21-1

師走に入ると毎週のように行われる忘年会で、私の気力はすでに限界を迎えようとしていた。
社内の忘年会、部署の忘年会の間に同期の忘年会が入って、今日はようやく最後の忘年会だ。

最後が一番気が重いなあ…と会場に向かって歩きながら、肩を落としてため息をつく。
今日行われるのは、最近付き合いのある某企業との忘年会。もちろん私もその会社の人と一緒に仕事をしたことがあるけれど、新進気鋭のベンチャー会社にありがちな「いわゆるチャラ男」の社員が非常に多く、どうしてもそのノリについていけずにかなり苦手としているのだ。

おそらく私よりもいくつか若いのであろう、さっきまで大学生だった、みたいな男の子たちが、ちーっす、なんて言って挨拶してくるその態度も気に食わず、打ち合わせの最中にしきりに長い前髪を気にして気もそぞろな様子も目の当たりにしたりして、そんなことより仕事をきちんとこなしなさいよ!と思わずお小言が飛び出しそうになったり。

まだ学生気分なのよね、あの前髪くん、といつも家で愚痴を吐く私を見る尾形さんはなぜか面白そうで、「お前、小うるさいお局になるぞ」なんてからかってくるものだから、うっ…と言葉に詰まってしまう。
確かに…と自省しながらも尾形さんをキッと睨んで「…でもこれは常識的な問題のことです!」とムッとなる私を、尾形さんはさらに面白そうに抱き寄せるのだ。そういうときは大抵機嫌が良くて、「そういう会社はいつか切られるから心配するなよ」なんて頭にキスを落としてくれたり。

…なんとなく気づいてはいたけれど、私が他の男の文句を言うと喜ぶのよね、この男は…。
本当に良い性格…。

そんな会社との忘年会。お酒が入ればさらに盛り上がりを見せるだろう。
まあ、こういう場だと逆に警戒できるというか、心構えはできるからまだマシかな、と考えていると、会場近くに到着。地下にある店らしいので入口を探してうろうろしていると、後ろからよく知った声がした。

「…おい」
「あ、尾形さん」

今日はうちの部署と、その会社の担当部署の忘年会なので、尾形さんも参加する飲み会なのだ。部屋のどこかに尾形さんがいてくれると思えば少しは気が楽だ、とふと肩の力が抜ける。

「…お前、あんま飲むなよ」と真顔で釘を刺してくる尾形さんに、「大丈夫ですって」と肩をすくめた。
「今日は尾形さんもいますし、少しは飲みすぎても大丈夫です」と冗談ぽく言うと、顔をしかめた尾形さんは面白くなさそうに「…それもそうだけど、ろくな男いねえんだろ、ここの会社」と腕組みをして返す。

…珍しく心配してくれてるとは。まあでも、チームリーダーの尾形さんのところには色んな人来るだろうし、確かに頼ってもいられないか。心配させないようにしないとね。

「…まあ、まだ新人みたいな男の子ばっかですし、適当にかわしときますよ…」
「…あんまり調子に乗らんようにな」

…分かってますって。一緒になって調子に乗るわけないじゃない、あんな子たちと、なんて頬を膨らませていると、地下に下りていく階段のほうから騒がしい声が聞こえてきた。

「ちーっす!こっちっす!名前さん!みんな来てます!」と馴れ馴れしく名前を呼んで階段の下から手招きするのは、私が仕事で関わった前髪くんだ。
「嬉しいっす!来てくれて!飲みましょう!マジで!」と私の肩に手をかけて店の中に誘うので、思わずめんどくさそうな表情になってしまいそうになるのを必死に取り繕う。

いや、それよりも…。

「尾形さんも、ちーっす!」なんて私の肩に手をかけたまま尾形さんに挨拶している彼がどうにかされないかのほうが心配だ。私は怖くて後ろを見れないけれど、ペチンと間抜けな音がしてから私の肩から手がどいたので、きっと腕を尾形さんに無言で振り落とされたのだろう。
尾形さんは、普段はこういう感情を人に知られないようにしているのだけど、この人たちとはもう会わないし仕事の付き合いも無いと踏んだのか、その行動は開き直っている。

「あれ?さーせんっす!馴れ馴れしかったですか!?」と慌てる彼への尾形さんからの返事は当然、ナシ。
…お願いだからトラブル起こさずにいい子でいてください…尾形さん…。と冷や汗がタラリ。
無言で私の背中を押して奥に進ませる尾形さんからのプレッシャーに耐えながら、今日は荒れるかもしれない…私が頑張ってうまく立ち回らなくては…と決意を胸に抱いたのだった。



宴が始まると、想像どおりそれはとっても騒がしいもので、まあうちの会社にも彼らと多少は気が合う人もいたりするので、それなりに盛り上がるものになった。座敷タイプの宴会場だったので、隣との距離が近くなってしまうのが玉に瑕だったけれど。

私の座る大きなテーブルの反対側の端っこが尾形さん。先方の会社のお偉方に囲まれて、いつもの嘘くさい笑顔で何やら話も盛り上がっている。…あの笑顔をしておきながら、もうこの先この会社との付き合いをなくそうと考えているとは恐ろしい…。

そんな歓談の合間にも、さりげなくこちらに送ってくる鋭い視線は私もひしひしと感じていたので、最初の一杯以外は薄めのカクテルにしてごまかしていたのだが、宴会の途中でお店からの差し入れと、相手の会社の社長からの差し入れということで日本酒の大吟醸が2種類紹介されると、どうしても飲まざるを得ない雰囲気に。

私は日本酒は得意で、大吟醸ならなおさら大丈夫、なんて余裕でいた。…しかし心配なのは尾形さんだ。尾形さんはワインには強いのだけど意外と日本酒にはめっぽう弱くて、すぐに酔っぱらってしまうのだ。

大丈夫かな…と横目で様子をうかがうと、明らかに今までと違って目がすわっている。
…こりゃマズイ、とさりげなく席を立ってお冷を持っていこうとしたところ、
「名前さん!日本酒まだあります!」なんて言ってその場から離さないのは前髪クンだ。

「…じゃあ、おちょこ一杯だけ」と言ってお酌してもらうと、「一杯だけっすかあ〜?」と笑って私の横にドカンと座り込む。ちょっと…距離近いんですけど…。
日本酒の瓶を抱えて手酌で自分のおちょこに注いでグイっとやるのを見て、「…ほかの人にもお酌しに行かなくていいの?」とさりげなく追いやろうとするが、「…いいっす」なんて目を泳がせて笑っている。

「…あなた酔っぱらってるんでしょ」と呟くと、「名前さんは強いっすね!」とニヤリと微笑む。
「…別に強くないよ。日本酒ならまだマシなだけ」と呟くと、「マジすげえっす!」と実に単純な返しにガクリと気が抜けてしまう。…こんなんでよく社会人やってられるわね…。

すると、その子はしばらくニコニコの笑顔で私を黙って見たあと、「…ガキっぽいって思ってますか?」と妙に真剣なトーンで返してくるので思わず目線を上げてしまった。
「…でも、こんな感じでも仕事ができてれば一人前の男ですよね?」
「…まあ」

再び瓶からお酒を私のおちょこに注いだ彼は、ずいっと私に近寄って、まじまじと目を見てさらに続ける。
「…前に打ち合わせしてるときに、名前さん俺に注意しましたよね。俺が集中していなくて、言ったことが何にもできてなくてトラブルになりそうだったから…。だから、仕事だけはきちんとやろうって思ってるんすよ、俺」

…記憶は定かではないが、まあこの会社の人にだったら誰に怒っていてもおかしくない気がするが。

「…悪かったわよ、同じ会社の人間でもないのに叱っちゃって…」と口を尖らせると、ふっと頬を緩めたその子は、「いえ、叱ってくれるって、なんか、キズナっぽくて、家族愛っていうか…感動したっす!」なんて目を輝かせている。

…へえ、そりゃよかったです、と言って、彼がじんわり浅く感動してくれている隙をついて立ち上がった。

「ちょっとお手洗い。…ねえ、そういうキズナのお説教ならウチの尾形さんも得意だよ。お酌行ってきたら?」と意地悪に笑ってあげると、むっと拗ねたその子は、行けないっす…なんて呟くものだから笑ってしまう。どれだけ怖い目線送ってたんだか、あの時。



お手洗いの鏡で少しだけ身なりを整えて、戻るついでにお冷を尾形さんのところに持っていこうか、と考えながら廊下に出ると、さっきの前髪クンが廊下の壁に寄り掛かっていた。

「…どうしたの?」と声をかけると、「自分、単純なので…」なんて言って俯いている。
「…ごめんって、からかって。酔っぱらったの?」と顔を覗き込むと、突然両腕を掴まれて
そのままくるりと反転、廊下の壁に押し付けられてしまった。

「…自分単純なので、優しくされるとすぐ好きになっちゃうんですよね」
「…は?」

さ、最近の新社会人の思考が分からない…怒られ慣れてないから怒られると逆に…みたいな…?…ていうか、みんなMをこじらせてるの…?なんて、ついていけない展開に頭が真っ白だ。

「…正直今の彼女がガキっぽく見えてきたっていうか…やっぱり年上かな、なんて」
「…やっぱり酔っぱらってるじゃない。ていうか、彼女いるならこういうことやめたほうがいいよ。こういうの、絶対バレるから」
「…じゃあバレなければいいですか?」
「そういうことじゃないって」

…ていうか、あのナントカっす!って口調はどうしたのよ。ちゃんと喋れるじゃない。
じゃなくて、なんとかうまく回避しなきゃ。説得して懐柔して、あと腐れないように…と考えているうちに、どんどん顔が接近してきて身体が硬直してしまう。

「…ちょっと、ダメだよ、やめて」

思い切り寄せられた顔のせいで唇と唇が急接近。今になって必死に腕をジタバタさせて抵抗するが、力では到底かなわなくて、背中にヒヤッとした感覚が襲ってくる。
まずい。あと少し顔を寄せられたら、本当にキスされてしまう…。

「…あと5ミリ」と囁いて、彼が唇を押しつけようとしたとき、彼の背後に回った人の影が廊下の照明の光を遮った。

「名字名前〜ダメだろ、お前こんなことして…」

その声にビクッと離れた彼の首根っこを掴んで乱暴に遠くに追いやるのは、案の定、尾形さんだ。その目尻は紅く染まって、明らかに普段以上に酔っぱらっている。妙にハイになっているというか、少しマズイような…。

「お、尾形さん…!」と慌てる私を背後に回して尾形さんは前髪くんに向きなおる。

そして、「悪いな。こいつ俺の大事な部下だし、男いるんだよ」とニッコリ微笑んだ。
「あ…そうなんすか…」と頭を掻いてヘラヘラ笑う前髪男に、「…聞いてなかったのか?」と首をかしげる尾形さん。
それが、そのまま私への(…言ってなかったのか?)という言葉に通訳されるのは私が一番分かっているので思わず唇を噛んで目を伏せた。

「…すみません、彼氏いるって知らなくて…」とまだ余裕の表情でごまかす彼に、
「…まあ、実は俺なんだけどな。こいつの男」と私を抱き寄せて肩に手を乗せて得意気に返す尾形さんは、「びっくりしたか?」と嬉しそうにさらにだめ押し。

「ちょっと…しました…」と顔をひくつかせる彼に、「…ちょっと?」と不機嫌そうな尾形さんの、私の肩を抱く手に力がこもるのを感じてごくりと生唾を飲み込んだ。
…まずい、これは本当にまずい…。
とりあえずごまかしてなだめようと、「尾形さん…」と振り返った瞬間、思い切り唇を押し当てられていた。

「…んっ!」

視界の端に、あんぐり口を開ける前髪くんが映って、焦る私は呼吸困難だ。それなのに、ぐいっと頬を親指で押されたせいで開いた唇に、尾形さんの舌が割って入ってきて目を丸くしてしまう。

差し入れられた舌からはお酒の味が濃厚にして、尾形さん本当に酔っ払ってる…と確証してしまい思わず目を瞑る。必死にやめさせようと胸を押しても無駄な抵抗で、ぐるりと口内を一周していった舌は、名残惜しげに唇をペロリと一舐めするとようやく離れていった。
ああ、なんだか私まで今さら酔いが回ってきたようで頭がクラクラする…。

「…じゃ、先に帰るか」と囁いた尾形さんは、いつの間にか宴会場の外に持ってきていたらしい自分と私の荷物を片手に引っ掛けて、私の手を引いてさっさと歩き出す。
前髪の彼とすれ違いざまに、「じゃあ、今見たことはよく覚えておけよ?ただし、誰にも言うなよな」なんて言ってははッと笑うので、彼はびくついて俯くばかりだ。
ゴメン…と私も心の中で呟いて、引っ張られる腕に合わせて足をもつれさせながら歩き出す。

そのまま凄い力で引っ張られて店を出ると、尾形さんはすごい勢いで歩き出した。

「…とりあえず、色々話があるからどこか入ろうな」と微笑む尾形さんの顔をまともに見ることができなかった。
どこかって、どこよ…と混乱する私に「…とりあえず一番近いところにするからな。別にそういうホテルじゃなくてもシティホテルでいいよな?」とキョトンとした顔で問いかけるので、返す言葉が出てこない。
そんな私の頭を心配そうに撫でると、「…心配するなよ。そういうホテルじゃないんだからちゃんといい部屋だ。でもチェックインの時はしっかりしてろよ?」と笑いかける。

その笑顔の裏にあるものが、その表情通りのものではないということを知っている私は、涙をこらえて唇を噛んで下を向いたのだった。

続く

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