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 翌日、学校に行くときは、変な気分だった。
 普段であれば、化野からいつもラインが飛んでくるのに、今日は一つも飛んでこなかったし、駅で待ち合わせして一緒に登校もしない。ああいうことをやめると、今まで当たり前だったこともなくなるのか、と僕は少しだけ残念に思った。
 友達と一緒に登校するのは、楽しかったんだけどな。でも、コレは僕が望んだことだから仕方無いのかもしれない。自分の要求ばかり通そうとするのはわがままだ。これからは、普通の友達、いやもしかしたらただのクラスメイトって感じかもしれないけど、それに慣れていかないと。よし、と気合いを入れて教室へと入る。
 まだ化野は来ていないようだった。西園も来ていない。佐々木達は、いつもと同じように、自分の席で笑って話している。化野は、いつも僕と一緒に来ていたから、あまりサボったり遅刻したりはしていなかったけど、本来遅刻癖がある。
 予鈴が鳴り響くと同時に、化野の声が教室に響いた。

「おはよ〜〜〜寝坊しちった」
「おー、大志おは……うおっ、今日はそれなの?」
「ん?」

 入ってきた化野を見て、佐々木が声を上げた。僕も少しだけ息を飲む。化野が被っていたお面は、僕と同じ狐のお面だったからだ。今まで、化野は色々なお面を被ってきたけれど、僕と同じ狐面だけは、つけたことがなかった。
 それは、僕とキャラが被るから、なんて化野は笑っていたけど、少しだけありがたいと思っていた。ただでさえ存在感のある化野が僕と同じ狐面をつければ、僕の存在感なんてきっとすぐに消え失せる。
 だから、化野の部屋にも狐面のお面はなかったのに。化野は佐々木達の所に向かい、笑う佐々木に首を傾げた。

「何が?」
「小波くんと同じじゃん」
「お揃いかー?」

 からかうような笑い声に、化野が狐面の奥でくっと笑いを噛み殺したような気がした。

「誰それ?」
「えっ……」

 どくん、と心臓が跳ねる。佐々木達も少し困惑したように、顔を見合わせながら、僕を指さした。どくどくと、心臓の鼓動が早くなるのが自分でもわかった。
 化野が、僕と同じ狐の面越しに僕を見る。お面をしているから、表情はわからない。けれど、確かに目はあった。
 にも関わらず、化野は僕から目線を逸らして、さっさと自分の席に着いてしまった。

「何アレ」
「えっ、いや、何アレって……なあ…?…」
「…………あー、うん。えーっと、……あ、てか昨日のアレ見た?」
「あ、あー……見た見た」
「あ、俺も見たー、ちょーやばかったよね」

 佐々木達は戸惑っていたものの、あえて触れないことにしたのか、適当な話題を出して、話題を逸らした。そして、化野もそれに乗じていた。狐面をしていること以外は、いつもの化野に戻っていたけれど、周りは少しざわめいている。
 いつも僕にくっついている化野が、急に離れたからかもしれない。

「…………え、なに……」
「どしたのあれ……」
「……喧嘩………………?」
「ってか、大志怒ってない…………?」
「うわー、何したの狐君、ヤバ…………」
「終わったなあれ……」

 ひそひそと、囁く様な声は、きっと化野にも届いているはずなのに、化野は何も反応しないし、僕も席に着いた状態で、ぎゅっと拳を握る。
 仕方ない。だって、化野は元に戻りたいかって聞いてきて、僕はそれに頷いた。元に戻りたいかっていうのは、化野にとって、本当に最初の最初って意味だったんだろう。
 つまり、知り合う前ってことだ。普通の友達になれるのかなって思ったけど、そもそも、僕と化野は本来友達になれるような人間じゃない。
 クラスでは、ただのはみ出し者の僕が、また当たり前みたいに友達になれるなんて、思う方が烏滸がましかったのかもしれない。だから、これが当たり前なんだ。
 けれど、周りからの白い目線や、声に絶えられなくて、僕は立ち上がって教室を出た。
 もう一限目が始まるけれど、それまで少し、水でも飲んでこよう。

「……………………」

 何も言わずに教室を出る。
 いつもだったら、化野が後ろからついてきてたな、と思ったけど、慌ててその考えを振り払った。今までがおかしかっただけで、おそらくこれが普通だ。
 それを望んだのは僕なのに、寂しがる権利なんてない。
 足早に教室を出て、トイレへと向かった。

 個室に入ると、少しだけ気分が軽くなる。別に、用を足すって訳じゃ無いけど、あのまま教室に居たら、息苦しくなってしまいそうだった。何もない、これが普通なのに。早く、これに慣れていかないと。
 勢いとは言え、自分で決めたことなんだから。
 はぁ、と息を吐いて、早く西園が来ないかなと思った。でも、僕が化野と仲が良いという理由だけで話してくれていたなら、西園も話してくれなくなるだろうか。それは、少し寂しいかもしれない。西園とは、少しだけ仲良くなれたような気がしていたから。
 西園に何かラインを送ろうか迷ったけど、やめておいた。西園と化野は仲がいいし、僕がラインを送ることによって、迷惑がかかったら嫌だし。
 そろそろチャイムが鳴る、戻らなきゃ……。
 そう思ったところで、げらげらと笑いながら話してくる声が聞こえた。
「やっべ、それマジ?」
「マジマジ、ウケんだろ!」
「ないわー!」

 それからすぐに、用を足す音がして、僕は出るタイミングを失った。そのまま出て行けばいいのかもしれないけど、こういう声の大きい人たちには、無条件に構えてしまう癖があった。
 そうこうしている内にチャイムが鳴ってしまったけど、トイレに居る人たちは気にしていないみたいだ。それがまかり通る学校だからだ。

「あ、チャイム鳴った」
「余裕っしょ。つかさー、誰かうんこしてね?」
「マジだ。もしもーし、お腹大丈夫ですかぁ?」
「ぎゃははは、お前やめたれよ、ふんばってっから!」

 がん、とドアを蹴られて、僕はびくりと肩を揺らす。
 ど、どうしよう。出るに出られない。そうこうしているうちに、ドアの上から手が伸びてきて、見知らぬ男子が覗いてきた。この学校の生徒は、大抵髪の毛を染めてるし、チャラチャラしているけど、覗いてきたのは、生徒の中でも結構ゴツめの、怖面の男だった。
 ていうか、なんで普通に覗いてくるんだ。おかしいよこんなの。
 僕がおろおろと便器の前で立っていると、覗いてきた男が顔を顰めた。

「うわっ、お前アレじゃん」

 アレ? と思ってる間に、男はドアから降りていった。
 い、今がチャンスかも……。そっとドアを開けて、何も言わずに、男達の前を素通りしようと歩を速めるとすると、後ろから手が伸びてきた。

「…………っ!」
「おい、シカトすんなよー」

 襟首を掴まれ、止められる。すると、背後から別の男が何か言っていた。

「おい、やめろとけって。そいつアレだろ? Kにはなりたくないっしょ」
「あー? いや大丈夫らしいよ今」
「お前ライン見てないん?」
「はぁ? 何それマジで?」

 ……何の話をしているんだろう。でも、今の状況がやばいということは、なんとなくわかる。離してくださいとも言えず、僕はただ掴まれている手に自分の手を伸ばして外そうとした。
 今まで、こういうことがなかったことが、そもそも奇跡だったのかもしれない。この学校は弱肉強食を体現している。ほとんどの生徒が他の学校には受からなかった掃きだめと呼ばれる学校だ。僕みたいなのは、そもそも格好の的だったのに、それがなかったのは、化野がいたからだ。
 別の男が、僕の肩を掴んできた。

「よー、狐君、ウンコしてた? ごめんねウンコ中に」
「あのさ、お金持ってない?」
「………………」

 僕はどうすればいいのかわからず、ただ首を横に振った。

「口きけないンだっけ?」
「いやー、ただ喋らないだけじゃね?」
「あそ、んじゃ一発いっとく?」
「ひでー」

 笑い声と共に、衝撃が腹に来た。

「うあ゛……っ……!」
「お、マジだ喋れるじゃん」
「地べたに土下座で許してくださいって言うまでチャレンジやってみる?」
「鬼〜〜〜」

 げほ、と咳き込みながら膝をついた。い、痛い……。じんとした痛みがどんどん広がってくる。鳩尾に入った拳は、一気に吐き気を誘った。お面をしていると、外の空気を取り込みづらい。気持ち悪い……。地に着いた手を、靴で踏まれた。鈍い痛みが手の甲にも走り、トイレの床に蹲ると、髪の毛を掴まれた。

「てか、こいつってどんな顔してんの? 誰か見たことある?」
「いや、ねーっしょ」
「外してみたら?」
「…………っ……」

 ごつい手のひらが、目の前に伸びてくる。嘲笑めいた笑いの中、息苦しさと痛みに目を瞑ると、トイレのドアが開く音がした。

「あ?」
「んだテメェ……」
「うわ、小波、チャイム鳴ったけどお前何してんの」

 西園。
 掴まれていた腕が離され、解放される。
 僕の周りに居た男子が、西園を睨みつけた。

「おいおい、お前今見てわかんねえの? 取り込み中なんだけど」
「いや、知らねえし。つーかお前らそいつのこと知ってんの?」
「は? 知ってるけど?」
「んじゃさっさと消えろよ」
「はあ? 消えんのどう考えてもそっちじゃね?」
「てかお前何も知らされてねえのな、ウケるー」
「……あ?」

 瞬間、西園の蹴りが一人の腹に入った。早くて、僕は目で追えなかった。人が、目の前で蹴り飛ばされる瞬間というのを初めて見た。
 勢いよく転がる男子に、他の男が西園を睨みつける。

「おい! 何すんだよテメー!」
「足が滑ったんだよ、何、なんか文句あんの?」
「…………な……」

 西園は、化野と仲が良い。幼馴染みだって聞いたことがある。だから、というわけでもないけれど、西園は周りから一目置かれているし、それ以前に体も大きくて喧嘩も強いらしい。
 三対一なのに、相手側は完全に怖じ気づいていた。真顔の西園は、威圧感があるからなのかもしれない。正面に立っていない僕ですら、対峙したら恐ろしくて謝ってしまいそうだ。
 三人は互いに目配せした後、呻いている一人を連れて、全員トイレを出て行った。

「チッ……うぜ……」
「行こうぜ」
「死ねバーカ」

 捨て台詞を最後に、トイレのドアが閉まる。た、助かった……。
 静かになったトイレの中で、僕はゆっくりと立ち上がった。

「おい、大丈夫か」
「…………」

 西園に聞かれて、僕は頷く。お腹はまだずきずきと痛むけれど、時間が経てば治るだろうし、それよりも西園が助けてくれたことが嬉しかった。
 もしかしたら、化野と同じように、もう関わらないと言われるのかなって思ってたけど。

「大志は?」
「…………」

 そもそも、そんなことを知らないのかもしれない。遅刻してたし、今来たのだとしたら、さっきの化野のことを知らないのも当たり前だ。
 僕は小さく首を横に振って、手を洗った。

「ふーん、お前、いつも授業遅刻しないのに、珍しいな」
「………………」

 西園が笑う。その笑みに、僕はお礼を言わなければと口を開いた。
 前までは、化野が嫌がるから、化野以外とは喋らないようにしていたけれど、今はもう違う。ぐ、と唇を結んだあとに、小さく開いた。
 きちんとお礼を言わなければ。

「……あの! …………あ、ありがとう…………」
「…………え、あ? お、おお……」

 西園は、僕が喋ってお礼を言ったことに驚いているようだった。なんなら、スマホを取り出して、ラインでやりとりする気があったようで、無言でスマホをポケットにしまった。

「え、喋って大丈夫なん?」
「………………ん……あの、お礼、ちゃんと言いたくて……」
「………………あー、……大志となんかあった……?」

 西園なりに思うところがあったらしく、化野とのことを聞いてくる。それはきっと、以前僕が伝えたことが原因だろうと思った。化野が嫌がるから、喋らない。なら、喋るのは化野となにかあったからだと思うのは、自然な考えだ。
 僕はそれにどう言えばいいのか迷った挙げ句、小さく頷いた。
 本当は、頷くべきじゃ無かったのかもしれない。
 けど、頷いてしまった。ひょっとすると、僕は誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。あるいは、西園は聞いてくれるのだと思うと、嬉しかったのかも。望んだのは僕なのに、わがままな自分を嫌悪しながらも、このまま教室に戻る気にもなれなかった。
 西園は、普段から険しい顔に、更に眉間に皺を刻むと、難しそうな顔をして僕を見てから、息を吐く。何かを悩んでいるような表情を改め、僕見つめて呟いた。

「…………サボるか」
「………………」

 僕に言った訳ではないのかもしれないけど、僕は西園の呟きに同意する。



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