19-5

昼下がり、カフェの入口の外に出されているブラックボードをまじまじと眺めて私は腕組みをしていた。
ちょっとした用事を済ませて会社に戻る途中に、午後のパワー注入用のカフェイン調達だ。
いつものブレンドコーヒー…もしくは、キャラメルマキアート……でも季節限定のスパイスを効かせたチャイでもいいか…。

顎に手をあててうーん、と迷っていると、カラン、と鐘がなりカフェのドアが中から開く。音でそれを察して、チョークで書かれたメニューに目をやったまま、横に一歩どいて出てくるお客さんを避けようとしたところ、クスクスと笑いながら出てくるグループの中に、聞きなれた声が聞こえた。

数段階段で上がって入るタイプのお店だったため、ふと、目線を上げてその声の主を確認すると、そこには2人の女性と、恋人の尾形さんの姿があった。

ランチミーテイングでもしていたのだろうか、尾形さんはドキュメントバッグを下げてネクタイをかっちり締めたスーツ姿だ。2人の女性は見るからに女実業家、といった雰囲気で、確かに最近そんな仕事の取引先の人がいるとか言っていたような。

あ…と気づいてバチっと目線があったものの、お互いなんとなく察してその場をやり過ごす。
確かに仕事の取引先の人なら挨拶してもよいが、なんとなく邪魔できないような雰囲気なのと、少々タイミングも悪い。ここはそ知らぬふり、と…。

尾形さんも同じような考えだったのか、すぐに目線をそらして仕事モードへ。
階段気を付けてくださいね、なんて言って紳士な言葉を吐いている。

…そ知らぬふり、とは思いつつ、「両手に花」状態な尾形さんをつい観察してしまう。
女性は一人は女社長、といった感じの60代くらいの派手な女性だが、もう一人は40歳くらいの女性だ。身に着けているものも上質で、だれもが知っている有名ブランド品ではないけれど、老舗の通なブランドだ。
…きっとこんなバッグを日常使いできるなんて、役員か何かなのだろう…と容易に予想がつく。しかし、そのどれもセンスは抜群で、しかも本人も地味目とはいえなかなかの美人だ。

…なかなか小綺麗な人を相手にしてるじゃないの、とついジトっとした目で眺めてしまうのをなんとか抑えようとしていたその時、年下のほうの女性が階段の途中でヒールを捻らせてしまい、身体がグニャリとふらついた。
あっ、と驚いて揺れるその身体は、そのままちょうど真横にいた尾形さんに受け止められた。
両肩を掴んで引き寄せて、まるで抱きとめるような恰好に。

「…大丈夫ですか?」
「あ…あの、ハイ…」

なーんて数秒顔を見合わせる光景を、思わず眉間に皺を寄せて見守ってしまった。
…ナニコレ。

そんな私をチラッと見やった尾形さんはパッと手を離してから女性を見て、さ、どうぞ、なんて手で示して階段の下まで彼女を誘導。

…まあ、こんな事故くらいで、とやかく言ったり嫉妬するほど子供じゃないけどね。わたし。

なんて思って視線を逸らしかけた瞬間、階段から無事に降りた女の人が、「ウフフ、びっくりしちゃいました」と笑って尾形さんの背中に手を軽く回してすうっと撫でるのが目に入って、目を見開いてしまう。彼女の視線には明らかに熱がこもっており、その手つきもさりげないが、意味が無いものではなさそうだ。

ふむ。なんだか全くおもしろくない。

尾形さんは当然彼女の視線に気づいているが、ニッコリ笑っていつものスマイルだけでそれに返事する。
…その尾形スマイルが挑発の印なのは、親しい人しか知らないじゃない。そんなんじゃ勘違いさせちゃうわよ…。なんて、すっかり隠せない嫉妬心で3人を見送ったのだった。




その日は、尾形さんの家にお泊りの日だったので、仕事を終えてから買い物をして尾形家へ。
私より少し遅く帰ってきた尾形さんと食事をして、テレビなど見ながら、仕事どうだった?とか、そんな感じのいつもの雑談。

最初は、今日の昼間のことをからかってあげようかな、なんて思っていたのだが、たまたま選んだチャンネルで面白そうなドキュメンタリーを放送しており、二人とも意外にそれに熱中してしまったのだ。
結局、あれこれ議論しながらワイワイそれを視聴しているうちに、昼間の偶然の鉢合わせのことなんかすっかり忘れてしまい、そのまま夜を迎えたのだった。


お風呂の後のスキンケアを終えたあと、先にベッドに入って座って雑誌を広げていた尾形さんの横に、滑り込むように入り込む。私も読みかけの本があったので、ベッドサイドのランプの灯りを少しだけ拝借して、うつ伏せでページをめくる。
横目でそんな私を見る尾形さんも無言で雑誌のページをパラパラとめくって、たまに身体をこちらにくっつけたりなんかして。
大体いつも30分くらいはベッドに入ってそんな自由な時間を過ごすのが私たちの定番だ。

しばらくそうしていたあと、「…う、今日PCばっかりやってたから、なんか私目が疲れてます…今日はもう寝ようかな…」と眉間に指をあてて脱落宣言をすると、「…俺も、なんか今日は疲れた」と尾形さん。

「そうですか?じゃあもう電気消します?」と見上げると、「…まだいい」とページをもう一めくり。
…疲れてるのに?変なの。と怪訝な顔で尾形さんを見て、「…私、先に寝ちゃうかもしれないです」と身体を反転させて枕に頭を乗せると、尾形さんはシブい顔で再び「…なんか、今日ほんとに疲れたわ」とため息をつく。
そんなにハードだった?今日の仕事…と考えて、ふと、昼間のことを思い出す。

「…あ!忘れてた。そういえば、今日尾形さん両手に花でしたねえ!あの、偶然カフェで会ったとき!」とからかうと、「…俺は、お前仕事中に何やってんだって思ったがな」と、面白そうにニヤリと笑ってこちらを向いた。

「別にコーヒー休憩くらいいいでしょ。それより、あの人たちが例のバリバリの女実業家ですか?」と興味津々で問いただす。
「……たまったもんじゃない。あの女役員」と苦々しく呟く尾形さんに、「そうですか?なんか、笑ってたし、いい関係なんだと思ってましたよ」と、驚いた。
「…別に。なんか、変じゃねえか?あいつ…」と真顔で言う尾形さんの声のトーンはなんだか不機嫌で、ミーティング、あんまりうまくいかなかったのかな?なんて心配してしまうくらいだった。

「あいつって…年上のほうですか?結構気強そうでしたよね」と返すと、「…違う。もう一人。なんか馴れ馴れしいっていうか」と、こちらを見る。
なるほど、あのよろけた小綺麗な人ね、尾形さんもやっぱりそう思ったんだ、なんて素直に納得してしまった。

「…確かに!私も実は思ったんですよ、あの転びそうになった時とか、尾形さんの背中撫でちゃってるーって!」
「だよな」
「…まあ、たまにいますよね。パーソナルスペースやたら狭い人。仕事とはいえ、相手するの大変そうですね」

そんな風にふあ、とあくびをこらえながら話す私をしばらく真顔で見守っていた尾形さんは、パタリと雑誌を閉じて私の横に寝転がった。ついでに私の読んでいた雑誌も取り上げて、サイドテーブルに放り投げる。
肘をついてこちらを見た尾形さんは、若干機嫌が悪そうに口を開いた。

「……で?」

…な、なんだ、この不穏な雰囲気は。なんだか地雷を踏みかけてしまったような気配だ。
思わずゴクリと唾を飲み込んで、ピシっと身体をこわばらせてしまう。

「…で?って、別に…どうも。…尾形さん仕事頑張ってるな、って思っただけだけど」と眉をひそめて言うと、実に面白くなさそうな尾形さんは、「…フーン。じゃあ、寝るか」なんて言ってサイドランプをさっさと消してしまった。

…な、何なの、と思いつつも、真っ暗になった部屋に他にすることもなく、素直に目を閉じた。
こういうときの尾形さんの心理ってなんだっけ…なんてウトウトしながら考えるうちに、すっかり意識は沈んでいって、いつの間にか私は眠りに落ちて……

「…おい」
「…わぁぁっ!!何!?」

耳元で突然聞こえた尾形さんの声が、私を一気に現実に引き戻したので悲鳴を上げる。
なんか、デジャヴなんですけど、このパターン!

口をギュッと結んで真顔の尾形さんは、私が目覚めたのを確認すると、再び口を開いた。

「なあ、あとは?」
「…はい?」
「…あとはどう思った?」

…じわりと感じる嫌な予感。…このパターンは。
大体尾形さんの心の中は察してしまったが、まずは、軽いジャブで反撃。

「…あとは、気が強そうな人だから大変そうだな、って」
「フーン…」

……それでも未だに真顔の尾形さんに、必ずもう一度来る、と身構えたところに、案の定。

「…他には?」
「……」

…そう。私はまだ尾形百之助の欲しがる回答を答えられていないのだ。そしてその正解が出るまでこの問答は続くのだろう。

何を言ってほしいのかは大体予想はついている。もちろんそれは昼間の妙齢女性との「接触」について。
あの時、ちょっとした意地悪な目線を送っている私に気づいていたからこそ、きっと嫌味のひとつやふたつ飛んでくると予想して帰宅したものの、全く反応がなかったのがご機嫌斜めの原因なのだろう。

…私には素直な気持ちを吐き出させて、全てを把握したがるくせに、自分の気持ちはちっとも口に出さないんだから。
ヤキモチ妬いてほしいなら、可愛くそう言えば少しは許せるというのに、全く…。

ま、私も強がってたところはあるけどね。あんなに大人っぽい美人が相手だと、素直に嫉妬心のひとつも言えないくらい気後れするってのが女心なのよ、百之助さん、と心の中でため息をひとつ。

…それでも、私にしか見せないこんなところが可愛いと思って甘やかしてしまうのは、彼女の贔屓目ってやつかしら。

ふう、と息を吐いて、尾形さんに身体を寄せて、頭を胸に預けてファイナルアンサーを。

「……なんか嫌だった。だってあんな美人がベタベタ尾形さんに触ってて…。仕事だから断れないだろうけど、他の女の人に触られたく…ない。それに尾形さんも尾形さんですよ!…優しくエスコートなんかしちゃって、仕事なのに過剰サービスなんじゃないですか?」

一気にそう言って、抱きついて尾形さんを見上げる。まあ、多少サービスしたとはいえ、ほとんどが本音だけどね。
…それを聞いた尾形さんの反応は、すぐには無い。

だが。

「…妬くなよ。暑苦しい…」と、ははッと笑う尾形さんの表情はそれはそれは面白そうで、さっきとはうって変わっている。

妬くなよ、って、人を起こしてまでそれを言わせたの誰よ…とガックリ力が抜けてしまうが、そんな私を尾形さんは優しく抱き寄せたのだった。

「まあ素直に言ったからご褒美をやらんこともないが」
「…いらないです。明日も仕事だし」
「…何想像してる?別にお前が思ってるようなことしないが」

そうして私の枕のほうに腕を伸ばして、「ん」と目線で腕枕の合図。
…珍しいこともあるもんだ、と思いつつ、ため息をつきながらも素直にその腕に頭を預けた。
「…眠いから寝るぞ」と、私の髪にキスをひとつ落として、しっかり私を抱き寄せて、脚を絡めてすっかり大満足のリラックスモードだ。

目を閉じた尾形さんは、さすがに本当に疲れていたのか、徐々に呼吸がゆっくりになっていき、本格的に眠りに落ち始めている。

…満足気ね。尾形百之助さん。
でも、その尾形百之助の女の私も、良い性格には定評があるのよ?

すう、とひときわ大きく息を吸って吐き出したあと、一層ゆっくりになる呼吸と平和そうなその寝顔をじっと観察して、すうすう寝息がたちはじめたのを確認すると、ニヤリと悪い顔で尾形さんの耳元で口を開いた。

「…ねえ、尾形さん」

浅い眠りから深い眠りに変わるその瞬間、引き戻された意識に、尾形さんはビクッと目を開いて眉を寄せてこちらを見る。

「……どうした?」

…やられたらやり返す。それが戦いの基本よね?

「…で、尾形さんはどう思いました?」
「…は?」

キョトンとした顔でこちらを見る尾形さんの表情に、心の中でほくそ笑む。

「だからぁ…私がヤキモチ妬いたって聞いて、どう思いました?」

真顔で数秒目をぱちくりさせたあと、私の意図に気付いた尾形さんはさも不機嫌そうで不適な微笑みを一つ。

「…へー、そうなんだ、って思った」と、ニッコリ尾形スマイル。
「フーン…」

…その笑顔の向こうに、若干の焦りと苛立ちが、透けて見えるのが分かる。私だって、だてに2年も尾形さんの恋人やってませんからね?

「…で、あとは?」とニッコリ言う私に、ピキっと青筋が立つ尾形さん。

「…お前の考えは大体分かったけど、俺がどうこう言うと思うか…?」とコワイ顔で微笑む尾形さんに、詰め寄って猛攻撃。

「…やだ。言ってほしい。尾形さんの口から聞きたい。ヤキモチ妬かれた気持ちを知りたいなぁ〜」と口を尖らせてわざとらしくおねだり。
普段はそんなことにこだわらないし、何なら私自身も言葉に出すのは苦手なタイプだから、私が尾形さんをからかっていることなんて丸わかりなのだろうけど。

そんな私をじっと見つめて、諦めたような表情ではあ、とため息をついた尾形さんは、「…分かった」とボソリと呟いた。
ちょっとからかうだけのつもりが、まさかの一言に私のほうがびっくりしてしまい、「えっ?!」と思わず後ずさり。

そんな私を抱き寄せて引き戻すと、「…言うけど、こっち見るなよ」と囁いて私をひっくり返して反対側を向かせる。
「…絶対こっち見るなよ」と不機嫌な声で追加して、後ろから私を抱きしめて腕で目をふさぐ。

「…心の準備するから30秒待て」と言い、後ろから首筋にキスを一つ。

う、と冷たい唇の感触に背筋を反らせつつ、どうなってんの…?とパニック状態の私の心臓は、予想外の過剰サービスにドキドキ飛び跳ねている。…こんなのって初めてじゃない?

「ちゃんと30数えろよ」と囁く声が後ろから聞こえた。

真っ暗な視界の中、抱きしめる尾形さんの体温が暖かい。ぎゅうっと抱きしめるその力は優しくて強くて、心臓の音が伝わってくる。ゆっくりと腕や肩を撫でるそのリズムが心地よく、思わずギュッと目を閉じる。

30秒待てば、きっと待ち望んだ言葉が降ってくる。

1、2、3…

心の中で、私はゆっくりカウントアップを始めた…。





ブーン…と窓の外の道を走るバイクの音で目が覚めた。
明るい朝の光が寝室に差し込んで、目を開けると眩しくて顔をしかめてしまう。
…あれ?…もう朝なんだっけ…?なんだか、色々忘れているような…。

ぼおっとする頭で半身を起こし、ふと横を見ると、肘をついて私の寝顔を見ている尾形さんがいた。

「…おはよう」
「…おはようございます…」と眠い目をこすりながらとりあえず挨拶すると、
「…お前って本当に単純だよな」と感心したように言う尾形さん。
「……」

数秒、記憶をたどって、全てが鮮明に蘇ってくる。

「尾形さんがどう思ったか聞いてない!!!」
「俺は言ったけどお前がその前にグウグウ寝てたんだろ」
「寝るって分かっててあんな風にしたんでしょ!」
「…まともにそれに引っかかるなよ。それにお前そんなにいつもこだわらないだろ。いいだろ、別に」

シレっと何でもないような顔の尾形さんに、ベッドを転がって悔しがる私を冷めた目で見た尾形さんは、「ていうか、分かりきったことわざわざ言葉にして何が楽しいんだよ」と呆れたようにため息をひとつ。

…昨日の自分のことはすっかり棚に上げているのは置いといて。

『分かりきったこと』ね…と、思わずニンマリ笑いがこみ上げる。
一体何が分かりきったことなんでしょうかね。おそらく、それは私が言ってほしいことなんだろうけれど。
気付かずにそれをついつい言ってしまっていることには、尾形さんはまだ気づいていない。
まあ、今回はこんなところで勘弁してあげようかな、と微笑んで、さりげなく尾形さんの胸に飛び込んだのだった。




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