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 渡り廊下付近の階段は、屋上へと繋がっていて滅多に人も来ないし、割と静かだから、ご飯を食べるときも、一人になりたいと時も丁度良い。
 ここは僕が見つけた、穴場のひっそりスポットだった。そこで僕は、昨日起きたことを、西園に掻い摘まんで話した。
 もちろん、化野に告白された話や、化野と普通の友達ならしないであろう行為をしていたことは話していない。告白されたということを勝手に話すことなんて出来ないし、僕がしていたことを西園に話して、引かれるのも少し怖かった。
 だって、普通はしないことなのに、それをしていた僕と化野は。…………。そう考えると、西園が僕のことをどう思っているのか、気になったけど、それを訊ねることは出来なくて、言葉を選びながら、西園に打ち明けた。
 化野とは、ちょっとしたいざこざがあって、その結果、元の関係というか、今までの仲良しはリセットされたかもしれない、ということだ。

「……リセットって、お前な……」

 僕の話に、西園は眉間に皺を寄せる。僕の話を黙って聞いてくれていた西園だったけど、話が進むにすれて渋面になり、最終的には悩ましげな顔で頭を抱えていた。困らせてしまったのかもしれない。
 いや、リセットっていう言い方はおかしかったかな。

「…………その、リセットっていうか、多分、化野の中で、一番最初に戻ったっていうか……、と、とにかく今までみたいじゃなくて」
「あいつ、本当ガキくせえな」
「ち、ちがう」
「何が」
「その、僕が、……そうするって言ったから」
「…………お前の話、肝心なとこ曖昧でよくわかんねえけど、まあ想像つくからいいわ」

 はぁ、と嘆息しながら、西園は立ち上がる。結局一限目の授業はサボってしまったけど流石に二限は出たい。偏差値が低い学校と言われているし、実際授業内容は薄めだけど、その分授業の出席率はきちんと見られている。
 タイミングよくチャイムも鳴ったので、僕も後を追うように立ち上がった。

「俺から大志に言うか?」
「う、ううん、……大丈夫、です。ただその、僕と話していると、西園が何か言われるかもしれないから、僕のことは、無視して大丈夫だから、それを、言っておこうと思って」
「無視ってお前、なあ」
「……僕、先に戻るね。西園は、後から来た方がいいと思う」
「あ、おい」
「……あの、話、聞いてくれてありがとう」

 話せた事で、少しだけすっきりした。
 ……ああ、僕はまた、自分ばっかり得している。ただ、話してすっきりするなんて自己満足だ。ただ、西園を困らせてしまっただけかもしれない。けど、先に言っておきたかったんだ。西園は見た目と違って優しいから、困ってたら助けてくれそう、なんて思うと、甘えてしまいそうになる。
 でも、それは駄目だ。
 中学の時のことを思い出す。周りからの目線。嘲笑。見ないふり。聞かないふり。誰も助けてくれない教室の中で、立ち尽くした。
 ……こういうのは、予兆があって、そういったことに、僕は結構敏感な方だと思う。
 何も無ければそれでいい。でももしかしたら、そんな予感が頭を過ってしまうんだ。だから、それに巻き込んだりしたくない。
 そもそも、こんな変なお面をつけている僕が、今まで普通に過ごせていた方が奇跡だったんだから。

「…………」

 教室に戻るには気が重いけど、戻らないわけにもいかない。だって、明日も明後日も明明後日も、学校はあるんだから。一度休んで逃げてしまったら、次も逃げてしまう。だから、行かなきゃ。
 僕は勇気を持って、教室へと戻った。

****

 ドアを開けると、一瞬、クラスメイトの視線が僕へ集中した。けれど、僕だと視認した途端、どうでもよさそうに、皆元の話へと戻っていった。人のざわめきに紛れて、内心ほっと胸を撫で下ろした。
 なんだ、よかった。どうやら、ただ空気に戻っただけらしい。もしかしたら、と思ったけど、杞憂だったのかもしれない。
 化野の方を見れば、お面を外して、スマホを弄りながら、佐々木達と談笑していた。僕の方は見ようともせず、いつものように明るく笑っている。それは、いつもの化野の姿だった。
 というより、これが正しいんだと思う。
 やっぱり僕と化野は、元の、というより、本来あるべき関係に戻ったのだ。寂しいとは思わない。だって、望んだのは僕だから。友達になれれば、と思ったけど、贅沢な話だ。
 好きだから、って化野は言っていたけど、一体化野は僕のなにがよかったんだろう。いずれにせよ、化野の中で、こういう精算の仕方がいいというなら、僕はそれを受け入れなきゃいけない。成り行きとは言え、僕が望んだことなんだから。

「…………」

 よし。
 心の中で気合いを入れる。大丈夫、一人ぼっちは慣れてる。どうってことない。自分を勇気づけ、人の間を縫って、自分の席まで歩いて行くと、机の前で僕は立ち尽くした。

「…………」

 僕の机が、真っ赤に塗られていた。

 ひそひそ、クスクス、という笑い声が耳に届く。
 皆、それぞれ仲良しの友達だったり、同じグループの人たちと話している。楽しそうに笑っている。いつも通りの教室。いつも通りのクラスメイト。でも、視線がちらちらと僕に注がれているのは、見なくてもわかった。今までのクラスと同じなのに、空気だけが決定的に違う。
 皆の声が、どこか遠くに感じた。
 ヒリヒリと肌を焼くような、気持ち悪い空気に、身震いする。少しだけ、吐きそうになった。

「…………っ」

 立ち尽くしたまま、じっと机を見た。
 机に塗られているのは、多分血とかじゃなくてペンキとか、インクとか、そういう塗料だと思う。血の色に似てるけど、化学物質みたいな、特有の臭いがするから。でも、ぶちまけられたペンキが、机からはみ出してぽたぽたと床へ垂れていた。中に入っていた教科書も赤くなっている。
 正直な話、頭から水をかけられたような気分だった。
 ああ、この感覚。
 やっぱり勘違いとかじゃなかったんだな。
 そんな気持ち。
 中学生の頃のことを思い出して、指先が震えた。ぬるついたインクが、指先にこびり付く。誰がやったんだろう。いや、それ以前に、この机を誰もが放置している状況に泣きたくなった。帰りたい。このまま、帰って何もなかったことにして、布団に潜って眠ってしまいたい。でも、そんなことは許されない。
 逃げることは許されない。

「…………」

 ……もう一度化野の方を見る。
 化野は、僕の方を見ようともしなかった。前の化野なら、助けてくれたかもしれないけど、僕と化野はもう前みたいな友達でもなくなってしまったから。
 僕は重い足を動かして、教室の後ろまで行くと掃除用具入れからバケツと雑巾を取り出した。水を汲んで雑巾を絞り、無言で机の上を拭く。
 幸い、手は汚れてしまったけど、インクは綺麗に落ちた。中の教科書とかも汚れているけど、中までべっとりインクが染みついた訳でもない。うん、大丈夫。全然大丈夫。
 心を落ち着けて、まだ赤みが残る机に教科書を広げて、自分の席に着いた。すると、タイミング良く西園が教室に入ってきた。

「はよー」
「お、セイおはよ〜、遅くね?」
「あー、寝てた……」
「にっしーライン無視すんじゃん! ミュート解除しろよ」
「寝てんのにうっせーんだって」

 言いながら、西園が僕の隣の席に座った。一瞬、訝しげな顔をしたけれど、そのまま僕に言う。

「おはよ、小波」
「…………!」

 僕はぎこちなく頭を下げた。
 …………いいのかな? 僕はもう、化野と友達でもないのに、化野の友達である西園と仲良くして、いいのかな。でも、挨拶して貰えるのは嬉しいな。
 さっきまでペンキをぶちまけられて赤くなっていた机のことも、一気に吹き飛ぶ。
 西園が隣の席で良かった。

「にっしー、ちょっと」
「あ? んだよ……」
「いいから、話あんだって」

 すると、佐々木が西園の腕を引っ張って、教室の外へ出て行ってしまった。井上も一緒について行く。化野は一人残って、自分の席でスマホを弄っていた。一体何を見ているんだろう。僕と一緒の時は、あまりスマホを弄っているイメージは無かったけど、こうやって離れて見てみると、しょっちゅう弄っている。
 ……いや、なんで僕は化野を見続けてるんだろう。ストーカーみたいだ。これじゃあ、化野にも悪い。
 化野から視線を外して、次の授業の準備をする。次の授業は、担任である真山先生の歴史の授業だ。
 ペンキをティッシュで拭いながら、教科書を出した。教科書、今日から毎日持って帰らないと、ぐちゃぐちゃになっちゃうかな。

 やがて、西園が佐々木達と共に戻ってきた。佐々木が何かを西園に言っていて、それに西園が何か言い返していた。
 何を言っていたかまでは聞こえないけど、チャイムが鳴り、各々が自分の席へと戻っていく。
 西園は、僕をちらりと見てから、すぐに視線を外した。うん、大丈夫。……それでいいんと思う。誰だって、関わりたくないものだし。
 やがて、先生が入ってきた。教科書を開こうとすると、その前に、化野が口を開いた。

「せんせー、そろそろ席替えしない?」

 空気を裂くような化野の声。
 担任である真山先生が、呆れた顔で化野を見る。

「おい化野、まず教科書出してから言えー」
「いやだって、もう結構この席だし。モチベ下がってさあ。今なら大体人いるし、今やればよくねっすか?」
「はいはい、じゃあ考えておくから、とりあえず教科書出せ……」
「マヤセンー、俺も席替えしたいでーす」
「あたしもー、ってかこの席飽きたんだけど」
「せーきーがーえー」
「マヤセンお願い!」

 なんて、化野の言葉に肖って、皆口々に席替えをしたいと言い始める。こうなると、僕のクラスは収集がつかなかった。
 それに、前の席替えから結構時間が経っているし、担任である真山先生の時じゃないと、席替えが出来ない。
 朝だと遅刻者が多いこの学校ではクラス全員が揃っていないから、なかなか実施されない。
 真山先生も、全員に言われて少したじろいでいる。何より、化野が言っているのが大きいのかもしれない。

「ほら、せんせー、皆やりたいって! 多数決取っとく?」
「はいはい! 俺決とりまーす」
「お前ら、普段は寝てるくせに……」
「いや、席替えしたら寝ませんって!」
「なーー!」

 結局の所、クラスにおける化野の発言力は大きいからだ。ムードメーカーというか、空気を作るのがうまいんだ。
 怒濤の席替えコールに気圧されたのか、とうとう先生の方が折れた。

「あー、わかったわかった! 席替えしたらすぐ授業するからな」
「イエーーイ!」
「さっすがマヤセン、話わかるぅ!」
「んじゃ俺黒板に席書くわ!」

 と、普段ならチョークなんて持たないのに、喜々として黒板に番号を振り始めた。テンションが上がりだしたクラス全員に対して、先生があきれ顔で言う。

「席替えのくじ引き、先生作ってきてないぞ」
「せんせー、ふるっ。今時アプリで出来るって」

 と、化野がアプリ画面を先生へと突きつけた。席替えアプリ? さっき弄ってたのはコレだったのかもしれない。
 最早諦めたように、先生が教卓へと着いた。真山先生は、席替えに関しては結構放任主義というか、生徒達に一任する。だから、くじ引きもあれば、話し合いもある。でも、今回は化野がアプリを出したから、それでいいということになったらしい。
 画面をタップして、出た番号が自分の席だ。でも、僕としては少し残念に思う。西園と隣の席は、結構楽しかったんだけどな……。
 狐面の奥から目線だけで西園を見ると、仏頂面で頬杖をついたまま、面倒くさそうに黒板を睨んでいた。

「それじゃ、皆並んで並んで〜」

 と、化野の指揮のもと、席替えは実施される。



「………………」
「うぉ、大志ちかっ、よろ〜」
「えー、俺隣女子のがよかったな」
「うぜー」
「あ、にっしーと井上離れた」
「てか、一番やな席。教卓の真ん前とかウケる」
「るっせ!」
「おい大志、お前、何か仕込んだんじゃねえだろうな」
「ええ〜? これフリーのアプリだよ? 俺が仕込めるわけなくね? セイってば疑りぶか〜い」

 和気藹々とした空気の中、僕は何も言えずに硬直していた。
 以前の席は、壁際の後ろの席で、隣も西園しかいなかったけれど、今回はよりにもよって一番中央の席だった。隣は佐々木で、後ろが化野。他は話したこともない人たちだ。皆楽しそうに盛り上がっているけど、居たたまれない。
 神様なんていないのかも。
 よりにもよって、化野と佐々木の近く……。佐々木は僕のことを嫌いだし、化野だって、今は僕の事なんて見たくもないだろうに、なんでこの席……。
 暗澹とした気分で、僕は席に着く。

「じゃ、授業始めるぞ〜」
「………………」
「小波、教科書どうした? それ血か?」

 そのとき、先生に真っ赤になった教科書を見て訝しげに問われた。僕は何と言っていいかわからず、というか、基本的に首を縦に振るか横に振るか、みたいなリアクションしかとれないので、どうするか迷っていると、後ろから知らない声が飛んできた。

「あ、センセー、それ小波くんがさっき自分でインクこぼしてたやつ」
「突然中二病発祥しててウケたよな〜」

 話したこともない男子の声に、先生が再び聞いてくる。

「小波、そうなのか?」
「………………」

 僕は頷いた。
 違う、と言えばじゃあ説明しろと言われるし、説明しろと言われても、僕には説明が出来ない。それに、今目立ちたくもなかった。
 僕が頷くと、先生は呆れた顔をして「やめなさい」と注意してきた。本当にそう思う。


 それから、授業は恙なく進行したけれど、周りは喋ってばかりいたので、授業中にあまり集中が出来なかった。西園は授業中は基本的に寝ていたから、その点においても、前の席の方がやっぱりよかったかもしれない。
 でも今更席を変えて欲しいなんて僕に言えるはずもなく、そもそも喋れないのだから、これから数ヶ月はこの席で頑張らなくてはいけない。

「………………」

 小さく息を吐きながら、憂鬱な気分になった。


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