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 小学生の時、お気に入りのズボンがあった。
 新しく買って貰ったズボンで、確か先生に褒められたんだと思う。
 僕は嬉しくて、そのズボンを何度も何度も穿いて、やがて膝部分の生地が擦り切れてしまった。お母さんに繕って貰ったけれど、一度綻んでしまえば、何度繕っても穿き続けると破れてしまう。
 折れ目のついた紙が、元の平らの紙には戻らないように。
 綻んだ布が、元の真っさらな生地には戻らないように。
 一度ひび割れれば、そこから波紋は広がっていく。
 時間はどうあっても巻き戻すことは出来ないし、やり直す事なんてできない。
 きっかけがあれば、簡単に瓦解するそれは、気づかないだけで、どこにでも転がっている。



「あ、……っ、……っ…………っ――!」

 薄暗い部屋の中、溢れる様な声を抑えながら、僕はベッドの上に居た。昼間だというのに締め切ったカーテンの隙間からは、うっすらと灯りが漏れている。外からは、道行く人の声が聞こえた。きっと、どこにでも転がっている、当たり前の日常が、この部屋を隔てて広がっているのに、切り離されたような空間の中で、僕はなるべく声を漏らさないように、自分の口元を抑えていた。
 これはきっと、当たり前じゃない。
 興奮気味な呼吸音が、部屋の中に静かに響いた。呼吸が乱れると、ぱたりと汗が垂れてくる。

「何、我慢してんの正義ちゃん」
「……っ……!」

 上から声が降ってきた。僕の上で化野が笑う。
 ここは化野の部屋で、僕たちは昼間からこんなことをしているのだ。今日の授業は事情があって午前までで、午後からは自宅学習という名目だった。僕は化野に誘われるがまま化野の家に来て、こんな行為に及んでいる。ここに来ればこうなるとわかっていたけど、化野の誘いは断れなかった。
 化野の家は、いつも誰も居ない。
 共働きだからと聞いていたけど、弟も居るって聞いていたのに、僕は一度も見たことが無かった。誰かがいれば、化野はこんなこと、しないんだろうか。こんな、……倒錯めいた真似事を。

「なんか考えてる?」
「ぁっ……!」

 僕の中に埋められている、化野の陰茎のカリが前立腺を緩く引っ掻いた。瞬間、電気が走ったような感覚が体を襲い、大きく仰け反ったままベッドのシーツを掴む。散々開かれた体は、もう化野に知り尽くされていて、少し擦られれば、その度に僕の体はビクビクと悦びに震えた。
 息を吐いて、吸って、吐いて、それを繰り返しているだけなのに、目の前が視界がぐらついてくる。波打つシーツの上で、腰を引いた。

「……っん……!」
「べっつに、声抑えなくてもいーのに。どうせここには俺と正義ちゃんしかいねーからさ」
「そ、とに……っき、きこ……っ」
「ん? いやいや、聞こえないっショ」

 と、明るく言う化野に、僕は無言で首を横に振る。そうじゃない。聞こえることも怖いけど、声なんて出したら、僕が僕でなくなるような気がして、それが怖かった。大きな声を恥じらいもなくあげてしまいそうで、それが嫌だったんだ。
 ただ感じるままに声をあげろという化野の要求は、僕にとって恐ろしかった。けれど、そんな僕をあざ笑うかのように、化野は再び腰を押し進める。ゆっくりと少しずつ、でも確実に押し込まれていく存在に、ゾクゾクと体が震えた。律動するたびに、中が卑猥な音を立てて、その音が耳を犯した。
 引き抜かれる瞬間に、背筋が粟立つ。

「はぁっ……はっ……うっ……」
「あー……きもちー……」

 にゅる、とローションで滑りの良くなった化野の陰茎が、本来であれば排泄孔である僕の孔中を抜き差しする。くぽくぽと浅いところを戯れのように行き来していたかと思えば、唐突に奥まで挿入してくる。

「ふっ……〜〜〜〜!」
「お、吸い付く……っ」

 こんな行為に快楽を覚える僕も、大概変態だ。
 浅い息を吐きながら、耐えるように口を結んでいたが、化野が笑いながら中を突いてきた。

「ん゛んっ……!」
「ほら、ここ、正義ちゃん好きでしょ?」
「あ゛っ、あだっ、……っし、……や……!」

 腹を押さえながら、ぐりぐりと責め立てられる。一度引き抜かれた陰茎が、再び中を穿ち、僕は体を横にして、ベッドシーツへと爪を立てた。ぎっちりと嵌まった肉棒が、肉壁を押し分けコツコツと中をノックされる度に、僕の体が僕の意思とは反して、悦びに痙攣する。

「はぁっ、ふっ、あっ……、あっ〜〜〜〜〜〜……!」
「はは、顔とろっとろ……、ほら、気持ちいいって言って?」

 誘導するような化野の言葉に、僕は力なく首を横に振った。気持ちいい。それは確かにその通りだった。こんなの知らない。
 こんなに気持ちいいなんて、知らなかった。
 化野に会ってするまで知らなかった行為と快楽の波は、僕の体を日ごとに蝕んで、今では化野にされるこの行為にもすっかりと慣れきってしまった。溶かされていく感覚に、僕はあられもない声を上げないよう耐え忍ぶ。最初は痛みしかなかったそれも、段々と気持ちよくなってきてしまって、今では自分の物を扱かなくても達せるくらいになってしまった。怖かった。
 自分の体が、自分のものではなくなっていくような感覚が、怖くてたまらなかった。部屋の中はエアコンがきいているはずなのに、僕の体はすごく熱くて、真っ赤な顔のまま、呼吸を荒げていると、化野は僕が首を振ったことが気にくわなかったのか、繋がったまま乳首へと手を伸ばした。

「ぅあ゛っ……!」

 片方の乳首を摘ままれたまま、上へと引っ張られた。痛みとも違う感覚が背中を走る。ゾクゾクと背筋を何かが這い上がるような、奇妙な感覚に、下唇を噛んで眉間に皺を寄せた。

「……っ……!」
「気持ちいいでしょ?」
「は……っあ、……っ」
「うわ、すっげ、中締まった。腰浮いてるし」
「ぁ、っ……う〜〜〜〜……っ」
「はは、エッロ……」

 こりこりと摘ままれた乳首が指の中で転がされ、僕は腕で顔を隠しながら、隙間から化野の顔を盗み見た。化野は、嬉しそうに笑っている。黒い双眸が、僕だけを見つめていた。
 とん、とん、と腰を振られる度に、化野の肉棒が僕の中を擦りあげる、がちがちに硬くなった十代の性欲は、止まることを知らない。

「ふーーっ……ふーー……っ……」
「…………っ」

 引き抜かれ、中を穿つ。その都度僕の体がピクン、と反応する。すっかり勃ち上がった僕の陰茎の先端からは、透明な液体が溢れていた。
 快楽を貪ろうとしている自分の体が恐ろしくて、漠然と逃げようと思った僕は、足をばたつかせた。何から逃げるなんて、わからない。でも、怖かったんだ。けれど、繋がったままではただ足下のシーツを乱すだけで終わった。引き寄せるようにシーツを爪先で引っ張る。

「はぁっ、はっ…………っ……はっ……!」
「気持ちいいでしょ」

 かり、と化野の爪が乳頭の窪みをひっかけ、何度も引っ掻いてくる。カリカリカリカリ、芯を持って尖った乳首が、化野の指に弾かれて左右に揺れる。下の方では、結合部から水音が鳴り響く。肉がぶつかる度に、僕の陰茎は揺れて腹へとぶつかった。擬音と呼吸音が部屋を支配する。頭がおかしくなりそうだった。こんな、こんなの絶対に友達がすることじゃない。これはセックスで、友達が、ましてや男同士ですることじゃないし、気持ちいいなんて思っていいはずもないのに、化野にされると、僕の頭の中がふわふわして、真っ白にになる。
 僕が僕じゃ無くなるみたいで、目からぽろぽろと涙が溢れた。
 
「なんで泣いてんの? 正義ちゃんて、結構泣き虫だよねえ」
「ふっ…………う……」

 よしよし、とあやすように呟いて、化野が腰の動きを緩めた。

「ほら、ここ」
「あっ、あっ、あっ……!?」
「正義ちゃんがきもちいいって言うまで、撫でてあげる」
「っ、はっ、あっ、あだっ、しのっ……!」
「ん〜〜?」

 ゆっくりとした動作で、前立腺を強く押され、そのままぐりぐりと亀頭を押しつけられた。そのまま、撫でるようにかくかくと腰を動かされ、僕は歯を食いしばる。
 駄目だ、これ、気持ちいい……っ、こつこつとぶつかる感覚に、目の前が真っ白になる。星が散って、心臓が掴まれたような気分だった。擦られて、触れられる度に、体が燃え上がって、溶けてしまいそうだ。熱を持った体が、一突きごとに温度が上がっていくみたいだ。
 無意識のうちに開いた口から、唾液がこぼれる。目を硬く瞑って、首を横に振った。こんなの嫌だ、こんなのおかしい。どうかしてる。頭ではそう思うのに、まるで催眠術みたいに、化野の声が頭の中に響いてくる。

「素直にさあ、言ってみて? 別に、悪いことじゃないんだから」
「………………っわ、わるい……?」
「うん、普通だって、こんなの」

 普通。当たり前。常識。ぐらぐらと、熱に浮かされていくような気分のなか、化野の言葉が浸透していく。気持ちいいのは、当たり前で、普通で……。そう言われると、口からぽろりと言葉が溢れた。

「……きもち……い……っ」

 気持ちいい。声に出してみると、それは当たり前の様に馴染んでしまう。ぴゅる、と僕の陰茎から力なく精液が溢れた。とろとろと溢れるそれを見て、化野が満足そうに口元を歪めた。ずん、と下から突き上げられ、苦しさと息苦しさがあるのに、それを超えて気持ちよさが脳を支配した。

「あっ、あ゛っ!」

 突かれる度に、僕の陰茎からは精液が漏れて、腹の上へと溜まりを作った。ひくひくと動く体を押さえつけ、化野は確かめるように、体重を僕側へとかけて足を更に開き重なってきた。

「気持ちいいね?」
「……っ、……っ」
「大丈夫、当たり前のことなんだから、変じゃないよ、だってこんなに」
「、っ、あ」
「出してるもんね?」

 化野の言葉は、不思議だ。
 違うと思うのに、どうしてか、それが本当だと思えてしまう。不思議な力があった。だから、クラスでも発言力があるのかもしれない。
 こんなことして、気持ちよくなるのは、きっとおかしなことだと思う。でも、化野がそう言うと、なんだか当たり前のように思えてしまうのだ。僕は気が抜けて、素直に口に出した。

「……っ気、持ちいい……! はっ……、あ、化野っ……僕、ど、どうしよ……っきもち、いい……っ」
「ふは……っ」

 瞬間、化野の体が僕に密着する。上から押しつぶされ、身動きが取れなくなる中、中に出される感覚があった。ゴム越しとはいえ、今何が起こってるか位、わかっている。ビュウーーーーー、という音が聞こえる気がした。ああ、中に出されてる。
 縋り付き、目を瞑った。化野の精液が僕の中へと注がれていく。それは、多分きっと、いや、絶対におかしいことなのに、僕の思考は、溶けて、それが当たり前だと思うようになっていた。

「はぁ〜〜〜〜……っ」
「…………っ……」

 やがて引き抜かれた先についていたゴムの中には、白濁した精液がたっぷりと入っていた。僕は寝転がったまま、化野がそのゴムの先を縛る光景を眺めていた。
 もう、何回目だろう、こういう光景を見るの。
 すると、僕の方を振り返った化野と目が合った。化野は僕を見ると、嬉しそうににんまり笑い、そのまま唇を重ねてきた。

****


 行為が終わると、いつもとても空しくなる。化野は、男なんてそんなもんでしょ、と笑うけど、そういうことじゃない。
 これは、射精後の後の虚無感とも違う、もっと別種の気持ちだ。
 化野と、こういうことをするのは、もうこれで何度目になるだろう。数え切れないと言うほどではないけれど、両の手で数えるには足りない程にはしてきたと思う。
 している時は、麻痺したように襲ってこないのに、終えると、津波みたいに襲ってくるこの感覚。得も言われぬ不安感。胸の中に広がるもやもやは、日増しに大きくなっていく。
 背後から、化野がぴっとりとくっついて僕を抱き込んでいた。さっきまでの熱は抜けて、ぬくい体温だけが伝わってくる。まだ服を着てないから、汗でちょっとべたついている。
 僕の頭に鼻先をくっつけ、時折含み笑いをしながらうなじに歯を立てる。ぎゅ、とまるでぬいぐるみみたいに抱きつかれ、身動きが出来ないまま、僕は顔に狐面を付けた。

「あ、化野……」
「ん〜?」
「あの………………」
「うん」

 うなじにキスをされ、くすぐったい感覚を覚えながらも、僕は覚悟を決めた。いつか言おうと思っていた。最初は流されるように、だけど、最近はもう、このままだと、自分の感覚がなくなっていくような気がして、怖かった。
 だから、確かめたかったんだ。
 化野は、優しい。だからきっと大丈夫。そんな、慢心めいた甘い考えが僕の中にあったのかもしれない。きっと大丈夫、なんとかなる。なんて、計画性のないものだけど、言わずには居られなかった。
 だから、僕は狐面をしたまま、化野の腕の中で回転して、正面を向いた。

「ず、ずっと聞きたかったんだけど……」
「ん? どしたの?」
「その、こ、これ、友達がすることじゃないよね……!?」
「………………」

 化野は、僕の言葉に驚いているようだった。僕が、こんなことを言い出すなんて、思ってなかったのかもしれない。一瞬、静かになってしまった部屋の中で、化野が僕を見た。僕は、お面越しに目を逸らす。失敗しただろうか。何を言ってるのと言われるだろうか。
 友達がすることだよって言ったよね、信じてくれないの? って言われるだろうか。胸に色々な思いを抱えたまま次の言葉を待つ。
 けれど、化野は予想に反して、見開いたその目を細め、笑った。

「うん、そうだよ」
「え……」
「ってか、当たり前じゃね? 友達がセックスするわけないじゃん。それセフレだし。正直正義ちゃんも途中で気づいてたでしょ、いつ言うかな〜って思ってたんだよね」
「………………」

 もしかしたら、僕は心の中で、「そんなことないよ」と否定してほしかったのかもしれない。化野に最初に吐かれた嘘を、最後まで貫き通してほしかったのかもしれない。
 だってそうすれば、化野とは友達のままで居られた。これは仲の良い友達がすることだから、何もおかしなことはない。何も不思議なことじゃない。当たり前なんだ。
 そう思えるほどに、僕がずっと馬鹿で居られればよかった。
 でも、いくらなんでも、こんなのはおかしいってわかる。ネットで検索しても、掲示板で質問してみても、返ってくる答えは全て同じだった。でも、それでも僕は化野の言うことを信じたかったんだ。
 だって化野は。

「な、なんっ、どうして、嘘、ついたの……」
「んー……まさか信じるとは思ってなかったってか……、普通信じないでしょ」
「…………っ」
「あはは、友達はこんなことしねえよ」

 化野は、僕にとって、憧れだったから。

 目の前で笑う化野に、僕の体は震えた。喉の奥から絞り出そうとする小さな声も震えている。
 ここで、やめておけばよかったのかもしれない。そうなんだ、と言って、有耶無耶にすれば良かったのかもしれない。何も聞かなかったことにして、布団に潜って、眠ってしまえば、また同じ日常が続いたのかもしれない。
 でも、坂を転がり出した石が止まらないように、一度綻べばそれは。

「じゃあ……なんで……」
「そんなの、俺が正義ちゃんを好きだからに決まってんじゃん。――だからさ、これからは友達やめて恋人になろうよ」
「………………」
「俺だけのになって」

 もう二度と元には戻らない。
 僕は狐面の奥で目を見開き、反射的に声を上げた。

「…………無理……」

 一瞬、化野の笑みが凍り付いたように思えたけど、僕は慌てて首を振る。

「あ、あの、化野の事が嫌いっていうわけじゃなくて、でも、僕は、……その、化野とは友達で居たいっていうか……もっと、ふ、普通の……」
「友達はこんなことしないけど?」
「う、うん……だから、もう、こ、こういうことは……しない、方が……いいよ。こういうのは、と、友達でするのは……ちがっ、違う……」

 お面をつけて良かった。素顔のままだったら、きっと何も言えなかっただろうから。面の中で視線を彷徨わせる。声が籠もって聞こえるのは、お面をつけているからだけじゃない。
 そう、こんなことは本来するべきじゃないんだ。だって僕たちは男で、世間的に見ればまだ子供で、こんなこと、しちゃいけない。もっと早くに言えば良かったのに、ずるずると続けてここまできてしまった。
 でも、もうやめよう。これ以上は駄目だ。だってそうじゃないと、きっと、後戻りが出来なくなる。さっきまでの情事を思い出して、僕は強く拳を握った。快楽に浮かされて、淫らな言葉を吐く自分が、恥ずかしくて堪らなかった。つい溢れてしまった言葉だけど、これでよかったのかもと思い直す。
 だって、もっと普通でよかったんだ。帰り道にマックで寄り道したり、休日は一緒に遊んだり、当たり前みたいな日常が、普通が……。
 目の前で、化野が息を吐く。その声がやけに大きく聞こえて、僕は肩をビクつかせた。

「あんなに気持ちいいって、俺のちんぽであんあん喘いでたくせに、今更何言ってんのかね」

 か、と顔が熱くなった。けれど、同時に、冷たさを含む声にハラハラした。
 怒っている。化野は普段僕に優しいから、あまり実感は湧いてこなかったけど、厳しい時もあるし、たまに恐ろしいと感じる事だって何度かあった。
 化野はきっと捕食者で、僕は食われる側。そんな当たり前のことすら忘れるくらいに、化野は僕に優しかった。
 ベッドから起き上がり、羽織ったシャツのボタンを留めもせず、化野が僕を見つめてくる。その視線に耐えられなくて、僕もベッドから出て、落ちている服を拾って身につけていく。

「……ご、ごめん……」
「何が?」
「………………」

 何が、と聞かれれば、僕にもよくわからなかった。
 気持ちいいって言ったのは本当だし、気持ちよかったのも本当だ。でも、気持ちいいから、怖かった。

「き、気持ちいいと、僕が、その、僕じゃ……なくなってくみたいで、だから……」
「もうセックスしたくない?」
「………………」

 化野の言葉に、ただ小さく頷いた。怒るだろうか。いや、いっそ殴られた方がマシかもしれない。それで許されるなら、そうなってほしかった。けれど、化野は僕をじっと見つめたまま動かない。
 化野の部屋はまだカーテンを閉め切っていて薄暗く、壁一面にかけられた色々なお面が、僕を睨みつけているような気がすらした。蛇に睨まれた蛙のように、僕はほぼ全裸の様な間抜けな格好で、固まらざるを得なかった。

「俺のこと嫌い?」
「あ! 化野のことは好き、だよ、だけど……こ、こういうのは……もう……っ」

 固唾を飲み、胃が千切れそうな思いで次の言葉を待つ。
 どのくらいそんな時間が続いただろう。突然、化野は、ふ、と吹き出して、それからケラケラと笑い出す。

「あーーーあァ〜〜、フられちゃったあーー、マジかーー結構自信あったんだけどなーー」

 何が面白いのか、腹を抱えて笑っていた。僕は、どう対応すればいいかわからないまま、おろおろと狼狽える。
 すると、化野はピタリと笑みを引っ込めて、再び僕を見つめてきた。

「ホントに、元に戻りたい?」
「…………」

 その問いに、僕は小さく頷いた。元の、が何を指すのかはわからないけれど、こんな爛れた関係はもう嫌だった。嘘でも何でも、騙されたままであれば、続けられたこんな”遊び”も、化野が自ら壊してしまった。いや、壊したのは僕なのかな。どっちでもいい。どのみち、もう綻んでしまったから。
 化野と恋人に、と考えると、今とやっていることは変わらないのかもしれない。けれど、友達という関係が変わることが、怖かったんだ。だって僕は、そういう意味で化野が好きなのかと聞かれれば、きっと違うと思うから。恋なんてまだよくわからないけど、化野と一緒に居ると、好きという気持ちよりも、よくわからない不安の比率が大きくなる。
 僕が頷くのを見届けてから、化野はいつもの明るい笑みを見せた。

「そっかそっか、ごめんね! 今まで我慢させちゃってた?」
「ぼ…………僕……ごめ……」
「いやいーよ、気にしなくて。こっちこそ、ごめんねー。んじゃ、もう今日限り、こういうことはしないってことで、あ、正義ちゃんがまたしたくなったら言ってね? なんつって〜、アハハ!」
「…………」

 化野が明るく笑ってくれて、僕は内心安堵した。ほっとして、頷くと共に俯いた。やっぱり化野は優しくて、いい人で、そんな人を疑ったことを申し訳なく思ってしまった。もしかしたら、断った事を理由に、何かあるかもなんて、失礼な考えだ。
 僕の目線は、罪悪感を紛らわせるように地面へと向けられていて、だから、化野がどんな顔をしているかなんて、僕は見ていなかったのだ。

「…………………………今更遅ぇっつの」
「え?」
「ん?」
「あ、今……」
「何? それより、服着たら? パンツパンツー、俺のどっちだっけ」

 ぼそりと呟かれた言葉は、僕の聞き間違いだったんだろうか。いや、聞き間違いだったに違いない。
 だって、化野はいつも通り、にこにこと笑っていたから。皆と仲良くて、クラスのカリスマ的存在で、人気者の化野大志の顔をしていたから。
 僕は早々に衣服を身につけ、化野宅を後にする。居づらかったというのもあるし、もう、やめたということを実感したかったのもある。

「それじゃ……また明日……」
「うん、また明日ね、小波くん・・・・

 明るく手を振る化野にお辞儀をして、僕は化野宅を離れた。


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