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馬車が人通りの少ないところまでくると、シャルロッテは蒼いリボンを外した。豊かな金の髪がふわりと肩にかかる。そしてようやく、張り詰めていた緊張がとけたようだった。

「……目的地は、リベルハイト王国ね?」

シャルロッテは地図を広げはじめたランフォードに尋ねる。


馬車の中はそれなりの広さがあった。二人は向かい合わせで座っており、シャルロッテはランフォードの膝の上の地図を覗き込んだ。


「そうですね……まずはここから隣国、コルネリアを通らなければなんですが、」


「…駄目ね。この馬車、王家の紋章がついているから。」


「まだ冷戦状態ですからね。とりあえず、俺としてはこの馬車は途中で放棄するつもりです。」


さらりと言ったランフォードに、シャルロッテは目を見開く。


「…だって、あなたが馬車を用意しろって言ったんじゃない…!」

ランフォードは怪しく笑う。

「…まあしばらくは破棄しませんから。そのうちわかりますよ、姫。」



城を出てから一時間ほどして、一行は今夜の宿を探すことにした。

今回の旅は決して国外に知れ渡ってはならぬもの。しかし国中には広まっているため、国内にいるうちは普通にしていることが可能だ。だからこそ、今のうちに情報交換をするべきだった。ランフォードは何か知っているようだったが、シャルロッテとアルベールはほとんど何も聞かされていないのだ。

ただし、一行を乗せた馬車はとても目立つ。王からの直令ということもあり、あまり妙なところで体を休めるわけにもいかなかった。



「ここらへんはまだ城下街だから、恐らく宿はすぐに見つかるでしょう。それにたった三人だ。なんとかなりますよ。あてもあります。」


ランフォードの言う通り、まだ活気がある街の夕方は賑やかだった。人々の視線は痛いほど感じるが、この馬車に乗っている以上仕方がない。今さらながら、シャルロッテはなぜランフォードが馬車を選んだかがわからなかった。


「っと着いたようです。大丈夫ですよ姫。ここは昔俺がお世話になったところですから。」

人通りの少ない場所に入ってしばらくすると、ランフォードは窓から外の様子をうかがって言った。馬車から降りると、大きな古めかしい屋敷の目の前だった。

「ここはね、姫。」


ランフォードの瞳は子供のようだった。


「俺の…故郷みたいなものなんですよ。」


「…え?」


「あちこち旅するときは、必ずここに立ち寄るんです。ここには王直属の資料室なんてくらべものにならないくらいの知識がある。…素晴らしいところですよ。」



大きな門は美しく細かい装飾が施され、自然に伸びたのか蔦がからまっている。夕闇の中ではその屋敷は少し不気味だったが、窓から僅かにもれる蝋燭の暖かな光にシャルロッテは安心した。


「お待たせしました。」


馬車をとめたアルベールが来ると、一行はランフォードを先頭に屋敷へと入っていった。






巨大な扉は黒く、細かな装飾が施されていたが、決して美しいというにはなんとも悍ましいものだった。彫られているのは悪魔や苦しみ悶える人間、目玉の飛び出た化け物などまるで地獄絵図である。

ランフォードは重そうな扉開ける。軋んだ音がするあたり、きちんとどこまでも不気味さを演出している。シャルロッテは関心した。

「…素敵なご趣味ね。」

「気があいそうでしょう?」

「…ええとても。この扉、持って帰りたいくらいだわ。」

「それは無理だ。大きすぎて馬車に入りませんよ。」



すると。中から深みのあるソプラノが聞こえてきた。

「随分と短い夏休みね。今度はしばらく来ないって言ってなかった?」



重々しい扉から顔を出したのは、漆黒の長い髪の女だった。
金色の瞳が不機嫌そうな色を帯びている。艶めく黒髪を高く結い、真っ赤な唇には黄色の飴がくわえられていた。ひどくミスマッチで、そのズレが妙に不気味だ。


「やあオデット、今日は君が喜びそうな土産があるぜ。」

ランフォードが楽しそうに笑うと、女は眉をつりあげた。

「……いいわ。入って。」





屋敷の中は見事なまでに…紅かった。
真っ赤なカーテン、真っ赤な絨毯、紅い硝子のシャンデリアに飾られている薔薇の硝子細工までが真っ赤だ。

使われている色は、壁や家具のクリーム色と紅のみ。窓はあるが完全にカーテンで日の光が遮られている。空気が篭っているせいか、頭がずきずきと痛んだ。

シャルロッテは暗い部屋に大きな本棚を想像していたため、そのあまりに派手な内装にひょうしぬけしてしまった。

「待ってて。そこ、座っていいから。」


よく見ると、女―――オデットも、真っ赤なドレスを着ていた。
オデットは大きなソファをその長い指で示すと、ふらふらと軽やかにどこかへ消えた。





「さて。それじゃ、彼女を待つ間、少し情報交換としましょうか。」

ランフォードはまったく気にしていないように、シャルロッテをソファに座らせながら笑顔でそう言った。


「……改めて、心からお礼を言わせてください。アルベール、ご協力感謝します。」


オデットのことを気にするのはやめ、シャルロッテもランフォードに従う。
頭を下げられたアルベールは、口元だけでそっと微笑んだ。


「…頭をお上げください。これは僕がしたくてしたことですから。ランフォードに借りもありますし。」


「借り…?…あなたたち、初対面ではないの?…」


ランフォードは白々しく爽やかに笑った。


「俺がそう簡単に、初対面の人間を使うとお思いで?」


「…呆れた。だから何も相談せずともここに着いたのね。」


「…ご勘弁を。あまり言いたくありませんが、今回ばかりはちょっとやばそうなんですよ。だから保険です。」


ランフォードは、笑みを作っているものの、瞳はひどく真剣だった。灰色の瞳に陰りはない。

「…リベルハイトに、行ったことがあるの?」


「…ありますよ。ですがずっと昔の話だ。俺もアークライトに言われて漸く気づきました。“奇跡の花”の噂の根源は…恐らくリベルハイト王国です。」


ランフォードは、先ほどの大きな地図を真ん中の小机に広げた。それに合わせるように、隣に座っていたアルベールがペンを取り出す。


「ここが、今俺達がいるところです。国境近くですね。」

ランフォードがペンで印を付けていく。

「そして、ずっと西に行くと…まず、コルネリア国に行き着きますから、なるべく目立たぬように国の端のアリア渓谷を通ります。俺は…ここで、馬車を乗り捨てるつもりです。」


シャルロッテは、深く尋ねないことに決めていた。


「…ここから行くと、ロゼッタ砂漠に着きます。ここで少し情報収集をし、砂漠越えをしたら…」

ランフォードは砂漠に真っ直ぐに線をひく。

「リベルハイト王国です。」

「…ちょっとまって。砂漠を通らず遠回りして、」

シャルロッテは指先をつぅと滑らせた。ピンク色の爪が山々をなぞる。

「このルエリア山を通った方が安全ではないの?」

「駄目ですよ姫。」

ふいに、アルベールが口を挟んだ。蜂蜜色の瞳は真っ直ぐにシャルロッテを向いている。

「砂漠を通ることに意味がある。そうですね?」

「…ああ。姫、俺の話を聞いていただけますか。」


「ちょっと待ちなさい。私の話が先よ。」


オデットが、飲み物らしきグラスを五つ盆に乗せて運んできた。


「…それは…」

シャルロッテの隣に座ると、彼女はグラスを差し出す。なんと、それぞれ色がまったく異なっていた。

ランフォードには青、アルベールには黒、シャルロッテには紅。そしてオデットは白。もう一つ、だれも座っていないところには緑のものがおかれている。

「安心して。ただのカクテルよ。」



まずはじめに、ランフォードが口をつける。
そして、一口飲むと、シャルロッテとアルベールのグラスを手にとり、それらも一口ずつ飲んだ。

「…失礼しちゃう。毒なんて入ってないわよ、馬鹿。」

「これは失礼。癖だよ。」





「で?」

皆が一口ずつ飲むと、オデットはランフォードを一瞥して言った。


「お土産って何よ。」


ランフォードは喉の奥で笑った。


「姫、先程の蒼いリボン、どちらで?」

「え…?」


突然話を振られたシャルロッテは、不思議そうにランフォードを盗み見た。


「…お父様が昔連れてきた商人から頂いたものだけれど…」

「そいつを…オデットにプレゼントしてやってくれませんか。」

「…いいけれど。そんな高価なものではないわよ?」

そう言いながらシャルロッテは深い蒼のリボンを丁寧にたたんでオデットに渡した。

「…こいつにはもったいないくらいなんですよ。そうだろ。」


リボンを受け取ったオデットは、白く長い美しい指に絡め、そっと呟いた。


「…ええ。なんて…なんて綺麗なの…」


ランフォードは、シャルロッテに軽くウィンクをした。


「その商人、どこから来たと言ってました?」

「…たしか、海の向こうの…ロジェ共和国…だったかしら…」



「海が空を舞い、月と蝶が夜空を照らす島。」



オデットのソプラノが、歌うように呟いた。




「ありがとうございます。我等の姫君。」




「ロジェはこいつの故郷なんです。わけあって帰ることができない、ね。」

オデットの表情は柔らかかったが、金の瞳は冷たかった。
誰も寄せ付けない、獣のような鋭い瞳。


「…そう、なの。…でもどうして、これがロジェのものだと?」

「…なに。姫の髪から、ふと懐かしい、月の香りがしたからですよ。」




しばらく沈黙が続いた。
決して苦しくはない、優しい沈黙だった。オデットの金の瞳は愛しさで溢れ、そんな彼女を見つめるランフォードの瞳は穏やかだ。アルベールは黙ってカクテルを飲み、シャルロッテはそんな三人を観察していた。



「さて。十分だろう、オデット。」

「ええ。おつりがくるわ。…話しましょう。」




オデットはリボンを漆黒の髪に結びながら、三人を順々に見つめた。


「知りたいのは、アークライトの目的?」


突然話が中枢に差し掛かったことに、シャルロッテは驚きを隠せない。それに気づいたランフォードは、優しく姫に微笑んだ。


「…気にしないほうがいいですよ。こいつは本当になんでも知っている。話をする必要がないことを喜ぶべきなんです。」


「…確かに、国家転覆ではないわ。彼の目的は…死者の再生ね。」


「…え…?」


そんな、まさか。


「死者の再生……ええ。これだけのはずよ。」


「…っそれじゃあ、本当にあの男はにいさまを蘇らせようと…?!」


シャルロッテの顔が歪む。ひどく、ひどく苦しそうな顔だった。


「…それは副産物にすぎないけれどね。というか、彼の目的はすでに半分は完遂しているのよ。」


「…え…?」



「アークライトはね、シャルロッテ姫、あなたと、ランフォードをこの国から出したかったの。」






「…だろうな…」





シャルロッテが驚いてランフォードを見ると、彼は静かに腕を組んで考え事をしているようだった。灰色の瞳は、どこか暗い。



「姫。俺の読みがあたってしまった。面倒なので全て話します。」

「え…?」

「まずは自己紹介かしら?」


灰色の瞳に写るは、漆黒のカクテル。



「アルベール、この男は、リベルハイトの騎士団長です。」



to be continued ....


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