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 真っ暗だった。
 目を開けるとそこは暗闇で、自分の姿さえよく見えない。目の前で手を広げても闇。目を開けても瞑っても闇。
 真っ暗だ。
 ここはどこだろう。そもそも俺は今存在しているのか?
 どうしてこんな所にいるんだ。誰か、誰か助けてくれ。泣いても泣いても、涙が見えない。辺りは一面同じ色で、そのまま黒に飲み込まれてしまうんじゃないかと思った。その時、上から手が降ってきた。

「こっちだよ」

 俺はその手に抱き縋る。
 助けて、ここから出してくれ。例えようのない恐怖に追いつめられ、開かれた手のひらをぎゅっと握る。手は俺の手を握り返すと、そのまま上へと引っ張りあげてくれた。
 よかった、助かった、ありがとう、ありがとう。
 感謝の気持ちでいっぱいになった瞬間、俺の目の前が明るくなった。

「ーーおはよう、笠原」
「…………?」

 目の前で、渦見がにこにこと笑っていた。
 黒髪じゃない。スーツでもない。昔みたいな金茶の髪に、服装はどちらかというとゆるい格好で、俺を上から見下ろしている。俺の記憶の中にある渦見と同じだ。
 ……なんだ? あの格好はやめたのか? それとも、やっぱり、全部夢だったんだろうか。今まであったこと全部、学生の俺が見ていた夢だったのか?

 俺があの家に連れ去られたことも、灯にされたことも、渦見がしていたことも、灯と一緒に暮らしていたことも、就職も、教師としての生活も、すべて。
 そんなことあるんだろうか? 夢にしては、リアルすぎだ。記憶が混濁していて、目の前がぼやけている。そもそもここはどこだ?

「っ…………!」

 声を出そうとした。でも、うまくでなかった。
 喉が潰れているみたいで、はくはくと口を動かす。空気を吸い込もうとしたけれど、それすらうまくいかない。でも、苦しくない。空気を吸い込んでいるという感覚はないのに、苦しくない。息が止まっているみたいだ。どうなってるんだ?
 単純に、声の出し方がわからないみたいで、不気味だった。

「……?」
「うん、大丈夫だよ、笠原」

 渦見を見ると、渦見は俺に向かって、優しく微笑んできた。左手で俺の体を抱き起こし、右手で頭をなでてくる。その手が、俺の記憶の中にある渦見の手より何倍も暖かくて、しばし面食らった。これ、本当に渦見か?
 俺の記憶の中にいた渦見はもっと……。あれ? もっと、なんだっけ。
 もう一度、声を出そうと口を開く。そもそも、どうして声がでないんだ。

「口から出そうとするんじゃなくて、頭で直接伝えようとするといいのよ」

 その時、後ろから声が響いた。
 気がつけば、見知らぬ女性が、背後に座っていた。長い黒髪の、綺麗な女性だった。暗闇に紛れ、俺を見てにこにこと笑っている。誰だ?

「大丈夫よ、落ち着いて、喋ってみて」

 優しく笑う女性に励まされ、俺は自分の状況を深く考えようともせず、とにかく声を出さなければという気分に陥った。
 頭で直接伝えるって、なんだそれ? 考えればいいんだろうか。テレパシーみたいだな。でも、やってみなくちゃ。
 俺はもう一度、口を動かした。
 渦見。

「……渦見」
「何?」
「…………喋れた」

 挑戦してみると、意外なほどにあっさりと声がでた。渦見は、そんな俺を見て、嬉しそうに笑う。

「そうだね、よかったね」
「…………ここ、どこ?」
「俺の部屋だよ」
「お前の部屋?」
「そう、笠原、死んじゃったから。今俺の所にいるの」
「…………死んじゃった……?」
「うん」

 にこにこと、無邪気に渦見は笑う。
 ……死んじゃった? 俺が? なんで?
 そもそも、俺はどうしてここに居るんだ? こいつに会うまで、何をしていたんだっけ。水に溶けてふやけた様な記憶を辿る。どこまでが夢で、どこまでが現実だ。そもそも、今のこれは、現実か?

「しん、じゃったって」
「電柱がね、倒れてきたんだよ。笠原、それの下敷きになったんだ」
「…………俺」

 俺は教師になったんだっけ? あるいはそれも夢なのか。それとも、全部現実?
 ぐにゃぐにゃと、朧気な記憶が霞んでくる。今まであったこと、全部現実? だとしたら、俺は本当に死んでしまったっていうのか。そんなこと、信じられるか。
 二十五歳だったはずだ。まだやりたいこととか、たくさんあった。教師になってまだ三年目だし、そもそも、死にたくなんてない。いや、嘘だろ。
 ……また、いつもの冗談に決まってる。だってほら、俺、足あるし。今まで見た変な奴ら皆足があった気がするけど、そこは無視だ。
 俺は乾いた笑みを浮かべながら、渦見の肩を叩いた。

「へ、変な冗談はやめろよ、うず……」

 叩こうとした。でも、すり抜けた。
 まるで俺の体が存在しないみたいに、簡単に渦見の体を貫いてしまった。貫いた俺の腕をしっかり掴んで、渦見が言った。

「だめだよ、笠原」
「な、なんだよ、これ」
「俺が触ろうって思わないと、笠原は俺に何もできない」
「なんなんだよっ」

 夢だろ、こんなの。
 じゃないと、おかしい。そもそも、ここはどこだって? 渦見の部屋? よくよく見ると、いつか見たような光景が広がっている。どうして今まで気づかなかったんだ。
 ここはあそこじゃないか。
 あの夏、悪夢のような時間を過ごした、その時最後に見た場所。錆付いた鉄格子にびっしりと張り付けられたお札。なんだかいやな気配のするそれに、俺は触れようと思っても触れられなかった。
 見覚えのある回転椅子が、渦見の横に無造作に立っていた。赤黒く染まった何かがこびり付いた椅子の柱。鳥肌が立つ。いや、鳥肌が立ちそうなのに、俺の体は、実際にはなんの反応もしない。
 あの女は? 前に言ってた、「夕姉」ってやつか? でも、当たり前のように話しかけてきた。違う人か? 俺は、本当に死んでしまったんだろうか。
 段々と記憶が蘇ってくる。そうだ、俺はあの時、あの公園で渦見に出会って、そこで灯がきて……、そういえば、灯はどこに行ったんだろう。あれだけ、俺に行かないで欲しいって、縋ってきてたのに、いったいどこに。
 そこまで考えた所で、渦見の声が響いた。

「笠原」
「ひっ」
「おいで」

 渦見が両手を広げる。
 俺はそれに対して、小刻みに首を振った。怖い。
 怖いんだ、何もかもが。
 なんだこれ? 俺が死んだなんて嘘だろ? そんなの信じたくない。
 でも、それじゃあ俺が渦見をすり抜けた理由はなんだ。あの、貼ってあるお札が、怖くて、気持ち悪くて近寄れない理由は? 息を止めても、全く苦しくない理由は?
 体が震える。実際には、震えていないけれど、俺は怖くてたまらなかった。体が、俺の意志に反して動く。俺の体ではないみたいに。
 行っちゃだめだ。渦見の所に、行ってはいけない。そう思うのに、体は吸い寄せられるように渦見の元へと向かっていく。

「よーしよーし」
「……っ……」

 朧気な足取りで近づいた俺の体は、すっぽりと渦見に抱き込まれた。
 渦見の体は、とてもいい匂いがした。今まで嗅いだことのない様な、魅惑的な匂い。なんだか、とても、美味しそうだ。腹は全然減ってなんていないのに、その匂いを嗅ぐと、どうしようもなく触れたくなる。渦見が欲しくなる。
 顔を上げると、渦見と目があった。相変わらずきれいな顔で、俺を見ると嬉しそうに微笑んだ。
 渦見が俺の頬を、唇を、首を、頭を、一つ一つ、ゆっくりと手で撫でていく。俺はそれに全く抵抗できない。抵抗する事なんて考えられないような、甘美なものだった。
 渦見の手は温かく、ずっと触れていたい気にすらなってくる。

「ようやく来てくれた」
「あっ……」

 渦見が、俺の唇に、自分の唇を重ねると、そこには柔らかな感触と、確かな暖かさがあった。変だな、今までこいつのこと、冷え性で低体温って思ってたのに、今じゃ熱源みたいな温もりがある。うっそりと目を細めると、渦見がくすくすと笑う。

「笠原はあ、特別だからね」
「……特別……?」
「そう、特別。だから俺、ワガママ言ったんだよ」
「…………」

 渦見の膝の上に座りながら、その言葉を反芻させる。特別……特別……特別ってなんだ?
 俺、さっきまで何を考えていたんだっけ。渦見に触れられると、なんだか頭がぼうっとしてくる。
 離れたばかりの唇に触れると、渦見じゃない相手とのキスを思い出した。

「……灯は」
「ん?」
「灯は、どこいったんだ?」
「んん〜〜?」
「灯だよ、あいつ、どこ」

 その瞬間、渦見が、俺の首元に爪を立てた。

「いっ……!」

 ただ、軽く爪を立てられただけなのに、ナイフで刺されたみたいな、鋭い痛みが俺を襲う。おかしい、こんなの。こんなちょっと引っかかれたくらいで、なんでこんなに痛いんだ?

「だーめだよー笠原っ」
「……っ!?」
「あいつはね、死んじゃいました!」
「え……」
「だから、もう口に出したら駄目、あひゃひゃっ、どうせもう会えないって」
「な、なんだよそれ……いっ、て!」

 渦見の爪が、さらに深く肌に突き立てられる。涙が出そうなくらい、痛かった。実際に涙は出ないけれど、痛覚は存在するのかもしれない。俺はやめてくれ、と渦見に懇願する。

「ごめんね、痛かった?」
「…………っ……」

 何度か頼むと、ようやく渦見は、爪を離してくれた。少し引っかかれただけなのに、どうしてこんなにも痛むんだろう。

「俺が、痛くしようって思ったから」
「……?」

 まるで、俺の考えを読んだ様に、渦見が続けた。

「笠原は特別なんだよ。だって笠原は、俺の為にここにきたんだから、笠原が痛いのも気持ちいいのも、全部俺が決めれられちゃうんだ。ごめんね」
「……おまえが何言ってんのか、全然、わかんねえよ」

 昔から、何を言ってるのか、わからない奴だったけど、今ほど何が言いたいのか知りたいと思ったことはない。うなだれる俺に、渦見が言葉を加えた。

「笠原は、俺に選ばれちゃったから、俺が欲しいと思ったから、俺の所にきたんだよ、それだけの話」

 それだけ? それだけって、どういうことだよ。怒りが沸いてくるけれど、逆らう気にはなれなかった。
 問いただしたいけど、さっき爪を立てられた肌が痛い。死んでも、痛いってあるんだな。
 渦見が、俺の頬を優しく撫でた。

「ごめんね? 痛かったね、ごめんね」
「っ……う」

 爪立てた肌に、渦見が舌を這わせた。生ぬるい感触のそれが俺の肌を伝うと、じんわりと痛みが引いていく。それどころか、触れられるだけで、気持ちいい。
 するりと、渦見の手が、身につけていた俺の衣類を脱がせていく。服は、生前の格好になるんだろうか。
 未だに、ジャージ姿だ。

「う、渦見……っやめろ」
「なんで?」
「……気持ち悪い……」
「気持ち悪い? 笠原は、こういうこと初めてじゃないよね?」

 じっと見つめてくる、渦見が怖い。
 初めてじゃない。けれど、渦見とこんなことをしたことはない。したことがあるのは……

「笠原」
「っ、な、なんだよ」
「さっきも言ったけど、笠原は俺の為にここに来たんだ。だから、笠原が何を考えてるかも、俺にはわかるんだよ」
「…………」
「あいつのこと、考えるな」
 
 表情を無くし、渦見の手が、目の前へと迫ってきた。俺は、その手から逃げることができなかった。

 『僕の所から、いなくならんといて』

 最後に、あいつの声が聞こえた気がした。





終わり

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