13

早めに済ませたランチからオフィスに戻る廊下で、同期の友人から声を掛けられた。
「名前!」と、私を呼び駆け寄ってくる友人に手を振り、廊下の端によけて立ち止まる。

「あ、お財布変えたな〜!」と持っていた財布を指差す友人に、「へへへ、ボーナス見越して買い換えちゃった!」と、ジャーン、と顔の前に見せびらかして自慢する。
「いいじゃん!新作!」と誉めてくれる彼女に向かって、「ね、用件あれでしょ?副島さんのとこのご祝儀の集金」と切り出した。

「そうそう。同期みんなでね。聞いてたんだ。私が取りまとめることになっちゃってさぁ〜」と、友人は口を尖らせた。

副島さんは、最近結婚した同期の女性。
婚活に並々ならぬ努力を注いでおり、苦節数年、やっと「これなら良し」の男性を見つけて寿退社することになったのだ。
……その婚活への努力は、仕事に支障をきたすほどであり、散々尻拭いをしてきた同期の間では、祝い事ながら、少し複雑な気分になる人が多いとか、多くないとか。

「1人3000円だっけ?新札用意してきたから今渡すよ」と、財布を開くと、「新札?あんたはエライねぇ」と、肩に手を置く友人に、「ま、一応、ね」と眉を上げて見せる。
「で、これが……せんえんさつ……」と渡そうと札入れを覗くが………無い。ぴったり千円札が3枚、財布から消えている。

「あれ?!ごめ…間違えてどっかで使っちゃったかも!」と焦る私に、友人は手をヒラヒラ振って、「いいよ、いつでも。皆どうせすぐ出してくれないしね。またで!」と微笑んだ。
「ごめーん」と、立ち去る友人の後ろ姿に手を合わせてから、財布をバチンと閉じて、腕を組む。

(あの男……)と、今ごろ財布から抜いたお金でパチンコか競馬にルンルンなステップで向かっているであろう、白石君を想像し、唇を噛み締めたのだった。





白石君は、一応、私の彼氏、兼、ヒモ…というような。そんな感じの、年上の男。
ひょんなことから我が家に住み着くようになったが、たまにフリーターらしきことをしては辞め、しばらく無職を楽しんでは少し働くという繰り返し。

当然、その「狭間」の期間の生活費は私に頼りっぱなし。まあ、家事などは少し手伝ってくれるけど。というか、最近掃除と洗濯はほとんどやってもらってるけど…。

好きになった理由は、自分でもよくわからない。
普段は、年上なのに中学生かと思うくらいのおちゃらけたキャラクターで、軽薄というかダメ人間というか…。
まあ、日々の仕事で疲れた私にとって、そんな人が心地よく感じる瞬間もあったりなんかして。

でも何よりも、ふと、真剣になり頭が回転している瞬間が垣間見れる時があって、その冷たくも感じる表情がとても印象的だった。
この人、一応キャラはキャラって分かってやってる時もあるな、というか。割りきって馬鹿にもピエロにもなれる男だというか。
気障で論理武装しかできないプライドだけの男より、よっぽどカッコいいって思ってしまったのだ。
……こんな風に言うとすごく好きみたいだけど。

それと、浮気は絶対にしないところ。
女性関係だけは、間違いを起こさないと本人も言っているし、それが本当だという直感もある。
……いや、なんだか本当にすごく好きみたいになってしまったけど。





スーパーで夕飯の買い物をして、今日はいつもよりも早めの帰宅。なくなった千円札3枚の件も問い詰めなくては。

鍵を開けて、一歩部屋に入ったところで、ピタリと足を止めた。

(………女の声がする)

…こういうことは、これまではなかった。
本人も浮気はしないと言っていたし、実際に長い付き合いでもそんな気配を感じたことはない。
まさか、という予感で心臓がぎゅうっと縮まって、予想以上に焦っている自分に、自分でもビックリしていた。

そっとスーパーの袋を床に置いて、リビングに続くドアに近づいて耳をすませ…思わず唇を噛みしめた。聞こえるのは女の矯声。

…百歩譲って浮気するとして、ウチに連れ込むって何?!しかも、私のウチに。

リビングのドアにそっと手を掛けて、一呼吸ついてから、思い切りドアを開ける。

「白石くん!!何やってんの?!」

と、開け放ったドアから見えた光景は、リビングのソファに座る白石君…と……テレビの中で喘ぐナース姿の女性。

ズボンと下着を膝までずらした白石君の、その左手は、今まさにテーブルの上のティッシュを引き抜こうとするところ。

静止する時間の中で、大袈裟なナースの喘ぎ声だけがこだまして、数秒後、「やあああッ見ちゃダメえええ!」と叫び声を上げた白石君がソファから転げ落ちながらズボンを上げる。

脱力して床に膝をつく私の心の中は、呆れが49パーセント、安堵が51パーセント。
彼のこんな姿を見てもなお、浮気じゃなかった、とホッとしてしまった自分に、また脱力。

「名前チャン〜違うんだよ〜これは…」と両手を合わせてまとわりついてくる白石君をかわしながら、そばに落ちていたDVDのパッケージを手に取ると、「女の子がそんなの見ちゃダメぇ!」と奪い取ろうとする白石君をジロリと睨み付けて、パッケージのコピーを読み上げた。

「白衣の天使をムリヤリ…「やああッ!そんなの声に出して読まないでよ!」と、途中で奪い返したDVDをカバンにしまう白石君。

「……ナースねぇ」と、ただそれだけ呟いた私の言葉のトーンにビクッと固まる白石君が、「これは別腹ってやつなの…名前チャンは特別!ねっ?!本物の女の子と浮気はしてないから!」と両手を合わせて許しを乞うた。

「別に、男の人なら、しょうがないけど」と努めて冷静に振る舞う私を「…ホントに?」と人差し指をツンツン合わせながら上目遣いで聞いてくる白石くんに、「うん、ほんとに。この件はこれで終わりね」と微笑んで言うと、白石くんは「名前チャン!!」とほっとしたかのように抱きついてきた。

そんな白石君を、「次は、お財布から3000円抜いた件だけど」と横目でチラッと見ると、サーっと青くなり何とも言えない顔になる。

「もう!あれご祝儀のための新札だったんだよ!何で勝手に財布からとるのよ!何に使ったのよ!」と、詰め寄ると、白石くんは「……ナースのビデオ」と舌をペロッと出す。

こいつ…。

……グツグツと、沸騰しそうな心のビーカーに小石をを投げ入れて怒りを抑え込んだ。なんだっけ、コレ。理科の授業で習ったやつ。
沸騰石だ。突沸を防ぐやつ……と違うことを考えて必死に怒りを抑える私に、「……あと、他のビデオ」との言葉が飛んできて、あっけなく沸騰。

ガバッと白石くんのリュックに手を伸ばして中を探ると、出るわ出るわ。ナースに始まり女教師、人妻…シチュエーションも過激なものばかり。
「白石君!!」と怒鳴り付けると、わあぁ!と頭を抱えて床にしゃがみこむ姿はなんとも情けない。
結局、お説教は少し長めになり、夕飯の時間も遅れたのだった。



夕食後は、今日の行いの罰として、普段私が担当しているお皿洗いを白石君に任せて、自分はゆっくりお風呂に。

湯船に顎まで浸かって、ぼんやりと今日のことを考える。
正直、ショックだった。それは、お財布でも浮気疑惑でもなく、DVDが。ああいうやつ、どうしても見たくなるくらい、満足してないのかな、なんて。

男にとって排泄としてあのような処理が必要なのは分かっている。だけど、私は一年くらい前から不安に思っていたのだ。白石君は、私とのセックスを本当にしたくてしてるのか、と。

白石君のセックスは、その普段のキャラクターからは想像できないくらい、丁寧で優しくて、男らしい。私の嫌がることは絶対にしないし、ゆっくりゆっくり時間をかけて、甘い言葉を囁いて私を満足させてくれる。こんな風にお説教したり、喧嘩したりしたときは、特にそうだ。
そこに、白石君の意思はあるのか、と思ってしまう。私に養われているから、その代わりに優しくしているだけなのでは?と。

心の中の靄が、いつまでも取れないのに、別れは切り出せない。優しくされればされるほど、深まる不信感。
どうしようもないこの感情を、当然ヒモなんてもののいない友人に相談できるわけもなく、私は1人でずっと抱えてきたのだった。



お風呂から出て、髪を乾かしてからリビングに向かうと、白石くんによりピカピカに掃除されたキッチンが目に入る。
口を尖らせて拗ねたようにそれを横目で見ながら通りすぎようとすると、リビングでテレビを見ていた白石君が、「名前チャン!この番組面白いよ。一緒に見ようー!」と手招きした。

「……いい。今日はもう寝る」と言って、えーっ?と残念そうな白石君の声を背中に受けながら寝室に向かい、ベッドにばたんと倒れ込んだ。

……なんか、磨り減ってる。身体も、心も。

仰向けになって、枕を抱えて目をつぶるとそのまま意識が薄くなっていき、ふっと、眠りに落ちたと思ったら、ガチャンと寝室のドアが開く音で目が覚めた。

寝室に入ってきた白石君は、お風呂上がりのパンツ一枚。目が合うと、やだー。見ないでぇ?なんて下を押さえてふざけている。
返事なんてせずに、拗ねて身体を反転させてそっぽを向くと、そのままベッドに飛び乗って横に寝転がってきた白石君が私を後ろから抱き締めた。

「名前ちゃん……今日、俺、寸止めさせられたからさ……辛い…」と、半分起きあがったソレを後ろから私の太股に押し付けた。
「…名前ちゃんとシたいよぉ」と甘えて、私の耳をカリッと軽く噛む。

…やっぱり。
それは今日、私に怒られたから?それを挽回するため?
ふつふつと、沸く苛立ちが水面に小さな泡になって現れる。

息を少しだけ早めながら、「…ね、…しよ?」と切なげに言う白石君に、妖しげな笑顔で笑いかけた。

「……いいよ」

パジャマのボタンに手を掛けて、上から1つずつ外していく私の顔を、赤くした頬で見ていた白石君が、たまらないように私に覆い被さって、優しく唇を押しつける。

さあ、あなたの「お給料分のお仕事」とやらを、見せてみて?
その査定は今日。クビになるのか昇進するのか、決めてあげる。

ズキンと痛む胸は私の覚悟の表れでもあった。
私はあなたのこと…嫌いじゃない。あなたがどう思ってるのか、教えて。

キスを深めながら横に伸ばされた白石君の右手が、サイドテーブルの灯りを、そっと消した。

続く。

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