29-2

通されたホテルの部屋は、スイートまでとはいかないけれど、自分一人だったら到底泊まらないような上等な部屋だった。
カードキーで鍵を開けて、私が先に入ると、鯉登君が後から入ってくる。
彼が後ろ手でドアを閉めるときに、さりげなく「DO NOT DISTURB」のプレートをドアノブに引っ掛けるのが見えて、思わずドキッと心臓が跳ねてしまった。

さすがの彼でも、ここからは誰にも邪魔されたくない大人の時間だということはわかっているようだ。

それに気付かないふりをして、まずは足元から天井まで広がる大きな窓の、その外側一面に広がる夜景のもとへ。

「わ、すごい…こんなに上の部屋だと夜景が遠いくらいだよ…」
「そうか?普通だが…むしろ頼んであった最上階じゃなくてガッカリだ…」
「庶民にとってはここでも充分最上階に近いわよ…」

親のコネでこんないい部屋押さえといて、これ以上贅沢言わないでよね…と言おうとして振り返る前に、窓ガラスにドンと突かれた二つの手に身体は閉じ込められてしまい、後ろからはピタリと鯉登君の身体が寄せられる。

「…夜景はいいからこっち向いてくれ」
「…」

素直に身体を反転させて鯉登君のほうに向き直ると、急に近くなった顔と顔にお互い上気する頬が見えてしまうようで、思わず顔を伏せてしまう。
そのままゆっくり背中に回された腕が私のことをぎゅうっと抱きしめて、やっとここまで来た、とでも言うかのように鯉登君が深く息を吐き出した。

しばらく私の首筋に顔を埋めていた鯉登君が、ガバッと顔をあげて次に発したのは、実に素直な言葉だった。

「最初で最後なんて嫌だ…」

まるで怒っているみたいなその表情に、胸が切なくなるのは、私も同じだった。

「…最初からそういう約束だったじゃない」

突き放す言葉なのに、彼の表情は今度は逆に悲しそうに歪む。

「これだけしてるのに、どうしてそんなに冷たくするんだ」
「…そういうとこだよ。鯉登君」
「これで最後なんて嫌だ」
「…こういうデート…は、これで最後って言ってるの!」

私の言葉を鯉登君が怪訝な顔で咀嚼しているうちに、彼の腕の中からすり抜けて、クイーンサイズのベッドにドスンと腰を下ろして腕を組む。…もう、ほんと、もどかしい。

「どういうことなんだ?こういうデートでなければまた会ってくれるのか?どこに行きたい?どこでも好きなところに連れてってやる!」
「そうじゃない…」

慌ててベッドに飛び乗ってきて、横から纏わり付いて私に迫る鯉登君のネクタイを思い切り引っ張って、顔を近づけた。

…どうして、肝心なことはいつまで経っても言ってくれないのよ。


「…キスして」

ギョッとして見開かれた目は私のことをまっすぐ見つめていて、そうしているうちに、戸惑いがちだった瞳の色には次第に火が灯っていく。

「いいのか…?」
「…早く」

首筋に手が回されて、ゆっくり引き寄せられて押し当てられた唇は、最初は少しだけためらっていたけど、次第にしっかりとしたものに変わっていく。角度を変えて触れ合わせるだけだった唇が、一層強く押し付けられたと思ったら、唇を割って舌が入ってきて、絡めたそれは熱くて柔らかい。

息継ぎのインターバルを入れながら、二回、三回…と繰り返されて、ゆっくり吸われてなぞられる口づけは予想外に優しくて大人っぽくて、自分のほうが溶かされてしまいそうな感覚を必死に押さえ込んだ。

つ…と唇が離れたあとに目が合うと、握られた手がまず先にシーツに押し付けられて、ほんの少しの時間差で、次に背中がベッドに沈む。
手が繋がれたまま今度は上から降ってくるキスは、慣れてきてスムーズで、すぐに私の温度を適温に変えていく。
唇は首筋に移動して、鎖骨の間に揺れるネックレスの上から口づけが落ちてきたあと、開いた胸元へ。

その胸の奥で、ドキドキ速まる鼓動に気付かれないうちに、私は鯉登君の胸を押して身体を離していた。

「…待って」
「…やっぱり、俺じゃダメなのか…?」
「…違う」

…本当に、肝心なところがダメね。付け焼き刃の口説き方は青くて子供っぽくて我が儘で、そんな風に上辺だけカッコイイことを言われたって、私はなびいたりしないのに。
切なく歪むその頬に手を添えて、しっかり目を見つめて向き合った。


「…私は鯉登君のことが好き。鯉登君はどう思ってるのか、教えてよ…」


我慢できなくて、切なくて、苦しくて、眉を下げて見上げながら漏れ出た言葉は、鯉登君にも届いたようだった。

「……お、お前っ!俺のこと、好きなのか!?」
「今そう言ったけど」
「俺のことを、お前が好きなのか!?」
「いや、だから今…声おっき…ていうか、そう思って欲しくて私のこと口説いてたんじゃないの!?」

キエエエ…とパニックになって猿叫する鯉登君を前に、耳を塞いだ私は虚ろな表情で起き上がった。まったく…この男は…。

「最初で最後って言ってただろ!だから俺…お前には好かれてないとばかり…」
「…見え透いた金と物で女を落とそうとするアピールに付き合うのはこれっきりって言ってるの!俺はこれを持ってるとかあれを買えるとか、そういうんじゃなくて、ただ私のことどう思ってるか知りたいだけ!」

ポカンと口を開けて固まる鯉登君に、むすっとしながらもそっと寄り添って、今度は私から胸に飛び込んでそっと抱きしめた。

「あなたのこと好きじゃないなんて、一度も言ってない…」

しばらくグンニャリと力が抜けていたあと、ハッと意識を取り戻した鯉登君は、慌てて私を抱きしめ返して「俺も好きにきまってるだろ!何で分からんのだ!」と絶叫する。
「…思い返してみなさいよ。俺はすごい!とか、こういうことお前にしてやる!ってアピールだけで、ちゃんと私に想いを伝えてくれたことなんてないから!」

その言葉に、うう…と眉を寄せた鯉登君は、今度は力を緩めてそっと私を抱きしめてすっぽり身体を包んでくれる。

「すまん…でも本当に、お前のこと好きなんだ…」

やっと聞けたその言葉に、私も目を閉じて、細いけどがっしり締まったその胸板に頭を預けて息を吐く。…我慢してたのは、私だって同じなんだからね…。

「…じゃあ、今晩はずっと一緒にいられる…?」と見上げると、「そのためにここ取ったんだぞ…」と小さな声が返ってくる。

嬉しさを隠せないみたいに頬が緩む鯉登君の手が、再び私の頬に添えられて、今度は性急にキスが降ってくる。もう待てないその熱は、私をすかさず押し倒してベッドの上へ縫い留めた。

熱い息を吐きながら交わす口づけは、お互いの熱をどんどん高めていって、自然と指と指が絡まって、それは舌と舌も同じ。
ふ…と乱れる呼吸の隙間からまた唇が押し当てられて、カプリと軽くかじられる唇は自然とその次を求めて開いてしまう。

長い間夢中でしていたキスがやっと終わると、至近距離で見つめ合いながら、真剣な顔の鯉登君が私の手を握りながらそっと口を開いた。

「…大切なことを言っておきたいんだが」
「…ウン」

しばらく愛しそうに私を見つめていた鯉登君は、私の頬をそっと撫でておでこにキスをひとつ。

「俺、実は童貞なん…
「…知ってる」

被せ気味に返事をした私に、数秒固まった鯉登君はキエエエエとベッドの上を転がって、その顔は真っ赤に染まっている。

「なんでだ!なんで知ってるんだ!どうしてだ!」
「見ればわかるでしょ!」
「お、俺、完璧なはずだったんだが…」
「取り繕おうとしないで素直になってよ、もう!」
「キエ…」

さっきから、こんな感じでいいムードになっては横道に逸れるのはどうしてなんだろう…これは相当教育が必要じゃないの…?

「ねえ、上手くしたいとかそういうのは気にしなくていいから、ちょっとは落ち着いてよ…。」
「だが…」
「好きな気持ちだけあれば大丈夫…それよりも、ちゃんとムード作ってよ」

ペタンとベッドの上に座り込んだ鯉登君の前に膝立ちになって、手をそっと私の腰へ添えさせる。もう片方の手は、顔のほうに持ってきて、頬を擦り寄せて視線は鯉登君のほうへ。

「ねえ、結局押し倒したい?それとも逆?」と意地悪な目線で聞いてあげると、「…押し倒したい」と返すその表情はやっと雄の顔。

そのまま体重をかけてガバッと上に被さってきて、息もできないくらいの激しいキスが落ちてきて、腰に添えられた手はお尻から背中のほうまでまさぐって、私のワンピースのファスナーを手探りで探している。

待ちきれないみたいに私も鯉登君のネクタイを緩めてシャツのボタンを外していくと、上擦った彼の声が耳元に降ってくる。

「好きだ…お前しかいない。他の女なんて目に入らない…」
「じゃあ今からそれを証明して…?」

その言葉に反応してニヤリと口角を上げた鯉登君は、それなら絶対に証明できるからな?という感じで私を抱きしめる。

きっと、この先はとっても真剣な二人だけの時間がやってくる。
思わず揺れて身動ぎした背中の隙間からワンピースのチャックを見つけ出した鯉登君が、ためらわずに一気にファスナーを引き下ろすのを感じて、私はそっと目を閉じたのだった。

つづく


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