そして天使は笑う



「雨はすべてを浄化すると思う?」

シャルロッテは静かに目の前の男に尋ねる。

ランフォードは珍しくぼんやりと空を眺めている。どこか覇気がない。



空は重たい。
深い灰色の雲はランフォードのその瞳とは違い濁っており、今にも泣き出しそうだった。肌寒い空気が辺りを支配している。気持ちまで沈んでしまいそうな、そんな午後のこと。



「……今の俺に空気中のゴミについて議論を求められても困るんですが。」

ランフォードはやはりどこか大人しくシャルロッテを、見つめ返した。
対する姫は、相変わらずころころと笑う。


「あら。雨に悪気はないわ。空気が汚れてるからたまたま雨も汚れてしまうけれど、生まれたばかりの雨は赤ちゃんのように純粋できらっきらよ。」

「…屁理屈ですよ。生まれたばかりの雨って……雪が溶けただけの存在に生まれたも何もないでしょうに。」


シャルロッテはハート形のクッキーに手をのばす。


「そんなこと言ったら雪のお母さんである雲は水蒸気からできていてそれは地上出身なのよ?すごいじゃない!究極のリサイクルだわ!」


シャルロッテはやはり楽しそうに二つ目のクッキーを飲みこんだ。



薄桃色の唇に消えていくクッキーを見つめ、ランフォードはため息を吐いた。




「いいわ。当てる。あなたが元気のない理由。」


そう言うと、シャルロッテは視線をそらして考えだした。




そしてまた、二人の腹の探り合いがはじまる。




「今日の訓練が退屈だった…うーん駄目ね。あなたいつも退屈だって言ってるもの。」

「そうですねぇ…どちらかというと今日はそれなりに面白かったんですよ。」


ランフォードの瞳に、少しずつ輝きが増してきた。


「それじゃあ…今日の昼食に嫌いなものがでた…?」


「俺、好き嫌いありませんけど。」


考える方にシャルロッテが回っているという事実が、ランフォードには嬉しかったのか、だんだんと表情が柔らかくなっていく。

数日前、銀の薔薇について議論したとき、ランフォードは負けてしまったことを気にしていた。今度こそはこの聡明で口の達者な姫に勝とうと機会をうかがっていたのだ。そんな彼にとって、これは良いチャンスなのかもしれない。


「そうね……ふられた?」

「はっきり言いますね姫……ここ最近ずっと王宮にいる俺が、誰に恋して誰にふられるって言うんです?」


シャルロッテはうーんと唸り、次々に予測を並べる。


「大切なものが壊れたとか。」

「違いますよ。」

「寝不足?」

「そんな馬鹿な。」

「病気が発覚したとか!」

「…姫、正解にしろ不正解にしろ、もう少しオブラートに包むとかしましょうよ。ちなみに俺は健康です。」



そう言うと、シャルロッテは何が可笑しかったのかころころと笑った。


「お手上げよ。まあ言いたくないなら仕方ないわね。私はあなたのために何か甘いものを作らせてくるわ。落ち込んだときは甘いものが1番。姫直々のプレゼントよ!ちょっと待ってて。」


そうまくし立てると、シャルロッテは自室を出ようと扉に手をかける。


そして去り際に。


「敗北は時として勝利への近道。その事実に感謝することね。」


そう言って、にっこりと笑った。






シャルロッテが去った後。


微かに紅茶の香りのする部屋で、ランフォードは深く息を吐いた。片手は顔を半分覆い、口元だけで彼は笑う。



「…知ってるなら言ってくだされば良いものを…あのお姫様は…」


眉を寄せた彼は苦しそうに、切なそうに笑う。


「また…俺の負けじゃないか…」


ランフォードは、そう呟いてクッキーを口に放り込んだ。甘く脳を満たすそれは、シャルロッテのようだと彼は思う。





















「…シャルロッテ姫、厨房など貴方様が来るような場所ではありません。どうか…」

「いやよ。できあがったらわたしが持っていくんだから。簡単でいいからなるべく早くね!」


リシャールは、厨房付近で薄桃色のドレス姿を見つけ、何事かと急ぎ足で近づく。
案の定、困り果てた料理長の目の前にはシャルロッテ姫。


「…姫、何をなさっているんです。お菓子ならばレティシアに運ばせれば良いでしょう。貴方が直々に来るような場所ではありませんよ。」

「あらリシャール。お疲れ様。あなたも料理長も同じことしか言えないの?わたしが持っていくことに意味があるのよ。」

拗ねたようなシャルロッテに、リシャールはため息を吐いた。

「…あの男にですか。」

「そうよ。元はと言えばあなたが原因じゃない。今回は見逃すべきだわ。」

その言葉に、リシャールは驚いたのか顔をしかめた。

「まさか…落ち込んでいるんですか。あの男が…?」

「ご名答。張り合いがなくてつまらないわ。どうにかしてちょうだい。」


シャルロッテは確信があったわけではなかった。ただ、彼女の問い掛けに対する彼の返答がすべて真実とするならば、おのずと答えは絞られたのだ。



「訓練はそこそこ面白くて、でもランフォードは元気がなかった。ということは、いつもより彼にとっては有意義な訓練中に何かがあったということ。敗北以外に理由があって?」

シャルロッテの瞳は探るようにリシャールを盗み見る。彼は観念したかのように話し出した。


「今日は団長補佐を決める前段階として、誰が強いか知るためにトーナメント戦をやらせてみたんですよ。勝ち負けは僕が判断するものとして、騎士達を戦わせた。結果、ランフォード・ウィルヘルムは優秀な成績をおさめた。彼は1番強かった。そこで終わりにしておけばいいものを…」

「彼、あなたと戦うと言い出したんでしょ。」

リシャールはいっそう険しい顔になる。


「その通りです。補佐と言わずこの際団長を変えてしまえばいいと言い出しましてね。まああいつにとっても良い勉強になると思って僕は相手をすることにした。……結果はまあ、僕が勝ちましたが、あいつもなかなか腕を上げたようで、僕は彼を補佐にしようとその場で決めてしまったんですよ。」

それが悪かったようだ―――そう呟き、リシャールは静かにため息を吐く。

シャルロッテは笑顔で頷いた。


「勝てると思ったのかしらね、わたしの騎士は。」

「…そうでしょう。あいつはここのところよくしゃべるようになった。貴女に影響されたのかもしれませんが、多くを語るなと伝えておいていただけませんか。」

「わかったわ。その代わり、今回は見逃してちょうだい。わたしがあの人に持っていきたいの。……わかるでしょう?」


ほんの少しだけ、シャルロッテの表情が変わる。
半分を覆った仮面はそれをリシャールに悟らせないが、彼は声で判断したのだろう。


リシャールは優しい笑みを作る。

「姫、ランフォード・ウィルヘルムの数々の無礼、本人に代わってお詫びいたします。」

楽しそうにそう言って礼をすると、シャルロッテはまったくだわ、と言って笑った。











敗北を感じていたのはシャルロッテの方だった。兄が死んだとき、何かと落ち込んでいるとき、いつも側で助言をくれたのはランフォードだった。飾った言葉で仰々しく慰める他の者とは違い、ランフォードはいつも彼の言葉で語った。それがシャルロッテには心地よかった。


だからこそ。


反撃を狙っていたのはシャルロッテの方で、今回彼女自身の手で彼を励ますことにより、すべて清算されると彼女は思っていた。もっとも、敗北をランフォードが感じている時点でこの励まし合いは永遠に続くのだろうが。



「…おまたせ、ランフォード。」


シャルロッテが出来上がったプチフールを銀のお盆に乗せて運んでくると、ランフォードは静かに椅子から立ち上がった。彼の表情は明るい。いつものように挑戦的に笑うと、そして彼は憎まれ口を叩くのだ。


「遅いじゃないですか姫、もうとっくに答えはでてしまいましたよ?」

シャルロッテも意地悪そうに笑うと、向かいの椅子に座ってお盆を机に置く。

「聞くわ。」

ランフォードは座り直すと、そのしなやかな指先で小さなタルトをつまみ、口に運んだ。








「雨はすべてを浄化することは絶対にありません。」










今日もまた、いつも通りに彼等の思考ゲームは続く。














end


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