宿題はすき焼きの前に
「奥村、そっちはまだなんか?」
「まだ、半分しか進ンデマセン」
「お前どんだけっ・・・もうええ、ゆっくりでええから自分でやれ。待ってるから」
「お、おう」
夏休み終盤、燐は夏休みの宿題という悪魔と戦っていた。
候補生としての任務や合宿があるからといって、学校の宿題が免除されるわけではない。
それどころか、祓魔塾の課題がある。
机に向かうことが苦手な燐がその二つを順調に進めれるはずがなく、もうすぐ学校が始まるというのに全く手つかずの宿題を今やっている。
その宿題になぜ勝呂が付き合っているかというと、話は1時間ほど前に遡る。
「お、終わった〜…」
「やっとできたの?お疲れ様」
「課題多すぎなんだよ」
「文句言わない。祓魔師になる為でしょ?」
「お前はいいよな〜。課題なくて」
「『どの程度の課題を出したら奥村くんが逃げずにやりきってくれるか』考えながら課題を作ることはしてるけどね」
「う゛っ」
「それより兄さん、課題は終わったの見たけど、学校の宿題は終わらせたの?」
「……えっ?しゅくだい?」
「やって…ないね?はぁ〜…いいから全部出して」
言われてまっさらな宿題の束を机に並べると、顔を引きつらせた雪男が大きなため息をついた。
「なんで、言われるまで何もやってないの?」
「い、いや〜これには深い理由が…祓魔師になるために塾の課題を優先したらこういうことに」
「学校が始まるまで一週間とないんだよ?兄さんの学力と気力を考慮すると、寝る余裕ないよ。とにかく片付けれそうなものから始めて」
『今、課題終わったのに』という愚痴をこぼしながら、積まれた宿題をぱらぱらと捲る燐。
その時狙ったかのように雪男に緊急招集が掛かかり、雪男は宿題の監視役として勝呂に電話を入れたのだった。
燐と勝呂は京都の一件以来、随分と仲良くなった。勿論、友人として…と雪男は思いたいと思っているが、実際は恋人関係になっている。
普段ならば、自分の管理の元やらせたいところだけれど、期限が迫っている以上、そうも言ってられない。
電話を終えると足早に任務に出かけた雪男と入れ違いに、勝呂がやってきた。
詳細を聞いて燐の宿題に付き合うが、そこで宿題依然に燐に大きな問題があることに再確認した。
「勝呂、この漢字なに?」
「ゆうかい」
「これは?」
「ふってん」
「これは?」
「あー、イライラするっ!!なんでそんなに小学校レベルのこともわからへんねん!」
学期末の追試合宿でもそうだったけれど、燐は小学校レベルの勉強もできない。
問題を解くにしても、その問題の漢字が分からないから、問題の意味すら分からない。
学期末の追試合宿の悪夢が蘇った瞬間だった。
「もうええ、今まで学校サボっていたツケや。自分で払え。漢字辞書なんて持ってへんやろうし、俺の貸してやるからわからん漢字は片っ端から調べぇ」
「かんじ、じしょ?」
「…その分やと、辞書の引き方も知らんようやな」
勝呂が大きいため息をついて、燐にわかるようにゆっくりと辞書の使い方を伝授した。
その後、全ての宿題を読ませて、わからない漢字には全てふりがなを自分で打たせている。
勝呂はその間、燐の宿題を読んで、どう教えたら燐に伝わるかを思案している。
なにせ、勝呂は雪男と同じ特進科。
普通科とは授業も違うし、教科書や参考書も違う。もちろん宿題だって違うわけだ。
小学生レベルにも達しきれていない知識で、これだけの宿題を終わらせなければならないのだから、時間がかかるのは容易にわかる。
加えて、自分が24時間付きっきりで教えれるわけではなく、寮の門限までには帰らなければならず、明日、また朝から来たとしてもその間は燐一人で進めれるようにしておく必要があった。
燐のレベルに落として、問題の要点とヒントを自前のルーズリーフに書き出していく。
しゃらしゃらと紙が擦れる音、さらさらとペンが動く音だけが響く部屋にぷすぷすと不可解な音がする。
ふと勝呂が視線を上げると、真向かいに座っている燐の頭から湯気が立ち込めていた。
どうやら、燐の集中リミットが来たようだ。
こんなに短いスパンで集中が切れる様であれば、これだけの宿題を片付けることは難しい。
学期末の追試では、雪男が鬼化して無理やり勉強させていたが、勉強というものは元来自分の為にするものであって、誰かに強制されてするものではない。
志摩にも同様なことを言えるのだけど、自発的に勉強に取り組んで欲しいと思う。
志摩よりも重症な燐だけれど、志摩は面倒臭いことが大嫌いで、その対象に勉強があるからしない。
燐は面倒だからしないというよりも、勉強が分からないから苦痛に感じてしたくないという方だ。
勉強がわかってきたらきっと自分から勉強に取り組んでくれるんじゃないかと勝呂は思った。
「奥村、とりあず今はその振り仮名づけに専念せい。ほんで今、宿題を解説したやつ書いてるからこれを参考にして出来る所は埋めときぃ。よう出来てたら御褒美あげるわ」
「え?ごほうび?」
「せやな…まず宿題を学校始まるまでに終わらせれたら、お前の好きなすき焼きでもどないや?実家から取り寄せたるわ」
「か、関西風のすき焼きか!?」
「砂糖と醤油、大量に使うから用意しときや。あ、そや」
勝呂はいい案を思いついた。
「俺が言った分をしっかりやっとったら、具材を追加していこか?今日はとりあえず九条ネギや」
「くじょう…ねぎ?あの京野菜ってやつか?」
「普通のネギと違ごうて、肉厚で上手いで」
「ほ、ほんとうかぁ?!」
燐が食いついてきたのを見て勝呂はニヤっと笑った。
「お麩は創業300年以上続くお麩とゆばで有名な名店のもんを使こてる。これを二日目の御褒美」
「300年!?それだけで高級そうだな、おい」
「京都は豆腐でも有名って知ってるか?」
「あ、なんか江戸時代に『東は江戸 西は京都』と言われて言われてたんだっけ?」
「妙な所で知識あるんやなお前」
「昔、料理本で読んだ」
「そうか。まぁ、その豆腐やねんけどウチの料理長が吟味して選んだ肌触りが最高で味が濃くて上手いもン使こてんねん。これは三日目の御褒美やな」
「すげぇ、うまそー!!」
「四日目は、他の具材や。地元に拘ってるけどこれらは全部京都っちゅうわけにはあかんからなぁ。でもどれも選りすぐりやで」
「仕出しうまかったもんなー。勝呂ん所の料理長のセンスはわかってる!」
「最後に肉。丹波から取り寄せてる丹波牛や。出来具合によっちゃ、量を変えたるからしっかり励みぃや」
「そ、それって肉が増えるかもしれないってことか?」
「ちゃんとやればな。けど、やらへんかったらゼロってこともあるんや。気ぃ入れてなお前の学力じゃ最初の九条ネギすら…」
「やる!めっちゃ頑張る!!サンキュー勝呂!!肉だ!肉っ!!!」
「食うことばっか考えんと、キリキリこなしていきやぁ」
「おお!!」
先程のまで頭から出ていた湯気はどこへ行ったやら、張り切って辞書を引く燐に勝呂は眉を下げた。
『御褒美の為に勉強するっていうんも、ほんまはどうかと思うんやけど…』
惚れた弱みという所なのだろうか、燐が嬉しそうな顔をするとつい甘やかしたくなる。
そうして燐が御褒美にちゃんとあり付けるように、
答えを避けてルーズリーフにヒントを書き連ねていった。
夏休み明け実力テスト前に、旅館に卸している漬物で釣ったのは、また別のお話。
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すき焼き食べたくなってきた…。