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 どうやら、俺は交通事故にあったらしい。

 らしい、というのは俺の記憶にないからだ。
 どこをどう怪我したのか知らないけれど、目が覚めると、見知らぬ男が俺を迎えてくれた。実に妙な話だった。俺は、部屋で課題をやっていたはずなのに、気がつけば体中が痛くて、うまく動けず、それを、心配そうに男が抱き起こしてくれた。タイムスリップでもした気分だ。
 男は、やたら綺麗な顔立ちで、一度見れば忘れなさそうな、整った面をしていた。そいつは俺におはようと親しげに話しかけてきたけれど、俺はそいつと面識があった記憶はない。そもそも、どうして俺の部屋にいるんだろう。その事を素直に問いかけたら、男は、一瞬固まった後、苦笑しながら俺が事故にあったのだと、話してくれた。


 「一時的な、記憶の混乱かもしれませんね」と、医者は言う。

 渦見と名乗ったそのイケメンは、どうやら俺の友人で、なんと同じ大学に通っているらしい。
 非常に申し訳ないけれど、俺の記憶にはなかった。
 他の友人、例えば大学なら、飯倉とか、まあ宇都宮とかは覚えてる。それどころか高校、中学の友人まで思い出せるのに、渦見のことだけはさっぱり思い出せない。あいつに関する記憶だけが、部分的に抜け落ちている。それは、とても申し訳ないと思う。シェアハウスをする程度には仲が良かったみたいなのに、そいつのことだけ忘れてしまったなんて。
 渦見は気にしなくていいと笑うけれど、俺だったら、仲のいい友達に、自分のことだけ忘れ去られていたら、結構きつい。何かしたか? って思ってしまう。
 絶対思い出すから、と何度言っても、今は体を治すことを考えろ、と言って気遣ってくれた。
 多分、いい奴なんだろうな。本来なら、そんな記憶がない奴と住むのはやめた方がいい気もするけど、渦見は今住む家がないらしく、結局シェアハウスは継続することになった。なんにせよ、家賃が半分になるのはありがたい。
 親父が、病院まで来てくれて、また入院か、と心配そうに顔を顰めていたけど、俺はここ何年も健康だし、今まで入院した事なんてなかったのに、何を言っているんだろう。幸い、入院は長引かず、現在は自宅療養という形を取って、大学を休んでいる。

「暇だ……」

 しかし、することがない。体は、自分では大分回復したと思っているのに、渦見が危ないからといって、あまり部屋から出してくれないのだ。
 飯を作ったり、部屋の掃除は俺がしているけど、外に出るような買い物や、ゴミ出しはすべて渦見がこなしている。ありがたい反面、少し不気味だ。もう大丈夫だと言ってるのに、まだ駄目だと口を曲げる。飯倉にメールして、近況報告がてら、渦見のことも聞いてみた。
 実の所、俺はまだ、少し疑っていたのかもしれない、渦見のこと。本当に、記憶が抜けているだけなのかなって。 
 けれど、渦見の事を飯倉に聞いたら、どうやら渦見は大学で有名で、知らない奴はいないらしい。おまけに、俺は、大学で唯一渦見とつるんでいたみたいだ。
 嘘をつかれていたわけではなく、本当に、仲はよかったのか。

『つーか笠原お前、本当に覚えてないの? 渦見の事』

 飯倉は逆に俺を疑う様に聞いてきた。その声があまりに疑わしそうだったから、俺はやっぱり記憶を無くしているんだなと確信する。

「おー、悪いなとは思ってんだけど」
『へー……、で、渦見はなんて?』
「いや、別に……。体早く良くなるといいなって。あいついい奴だよな。俺と渦見、友達にしては共通点ないけど、なんで仲良くなったんだろ」
『はは、さあ……』

 飯倉はなんだかはっきりしない態度をとると、また電話するといって、そのまま切ってしまった。どうにも煮えきらない口調だったが、俺は何か変な事を言っただろうか。

「はー……」

 電話が終わると、また暇になってしまった。
 俺は仕方なく、布団の上に寝転がる。渦見は、買い物に出かけているけれど、いつもすぐ帰ってくる。なにをそんなに焦っているのか知らないが、俺の側をあまり離れようとしない、変な奴だった。良い奴だけど、変な奴。それが俺の渦見に対する認識だ。

「いて……」

 うつ伏せになると、胸に負荷がかかって、思わず声を漏らした。目が覚めたときから、ずっと胸の上に痣のような傷がある。他はだいたい治ったのに、そこだけが未だじくじくと痛むのだ。渦みたいな模様の傷。こんな傷、いつつけたかも覚えてないし、狙ってつけられるような形でもない。俺は、一体何を忘れてしまっているんだろう。
 それを考えると、頭が痛くなる。しばらくぼんやりと天井を見つめていると、木目模様が人の顔に見えてくるから不思議だ。

「ん……?」

 何もすることがなく見つめていると、台所あたりで物音がした。かたりと、ものが揺れる音。まだ渦見は帰ってきていないはずなのに。
 目線を移すと、和服姿の男が、見えた気がした。

「……んん?」

 目を擦る。しかし、再び目を開けると、もうそこには誰もいない。当然だ、この部屋には、俺しかいないはずなんだから。

「……疲れてんのか?」

 実を言うと、こういうのが初めてな訳じゃない。記憶を失ったとき、といったらあれだけど、目が覚めて、渦見と会ってから、病院に入院してからも、しばしばこういう現象が起きている。誰もいないはずの場所で物音がしたり、見知らぬ人間が見えたり。嫌な想像だけど、心霊現象だろうか。
 今まで、そういう類には縁がなかっただけに、気味が悪い。
 はぁ、と小さくため息を吐いたところで、渦見が帰ってきた。玄関のドアが閉まる音がする。

「ただいまー買い物おわったー」
「おー、おかえり」

 そういえば、いつの間にか季節は冬になっていた。
 この間まで夏だと思っていたのに、時間が過ぎるのが早いのか、あるいは俺の記憶が飛んでいるのか、冬の匂いを携え、耳や鼻を赤くして、買い物袋片手に部屋に入ってきた。
 もこもこのマフラーや手袋を外し、俺に買ってきた総菜や食材を手渡す。一緒に暮らしてみて気づいたけど、渦見の料理は非常にアレなので、食材に手を着けないように、と禁止令を出しているのだ。こいつに料理される食材が可哀想すぎる。

「さーむーいー」
「お疲れ……って冷たっ」

 渦見が、俺の手を握ってきた。氷の様な冷たさに、全身に寒気が走る。もともと体温が低いのか、外に出ると死体みたいな冷たさになる。冷え性なのかもしれない。

「笠原、やっぱこたつ買おー」
「うーん……」

 間延びした口調に、俺は気の抜けた声を上げた。こいつといると、どうも力が抜ける。こたつは電気代がかかりそうとか、そんな理由で買ってないけど、渦見はこたつで暖まりたいらしい。猫みたいな男だ。髪も猫っ毛だしな。ふわふわとした明るい色の髪を見ながらそう思うと、渦見がきょとんとした顔で首を傾げた。

「何?」
「いや、なんでも。風呂沸かしてるけど先に入る?」
「入る!」

 寒いところから帰ってきたなら、暖まりたいだろうと思って、暇だったし、先刻風呂を洗っておいたのだ。今はお湯を入れてる最中。俺は無邪気に喜んでいる渦見を見ると、なんとなく和んでしまった。子供みたいだと思うのは、これが初めてじゃない。気がする。あれ、なんかコレ、前も感じたような。もやもやとした感覚に何かを思い出しそうになるが、それを止める様に、頭の中で声が響く。
 思い出すな。と。

「…………」

 やっぱ俺、事故にあってから、なんかおかしくなってんのかな。
 渦見は着替えの服を持つと、俺に向かって振り返った。

「笠原、一緒に入る?」
「入るわけないだろ」

 考えていても仕方がない。俺は買ってきてもらった食材を物色しながら、何を作ろうか考えることにした。俺の返答が気に入らなかったのか、渦見は口を尖らせて俺を見る。

「えー、前は一緒に入ってたのに」
「ははは、嘘つけ」

 渦見の冗談に思わず笑うと、渦見も笑った。
 渦見は、たまにこういう冗談を言う。男同士にしては、距離が近すぎるというか、なんというか。よくくっついてくるし、なんかその内ノリでセックスしようとか言い出しそうで怖い。俺がけらけら笑っていると、いつの間にか渦見が目の前まで来ていたので、驚きのけぞった。

「うわ、何?」
「本当だよ」
「は?」
「一緒に入ってたの。俺と笠原が友達ってのは、半分本当で半分本当。実際は恋人同士だったから」
「え……?」

 にっこりと笑いながら言う渦見に、俺は固まった。
 恋人同士? 俺と渦見が? え、俺ホモだったの? ちょっと待て。待て待て待て。
 混乱する頭の中を整理しようと脳内がフル稼働するが、全く処理が追いついてない。確かに、ちょっと怪しいなと思うところはあった。妙に距離が近かったり、全く躊躇なく抱きついてきたり。ただ、それはこいつがそういう奴なんだなということでスルーしていた。
 渦見はいい奴だけど、ちょっと変わってるし、人なつこい奴なんだろうと。でも、恋人同士だったら話が全く変わってくる。俺は恋人の存在を忘れ、友達だって振る舞ってたってことか? それ以前に、俺、こいつと恋人? え、なんで? 一緒に入ってたってマジで? つまり、そういうこともしちゃってる仲だったの? いや、ちょっと待ってくれ。本当、待って。
 混乱に、頭がついていかない。すると、渦見が小さく吹き出した。

「あひゃっ、嘘だよ」
「え?」

 ぐるぐると回る脳内で必死に考えをまとめていると、笑いを含んだ声が上から降ってくる。顔を上げると、渦見が、おかしそうに口元を綻ばせていた。

「嘘に決まってんじゃん。あひゃひゃっ、笠原すぐだまされるー!」
「お、おま……」

 ケラケラと、愉快そうに笑って、渦見は立ち上がった。
 嘘かよ! すごいマジトーンで話すから一瞬本当かと思っちゃったじゃねえか!

「怖い嘘つくなっつーの!」
「あひゃひゃ、ごめんね、笠原騙されやすいからつい」
「ついってお前」
「じゃー、俺お風呂入ってくる」
「……おー。って、何」
「うん、ゴミついてる」

 小さく俺の背中を払うと、渦見はそのまま風呂へ行ってしまった。あー、焦った。本当だったらどうしようかと思った。
 ……いや、冗談だよな? 妙に真剣だった眼差しを思い出して、俺は考えない様にするため、料理に取り掛かることにした。

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