。国のためとはいえ、彼等は隣国との戦いの訓練に忙しいですからね。」


そんな中、シャルロッテの瞳は,――――――……輝いていた。


「ねぇおかあさま。おとうさまは、名乗り出たものたちをテストして、そのうちの一組にしか援助金は出さず、一組にしか“花探し”は認めないのよね?」

「ええ……他国に“花”の存在を悟られないようにするためらしいわ。」


「わたしに、良い考えがあるのです。」




***********************************




「姫、俺はあの馬鹿らしい探しもののために呼び出されたのですか。」



部屋に入ったランフォードは、レティシアとともに部屋を駆けずり回るシャルロッテを見てため息をついた。


「…あら。訓練が退屈で仕方ないって言ってた人に抜け出す理由を作ってあげたのよ?」

「…さすがシャルロッテ姫、よく口が回りますね。閉じさせてさしあげましょうか?」

「…けっこうよ。」


ランフォードは騎士の中でも変わり者で、ふらりとどこかへ消えては馬鹿みたいに強くなって帰ってきたりする、ある意味とてつもなく迷惑な青年だった。だからこそどこの隊にも配属されず、戦場へ赴くときはこれまた好き勝手に相手をめった打ちにしてくれるので、幹部も完全に彼のことは放置していた。彼自身は戦うことができて遠くへ行ければそれで良いので、現状にはすっかり満足していたためか、決して険悪ではなく、むしろ今この国には欠かせない存在となっていた。

そして、よく遠くへ行く彼の異国の話に興味をもったシャルロッテは彼に直々に会いに行き、姫の前でも物おじしない態度がいたく気に入ったようで、今ではシャルロッテ姫が唯一心許して話ができるといえるほど特に信頼していた。


「…姫だって、信じていらっしゃるわけではないでしょうに。」

ランフォードは近くにあった椅子に座ると、机の上のチョコレートを口に放り込んだ。


「…ええそうね。だからわたしは、逆に証明してさしあげるつもりよ。」

シャルロッテは真っ赤なドレスをレティシアに預けながら言った。

「証明?」

「“花”なんてないんだってこと。つまりね、アークライトがこの話をおとうさまにして、そして探しに行かせるってことは、何かしらあると思うのよ。わたしは―――」

シャルロッテは、ランフォードの顔を真っ直ぐに見た。

「“花”という存在はあると思ってる。ただ、それに魔力があるかは別問題よ。」

「俺だって魔術なんて信じませんよ。ただ…アークライトが何を考えているかですよね。」

「国家転覆なんて素敵なものじゃないでしょうよ。今のこの国にはなんの価値もない。」

「おっと、姫、今の発言は、」


ランフォードは、そして改めて姫をまじまじと見た。

美しい髪は一つに括られ、男物の洋服に身を包んだ彼女は…


怪しく、笑った。


「今の発言は姫のものではないよランフォード君。僕は今から数時間だけ…―男の子さ。」

「…これは驚いた。まさか君…俺とペアで探しものに出かける気か?さしずめ替え玉はレティシアだな。」

「そうよ。皮肉にも、この国の風習に助けられちゃったわ。」


この国では、王家においてだけ、成人していない女性は他人に顔を隠すために仮面をつけるというきまりごとがある。彼女の顔を知っているのは側近のレティシアと母、父、そしてランフォードだけだった。ランフォードについてはレティシアとの秘密なので、まさか娘の顔を知る男がいるなどとは夢にも思わないだろう。

「おとうさまは目がお悪いし、アークライトには顔はバレていない。だからこそわたしの出番なのよ。あなただけに行かせるのはあまりに不安だし、わたしも家出したかったしね。」

シャルロッテは大きなソファに体を投げ出した。

「いいわね、この格好。すごく楽だわ。」


めずらしく晴れやかな笑顔を見せたシャルロッテに苦笑しながら、ランフォードは静かに膝をついた。

「姫様、俺はこのかわいらしい少年を、なんとお呼びすればよろしいので?」

「そうね…ロランなんてどう?」

「それは…この前お話した、遠い国の俺の友人の名前じゃないですか。」

「だから…今だけ、僕はロランなのさ。」



二人は、顔見合わせて、そして楽しそうに笑った。



「いいですね、なかなか面白そうだ。」



ヴァイオリンの音が、微かに聞こえていた。








to be continued.....






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