中也さんの後輩、というか部下になってから暫く経つ。組織に入ってからの教育係がただ単に中也さんであったから知り合った仲だが、これがなんとまあボスにも好評のなかなかの名コンビになってしまって、組織を抜けたらお笑い芸人になりたいと思っていた私には早い時期に相方候補が見つかって有難い話である。

そう、決してお互いの異能力の相性が良いとか、戦闘でのコンビネーションが抜群などという名コンビではなく、掛け合いの方での名コンビ。いつか組織を抜けたら一緒にお笑い芸人になりましょうね、と言ったら運転している中也さんに鼻で笑われたのは、初めて中也さんの助手席で爆睡をした日のことだった。その日は通算352回目のデコピンを喰らった記念すべき日でもある。

と、まあ、教育課程を全て修了した私のその後の行き場は、ボスの一言でそのまま中也さんの補佐になったのだ。今日もこうして、高層ビルたちが模型に見えてしまうほどの部屋で、中也さんの仕事の補助、主に珈琲を淹れたり、スケジュール管理をしたり、書類の整理を行ったりしている。


「悪い、これも追加で頼む」
「あい、お任せください」
「おう、悪いな」
「次はどちらの書類で、って中也さんこの量いつまででしょう」


バサリ、と置かれた書類の束を見て、血の気が引く。中也さんの目を見ようとすると、申し訳なさそうに、顔をそらしながら、明日までだな、と呟く中也さん。私は机に右頬をペタリとくっつけた。最近デスクワークが多すぎて目と肩と腰が限界を迎えている気がする。中也さんも目頭を押さえて険しいお顔をなさることが多くなった。盗撮をしているのでいつかお金に困ったら売ろうと思う。


「無理ですよ!中也さん!あーもー!仕事おわんない!」
「知るか!うるせぇ!仕事だ。やれ」
「休憩頂きまーす」
「なっ!どこいくんだ手前ェ!」
「息抜きでーす」


仕事の効率が下がってきていることは自分がよくわかる。こういう時は甘いものと癒しを求めてリフレッシュ!OLになった気分で小さなバッグを手に、中也さんの怒声をBGMに休憩のプランを頭で練る。まずは裏庭に行って日当たりの良い場所でお弁当を食べよう。それから、怒っている中也さんを宥めるために何かお土産を用意しよう。うん。完璧な計画である。

却説、長い長いエレベーターの時間を酔わない為に上を向きながら下へ向かえば、一階に着く頃にはすっかり首が痛くなっていた。裏庭へ向かうと、見慣れた砂色の背中を視界が捉えた。普段は広く大きい背中を、今は小さく丸めてなにやら作業をしているようだ。気配を消して砂色の外套に思い切り突進を試みるが、それは失敗に終わった。

私が駆け出したと同時に、振り返って立ち上がったからだ。そのままお腹に抱きつく形で抱擁を求めれば、動じずすんなり受け入れられた。ほんのり煙草の匂いが残るシャツに、右頬をピタリとくっつければ、無機質な机の冷たさとは正反対の、人間の温かさが感じられた。砂色の彼は、私を受け止めると、不思議そうに顔を覗き込んだ。


「織田作さーん!」
「名前、どうかしたのか」


驚いた、という台詞に、それは絶対嘘だ、と言わんばかりの視線を砂色の外套を纏った彼、すなわち織田作さんと慕う人物に向ければ、またも不思議そうに首を傾げられた。

織田作さん。織田作之助。人を殺さないマフィア。

彼は太宰さんと仲が良く、太宰さんと歩いていると、織田作さんを見つけた太宰さんがよく人間らしい表情をして雑談を始めるから、私の中で織田作さんと太宰さんは親しい友人だと認識している。

私が織田作さんと仲良くなったのは、太宰さんのお喋りのおかげであった。二人の関係性に羨ましさを感じていた私にはそれはとても嬉しいことだった。織田作さんの話は太宰さんからしつこい程に聞いていたから一方的に知っており、同時に織田作さんも私の話を太宰さんから聞いていたので、私が織田作さんに、しどろもどろに話しかけたら、織田作さんは丁寧なほどに私の話をよく聞いてくれて、その優しさと包容力に秒で懐いたというわけだ。

後日、織田作さんの私に対する認識が酷いものであったというのは太宰さん本人の口から聞かされた。全て太宰さんのせいである。三日間口を聞かず、痺れを切らした太宰さんが織田作さんにお願いして仲直りの手伝いをさせたことは私の中で面白い話第三位くらいの出来事だ。


「織田作さん、もうお仕事したくないです、匿ってください」
「そうか。名前はお疲れなんだな。」
「休憩中なんですけど、このままどっか行きたいです」
「どんなところへ?」
「オランダかなあ」
「チューリップの花が綺麗に咲いていると聞いたことがある」
「一緒に観に行きましょう」
「ああ、いいな。いつか行こう」


私の突拍子もない発言に対しても織田作さんはいつも真摯に返してくれる。人はそれを、冗談が通じないなんて言い方をするけれど、いつも中也さんにくだらねえと一蹴されてしまう私には織田作さんの包容力がとても有難いのだ。

少し強めの風が吹いて、織田作さんの砂色のコートがはためいた。何かが足元にぶつかった。視線を下に移すと、そこには空の段ボール箱があり、織田作さんが済まない、と持ち上げた。


「織田作さん、何してたんですか?」


至極真っ当な質問である。織田作さんは表情を変えることなく、ああ、と辺りを見渡しながら答えをくれた。


「家を作っていた。」
「家?」
「そうだ。こいつの家だな」


織田作さんがほんの少し目を細めて斜め後ろを見たので、私も習って同じ方向を見る。見つける前にどこからか聞こえた、気の抜けたニャァという、鳴き声。織田作さんの足元に満足そうに頬を寄せる柔らかそうな茶色の毛を纏った生き物。


「猫ぉぉぉぉぉ!!!!!」
「ああ、そうだ、猫だ」


織田作さんがひょいと持ち上げて、私の腕に乗せてくれた。あったかくて少し重たい猫に私は釘付けになった。


「朝から迷い猫探しの仕事をしていたのだが、飼い主が蒸発していてな。太宰に相談したら家を作ると良いとアドバイスを貰ったんだ」
「うっへえええええ可愛すぎますねこのにゃんこおお」
「猫が好きなのか」
「好きか嫌いかで言ったら好きですね!それもかなり好きですね!織田作さん、この猫どうするんですか?」
「家を作った後は…却説、どうしたらいいのか」


私の腕の中の猫が眠そうに目を細めるのを見て、織田作さんは何時もよりも優しそうな顔をして大きな手を猫の頭の上で何回か往復させた。


「なかなか癒されるな」
「ですよねー可愛すぎますよにゃんこ。あ、そうだ」


我ながら、良いことを閃いてしまった。
猫は私達の空気を和まし平和にしてくれている。この空気を一番、今、必要に、している人が私の近くにいるではないか!


「織田作さん!」
「どうした?」
「こちらのにゃんこ!少しお借りします!」
「何をするんだ?」


織田作さんの質問に対してニヤリと笑って私は駆け出す。早くあの人のもとに連れて行かねば!私はなんて心優しい人間なのだろうか!素晴らしい!


来た順路を辿って重い扉を片手で3回ノックそして失礼しますと元気な声で挨拶!そして差し出すにゃんこ!


「失礼します!中也さん!」
「おー、戻ったか名前、ありえねえ手前にありえねえくらいの仕事増やして待っててやったから感謝しろよ…って、お前何持ってんだ」
「にゃんこです!」
「見りゃわかるわ!!なんで猫持ってんだ!」
「日頃お疲れの中也さんに癒しを、と思いまして!」
「誰のせいで!疲れてると!思ってんだ手前は!!!」
「私ですね」
「良い度胸してんじゃねーか…よし、とりあえず猫を寄越せ」
「はい」
「よし。次は面貸せ」
「えっ。ちゅーはセクハラですよ」
「誰がするか!!!」


カツカツと高そうな靴を鳴らしながら近づいた中也さんが、片手に猫を抱えた状態で、もう片方の手で私の頬を思い切り横に引っ張った。


「いだだだだだ中也さんいだだだだだ」
「おーおーよく伸びる頬だなァ餅かァ?
「きな粉がいいですアヒャァいだだだだだ異能ずるいです」
「莫ァ迦、使ってねェよ」


中也さんの手の中でにゃんこがニャァンとご機嫌そうに鳴いた。漸く解放された頬をさすりながら中也さんを見れば、怒っているようで猫をしっかり抱いているのでどうやらこれで勘弁してくれるらしい。異能を使われたら私の頬は完璧に煮詰めすぎた餅だ。有難う、にゃんこよ。そして織田作さん。早急に人事異動の希望を出そうと思う。


170604