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 鈴の音が聞こえる。鳴り響くそれは、クリスマスとかに聞くような音ではなくて、何かを打ち慣らすような、凛として、澄んだ音だった。意識が浮上したかと思えば、腹の辺りに鈍痛が走り、また意識を手放す、そんなことを、繰り返していた。真っ暗な闇の中、小さな子供が泣いていたような、そんな夢を、見ていた気がする。

「……あれ」

 ぱちりと目を開けると、俺は見覚えのない場所にいた。自分の部屋でも、ラブホでもない。薄暗い闇の中、俺は目を覚ました。なんだか、血生臭い匂いがする。どこだ、ここ? 見覚えのない場所に俺は鼻をひくつかせ、ゆっくりと起きあがった。

「いっ……!」

 しかし、腕に力を入れて起き上がった瞬間、腰に鋭い痛みが走り、その場に崩れ落ちた。いてえ、マジ痛い。ああ、そうだ、俺、渦見に掘られたんだっけ。あの野郎、マジで手加減とかしなかったな、学食一年分じゃたりねーぞコラ。
 涙ながらに恨みつらみを考えていると、俺はあることに気が付いた。白い袖口に、赤い渦模様。

「……ん?」

 そこで、初めて気づく。なんだ、この格好。いつの間にか、俺は真っ白の着物を着せられていたらしい。道理で、なんか動きづらいと思った。部屋自体が涼しいので、暑くはないけれど、疑問符ばかりが浮かんでくる。何重かに重ねられたその着物は、着ているだけでも結構重く、裾は足を覆う程に長かった。袖口と裾には赤い渦模様が施されていて、帯は朱色に、妙な飾りがついている。なに、これ? ていうか、何処だ、ここ? 
 辺りを見回していると、急に闇の中から渦見が現れた。

「おはよ、笠原」
「うわぁ!」

 驚きのあまり、後ろに転びそうになるのを、渦見が慌てて手で支えた。

「大丈夫?」
「ああ……って、いや、全然大丈夫じゃねえよ! 何だよこの格好! っつーかどこ此処!?」

 そう、大丈夫じゃない。ここはどこで、これは一体どういうことだ。宇宙人に攫われたとかじゃなければ、原因は一緒に居た渦見としか考えられない。混乱に、頭がついていかず、俺は渦見に詰め寄った。
 しかし、俺としては必死すぎるくらい必死なのに、肝心の渦見はといえば、何故か照れた様に頬を赤らめている。おい、なんだよその顔は。

「此処は俺の実家! そんでその格好はー……花嫁衣装っ! あひゃひゃ! 笠原似合ってるぅー」
「は? お前、なに言ってんだ。頭大丈夫か、マジで。なあ、おい」

 発言の意味が理解できない。いや、わかるけど、それがどうして俺にされているのかがわからない。わなわなと震える手を渦見へと伸ばした。いつもの冗談か? だけど、冗談と捉えるには、目がマジで、伸ばした手を両手でがっちりと掴まれてしまった。いつも笑っている渦見の顔が、怖いくらいに真剣で、ゆっくりと迫ってくる。なに、なんだよ。恐怖か混乱か、あるいはそのどちらもか、体が震える。後ずさる俺を捕らえながら、渦見が口を開いた。

「な、なんだよ」
「あのね、笠原、驚かないで聞いてほしいんだけど……」
「……何?」
「俺ね…………。笠原のこと好き、です!」
「…………は?」
「あひゃー! 言っちゃった言っちゃった! 俺、自分から告白したのハジメテ! チョー恥ずかしい! あひゃひゃ!」

 掴んでいた手を離して、渦見は自らの顔を覆った。はみ出た耳が赤く染まっている。照れているらしい。お前、照れたらそんなんなるんだ。いや、それはいいけど、こっちは全然それどころじゃない。こんな訳のわからない状況でそんな告白をされても、回答に困る。
 テンションの高い渦見とは裏腹に、俺のテンションは著しく下がっていく。いいから、早く出たい。ここ、なんか血なまぐさい匂いがするし、目は大分暗闇に慣れてはきたけど、それでもよく見えない。それに、さっきから聞こえるこの鈴の音、なんだ?

「…………つか、だから、ここ、どこ」
「あれー? 笠原、全然驚いてない?」
「お前の冗談には付き合ってらんねえの、いいから、教えろって。ここどこだ、よっ……!?」
「……ジョーダン?」

 ぐ、と首根っこを掴まれて、後ろへと押し倒された。背中と頭を思い切り打って、目の前で星光が舞う。俺が咳こんでいると、うっそりと笑う渦見の顔が、目の前にあった。歪んだ様な、無邪気な笑顔。いつもの顔なのに、渦見じゃない。俺はゾッとして、逃げようとした。けど、逃げられなかった。首の根元を掴まれて、逃げようにも叶わない。

「ゲホッ……げほっ……」
「冗談? 冗談じゃないよね、冗談で、こんなことしないよねえ〜」
「う、ずみ」
「本当は、逃がしてあげよっかなあって思ったんだよ、可哀想だし、俺、笠原のこと嫌いじゃなかったから」
「ひ……」

 首から離れた両手が、俺の頬を掴んだ。渦見の唇が、俺の口に覆い被さってくる。拒もうとしたけど、逆に舌が入り込んできて、濡れた水音が漏れるだけだった。それに、今、拒むと、とんでもない事になる気がして、俺の本能が阻止するように、体が動かず、硬直していた。

「ん、ぅ、むっ……!」
「ふはっ……、でもやーめた。だって俺、笠原ほしくなっちゃったから! 逃がすのも、俺が消えるのもやーめた! あひゃひゃひゃ、ごめんねっ諦めて!」
「お前……、何、言ってんの? 意味わかんねえって……」
「俺が消えてー、笠原が誰かに取られるの考えたらむちゃくちゃムカついちゃった。これって好きってことだよね? だよねえ? あひゃひゃ! わかった、ぐるぐるの正体! 俺わかっちゃったの! 初めてだからわかんなかったけど、わかっちゃった、あひゃひゃひゃひゃ!」
「な、ん」
「笠原は、もしかしたら死んじゃうかもしれないんだけどさ。でも、大丈夫、俺が守るし、もし死んじゃっても、ずっと一緒にいるからねえ!」
「だから、何言ってんのかわかんねえって!」

 死ぬ? ずっと一緒にいる? さっきから、何を言ってんだよこいつ。正気じゃない渦見の目に、全身から血の気が引いていくのがわかった。よくわからないけど、今がやばい状況ってのは、解る。誰か、いないのか。こいつ、なんか頭おかしい、やばい。

「っ……誰か! 誰かいないのかよ!」
「笠原はね、本当は、俺を拒絶するべきだったんだよ」
「……ひっ」
「俺が何を言っても、何をしても、殴って、抵抗して、死にものぐるいで逃げてりゃよかったの。そうすれば、俺ももしかしたら諦めてたかもしれないんだよ? なのに笠原、受け入れちゃうんだもん。そしたらさあ、欲が出ちゃうじゃん? 馬鹿だよな、だからあ、この状況は笠原のせいでもあるんだーよねー」

 けらけら笑いながら、渦見が俺を抱きしめてきた。さっきから、こいつは何を言ってんだ? 俺のせいって、なんだよ。意味わかんねえから。涙腺が緩くなっているらしい、歪む視界の中で、再び、渦見がキスをしてきた。しかし、今度のはさっきみたいのじゃなくて、触れる程度の小さなキス。

「……あんま、キスばっかすると、口紅取れちゃうか。続きはまた後でね」

 唇に指を当てて、渦見が笑う。口紅? 手の甲で口をこすると、赤い紅がついた。なんだ、鏡がないからわからないけど、もしかしたら、化粧でもされているのか? ていうか、この格好、本当なんなんだよ。渦見は花嫁衣裳とか言ってたけど、花嫁って、もしかして俺の事? あり得ない、けど、この状況はさっきからありえないことだらけで。痛む腰を抑えながら、逃げようと上体を起こしたけど、すぐに抑え込まれてしまった。

「これはただのオレのワガママ。だいじょぶ、この格好は今日だけだよ。形式状のもんだし、俺の家のやり方で申し訳ないけどね」

 渦見が、俺の頭に布を被せてきた。角隠し、みたいなもんだろうか。ただ違うのは、その角隠しの色が血の色みたいに、真っ赤だったってことだ。着物とは逆で、白い渦模様がついている。震える俺の手を握ると、突然周りが明るくなった。
 明るく、といっても、ほかの証明が点いただけで、微々たる光だったけど。それでも、周りの光景を見るには十分だ。

「―――ひっ……!?」

 そこで、俺は、初めてさっきから鳴っていた鈴の正体に気がついた。俺は、俺と渦見は、どうやら鉄格子で閉ざされた部屋の中にいたようだ。壁には、びっしりと札が貼り付けられていて、近くには妙に錆び付いている回転椅子が転がっている。畳の上は、妙に赤黒い染みがついていて、何かが蠢くような気配を感じていた。そして、その鉄格子の向こう側には、不気味なお面を被った白装束たちが正座し、赤い鈴を鳴らしている。チリン、チリン、と、一定の間隔で鳴り響く鈴に、錫杖の音が続く。蝋燭の炎が揺れる中、俺の姿を見つめると、全員が拍手した。同時に、持たれていた鈴もけたたましく鳴り響く。チリンチリンチリンチリン、と裂くような音に、身の毛がよだった。

「な、なに……!? だ、誰」
「安心して、笠原」
「何が!」

 今この状況で、安心できる要素なんて一つもない。ただただ、恐怖だけが俺を支配していた。逃げなきゃ、でも、どうやって。なんでこんなことになってんだよ、怖い。怖い怖い怖い怖い! 震える体を、渦見が後ろから抱きしめてくる。
 白装束の一人が、錫杖の様なもので、床を叩いた。その音に、体がびくりとわななくと、全員が鈴を置いて立ち上がる。こ、こっちに来る!

「ひっ、な、何! 嫌だ、来るな! おい、渦見、なんだよこれぇ!?」
「大丈夫、すぐ終わるから。ちょっと痛いだけだよ」
「何が!? いやだって、おい、離せよ!」

 外にいた白装束が、わらわらと鉄格子を開けて、部屋に入ってくる。誰一人として声を漏らさず、作業のように、俺を押さえつけてきた。こんなに泣き叫んでいるのに、誰一人として気にしない、そんな異常な光景に、頭が狂いそうだ。渦見が俺から離れると、白装束の一人が俺の袖を捲って、左手の甲を床に押しつけられた。俺は必至こいて、渦見に向かって手を伸ばす。

「渦見、助けて! 渦見!」
「これね、形式状やんなきゃいけないんだって。ごめんね、でも、俺も後でやるから」
「何がだよ? 訳わかんねえって言って……、あ、あああああああああああああ! ぅあ゛っ、あ゛あ゛あ゛あ゛! いたい、やだあああああ!」

 じゅ、と燃える感覚に、劈く様な悲鳴を上げた。驚いて振り返ると、手の甲の上に、熱い焼き鏝が、押し付けられている。肉が焼かれる感覚に、喉が潰れるんじゃないかと思うほど、叫んだ。痛い、熱い、苦しい。肉の焦げる匂いがする、頭がイカレるんじゃないかってくらいの苦痛に、俺は絶叫した。

「うあああああああっあ、熱い! 嫌だ! やめろぉ、い、あ゛あ゛あ゛、ひっ、た、助けて! 嫌だぁあああああ!! ぎ、ぐぎぃいい! あっ!」

 一瞬押し付けられたそれはすぐに離れだが、剥がされた後は赤く焼けただれ、焦げている皮膚の上に水をかけられた。激痛が全身に走る。

「うううううううぐうううううううっ! あ、うぁああ!!」

 手には、なんの為か知らないが、丸い渦模様のマークが、くっきりとついていた。ふーふーと荒く呼吸をしてみるが、痛みはちっとも治まらない。なんだよ、これ、なんで、こんな。吐き気すらこみあげてくる自分の手が濡れたタオルで包まれる。頼みの綱だった渦見はと言えば、隣で俺と同様に右の掌の上に、焼き鏝をくっつけていた。自分で。じゅううっと、肉の焼ける音と、焦げた匂いが充満する。狂ったような笑い声が、部屋に響いた。

「ぎっぎぃいいっ、あひゃ、あひゃひゃっ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! ひひっ、ふーっ……ふーっ……あっつ……あひゃひゃっ! あっちーわこれ! あひゃひゃひゃひゃひゃ!」

 熱された焼き鏝を手のひらから剥がすと皮膚も一緒に剥がれていくのが見えて、俺は空いた手で口元を抑えた。渦見は血塗れの手を水に浸し、それから、俺に満面の笑みで掌を見せてくる。焼き鏝が地面に落ちて、鈍い音が聞こえた。

「……はー……ふー……っあひゃ、これで、笠原とおんなじだね! 誓いの印ってやつ?」
「っ……う……」

 すでに、俺の顔は涙と鼻水でどろどろになっている。近くにいた白装束達が、こぞって俺たちの左腕を治療してくるけれど、そんなもんで痛みが和らぐはずもない。何か言おうって思うのに、漏れるのはうめき声だけだ。泣きながら、俺は地面に這いつくばっていた。助けて、助けてください。なんでもするから、もうやだ。ここから出してくれ。そう思うのに、言葉にならない。

「う、ううぅぅうう……う……」
「笠原、痛い? ごめんね。でも、これでずっと一緒だから」

 渦見が、右手で俺の頭を撫でてくる。狂ってるよ、お前。そう言ってやりたいのに、涙ばかりが零れてきた。なんで、なんでこんなことされなくちゃいけないんだよ。真っ白だった着物が、少しだけ血で汚れていた。渦見は相変わらず愛おしそうに、俺の頭を撫でてくる。

「あっ、あああ、あ」

 痛い。熱い。もう、何がなんだかわからない。こいつが何を考えてるのか、俺には全然理解できない。渦見が、再び俺にキスをしてきた。啄む様なキスに、俺は歯を食いしばる。

「笠原、好きだよ、愛してる」
「……っ……俺は、もう、お前のことなんか大嫌いだよ……っ」
「あひゃ、もう遅いって、最初にそー言っとけばよかったのにね」

 すすり泣くような俺の声と、ケラケラ笑う渦見の声だけが、闇の中に響いていた。 
 俺、これからどうなるんだろ。焼かれた手の甲を見つめながら、再び鳴り始めた鈴の音に意識を傾けて、目を瞑った。暗闇が、俺を支配する。もう、無理。

「笠原、かさはらぁ、これからはずっと一緒だよ」

 暗闇の中、渦見の声だけが溶けていった。

終わり


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