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――――一ヶ月前。
「ランフォード・ウィルヘルム、ただいまもどりました。」
漆黒の髪を風になびかせ、一人の青年が騎士団長に笑顔で挨拶をした。
灰色の瞳は煌々と輝き、長旅の疲れも感じさせぬほど肌は艶めいている。
ようやく帰還した彼は、誰よりも輝いていた。
「……今さら怒る気もしないな。馬鹿者が。」
金髪の男―――騎士団長はその碧の瞳を少しだけ曇らせ、目の前の放浪癖のある青年を呆れたように見つめた。
「…怒ってるじゃないですか、ラ・ファイエット閣下。」
「それは気のせいだよランフォード君。君に罪悪感があるのならもう少し言動に気をつけるべきだし、僕が怒っていると思うのならその気味の悪い笑いを引っ込めてくれないか。僕はたった今あの男に会ってきたばかりで機嫌が悪いんだ。」
リシャール・クリストフ・ドゥ・ラ・ファイエットは眉間にシワを寄せたまま噛まずにすらすらと返す。
ランフォードとリシャールのこのやり取りは、騎士達の間でちょっとした名物になっていた。
「それならいい知らせですよ。俺は先日コルネリアの気のいいご婦人から上等の野菜を大量に譲ってもらえた。品種改良された栄養に申し分ない完璧な野菜です。」
「コルネリアとの外交がストップしている今それを我が国で栽培したら問題になるということもわからないのか馬鹿者。どうする気だ。」
「何…わが国オリジナルにできるように研究チームにプレゼントしてきますよ。それでは失礼。」
ランフォードはにやりと笑うと、そっとリシャールに耳打ちをした。
「コルネリアはシロですよ。同じ匂いはしなかった。」
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ランフォードが王宮に戻って来たのは二ヶ月ぶりだった。当然のようにお土産を広げる彼の周りは仲間達であふれ、騎士の間は賑やかだ。敵国コルネリアの製品は外交ができていないという理由の他に、コルネリア製のものはどんなものでも品質がいいからということで皆こぞってお土産を頂戴しようとしていたのだ。
「お前ら、コルネリアでも有名なキャンディだ。子供に送ってやれよ。」
「ランフォード、いつもありがとな。」
「しっかしすごい量だな…よく持ち帰ってこれたよ。」
外部者であったランフォードが仲間意識の強い彼等に溶け込めたのは、彼の優しさや観察力によるものかもしれない。常に仲間達の健康や家族を思った彼の行動は皆を和ませ、殺伐とした空気から解放していた。
そんな楽しそうな笑い声は、廊下まで響く。
「レティシア、あの騒ぎはなあに?」
めずらしく美術館に行くために外出いていたシャルロッテは、しばらく聞くことのなかった明るい笑い声に優しい笑みを浮かべた。
「…しばらく他国へ遠征に出ていた騎士が帰還したようで、皆で再会を喜んでいるのでしょう。」
まさか、放浪している青年が勝手に持ち帰ったお土産をばらまいているなどと言えるはずもない。
「…他国…」
シャルロッテは、哀しそうな、けれど好奇心に溢れた顔をした。
「姫様、」
「ねぇレティシア、彼等に部屋に入ってもいいか聞いてきてくれない?」
シャルロッテは、悪戯っぽく笑った。
「なりません、姫様。このような場所へ一国の姫が入室するなど…」
「許可をとってきて。じゃないと勝手に入っちゃうわよ?」
レティシアはしばし迷うと、ため息を吐いて大きな扉をノックした。
「ん?」
「失礼します。」
レティシアは――――部屋の様子に愕然とした。
広い部屋にはいくつかのベッドが設えてあったが、そのベッドの上にはいろとりどりの菓子や酒、得体のしれない小物が散乱しており、ざっと二十人くらいの青年達が完全にリラックスした状態で転がっていた。
それはとても、姫に見せられるものではない。
「…王女様直属の召し使いが何故このような場所に?」
ランフォードは……余裕そうに笑みを浮かべるが、内心ひどく焦っていた。
たとえ譲り受けたものとはいえ、他国の物を王宮に許可なく持ち込んでいるのである。実際リシャールは多めに見てくれていたし、危険物とは思えないがそれでもグレーゾーンである。
ランフォードは、現在の自分の立場を気に入っていた。
だからこそ、あっさりと失ってしまうのがもったいない気がしたのだ。
「いえ…その、」
「レティシア…?遅いわよ…」
本当のことを言うべきか迷っているレティシアに苛ついたのか、待ちきれなくなったシャルロッテは……あっさりと騎士の間へと入室してしまった。
部屋にいた青年達は…一瞬、何が起こったのかわからないようだった。
シャルロッテは当然、仮面で顔を隠していた。それでも。
流れる金色の柔らかな髪、漂う優しい香り。
そして、立っているだけで人々の背筋を伸ばしてしまうような圧倒的な存在感。
王女が、そこにいた。
「姫…様…?」
ランフォードは眩しそうに目を細めた。
けれどそれは太陽を見るようではなく、夜に慣れた生き物が月を見ているようにどこか寂しげな眼差しだった。
「他国へ遠征に行っていた方はどなたなの?」
シャルロッテの声色は楽しそうだ。
一斉に、全員の目線がランフォードに向く。
レティシアは見ていれられないとでも言うように目を反らした。
「…お呼びでしょうか、シャルロッテ姫。」
ランフォードは、静かに。
シャルロッテの前へ出ると、片膝をついて、礼をした。
流れるような身のこなし、微かに香るライムの爽やかな香り。
シャルロッテの瞳は、彼を観察する。
「名は?」
「ランフォード・ウィルヘルム。」
「あなたは騎士団員?見掛けない顔だわ。」
「…俺は他国との橋渡し役でして。あまりこの国にはおりません。他国を巡り、技術の発展のため、様々な資料を持ち帰っております。もちろん、何かありましたら騎士として存分に働く所存です。」
ランフォードの言葉は空気を通ってシャルロッテの心にすんなりと入りこんだ。
シャルロッテは彼の言葉を観察する。
「今夜、夕食後、私の部屋に来てくれないかしら?」
「っ姫様?!」
「いいのよレティシア。私、この方とお話がしたいの。」
シャルロッテの瞳には…好奇心しかなかった。
「ランフォード、私、他国の文化に興味があるの。文献ならたくさん読んだけれど、王宮には経験者が少ないから、新しい情報を得るのは難しくて。私に他国のこと、教えてくださらない?」
ランフォードは姿勢を崩すことなく。
静かに、微笑んだようだった。
「光栄です。俺でよければ喜んでお話ししましょう。」
シャルロッテの好奇心と、ランフォードの物おじしない態度が、彼等の間の壁をいとも簡単に壊したのだろう。レティシアは驚きに瞬きを繰り返し、周りのランフォードの仲間達は呆然と二人を見つめていた。
遠くで、ヴァイオリンの音がしていた。
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それから、一週間ほどして。
「ランフォード!」
「おや…姫様、訓練場にいらっしゃるなんてお珍しい。」
ランフォードとシャルロッテは、あっという間に仲良くなっていた。
夕食後は毎晩ランフォードがシャルロッテの部屋を訪れ、異国の話をする。シャルロッテは変わりに、自分が読んで学んだこと―――哲学や心理学を話して聞かせた。ランフォードは自然科学や歴史には詳しかったが、哲学はまったく駄目だったのだ。
聡明な姫君の噂は瞬く間に騎士達に広まり、王子を差し置いて女王が誕生すればこの国は安泰だ―などと囁かれるまでになっていた。
「…団長殿になんとおっしゃったので?」
「ランフォードと話がしたいって言ったのよ。」
ラ・ファイエット閣下も大変だ―――そう笑いながら呟くと、ランフォードはそっとシャルロッテに囁いた。
「…姫、このような所へ来てはなりませんよ。用件は…そうですね、ここからだと庭園が近い。身を清めてからそちらへ参りますから、そこでお話くださいますか。」
ランフォードは、柔らかく笑った。
「訓練中にごめんなさい。でもっ…!」
「一刻を争う。そうですね?」
シャルロッテの瞳が揺れる。
「すぐに参ります。」
礼をするとランフォードはそっとシャルロッテの小さな手に触れ、優しく微笑むと、颯爽とその場を後にした。
「リシャール、」
いつの間にかそばに来ていた若き騎士団長に、シャルロッテは弱々しく笑った。
「少しだけ、ランフォードをお借りします。」
「…いつもいるようないないような男です。今さらどこへ行こうとまったく問題はありませんから、どうぞ少しとおっしゃらずそのままお持ちください。荷物持ちくらいにはなりましょう。」
リシャールは、相変わらず眉間にシワを寄せたまま淡々とそう言った。
シャルロッテは、静かに、ランフォードが去った方向を見つめていた。
to be continued....