おかあさん


「僕なあ、お母さんが欲しかったんや」

 ぽつりと呟いた言葉に、良介くんは動かしていた手を止めて僕を振り返った。

「……お前、母親いないの?」
「おるよ、今も多分生きとる。せやなくて、僕が欲しいお母さんが欲しかったんや」
「ふーん……?」

 よくわからないという顔をして、良介くんが首を傾げる。そんな良介くんに近づき、僕は淹れていたお茶を彼の目の前に差し出した。軽い礼を言いながら口を付ける。その姿を見て僕は目を細めた。
 ほんま、なんでなーんも疑わずに口をつけるかわからんわ。僕がなんか盛ってるかも、とか考えへんのやろか。
 流石に一緒にいる以上は、もう盛らんけど、良介くんを騙すのは簡単すぎて心配になるよ。いつか悪い奴に連れていかれへんやろか。まあ、総合的に見ると、僕も十分悪い奴やねんけどな。

「僕をぶったりせんで、優しくて、僕を大切にしてくれて、なんや、料理とかお菓子とか作ってくれはるお母さんが欲しかった」
「……重いなおい。あー、まあ、俺も母親いねえけど、それなりに楽しいもんだぞ」
「良介くんのお父さん、いい人そうやしなあ」
「俺、お前に親父紹介したことあったっけ」
「ないけど、調べればわかるよ」

 その言葉に、良介くんは小さく「怖っ」と呟いて、持っていたティーカップをテーブルの上に置くいた。
 それから、少し引いた顔で僕の事を見てくる。

「お前……、そういうの気持ち悪いからやめろよ」
「僕の愛情表現やで」
「…………」

 さっきまではチョイ引きだったんが、今ではどん引きの顔になってしまった。良介くんは聞かなかったことにしたらしい。再びペンを動かし始めた。今日やってるのは、大学の課題やなくて、バイトの昇進試験の問題なんやって。
 バイトなのに昇進とかあるんや、と聞くと、誇らしげに「頑張ったから! 給料上がるぞ!」と答えてくれた。あまりに笑顔が輝いていたので、昇級したら一緒にいる時間減るという文句も言えへん。
 良介くん、ほんまお金好きやな、なんて言おうもんならまた怒られるから言わへんけど、お金なんて稼ごう思ったらそれこそいろんな手段で稼げるのに。
 こつこつ真面目に働く良介くんは、やっぱりまともな部類の人間なんやろなと思う。なんで、あいつとつるんどったんやろ。根がええやつなんやろな。せやないと、僕をここに置くわけないし。

「なあ、これ美味いな」
「ああ、アールグレイ。あんまクセないし飲みやすいから」

 良介くんがペンを動かしながら、再びカップを持ち上げた。良介くんの部屋には湯呑しかなかったから、僕が勝手に買うた奴。良介くんは紅茶も湯呑でええやろとか抜かしよるけど、そんなん僕の美意識が許さへんわ。
 白くて、簡単に壊れてまいそうなティーカップは、僕好みや。
 元々、そういうのが好きやった。簡単に壊れて、もう二度と戻らないもの。せやけど、良介くんは強い方やなあ。でも、今はそっちのがええな。
 良介くんは、硝子カップよりかはプラスチックかコンクリート……、いや、ウレタン、低反発素材?

「でも骨ばってるから触り心地はいまいちやねんな」
「何が?」
「いや……鳥の手羽先の話」
「なんで鳥手羽の話……、つーか美味いじゃん鳥手羽。うまかったら触り心地何てどうでもいいだろ」
「ま、せやね」

 確かに、美味しかったら触り心地何てあんま関係ないわ。
 にこりと微笑んで言葉を返すと、良介くんは怪訝な顔をして僕を見た。基本的に、僕が話して、良介くんが相槌を返してくれる。それだけや。でも、今までそんなことはあまりなかったから、嬉しい。
 誰も喋ってもくれへんかったし、特に仲良くなろうなんて思わへんかったし。

「良介くん」
「なんだよ、今勉強中だ」
「そこ間違っとるよ」
「……おお」
「僕、教えようか? 多分良介くんよりは出来るで」
「お前、見返りに何か要求してきそうだからヤダ」

 あっさりと断られ、良介くんはまた俯いてもうた。
 あーあ、残念。
 僕はこれ以上話しかけると怒られるかなと思い、もう口を噤んで、夕飯の準備でもすることにした。何にしようかな、まだ食材、なんや余っとったっけ。
 冷蔵庫を開いて物色していると、良介くんの視線を感じて振り返った。

「ん?」
「いや、お前、お母さんみたいだな」
「………………良介くんのお母さん怖あ」

 息子を犯す母親がどこに……ああ、でも、案外いるかもしれへんな。そう考えると納得もいくわ。けど、良介くんはそんなおかしな環境で育ってないやろ。

「勘違いすんなよ、冷蔵庫開けて飯のこと考えたり掃除洗濯してる姿が重なっただけだ」
「良介くん、全体的に大雑把なんやもん……僕がやった方が綺麗やし早い」
「そういう所な」
「ふーん、でも」
「ん?」
「や、なんでもない」

 良介くんも、お母さんぽいところあるなあ。いや、お母さんというよりも、アヤメさんに似てるかもしれへん。アヤメさんは、僕の頭を撫でてはくれへんかったけど。
 あの高い小窓の、格子から延びた手を思い出す。あの手を握れればよかったのに。けど、握ったところで、結果は同じやったんやろね。多分、なんも変わらへん。僕はあの時父親からも逃げて、アヤメさんからも、終夜からも、全部から逃げ出した。
 逃げ出した結果、何も手に入らへんかった。
 せやから、今度は逃げ出さんと、しっかり手ぇ繋いどかなあかんなあ。目を離すとあっという間に攫われてまいそうやし。

「晩ご飯、何がええ?」
「なんでもいいよ」
「そういうんが一番困るわ〜」
「えー、じゃあ、肉」
「灯ママ的にはなあ、今日は野菜の炒めものや」
「もう決まってんじゃん」

 苦笑する良介くんに笑みを向けて、膝の上に置かれた手を見る。なんてことない普通の、男の手。でも、君は僕がその手に救われたってこと、知らんのやろ。
 僕が一番欲しかったものなんて、知らんのやろ。
 与えられたものは、もう二度と、離したくなんかない。
 僕、結構独占欲強いねん。



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