「火神くん、今日家へお邪魔してもいいですか?」
いつの間にか二人きりになっていた、部活後の部室。
制服姿でベンチに腰かける火神に、静かにロッカーを閉めながら言った。
「どうした?」
「どうもこうもしていません。ただ友人の家を伺おうかと思ったまでです。」
行きましょう。そう言って黒子は、散らかった机から鍵を掴む。
「来るのはいいけど、親には?」
ガチャガチャとドアノブと格闘する背中に尋ねた。
くるりと振り返り、呟いた。
「言う必要がありません。」
「なに?ケンカでもしたのか?」
ただ、尋ねた。
「心外ですね。両親は、昨日からアメリカに旅行に行っているんです。」
外は雨だった。
夕立かと思われた雨は、日が沈んでも止むことはなく、次第に強さを増し、気づくと稲妻まで見え始めた。
「そうか、それなら泊まってくか?」
さした傘は、役に立っているのかいないのか。
「いいんですか?」
その声は驚きなのかなんなのか、普段の黒子とは違う何かが伝わってきた。
「いいんですか、って、端からそのつもりだろうが。」
「えぇ、まぁ。」
くすりと笑う黒子を見下ろすと、その視線は傘に遮られた。
「アメリカは懐かしいですか?」
雨音にかき消されまいと、少し大きな声を出す。
「懐かしい、かぁ。今はお前らがいるからそこまで懐かしくはねぇな。」
「そうですか。」
少し喜びの滲む声に、火神は尋ねた。
「なぁ、お前はアイツらのこと懐かしくねぇの?」
アイツら------。
キセキの世代。
幻の六人目として黒子が存在したあの場所。
「懐かしくないはずがありません。でも、ボクは約束しました。彼らを倒すと。」
そう言って傘を傾け火神を見ると、黒子の顔に雨が当たった。
「そうだったな。」
真剣な眼差しに微笑みを返すと、火神は真っ黒な空を仰ぐ。
火神くん、濡れますよ。静かな黒子の声は、なんだか嬉しそうだった。
「けっこう濡れちまったなぁ。」
結局、申し訳程度にさしていた傘は、大して役には立たなかった。
「とりあえず上がれよ。靴と服は洗面所な。」
うえー、冷てぇ。洗面所の明かりをつけると、身ぐるみ洗濯機に放り込んだ。
「着てるもん全部入れとけよ。で、風呂先入っちまえ。」
「あぁ、ありがとうございます。」
そう言い残して火神は洗面所を後にする。
「お風呂、ありがとうございました。」
黒子がシャワーを終えると、そこには火神のものとおぼしき服が。
洗濯も回されていて、火神の意外な一面を感じた。
「ぷ、でけぇな服。」
笑いを噛み殺しながら、黒子を眺める。
「仕方ないじゃないですか。火神くんは背が高いんですから。」
「まぁ、我慢してくれ。」
こらえきれない笑いを漏らしながら、ちょっと待ってて、と言い残して風呂へ行った。
何もない部屋。
火神の普段の姿からは想像できない几帳面さで整頓されていて、一人暮らしにしては少々広すぎる。
火神くんの匂い。口には出さずにソファに倒れこむ。
いつの間にか眠っていたようだ。
「黒子ー、飯だ飯。」
ぺちぺちと頬を叩かれ体を起こすと、二人分にしては幾分量の多い夕食が。
「すみません、寝てしまいました。火神くんは、料理まで上手なんですね。」
「大丈夫。まぁ、一人暮らしやってっとな。上手いってほどのもんでもねぇけどよ。」
おいしいです。いつもは少食の黒子が次々と料理を口に運ぶ。
「今日は火神くんの意外な所をたくさん見ました。」
「意外な所って。そんなこと言うお前の方が意外だけどな。」
驚きながらも、火神は思っていたことを口にした。
なんとも言えない穏やかな雰囲気に包まれた。
「今日は火神くんの家に来てよかったです。」
食器を洗いながら、黒子は呟いた。
「ほんとどうしたんだ?らしくねぇな。」
柔らかいその言葉には、なんだかわからない優しさがこもっていた。
その時------。
「うわぁっ」
急に轟いた落雷音に、黒子は飛び上がった。
「大丈夫か?」
雷よりも黒子の声に驚いた火神は、顔を覗き込んだ。
すると、涙目になって怯える黒子が目に映った。
最後の皿を拭き終えると、黒子の頭に手を置いた。
「火神くん?」
突然の行動に涙目のまま火神を見る。
火神は何も言わずに数回頭を撫でると、慌てて手を下ろした。
「あ、悪ぃ。」
その様子を見た黒子は、もう一度火神を見上げた。
「火神くんは悪くありません。ボクこそ大きな声を出してすいませんでした。」
少しうつむきながら、黒子は言った。
「大丈夫か?」
「はい、今はもう。」
お互いに少し平静を取り戻すと、なんとなく気恥ずかしくて目をそらした。
なにともつかない言葉を交わし、いつも通りに時間が過ぎた。
「寝るかぁ。」
気づけば時計は12時を示そうとしている。
「そうですね。明日は午後からの練習ですが、さすがにもうそろそろ眠くなってきました。」
あくびをこぼしながら、黒子は言った。
「お前、俺のベッド使えよ。」
火神は立ち上がると、黒子を見た。
「いや、悪いですよ。いきなり押しかけて来たのはボクの方です。火神くんがベッドを使って下さい。」
思わず黒子も立ち上がる。
「いや、ベッド意外に寝るとこなんざソファしかねぇんだから、遠慮すんな。」
「いや、でも…」
いいから。そう言って火神の寝室に通された。
「おやすみ。」
部屋の入り口に立つ火神は電気を消しながらそう言った。
申し訳なさを感じつつも、おやすみなさいと応えた。
その時聞こえたのは、二度目の落雷音。
先ほどのものよりも大きいそれに、黒子が驚かないはずがなかった。
「う、うぅ…」
必死に声を殺し、小さくなって震える黒子。
その小さな姿に火神は息を飲んだ。
「雷、苦手なのか?」
こくりと頷いて。
「ボク、雷は嫌いなんです。」
震える姿から目をそらせない。
「ひとりに…しないで、下さい…」
二人で寝るには少し、というより大分狭いシングルベッドに並んで転がる。
「なんでこうなってるんですかね。」
「わかんねぇ。」
およそただの友人と言うには程遠い雰囲気に、二人の睡魔はとうにどこかへ行ってしまった。
「迷惑ばかりかけてすみません。」
冴えた目を無理やり閉じて呟いた。
「お前なら迷惑だなんて思わねぇよ。」
「ありがとうございます。」
またこそばゆいような、恥ずかしいような感覚が二人を襲う。
「喉乾いたなぁ」
手持ちぶさたになって、火神は体を起こしながら言った。
その時。
「黒子…?」
「行かないで…下さい。」
たかがキッチンまでだと言うのに。
まるでもう火神が戻ってこないとでも言いたげに。
黒子は震える手で火神の腕を掴んだ。
「もう一度言います。行かないで下さい…」
先ほどよりも明確な意思を持って。
黒子は火神の腕を引いた。
「どうしたんだよ…」
ベッドに腰かけたような状態の火神に、後ろから抱きついた。
「火神くん…」
鼓動が速くなる。
抱きつかれたままの火神は戸惑いを隠せずに、腰に回された手を取ることも、拒むこともできない。
いったいどれほどこうしていただろうか。
ひょっとすると一瞬だったのかもしれない。
時間の流れを感じられないほどに二人の心拍数は上がり、そして戸惑った。
「…すみません。」
ゆっくりと腕の力が抜け、黒子はそのまま壁にもたれた。
「……………。」
火神は何も言えない。
何もできない。
三度目の落雷音。
黒子は鼻をすする。
何に対する涙なのか。はっきりとはわからない。
黒子が小さくしゃくりあげた。
「黒子…」
「はい…」
向こうを向いたまま火神は名前を呼ぶ。
静かに静かに、そして憂いを帯びた声で。
「…んなことしたら、勘違いするだろ?」
「…勘違い、ですか?」
一呼吸おいて、ゆっくりと尋ねる。
火神は大きく息を吸い込んだ。
その大半をため息として吐き出すと、消え入りそうな小さな声で言った。
「……お前が、俺のこと好きっていう勘違いだよ…」
「火神くん…」
とうに暗闇に慣れた目は、火神らしくない小さな背中をとらえる。
ギシ。
その小さく見える背中に手で触れながら、震える声で言った。
「……勘違い…してください。」
火神の背中が強ばる。
もう躊躇わなかった。
火神の背中に抱きつくと、黒子にとってはやはり大きな背中だった。
大きな、大きな背中。
近いのに、遠くて、届かなかった背中。
黒子は言った。
「好きです、火神くん。」
火神は何も言わずに、黒子の手に触れた。
ゆっくりとその手をほどいて、黒子の方を向く。
「俺も、だ。」
いつから好きだったんだろう。
その答えはどちらにもわからない。
それぞれの思いを胸に、誠凛高校バスケ部に入り、仲間になり、相棒となった。
いつの間にか大切な人になっていた。
「火神く…」
言い終わる前に、火神の唇が重なった。
優しくて、甘いキス。
触れるだけの口づけは、黒子の心を震わせた。
「……………っ。」
唇を離すと、黒子の目から一筋の涙が溢れていた。
「黒子…嫌、だったか?」
辛そうに目線を落とす火神に、黒子はもう一度唇を合わせた。
「嬉しいんです。」
止まらなかった。
貪るような火神からの激しいキス。
口内を蹂躙され、息も絶え絶えになる。
「…ふっ、ぅ」
甘い矯声が唇の隙間からもれる。
唇を離すと二人の唾液が伸びて、ゆっくりと落ちた。
そして、優しく押し倒される。
「……いい、か?」