幸村先輩はとてもかっこ良くて優しくて人としても男の人としても完璧な人だと思う。

そう言ったら目の前で紙パックのオレンジジュースをズズッと切原くんがお下品に飲み干してぐしゃっと握り潰した。その顔はとてもゆがんでいた。まるで手の中の紙パックみたい。

「ええ、お前、マジで言ってんの?」
「うん。どうして」
「幸村部長は怖いって。本当。」
「それは真田先輩じゃない?」
「そーそー!真田先輩はすっげー怖い!俺なんていっつも怒られてんの!」
「それは知ってる」

笑いながら言えば切原くんはさっきまでのゆがんだ顔を笑顔に変えて真田先輩とのエピソードをいろいろな表情で話し始めた。顔はしかめっ面だけど何処か嬉しそうで何だか父と息子みたいな関係だなあとぼんやりと眺める。

「あっそれ書き終わったんなら俺出しに行ってくるわ!」
「ありがとう」
「そのまま部活行くからまた明日な!」
「うん、行ってらっしゃい、がんばってね」

私の書き終えた日誌を持ってパタパタと教室を出て行った切原くん。書くのが苦手という彼は日直の仕事をこういうところで助けてくれる。テニスをしている切原くんは怖いって聞くけどクラスメイトの切原くんはとても明るくて困った時に助けてくれるムードメーカーだ。

んん、と背伸びをしてペンケースにシャーペンや消しゴムを戻して帰り支度を始める。テニスコートからボールを打つ音や声が聞こえる。いつも騒がしい教室に一人だと様々な音が聞こえてきて楽しい。吹奏楽部のチューニングの音、楽しそうな笑い声、応援、歓声、どこから流れてくるピアノの音。廊下から聞こえてくる足音。

ぼんやりと外を眺めて居たらガラガラと教室のドアが開かれる音がして体が飛び跳ねた。ドアを振り返ると、テニス部のユニフォームを着た幸村先輩が、あれ?と教室を見ていた。驚きと恥ずかしさで居心地が悪い。

「ごめんね、赤也を探しに来たんだ」
「あ、切原くんなら、日誌を届けに…」

ドキドキした心臓を押さえながら幸村先輩に伝えると、そうか、ありがとう。と教室のドアを閉めて翻して行った。緊張した。ほんの少しの時間だったがとても長い時間に感じた。幸村先輩と話したのは二度目だ。階段を降りてくる先輩と、昇って行く私がすれ違った時に先輩が落としたペンを私が拾って渡した時。先輩は今みたいに綺麗な声でありがとう、と言った。その時の優しい笑顔が忘れられなくて、きゅん、ってこういうことを言うんだな、って思った。


「あー!幸村部長ー!何してるんですかここ二年の棟っすよー!」
「うん、だからお前を探しに来たんだよ」
「えっ、…お迎えってやつっすか!?」
「まあそうだね。なかなか来ないからもしかしたら寝てるかもしれないと思ってね」
「寝てないっすよー!そんなヘマしないっすよ!」
「はいはい、ほら、行くよ。今日は俺と打ち合いしようか」
「えっマジ!?いいんすか!?やったー!ちょっと待っててください!俺忘れもんしたんで取ってくるっす!」


ガラガラと荒々しくドアが開かれた。廊下で聞こえてきた会話と、先ほどの先輩のドアの開き方との差に思わず吹き出した。教室に入ってきた切原くんが目をまんまるくした顔で何笑ってんだ?と聞いてきたから、余計おかしくなってしまった。

「だって、切原くん、さっき幸村部長は怖い、って、言ってたのに、今すごく嬉しそう」
「な、そんなわけねーだろ!?」
「えー赤也そんなこと言ってたの?それは傷つくなあ」

幸村部長がひょこっとドアの向こうから教室を覗いて切原くんをからかい始めた。初めの方は必死で弁解していたけどだんだんボロが出てきて結局最後はだってだってを繰り返す子供みたいになってしまって、それを見て幸村先輩は爆笑していた。初めて見る幸村先輩の爆笑。顔をぐしゃっとして笑うその顔は幸せに満ちていた。


「あーもー!今日こそ俺が勝つんで覚悟しておいてくださいっすよ!部長!!」


結局口論で勝てなくなった切原くんは荒々しくバタバタと走って行った。幸村部長はうっすら浮かんだ涙を拭って、あー本当に見ていて飽きないなあ、と呟いた。


「騒がしくてごめんね」
「あ、いえ」
「赤也はさ、からかうと面白いからついいじめてしまうんだ」


はあ、とまだ少し潤んでいる瞳を細めながら切原くんの忘れ物、テニスシューズの入った袋を持って、困った奴だな、本当に。とこれまた楽しそうに笑った。そして、私に、俺ってそんなに怖いかなあ?と眉を下げて言ってきた。びっくりしてうまく声が出なかったけれど必死に否定をする。


「切原くん、いつも、また負けたって悔しそうに、でも楽しそうに、話してますよ。怖いって言ったのは、きっと好きの裏返しみたいなものかと」


そう言うと幸村先輩はニヤリと口角を上げて悪戯っ子みたいに、へぇ、と笑った。ころころ変わる表情は切原くんだけではなくて幸村先輩も同じだった。


「君は赤也をよく見てくれてるんだね。ペンを拾ってくれた時から優しい子だなと思っていたけれど何だか嬉しいなあ」
「…え、覚えててくれていたんですか?」


まさか、あの、一瞬の出来事を覚えていたのは私だけじゃなかったなんて。きゅん、と胸がときめいた。記憶力が良いのだろう。それでも私にとって特別な思い出だったから嬉しい。顔が緩んでしまう。幸村先輩は微笑んでまた綺麗な声で笑ってくれた。


「もちろん。優しくて綺麗に笑う子だなって思っていたよ」

夕日に照らされた幸村先輩が眩しくて直視できなくて、私の顔は秋だというのに真夏の太陽のように熱くなってしまった。


幸村先輩はとてもかっこ良くて優しくて人としても男の人としても完璧な人。そしてお茶目で少し意地悪でとても綺麗に笑う人だ。


20151008
title by ゼロの感情。