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「さあランフォード、今からこの世に銀色の薔薇が存在しないことを証明してみせて!」
ある晴れた昼下がり。
シャルロッテは楽しそうに、部屋によびつけたランフォードを見上げた。
薄いピンクと金色でかわいらしく彩られた姫の部屋は、甘いミルクティーの香りで満たされている。
大きな椅子に座り、本を読んでいたシャルロッテは、今日ランフォードの訓練が休みになったと聞いたとたんに彼を呼び付けるようにレティシアに命じた。何事かと駆け付けたランフォードは優雅なお茶の雰囲気に一瞬驚き、ため息をついて苦笑した。
「…今度は何に毒されたんです?」
言いながら、姫の向かいの椅子に腰掛ける。
シャルロッテは楽しそうに身を乗り出した。
「いいから答えるのよ!早く!」
いつになく子供っぽい彼女は、煌々とした瞳でランフォードを見つめた。
「…そうですね、『悪魔の証明』は俺には無理です。よって証明できません。」
「…なんだ。知ってたの?」
シャルロッテは残念そうにミルクティーに口をつけた。
「ないことの証明は不可能。これを『悪魔の証明』というんですよね。どうしたんです?量子力学ですか?」
「波動関数は今はどうでもいいの。そうじゃなくて、これならどう?」
シャルロッテは、二人の間の小さな机を指先でとんとんと叩いた。
「この机の上に銀色の薔薇が存在しないこと、証明できる?範囲が狭い上に観察可能。これならできるかしら?」
ランフォードはにやりと笑う。
姫の思考ゲームに付き合うことにしたのだ。
ランフォードにコーヒーを持ってくるようレティシアに命じると、シャルロッテは答えを促した。
「残念。無理ですよ。理由は二つ。」
ランフォードは姫の瞳をじっと見る。
「まず、銀色の薔薇というのが俺達に見えない可能性がある。天国に咲くと言われているほどですし、同じ分子で構成されていないかもしれない。つまり見えないから存在しないという理屈は成り立ちません。」
「そうね。」
「そして二つ目。こうして話している間に突然銀の薔薇が現れる可能性がゼロではないこと。もしかしたら王妃の薔薇園に存在していて、花びらが舞い込んでくるかもしれない。可能性はゼロではない。」
「なるほど。質問を変えるわね。この世に銀の薔薇があることはどうやったら証明できるのかしら?」
「簡単ですよ。銀の薔薇を目の前に出せばいいんです。」
「あら?それが存在だと言えて?」
「たとえそれが幻影でも見えていると思えば存在はする。見えていないものが存在していないとは言えないが見えていれば存在はしているんです。この世のものであるかないかは別としてね。」
ランフォードの頭の回転のよさはシャルロッテは十分理解しているつもりだった。それでも、ここまで討論が成り立つとは思っておらず、ひどく満足していた。
シャルロッテは、いつになく楽しそうなのだ。
「うふふふふ。それじゃあ、あなたは個人的に、銀色の薔薇はあると思う?」
シャルロッテの笑みは子供のようだ。
「存在証明ができませんから、あるとは言い切れませんが……個人的見解としては、この世に銀色の薔薇なんてファンタジーなものは存在しないと思いますよ。」
「あなたは現実主義者なのね。」
「俺は自分の目に見える存在しか信じませんから。」
そう言って、ランフォードはレティシアが持ってきたコーヒーを一口飲んだ。
「あっはははははははははははははははは!!」
途端、シャルロッテは大声で笑い出した。
ランフォードはわけもわからず不思議そうにシャルロッテを見つめるばかり。
「それじゃああなたの目に見えれば存在を肯定するのね!これをご覧なさい!!」
シャルロッテは、そっと、レティシアから大きな箱を受け取り、仰々しく開けた。
そこには。
「…は……?」
美しく輝く、銀色の薔薇。
「どう?信じる気になった?」
一瞬驚いたランフォードは、それに触れると、目を見開き、
姫同様、大声で笑った。
「なるほど。あなたには敵いませんよシャルロッテ姫!確かにあなたは“自然に生息する”銀の薔薇だとは言っていない!」
「私の勝ちね!あー面白かった!やっぱりあなた、頭柔らかそうなふりして実はカッチカチなのね!」
シャルロッテが愛おしそうに銀色の薔薇に触れる。
ひどく冷たく残酷なほど甘い香りを放つそれはどこまでも無機質だ。
「銀細工の職人に作らせたのよ。この世のものとは思えないような、どこまでも本物らしく純粋で、けれど本物よりも美しい存在。」
「確かに存在しています。シャルロッテ姫、あなたは存在を証明して見せた。あなたの勝ちですよ。」
どこか清々しい表情のランフォードに反して、シャルロッテは哀しそうに呟いた。
「だから、にいさまも同じだと思うのよ。」
そしてようやく、ランフォードはこのゲームの意味を知る。
「にいさまはもう亡くなった。この世界の“生きている”にいさまに会うことはできない。けれど、さっきあなたが言ったように、私たちの知りえない世界では存在していないとは言えない。分解されたにいさまは私たちの認識をはるかに越えた高次元では存在している可能性がある。そうでしょう?」
姫の精神は揺らいでいる。
「…お言葉ですが姫、お兄様は銀色の薔薇のようにはいきません。お兄様の偽者を見立てたところでその存在は偽者という枠組みから外に出ることはない。お兄様は確かに、永遠に失われたのです。けれど…」
ランフォードは優しく微笑んだ。
「今のは不在証明にはなりません。死者の国では生きておいででしょう。」
ひどく矛盾した言葉はゆっくりと空気に溶ける。
「……あなたはさっき、ファンタジーは信じない、目の前にある存在しか信じないと言ったわ。」
「確かに言いました。けれど俺が信じようが信じまいが存在しているものは存在しているんです。そればかりはどうしようもない。この世に生きるものたち全員が死者の存在を信じなければ存在しないだろうが、そんなことはありえない。だれでもどこかで生きていると信じたいんですから。それはすなわち、何があっても死者の存在が消滅することはないという絶対的な保障になるのです。もし俺が絶対に信じないと傲慢にも豪語し、そして存在を否定するためにはすべてのものたちに不在を証明し、認めさせなければなりません。『悪魔の証明』は不可能。ですから俺に存在を否定することはどんなに存在を信じないと主張しようとも絶対に不可能なんですよ。」
言葉の波が押し寄せ、シャルロッテの脳を甘く痺れさせる。ゆらゆらと暖かい思考の中は母の胎内のように安心感を与える。
ランフォードは、安っぽい慰めが無意味であることを知っていた。ならばこのルールを守ったまま、彼女を慰めることが必要であると直感したのだ。
「……にいさまの存在証明は不可能、けれど不在証明も不可能。」
「その通りですよ。」
シャルロッテはそっと、銀色の薔薇を箱にしまった。
太陽光に反射してきらりと光ると、甘い香りだけ残してそれは姿を消す。
「たった今、観測されなくなったこの薔薇の安否は、次に箱を開けるまではわからない。」
「……やっぱり猫の死体じゃないですか。」
「最近のお気に入りなのよ。」
シャルロッテは静かに冷めたミルクティーを飲む。
冷たい液体が喉を通ると、ひやりとした感触に目が覚めるような気がした。
「ねぇ、きっと、信じることは自由なのよね。」
「…………ええ。そうですよ。」
ある暖かな午後。
シャルロッテはそしてようやく、深い悲しみから抜け出すことができた。
end