「またやったのか、お前も馬鹿だね」
夜三つ、客も多くが帰っていくこの時間に神は薄羽織を着込み、中庭にある太い木の幹を眺めていた。正しくはそこに縛り付けられている小僧を。
夏とはいえ夜は冷え込むだろう、そう声をかければ小僧は何も言わずに頭を垂れていた。禿でもない、ここへ来たばかりの頃はシラミだらけだった草っ原のような髪が今はしっかり結わえられるほど伸びている、きちんと手入れさえすれば相応に見えるのだが。
「今日はどうした、盗んだか、壊したか、それとも逃げようとしたのか」
神の声は笑っていない。ただその口の端がくっと上がり、眉間にしわが寄っているだけのこと。呆れたような嘲笑のような、だがそれは滅多にないこの男の表情であった。
信長は頭上から降りかかる声に顔をあげる、髪から足先までずぶ濡れで手足には煙管の折檻の跡がみえる。それでも信長は鼻水を垂らしながら、目の前の男をぎっと睨みつけた。
「なにも」
「何もってことはないだろ、旦那が今日は仕事にならぬと愚痴を溢していた」
「……わらわねぇか」
「さあ、話による」
「客が、俺んこと陰間だと言いやがって、こんな、汚い陰間もいるものかというんで。噛み付いた。」
神は笑いを堪えるのに必死で息を殺した。ああ、それは見てみたかった、さぞ周りは慌てただろう、その客も二度と来るまい。そう言うと信長は口の中をもごもごと動かして唾を自分の足元へ、べっと吐き出した。泡の中にうっすら血が混じる、口の中まで切れているらしい。
「あんたは、冷やかしに来たのか」
「どうかな。だが良い事を教えといてやるよ」
これまでいい事なんぞ聞いたことも信用したこともない信長だったが、何故だかこの男の声はすんなりと受け入れられた。三日月が雲間から覗き、二人のいる砂利のうえがぼんやり照らし出される。神は言った。
「此処から逃げようなんて考えちゃいけない、外へ出たところで変わらない、俺たちには此処で芸を学んで女に気に入られる術を身につけ、体を売るしかないんだ」
中でも上物とされるほどの花魁が言う言葉に、信長は訳が分からずぐっと眉根を寄せて噛み付くように言った。
「逃げ出さなくたって、年忌が終わりゃ出られる」
「花魁になる気か。まだ新造にすらなってないってのに」
「俺はここの男衆だ、身売りなんぞしなくたって自力でなんとかしてみらあ」
ふ、ふ、今度こそ神は口を押さえて笑いを溢した。
「そうか、なら余計折檻を受けるような騒ぎは起こさぬが吉だな」
これから夜はいっそう冷え込んでくる、気をつけろよとそう言って、部屋持ちの神は信長の前から姿を消した。本当に冷やかしに来たのだろうか、助言らしい助言はもらわなかったけれど、しかしあれは。

数日後、男衆の見習いである清田を引き取りたいという男が現れた。芸事は店で一から教えてやると言って、その花魁の名前は
「よう、これでとうとう抜け出すことはできなくなったな」
「じ、神、神、にい、さ」
「よせよ、兄さんなんて。好きなように呼べばいい」
恨めしい顔で信長は男を睨んだ。
花魁、神宗一郎。髪形についてお上の厳しい取り締まりがなくなったおかげか神さんの髪はこないだよりもうんと短くなっている。それでも人気はより上がったのだから店の旦那女将は何も口出ししない。外見はもちろん物腰柔らか背丈もある、学・器量共に良し・芸も中々。男衆見習いの信長、良い兄さんに拾われたもんだと言われはするが花魁なんぞと未だ口を尖らすばかり。
さてこの兄弟がどうなったかは、また後日。





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