灯笠【BADその後】



 優しい子守歌というのを、僕は聞いたことがない。
 昔から、暗い部屋の中、一人で寝とったから。だーれもいいひんかったし、たまに聞こえてくるんは、誰かの笑い声やった。
 子供? 大人? ようわからへんし、今はもう覚えてない。
 ぼそぼそと暗い声が聞こえてくる程度で、なにを喋っていたのかもわからない。

 せやから、僕は子守歌とは無縁やった。その変な声が、子守歌と形容できるんなら、それが子守歌なんやろうけど、あんなん気持ち悪いだけやったわ。
 そもそも、歌ってくれる様な人も居てへんかったし、歌われたところで安眠妨害。寝る間際に横で下手な歌聴いても寝付けへんやん。そう思っとった。けど、今は子守歌ってのも悪ないなあ、って思う。
 別に、歌自体はうまくないんやけど、聞いとったら安心すんねん。子供返りって訳やないけど、頭なでられながら、彼の声を聞いてると、ずっとこのまま居られたらええのにって、思ってまう。
 そんなん無理やって知っとるくせに。





「あああああ! イヤだ! イヤだ! 助けて、親父、誰か、もうやだ、やめてくれ! 触るな、俺に触んなよ、気持ち悪いんだよ!! 入ってくるな、俺の名前を呼ぶんじゃねえよ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」

 全部忘れて、僕の言う通りに、僕の望む言葉をくれはる良介くんやけど、たまに昔のことを思い出すのか、狂ったように喚き散らすことがある。
 物に当たって、もうない両足を振り回し、暴れまわる。
 僕の良介君は、どんどん壊れていく。

「良介くん」
「やめろやめろクソ野郎、俺をこっから出してくれよ、触るな! 触……っう、ううああああ〜〜〜」

 かと思えば、泣きだしたり、突然大声で笑ったり、ロボットみたいに同じ言葉を繰り返したり。
 目を見開いて、見えているのかわからない目で僕を見る。視線を彷徨わせて、祈る様に許しを乞うてくる。
 壊したのは僕やけど、そんな時、どうすればええのかわからなくなってまう。
 ただ抱きしめて、頭をなでたり、耳元で囁いたりすると、段々落ち着いてくるのか、いつもの良介くんに戻ってくれる。でも、今日は戻るんが遅い。段々、遅くなってきている。いつか、このままおかしなって、戻らなくなったらどないしよ。ぞっとしない話やなあ。そんなんあかんよ。

「やだ……いやだぁ……、俺の足……どこいったんだよ……ない……ない」
「事故で失くしたんや」
「事故……? 違う、俺の、足はお前が」
「事故や。良介くんと僕は、昔からここに居て、その足は交通事故で失くした。それからずっと、僕が良介君の傍におるんや。ずっと世話して、せやろ?」
「あっ、ああ……」
「ほら、えーこやなあ。落ち着いて」
「ううっ……」

 向かい合わせになり、肩口に良介君の顎を乗せて、優しく頭を撫でた。
 荒く呼吸をし、痙攣する体を落ち着かせるために、片方の手で背中を緩く擦り、言い聞かせるように、ゆっくりと言の葉に乗せながら。
 生ぬるい時間が部屋の中を流れていく。時計もない、静かな部屋。
 君をここに閉じこめてから、どれくらい経ったんやろか。何年くらい、経ったんやろ。いつになったら、全部忘れてくれはるの? もうええやん。思い出さんほうが、君も幸せやろ。思い出したら、こうなるだけやん。思い出しても、どうしようもないし、元の生活に戻れるわけもない。
 やって君、世間的にはもう「死んでる」んやから。

「ひっ…………う……ぐ」

 肩がじっとりと濡れていくのを感じた。涙か、唾液か、鼻水か。まあ、なんでもええけど。嗚咽を漏らしながら、良介君は繰り返している。うわ言のように、えづきながら。

「事故、事故、事故……足、じこ、ちがう。俺は、ちがくて、もう、いやだ……殺して……殺してくれよ……」
「違わないよ、君の足は事故で失くした」
「足、俺の足ぃ……」
「もう戻らんて、可哀想になあ、でも大丈夫。僕がずっと面倒見るから。事故のことは、もう忘れなあかんよ」
「あっ……ぐう……」

 ぎゅっと掴まれた手に力が入る。がたがたと震える体を愛しげに撫でながら、耳元で囁いた。不安に揺れる瞳が、僕を捉える。起こした体が、汗ばむのを感じていた。

「じこ……?」
「うん、僕は君の恋人やで」
「恋人、俺は、灯の」
「せや、ずっと一緒におったし、これからも一緒や」
「うーっ、あ、ああ……あっ、うううううう……」

 よしよし、と頭を撫で続けていると、段々と落ち着いてきたのか、良介くんの震えが収まっていく。ああよかった、戻らなくなったらどないしよかと思ったで。
 回されていた腕が解かれ、良介くんは僕を見た。目が赤い。涙で濡れた瞳に唇を落とすと、くすぐったそうな笑い声が漏れた。

「……はは、なにすんだよ」
「ん? なんや、兎さんみたいな目になっとったから、耳でもあるんやないかな、思って」

 くしゃりと髪の中に手を忍ばせると、良介くんが笑う。幸せそうに、恋人に対するはにかんだ笑みを見せた。

「くすぐったいよ」
「嫌?」

 そう聞くと、小さく首を振った。先刻まで喉が破れるんじゃないかという声で泣き叫んでいたとは思えないような、穏やかな笑顔だった。
 日が当たらないせいか、白くなった顔に手を当てて目線を絡ませると、良介君の手が僕の胸に伸びてきた。

「いやじゃないよ。灯に触られるの、好きだから」

 触るなと叫んだ口で、愛を紡ぐ。
 気持悪いと罵った口で好きと言う。
 僕がそうするようにした。そう言う様に教えたから。口角を上げ、薄く開いた唇に舌をねじ込んだ。生ぬるい体温を奪う様に、貪った。

「んっ」

 さしたる抵抗も見せず、良介君は僕を受け入れる。柔らかく、温かな咥内をかき回すと、ねっとりとした弾力に包まれて良介君は蕩けそうな顔をして僕に縋りついてきた。

「はっ……好きだ、愛してる」
「うん、僕もやで」

 意味のない言葉の応酬。当たり前になった会話。僕が教えた、愛の言葉。

「好き、大好き。灯が一番好きだよ。ずっと一緒にいてくれ、俺、お前がいなくなったら生きていけないんだ」
「……うん、僕も。僕も同じやで」
「あ、あ」

 首筋に唇を埋めると、細い指先が歯がゆそうに僕の背中を引っかいた。素直になったなあ。
 最初は、どうやったっけ。もう、うまく思い出せへん。思い出したくないのかも。僕も君と同じで、このぬるま湯みたいな環境を抜け出したくないんや。ここを守るためやったら、なんでもすんで。
 誰だって殺すし、君に近づく奴も許さへん。君が誰かと喋ってる姿なんて見たないし、誰かの事を口にするのだって耐えられない。せやから、ここに閉じこめた。
 誰にも見られないように、誰にも触れられないように、誰にも気づかれないように。
 本家の奴らも分家の連中も、僕の事を頭のイカレた気狂いと呼んどる。にこにこと僕に媚び諂う表情の下で、そう思うとる。けど、そんなん、この家に居る時点で、皆おかしなっとんねん。今更気にしてもしゃあないやろ。

 柔らかな頬を両手で包み込み額に唇を落とす。くすぐったい笑みが僕の下で響いてる。好き、好きやで。
 もう、君が居てくれればそれでええねん。きっかけがなんやったか、もう覚えてないけど、もうそんなこともどうでもええ。ただ、傍に居てほしいんや。

 良介くんの手が、僕の髪をかきあげた。僕が優しく微笑むと、ふと、目を丸くして良介君が声を上げた。

「……―――うずみ?」

 その、瞬間。

「あ゛っ、……か……っ!」

 自分でも信じられない速度で、良介くんの首を絞めていた。 ちがう。違う違う違う、あいつの名前を呼ばんといて。その口、であいつの事を考えんで、あいつのこと話さんといて。そんなんあかんよ。許さへんよ。
 なんでなん? こんなになってまで、君をこうしてまで、あいつと離したのに、どうして君はまだあいつの名前を言うんや。まだ、駄目やったん? まだ足りひんの? どうすれば忘れてくれはるの。どうすれば君は僕を見てくれはるの。
 細い、首。折れてしまいそうな首。体が熱くて、それなのに、震える。

「う…………ぁ……!」

 頸動脈を圧迫したせいか、良介くんの顔は真っ赤になっていた。

「と……すっ……」
「っ……!」

 慌てて、手を離す。良介くんは、その場に倒れ込んで、苦しそうに咳き込んでいる。
 ……なんや、僕。なにしとんのや。あほちゃうの、ごめんな良介くん。苦しかったやろ。痛かったやろ。抱き起こして、謝った。

「ごめん、ごめんな良介くん」
「灯……って、そういう、名前じゃ、なかったっけ?」
「……ちゃうよ。僕は葛木や。葛木灯、最初にそう言うたやん」
「そうだっけ……」

 朧気な瞳で、口の中で何度もつぶやいている。かつらぎ、かつらぎ。あの人の姓を、何度も呟く。
 嘘に嘘を重ねていく。僕たちの間には、もう嘘しかないけど、僕が君を好きなのだけは本当のことやで。多分な。もう、自分でもようわからへんけど、君がおらんくなったら、僕が僕でなくなるのだけは事実や。
 僕は良介君にずっと謝っていた。腕に力を込めて、抱きしめる。
 良介くんの体からは、いい匂いがした。部屋で焚いてる香の匂い。死臭はしない。生きとる。大丈夫、大丈夫、死んでない。
 殺してない。殺さへん。僕が君を殺してまったら、僕はどうすればええんや。

「ごめんな、苦しかったやろ、辛かったやろ」
「大丈夫、大丈夫だから、灯、泣くなよ」

 良介くんが、僕の涙拭いながら微笑んだ。ごめんなさい、と何度も謝る。僕は君のことをこれ以上ないくらいに壊してしまったけど、それでも僕は君のことを諦められない。ずっとずっと、縋りながら生きていくしかないんや。せやから、お願いやから、僕のことを捨てへんで。

「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」

 繰り返すように、歌うように、言葉を紡ぐ良介君の胸に、そっと体を預け、目を閉じた。
 子守歌って、こういう感じなんやろか。安心して、気持ちよくて、ずっとこうしてたくて……。

 終わってしまうのが怖くてたまらない。
 でも、選んだのは僕やから、僕は最後まで君と一緒におるよ。

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