7

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 そんな日がしばらく続いた。もちろん、挨拶したくらいで何かが変わるわけではない。当たり前のように、机は汚されるし、教科書だってうっかり忘れたら破られる。靴だって、もうスリッパが当たり前になってしまった。
 無視はされるし、知らない人からの陰口もあるけれど、けど、それでも、西園が助けてくれたから、頑張れた。
 西園は、ちょっと怖面だから、校内だと少し怖がられているのか少なくとも、一緒に歩いているときは、突然後ろから叩かれたり、なんてことはなくなった。
 それと同時に、少しずつ、嫌がらせも減ってきた。

「おい小波、お前教科書ないならこれやるよ。家にあったから」
「これは、西園の教科書……」
「俺は使わねえからいい。テストん時は教えて」
「……うん、わ、わかった」

 そして、いつの間にか、西園は僕の隣の席に移動していた。勝手に、というよりも、西園の席と、僕の隣の席に居た人で交換したらしい。僕の隣の席の人が、視力が悪いから、という理由みたいだけど、本当は、違うのかもしれない。
 いけないことだけど、僕は内心ほっとしていた。また、隣が西園でよかった。先生に咎められはしたけど、結局その理由で押し通してしまった西園はすごいと思う。
 勿論、クラスの人にも、少しずつ話しかけるようには努力してる。基本的に無視されるけど、それでも、一度話してしまえば、あとは楽だった。
 ずっと喋らないでいるよりも、喋った方がいいのかも、とすら思ってしまった。
 化野にも、少しずつ話しかけるようにはしようと思っているけど、中々その機会が得られずに時間は過ぎていく。
 そんな、ある日のことだった。

 放課後、突然化野からラインがきた。
 ピコン、と音を立てたそれは、西園からかと思えば、前までは散々見続けてきた、化野からのラインだった。
 【一人で教室まで来て】
 という、シンプルなメッセージに、僕の心臓がどきりと跳ねた。
 突然、どうしたんだろう。連絡先なんて、もうとっくに削除されたものかと思っていたのに。
 西園に話すと、何か思い悩んでいるような顔をしていたので、行くべきかどうか迷ったけれど、これは、化野がくれたチャンスなのかもしれないと思うと、無碍に断ることもできなかった。
 もう帰ろうとしていた所だったけど、僕はやっぱり行くことにした。

「行くの?」
「うん……、話したいこととか、あるし」
「わかった。……まあ、なんかあったら連絡しろよ、ここで待ってるから、一緒に帰ろうぜ」
「うん」
「遅かったら行くわ」
「うん」

 少し心配そうな様相の西園に返事をして、僕は化野の待つ教室へと向かった。
 ちなみに、あの日から、西園は化野達と話をしていないらしい。
 それは、やっぱり僕が原因なんだと思う。すごく、申し訳なかったし、何度も西園に謝った。僕のせいで西園が孤立するくらいなら、僕は一人で頑張れる。西園が背中を押してくれたから、一人でもやってみる、そう言ったけど、西園は「気にするな、俺の勝手だし」と譲らなかった。
 ありがたいな、と思う反面、申し訳なかった。
  ……どうして、こうなっちゃったんだろう。あの日、僕があんなことを聞かなければよかったのかな。
 そうすれば、西園と化野は、今も友達同士で、いつも通り、楽しく高校生活を送れてたのに、僕が壊してしまった。西園と化野だけじゃない。きっと、佐々木と井上だって、居心地が悪いんじゃないだろうか。
 皆のことを考えると、暗い気持ちになるけれど、僕はその頭を振って、考え直す。
 ……いや、西園が協力してくれているんだから、最後までやり通さないと!
 それが、僕の西園に対する誠意だ。そうだ、僕は変わるんだ。
 今までの自分を変えて、もっと普通の、どこにでもいるような……。

「……あ、化野、お待たせ……!」

 どこにでも居るような、男子高校生になって、普通の友達になりたい。そう、思ったのに。

「あー、小波くん、見てこれ」
「…………っ」

 黒板に貼られていた貼り紙には、いつかの用具倉庫の時の僕の写真が貼り付けられていた。

「…………え…………」

 ひゅ、と喉の奥から空気が漏れ、僕はお面の奥で表情を凍り付かせた。放課後の教室は、とても静かで、教室内には化野しか居なかった。
 黒板に貼られたA3サイズのコピー用紙に映る写真は、ほぼ全裸で、顔にお面はしているものの、いやしているからこそ、僕だとわかった。
 局部までばっちりと映っている写真は、引き延ばされ、でかでかと黒板に何枚も貼られていた。
 横には『小波くんの援交用ヌード写真』と矢印が引かれて書かれていた。他にも、『パパ活中』とか『中出しOK』とか、口に出すのも憚られるような、卑猥な単語が貼り紙を囲むようにして書かれていた。
「やばくね?」
「…………っ!」

 一瞬硬直してしまったものの、僕は化野の言葉で我に返り、すぐに走ってその紙を剥がした。貼られている物、全て剥がして、ぐしゃぐしゃに丸めて、息を吐いた。
 し、深呼吸、しないと、ああでも、苦しい。お面つけてるせいかな……。心臓の音が、頭に直接響いているみたいに、どくどくとうるさかった。頭の奥で、耳鳴りみたいなものが鳴っている。
 何、これ?
 指先が冷え、紙を丸める手先が震えていた。しわくちゃになった紙の塊から、未だに写真が見えている。薄暗闇の中、フラッシュを焚かれて撮された写真は、返って怪しく見えた。
 ……動画は、消すって言ってたはずだけど、約束なんて、してなかった。コレはあの時の写真で、ここには化野しか居なくて。
 『お前がやられてるのだって、大志が指示してるかもしれねえじゃん』
 どくどくと、心臓の音がどんどんうるさくなる。西園の言葉が蘇り、僕はわからなくなってしまった。そうなのかな。化野が、本当にこんなことをしているのかな。
 僕は、そんなにも化野を怒らせてしまったんだろうか。
 だったら、最初から、関わらない方がよかった。じわりと目頭が熱くなる。化野がゆっくりと僕に近づいてくる気配がした。俯いていた僕に、化野の影が近くなる。

「大丈夫? 小波くん」
「…………っ」
「なんか、ヤバいの貼られてたからさー、誰かに見られる前に教えてあげようと思って」
「…………え……」

 気の毒そうな顔をして化野が言う。僕は手の中の紙を握りしめて、化野を見た。

「あ、これ、化野が貼ったとか、じゃ……」
「俺? なんで? 違うけど」

 きょとんとした様子で、化野は言った。そこには、他意も含みも何もない。ただ、当たり前のことを言っているように、化野は続けた。

「なんかさあ、これ言ったらあれかもだけど、ぶっちゃけ小波くんいじめられてるじゃん? 俺、ずっと可哀想だなって思ってたんだけど、急に俺が口挟んでも、反感買うっしょ。だから黙ってたんだけど、これは流石になーって思って……、だから呼んだの」
「…………そ、そう、なんだ……」

 化野じゃ、ない。
 これをしたのは、化野じゃない。化野は、貼られているのを見たから、僕を呼んでくれただけ。
 本当に?
 疑念が僕の中に湧き上がる。でも、確かにこれを貼ったのが化野なら、僕をここに呼ぶ意味なんてない。このまま明日を待って、この写真をクラス中に見せて笑いものにすればいいんだから。そんな辱めは受けたくなかったから、助かったけど……。
 黙り込んでしまった僕に体して、化野が気遣わしげに言った。

「大丈夫? 顔見えねえからよくわかんないけど、具合悪そうだけど」
「う、ん……」

 大丈夫じゃない。大丈夫じゃないけど……。青ざめて居るであろう顔を、お面越しに抑えた。
 それから、僕はもう一度化野を見る。今日は、何のお面をつけていない。僕と同じ狐面すらも、つけていない。

「……ほ、本当に……」
「ん?」
「ほんとに、あ、化野がやったんじゃ、ないんだよね……」
「だから、そうだって。あー……何、俺、小波くんに疑われてる?」
「! ……そういうわけじゃ、なくて……ご、ごめん、せっかく、教えてくれたのに……」
「いいけどさ別に。んじゃね、俺帰るわ」
「あ……っ!」

 僕は慌てて、化野の制服を掴んだ。化野は、僕を振り返り、何?と問いかけてくる。
 言葉に詰まった。どうして、僕は化野を呼び止めたんだろう。そうだ、僕はここに来るまで、また、友達になりたいって言おうと思ってて、でも、教室に入った瞬間、そんな言葉も吹っ飛んで……。
 だけど、今言わないと、もう化野と仲直りなんて出来なくなる気がした。
 そうだよね、疑うのは、よくないことだ。化野がしてないと言ったなら、僕はそれを信じればいい。騙されて傷つくより、疑って本当だったとき、僕が傷つけてしまうかもしれない。

「……小波くん、手、離してくんない?」
「ぼ、ぼく……」
「ん?」
「化野と……とっ、友達に、な、なりたく、て……」

 震える声で、絞り出した。
 化野が、目を丸くして僕を見た。
 タイミング、間違えたかな。頬に赤みが差した。もっとあったかもしれないのに、このタイミングでこの発言はおかしいかも、と思ったけれど、口に出した後に考えたところでもう遅い。
 断られる、と思ったけれど、化野は、一瞬きょとんとしたのち、小さく吹き出す。

「マジ? うれしー、ありがとね小波くん!」
「……え……?」
「や、俺小波くんに嫌われてんのかと思ったからさあ」
「え、あ、その……」
「お友達ね、オッケーオッケー! したら俺も、こういうの、見つけたら止められるし、俺の友達いじめんなよっつって? ははは〜」
「あ、あの、変なことしない友達……だよね?」
「ん? 何変なことって」

 化野の問いに、僕は再び言葉を詰まらせた。この化野は、記憶喪失にでもあっているんだろうか。それとも、化野の中で、今までのことはなかったことにでもなっているのかな。

「キ、キス、とかしない……やつ……」

 僕の言葉に、化野が吹き出した。

「ははっ、何ソレ、当たり前じゃん! 小波くん友達とチュウすんの?」
「……う、ううん……! しない……」
「だったら、普通の友達になろ、あーおもしろっ」

 僕の言ったことがさもおかしいかのように笑う化野を見て、今までの化野はなんだったんだろうとすら、思ってしまった。だって、化野が言っていたのに。こんなことをするのが、普通の友達だって。
 まるでタヌキか狐に化かされでもされた気分だった。
 化野は笑いながら、僕の肩を叩く。

「オッケー、んじゃ友達ね。あ、でも一つ条件あんだけどいい?」

 化野の言葉に、頷いた。何はともあれ、また友達になれるのなら、そっちの方がいい。だって僕は、化野が嫌いなわけじゃない。

「? なに……?」
「俺さ、セイと今喧嘩してんの。知ってる?」
「え…………」

 どきり、と心臓が跳ねた。知ってる? と聞かれて、よせばいいのに、僕は問いかけてしまった。

「な、なんで……?」
「さあ〜〜〜。……――なんでだと思う?」

 さっきまでの明るいにこにことした笑顔に、急に影が差す。
 化野は笑っている。
 笑っているのに、どうしてか、僕はそれが恐ろしく感じた。何か、触れてはいけない部分に、触れようとしている気がして、このままここに居ていいのだろうかという気にすらなった。
 なんでだと思う? と問いかけてくる割には、もう答えが出ているだろうとでも言わんばかりに、こちらの答えは聞かずに化野は続ける。

「俺さぁ、友達って結構大事なんだよね、だって一緒に居ると楽しいじゃん?」
「…………うん……」
「だから、喧嘩した友達と一緒にいんの、ビミョーっつか。ギクシャクしちゃうから嫌なんだよね」
「…………な、仲直りとか、したら……」
「ははっ」

 僕の言葉を嘲笑で遮り、化野は目を細めた。

「出来るかな? 出来ると思う? なあ、小波くん」

 笑っている。三日月のように口をにんまりとと歪ませて、少しだけ首を傾かせた。
 それだけなのに、僕の鼓動は早く鳴り続ける一方だった。
 足が棒のように固まったまま動かない。どっどっど、と鳴り響く心臓を抑えるようにして、狐面の奥で、顔を引き攣らせていると、化野が言った。

「まあ、なんにしても、喧嘩してるからセイとは喋らねえの。セイと喋る奴とも喋らねえよ。だからさあ、小波くん」

 そこで、一度呼吸をした。
 いつもの、化野大志の顔で。みんなの人気者で、優しくて、面白くて、……いい人の顔で、化野は告げる。

「小波くんがセイと喋らないんなら、友達になろうよ」

 僕は、首を縦には振れなかった。



 結局、その後、自分でも何を話したかは覚えていない。何かを話したような気もするし、何も喋らず、ただ教室を出て行ったような気もする。足取りは重く、玄関で待っていた西園の顔を見て、僕は少しだけ息を飲んだ。西園に、言うべきだろうか。
 それとも……。

「よう、どうだった?」

 ぶっきらぼうに、だけど、少しだけ気にかける様子で、僕に問いかけてくる。

 『セイと喋らないんなら、友達になろうよ』

 化野の言葉が、頭の中で反響する。きっと、西園と喋らなくなれば、その名の通り、化野は僕とまた友達になってくれるんだろう。
 そして、友達の為、という名目で、僕に対する嫌がらせもやめるよう呼びかけてくれるのかもしれない。
 けれど。

「……誰も居なかった。悪戯だったみたい」

 そんなこと、出来るはずもない。
 どうして、今更僕が西園のことを裏切れる? 西園は、今まで沢山助けてくれた。そんな西園を無視したりなんて、出来るはずがない。
 それなら僕は、化野と友達にならなくてもいい。
 少しだけほっとした様相を見せる西園に、僕はお面の奥で表情を緩めた。黒板に貼られた写真のことも、結局言い出すことはできなかった。





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