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 自宅療養してから、数日が経った。
 事故の傷も治ってきたし、そろそろ大学に行かないと、と思っていたが、相変わらず渦見はあと少しとか言って家から出してくれないし、自分自身も相変わらず大学には行かない。毎回行かなくて大丈夫なのかと聞いても、同じ答えしか返ってこない。
「お前、単位とか大丈夫なのか?」
「大丈夫」
 毎度毎度、口を揃えてそう言ってくるけど、実際は全然大丈夫じゃないだろう。取っている講義を聞いたら、俺と同じものが多かったし、その教授は結構厳しかった記憶がある。
 今日くらいは行っとけと無理やり追い出したら、渦見はしぶしぶ行くことにしたようだが、玄関を出る前に何度も誰か来てもドアを開けるなと脅された。

「なあ、俺は誰かに命でも狙われてるのか?」
「うん」
「うん!?」
「あひゃっ、嘘うそ、じょーだんだよ。でも、開けないでね」
「えー」
「笠原」
「……わかったよ」

 真剣な表情で何度も言われ、俺は半ば脅される様に頷いた。念押しするように言うと、渦見はようやく大学に行った様だ。すぐ帰ってきそうな気もするけど、あいつ勉強してる所あんま見たことないな、そういえば。
 つーか俺も、そろそろ大学に行ってもいいはずなんだけどな。残っているのは、この胸の傷くらいなもんだし、この傷も大分痛くなくなってきた。傷跡は残っているけど、このくらいの痛みならどうってことない。それよりも単位を落とす方が怖い。

「昼飯、何にしようかな……」

 ぼんやりと昼飯に思いを馳せていると、部屋のチャイムが鳴った。一瞬、どきりと心臓が跳ねる。
 渦見に何度も何度も、口を酸っぱくして知らない奴が来ても出るな、と言われていた。どうしてかと問いかけても答えてはくれなかったが、出たってバレたら、あいつ、多分怒るだろうな。普段にこにこしている奴って怒ると怖いって言うしな。どうしよ。でも重要なことだったら……。
 音を立てないようにして、念のためのぞき穴を覗いてみた。外にいたのは、郵便局の人だったようで、赤い制服に帽子をかぶっている。このくらいなら、出てもいいはず。ハンコ押すだけだろうし。
 ……だけど、渦見の出ないでほしいという真剣な表情が脳裏に浮かんで、俺は出るのをためらった。すると、いないと判断したのか、横にあるポストに入れて、そのまま帰って行った。
 なんか知らんが、出ずに済んだらしい。元々、ハンコとか必要のない郵便物だったのか?
 俺は息を吐いて、ドアを開け、横にあるポストに入っていた郵便物を手に取った。勿論、鍵はちゃんとかける。前までは家にいる時は鍵をかけていなかったけれど、何度も渦見に言われていたせいか、癖になってしまった。

「……?」

 改めて、郵便物を見た。
 しかし、そこには差出人も書いてなければ、宛名すらも書いてない。
 なんだこれ? どうして俺の家に届けたんだ? さっきの人って、郵便局の人だよな? どうすりゃいいんだよ、違う宛先なら、そこに届けることも出来るけど。

「…………」

 俺宛か、はたまた渦見宛か。迷った末に、開けてみた。まあ、俺の家に届けられたんだから、見てもいいだろう。ちょっとした好奇心もあったのだ。

「ん?」

 すると、中から現れたのは、一枚のディスクだった。

「……何だ?」

 梱包材に包まれたディスクを取り出すと、特に何も書いてない。ただ、「テレビで見る」とだけ書いてある。
 テレビで見ればいいのか。すごい親切だな。正直音楽用のディスクなのか、パソコン用のディスクなのか、テレビで見るのディスクか全然区別とかつかないしな。俺の家はパソコンもCDコンポもないからその二つは見れないけど。
 機械関係には大概疎いが、いい加減使い続けているプレーヤーの使い方くらいはわかる。
 暇潰しにいは丁度いい。
 ディスクをトレイに乗せて、再生ボタンを押した。
 さて、何が映るかな、と。しばらく畳の上に座って見ていると、真っ黒な画面が突然明るくなった。
 それと同時に、二人の男の姿が映し出された。見なければよかった。

『あっ、あ、……灯っ、も、もっと、もっと掻いて』
「……は?」

 手の中から、リモコンがすり抜けたんだろう。鈍い音が下から響いた。

『あーあー、さっきまでは一応抵抗はしてたのに。はは、良介くん、気持ちええ?』
『き、気持ちいいっ、だからっ……、中、掻いて、頼っ、ぁ』
「え、え」

 そこに映っていたのは、見知らぬ男と、もう一人は、……――俺だった。急激に頭が冷えていった。
 喉が渇いて、手の先が、冷たくなっていく。何だ、これ。
 震える手を、口元に持ってくると、冷えた指先が頬に当たった。
 画面の向こう側では、そんな俺におかまいなく進んでいく。

『はぁっ……はぁー……あっ、う』
『すっかり理性飛んだみたいやね、ほら、こうして欲しいんやろ』
『あ、アッ、うあ……!』
『あっひゃ……随分素直になったなあ。犬みたいに尻振って、よー似合っとるわ』
『うーっ、うーッ……』

 見知らぬ男が、俺の事を犯していた。
 腰を掴み、下肢を自身の下腹部に埋め、何度も腰を打ち付ける。その度に、卑猥な水音が画面越しに響いてきた。嘘だろ、こんなの、何かの間違いっつーか、合成だよな?
 自分から、血の気が失せていくのがわかる。犯されているはずの俺は、両腕を縛られながら、あろうことか蕩けた様な顔でそれを受け入れ、腰をくねらせていた。男のちんこが、俺の中に入る度に、嬉しそうに嬌声を上げている。これ、俺?

「なん、だよ……これ」

 こんなの、何かのドッキリだ。そうに決まってる。そもそも、これが俺なんて証拠は何処にもない。そうだよ、嘘だ。これは、合成だ。そう思いたいのに、耳鳴りが鳴りやまない。
 心臓が音を立てて、息苦しくなってくる。画面の向こうでは、男が、背後から俺を抱いて、貫きながら画面に俺の顔を映していた。
 精液やら涙やら鼻水やら、体液に塗れた自分の顔が、画面越しにはっきりと映し出される。見慣れたはずの自分の顔が、白濁に塗れ、歪んでいる。

「ち、違う、これは俺じゃ……」

 後ろにいる男に、見覚えはない。渦見同様、綺麗な顔をした男だったけれど、こんな顔は、一度見たら覚えている。だから知らないはずだ。それなのに、なんでこんなに苦しいんだろう。
 怖くて怖くてたまらない。男に突っ込まれて喘いでいる俺に対して、画面の中で、男が俺の耳元に何かを囁いた。

『ほら、良介君、ちゃあんと言わな。カメラ、向こうやから』
『はーっ……う、とも、す』
 やめろ。
『言わな、抜いてまうで。そんなん嫌やろ? 苦しいやろ?』
『あ、ああっ、わか、言う。言うっから、お、俺は灯がいち、っ、いちばん好きで、だ、だからこれもしあわせ、で、あっあ……待て、抜かないで、痒いっ、痒いんだよ!』
 やめろ、やめてくれ。
『ひっ、あううっ、と、灯のちんぽが一番好きだっ! ごめんな渦見、お、俺は、と、もすにはめられるの大好――』
 やめろ!

 耐え切れず、電源を切った。 
 心臓をまるごと掴まれたみたいに、苦しい。苦しいし、気持ち悪い。これは、なんだ? なんの悪戯だ。何で、こんな。

「う、うぅっ……」

 気持悪い。
 誰が何の目的で、こんなものを送ってきた。今の男は誰だ。なんで俺は犯されて、あんなひどいことされてんだよ。後から後から、疑問が湧いてくる。込上げてくる猛烈な吐き気に口を押え、ふらつく足をなんとか立たせて、俺はトイレへと駆け込んだ。

「う、お、っぉええっ、げほっ……うえっ、おええええええっ」

 今朝食べた胃の中の物を全て便器にぶちまける。

「はーっ……うぇっ…げほっ……はーっ……」

 さっき見た汚い物を全部吐き出す様に、全てぶちまけた。酸味と苦みが混ざった、なんとも言えない味が、口の中に広がる。吐瀉物の臭いに何度もえずくと、口や鼻から、抑えられない汁が溢れ、強引に近くへ置いてあったトイレットペーパーで目元をぬぐった。
 汗だろうか、涙だろうか。いや、そんなことよりも、あれは、一体なんだったんだ。

「う、う……」

 DVDプレーヤーに入りっぱなしのディスクを思い出して、また顔が青くなるのを感じた。頭が痛い。駄目だ、思い出すな。誰かが、そう言ってる気がした。
 誰かって誰だ? そもそも、俺が記憶を無くしたのは、本当に交通事故なのか? 渦見がそう言っていた。でも、そう言っていたのは渦見だけで、他の奴らは「交通事故にあったんだって?」と聞くだけだ。渦見以外の誰も、俺が交通事故にあったかなんて知らないんだ。
 どうして、俺は渦見だけを忘れている。
 いや渦見だけじゃない。あのテレビの中で俺を犯していた男。あれは誰だ? ともす、って呼んでいた気がする。
 ともす? ともすって、誰だよ。

「っ……頭……いて……」

 蟀谷部分を抑えて、そのまま目を瞑った。
 俺は、忘れている。なんで、忘れているんだろう。思い出したら駄目だからだよ。なんで、思い出したら駄目なんだ? 思い出したところで、辛いだけだから。辛いって? 覚えてるだろう、思い出せよ。ほら、さっきの映像、見ただろう? 覚えてるだろう? あんな風に犯されたこと。喘いだことも何もかも全部、全部本物だよ。なんで忘れちゃってるんだ? 一人で忘れて、幸せになれるわけでもないのに。
 ちがう。ちがうちがうちがう、俺は忘れていない。そんなことはなかったから、覚えてないんじゃなくて、何もなかっただけなんだ。俺はあんな目にあってないし、犯されてないし、交通事故で一時的に記憶を無くしているだけだ。あんなのは全部偽物で合成で、あんなことはなかったんだ。なら、どうして目を背けるん? 偽物なら、最後まで見て笑ったらええやん。悪趣味な冗談やって。出来ないんやろ? 自分やって信じるのが怖いから。違う! 自分が犯されている映像なんてたとえ偽物でも見たくないし、気持ち悪い。嘘ばっかり。君、そんな嘘つきやったっけ? 僕やないんやから。 ほんまは、怖いだけなんやろ。思い出すのが。全部見たら、思い出してまうから。せやから、逃げたんや。違う、違う、違う。あれは全部合成だ。あんなのは、俺じゃない。あれは違う誰かだ。前も、そんなこと言うてはったねえ。前? 前っていつ。 そもそも、お前は。

「いっ……!」

 頭、痛い。割れそうだ。気持ち悪い、胸も痛い。
 金槌で頭を叩かれているみたいだ。 

「う、ううううう」

 首筋が、ひやりと冷たくなった。目を開けると、視界が翳っている。上には、照明があるはずなのに。なんで暗いんだ? これって、後ろに、誰か。

「ほんまは、もう思い出しとんのやろ」
「っ……!」

 首に、白い手が回ってきた。冷たい。氷みたいだ。俺の首に巻きつくと、人差し指がなぞる様に頬から顎までを撫でた。
 渦見、じゃない。あいつの手も冷たいけど、これはあいつの手じゃない。俺は、知ってる、この手。思い出したくないのに、思い出したくなんてなかったのに。思い出してしまったから。

「とも、す」

 からからに乾いた喉から、声を絞り出すと、後ろで嬉しそうに笑う気配がした。ああ、覚えてるよ。この笑い声。思い出したよ。同時に、脳裏に鮮明に蘇ってくる、あの笑顔。目の前で弾けた赤。散々俺を嬲って犯した。だって、前にもあったんだ。同じこと。ずっと前にも。俺は、あの夏、あの家で。

「ひっ、うわ、うわああああああ! あああああああああああっ!」

 喉が切れるんじゃないかってくらいの絶叫。逃げたいのに、足が、動かない。白い指が、俺の背中をつ、と撫ぜた。

「いい、嫌だっ……」

 ぞわぞわと、背筋が粟立った。
 動け、動けっ、なんで動かないんだよ!? 同時に胸元を掻き毟る。胸にあった渦模様の印が、どうしようもなく痒くて、何度も掻いている内に血が滲んできた。白いシャツには赤い血が滲み、俺の嗚咽と、あいつの、灯の笑い声が、トイレの中に響く。くそ、くそっ!

「良介くん」
「いやだ、やだいやだいやだいやだ! 来るなっ、こっちに」
「傷つくわ〜、せっかく思い出して、お話して。……ようやく僕を見てくれたのに」

 目の前で、灯がにんまりと笑う。白い手が、俺の両頬を包んだ。身体が、震えて動かない。胸だけが、やけに熱かった。心臓が音を立てるたびに、胸から血が溢れてくる。そんな気がした。
 ガチガチと鳴る歯の音が、心臓の音よりも大きく聞こえる。灯が、笑いながら俺の頭を撫でてきた。

「ええなあ、僕、ずっとその顔見たかってん。絶望的な顔しとる。はは、かわええな、良介くん、これで、僕のや」
「あ、あ……」

 逃げなくちゃ。頭ではそう思うのに、体が動かない。金縛りにでもあってるみたいだ。その時、部屋の扉が大きな音を立てていることに気が付いた。誰か、来たのか? 
 すると、灯が苛んだ様に顔を歪める。

「はーあ、夕姉がちくったかな」
「っ……」
「まあええわ、思い出したし。ほな良介くん。また」

 げらげら笑って、灯が消えた。目の前から一瞬でかき消えた。前と同じようなセリフを吐いて、いなくなった。
 胸が、熱い。動く様になった手で胸元を拭ってみると、赤い血がこびりついていた。思い出した、全部、思い出した。
 灯の笑い声がする。もういないはずなのに、耳元でずっと鳴り響いている。誰かが、部屋に入ってくる音が聞こえた。俺の方に走って近づいてくる。けれど、俺は、そこで意識を手放した。






 誰かが泣いている。
 俺を抱きしめて、誰かが泣いている。
 誰だろう。なんで、泣いているんだろう。こんなこと、前にもあった様な気がする。あれは、子供だったっけ。
 あの子は、泣きやんだだろうか。それとも泣いてなかったんだっけ。暗闇の中、すすり泣く声が頭に残っている。

「ごめんね、笠原……ごめんね」

 聞き覚えのある声が、上から降ってきた。でも駄目だ。眠くて、目が開けられない。開けたくないんだ。だって、開けたら全部終わってしまう気がして。

「ごめんね、ごめんね」

 もう嫌なんだ。苦しいの。
 何度も謝られ、顔に冷たい物が落ちてきた。泣くなよ。泣きたいのは、こっちの方なのに。
 強く抱きしめられ、心の中で、そう呟いた。しばらく撫でられていたが、やがて頭を撫でる手が止まって、涙交じりの低い声が響いた。

「……もしもし、旭、俺」

 冷たい。体もだけど、手も、何もかも。俺は、一体ここで何をしているんだろう。これから、どうすればいいんだろう。俺の上で、誰かが誰かと話している。

「うん、……そう。……そうだよ。もういい、旭の言うとおりにするよ。でも、一つ頼みがあるんだ。あのね、旭、聞きたいんだけど」

 もう嫌だ、このまま、死んでしまいたい。何もかも、全部捨てて、消えてなくなりたい。親父、ごめん。親不孝な息子で本当にごめん。でも、もう辛いんだ。

「……――人の記憶を消す方法って、あるかな」

 もう、目を開けたくないんだよ。

終わり

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