A




 今でも、たまに考えることがある。
 あの時、逃げられなかったらどうなっていたんだろう、とか。例えば、灯との和解は可能だっただろうか、とか。あり得たかもしれない可能性のことを、いくつか考える。けれど、それは全て無意味な話だ。
 もしかしたら、なんて有り得ないし、今更考えても遅い。俺は渦見の手を取ってあの場所から逃げたし、灯は俺を捕まえに来た。その事実は、覆りようがない。だからそんな可能性は、考えるだけ無駄なのだ。

「…………」

 目を開けると、また闇が広がっていた。体がずきずきと痛む。夢だろうか。でも、感覚は確かにあった。目に、布でもあてられているのかもしれない。乾いた唇を開くと、喉の奥がやけにひりついていた。

「っ……ここ……」
「ああ、おはよう。起きた?」

 すぐ横から聞こえた声に、呼応するように体が跳ねた。
 掠れた声に、返ってきたのは、笑い声。隣には、灯がいたらしい。慌てて身を起こそうとするが、どうやら手が拘束されている様で、うまく動かない。幸い、外された肩は元に戻っているみたいだけど、ここはどこだ? 俺の家、じゃないことは確かだ。いくらなんでも渦見だって、もう家に戻ってきているはずだから。
 ていうか、今、何時だ。俺、どれくらい寝てた? 閉じ込められているのか? いつかの記憶が蘇ってきて、気分が悪くなる。俺は、またあそこに戻ってきたんだろうか。いや、違う。そんなはずない。そんなこと、あってたまるか。

「ここ……何処だよ。腕、外せ……」
「何処でもええやん。静かに話せるとこやって。僕と君以外おらんから心配せんでもええよ。つーか、縛ったの僕なんやから外すはずないやろ」

 嘲笑気味な声に、俺は声を震わせる。

「話すだけなら腕外してもいいだろ」
「外したら君、逃げそうやしな」
「…………」

 こいつが、どういうつもりで俺を捕まえにきたのか知らないけど、俺が逃げないって言ったところで、腕の拘束は外さないだろう。実際、俺は逃げられるならすぐに逃げるだろうし。床はふわふわしていて、布の感触がある。布団の上、だろうか。なんにせよ、視界が塞がれているのが、怖くてたまらない。混乱を落ち着ける様に、渦見の名前を口に出した。

「か、帰せよ……渦見は、いっ」

 けれど、渦見の名前を出した瞬間、灯の手が、俺の首を絞めた。五指が俺の喉に食い込んで、一瞬、呼吸出来なくなる。

「その名前、口にせんといてくれはる? 聞きたないねん」
「……っわか、た」
「そ、よかった」

 手を離されて、息を吐く。それから大きく息を吸い込んだ。殺されるかと思ったんだ。
 殺気が消えるのを感じて、安堵した。
 渦見の名前は、出さない方がいいだろう。
 というか、出したら、なにをされるかわからない。静かな空間に、灯と二人きりかと思うと、気が狂いそうだ。渦見は、助けに来てくれるだろうか? いや、でもまず、ここはどこだ。助けに来ようにも、ここがどこかなんて、俺だってわからない。しばらく沈黙が続くと、自分の唾を飲み込む音が響いた。
 話しがあるとか言ったくせに、何黙ってんだよ。

「……灯」
「ん?」
「話って、なんだよ」
「…………」
「おい、灯」
「はは」
「っ、なに、笑ってんだ」
「いや、相変わらず良介くんはあほやなあ思って」
「は?」

 不意に、首元を撫でられた。冷たい手。あいつに、よく似た低体温。反射的に、体が跳ねた。

「ひっ」
「喋るだけなら、こんな目隠しまでする必要ないやん」
「じゃ、じゃあ」

 何を、と言いかけた所で、後ろに思い切り押し倒された。幸か不幸か、下は布団だったので、痛みはないけど、それよりもまずい状況だってのは、俺だってわかる。そもそも、最初から最悪だった。視界が暗いので、灯がどんな表情をしているかは、俺には見えない。けれど、俺にとってよくない状況ってことだけは確かだ。
 するすると、シャツを捲りあげられる。足の間に、灯の足が割って入って来た。ぐり、と股間を膝で押され、息が漏れる。

「鈍いなあ、良介くんは」

 ぐりぐりとそのまま押しつぶされると、段々何をしようとしているのか、なんとなく察しがついてしまった。徐々に、呼吸が苦しくなってくる。血液が逆流しているみたいだ。うまく、息ができない。目の前にいるであろう男が、怖くてたまらない。もがく様に手を動かすが、やはりがっちりと後ろ手で縛られていた。

「はぁっ……、はぁっ……」
「怖い?」
「う……」
「あん時のこと、思い出すなあ、良介くん。こうやって、目隠しして、楽しいこと、いっぱいしたもんな。確か、白子に体洗わせた後やったっけ。薬でへろへろんなっとった時の君。ほんまええ感じやったで、えっちで、可愛くて」
「や、やめろ……!」

 引き攣った声をあげる俺に、灯の手は止まらない。ズボンのチャックが降ろされる音がした。足をじたばたと動かすが、掴まれ、それから、何かの蓋を開ける音が響いて、股間にびちゃびちゃとかけられた。湿った感触が気持ち悪い。

「何を……」
「前に使ったお薬、気持ちよかったやろ? 意識も吹っ飛んだやん? もう一回使ったろ思って」
「っ! や、やめろ! やめろよ、この変態!」

 いつかの事を思い出し、青ざめる。
 桃の様な、甘い香りが、脳裏に蘇ってきた。何もかもが崩れていったあの時のことを思い出す。意識も、衿持も、プライドも、全部崩れて、俺という存在が白濁に溶けていった。また、あんな事になんてなりたくない。
 持てる力を振り絞って足を振り回すが、舌打ちの後にすぐに拘束された。

「いやだっ! やめ、死ねよくそこのホモ野郎! 消えてなくなれ!」
「あー、あん時もそんなん言うてはったね、でも結局ぐずぐずになってちんぽ欲しがっとったやんか。そもそも、あいつとこういう事しとる時点で君もそうなんやろ」
「あいつは、お前みたいに無理にしねーよ! 嫌だっ、やだって!」

 暴れる俺を押さえつけて、履いていたズボンを、下着ごと引きずり降ろされた。

「ひっ!」
「はあ〜、なんやのろけ? 腹立つわ、あいつもここに挿れたって考えると、穴兄弟? 異母兄弟で穴兄弟って、笑えるっていうより、殺したくなってまうわ」
「う、あ」

 ぐちゅ、と音がして、灯の指が侵入してきた。俺は息を殺して、震える体を押さえつける。目が熱い。視界はすでに暗いのに、堅く目を瞑ると、更に闇が襲ってくる。
 歯を食いしばり、恐怖に震えていると、灯の手が、俺の頬に延びてきた。目隠しでも外すのかと思えば、耳元で低い声が囁く。

「良介君、僕が君のこと好きやって言うたら、どないする?」
「は……?」
「好きやから、こういうことしとうなんねん、って言うたら?」
「う、嘘つけ……」
「な、信じないやろ。やから、何言うても同じなんや」
「うぁっ!」

 再び、薬が俺の中に入ってくる。穴を指で無理矢理こじ開け、腸壁に塗り込められる。

「今度は、ちゃんと逃がさん様にせんとな」
「うっ、ううう……!」

 ぐにゅぐにゅと中を動き回る感覚に、吐き気を催した。気持ち悪い。嫌だ、嫌だ。嫌だ! 渦見、助けてくれ。
  渦見、渦見、渦見! お前、守ってくれるんじゃなかったのか、あれ、死んでるやつ限定かよ。頭の中で名前を呼ぶけれど、そんな少女マンガのヒーローみたいに、都合よく現れるはずがない。現実はいつだって非情なんだ。だいたい、渦見は気にしていたんだ、俺から離れないでと何度も何度も言ってた。でも、それを大げさだと切り捨てたのは俺で、じゃあこれは、自業自得か? 違う、そんなはず、ない。
 濡れた音が響く中、俺と灯の吐息が混ざりあう。湿った空気に包み込まれ、意識がぼやけてきた。

「っ……ううぅ……っはぁ……っ」

 段々と、下半身に熱が集まってきた。ぬるついた液体に塗れた手で何度も中を擦りあげられ、じわじわと体の感覚が失われていく。
 けれど、それと反比例するように、妙な感覚が生まれていた。前とは違う、むずむずした、気持ち悪い感覚。むず痒さを伴ったそれは、やがて強烈な痒みに変わっていった。焼け付くような痒み。中を掻いてほしいという欲望が俺の中で膨れ上がってくる。

「はぁっ……はっ……!」

 つぷ、と音を立てて、再び灯の指が俺の中に入ってきた。中を引っかかれた瞬間、体が跳ねる。

「あっ!」
「ふふ、前と同じってのは、嘘。良介くんは、すぐ騙されるなあ。前とはちょっと変えてみたんよ。どう?」
「あ、あっ!」

 かりかりと中を引っかかれると、その度に、痺れるような感覚が襲ってくる。脳内を蕩かす快楽。。痒いところに手が届く感覚と似ていて、それどころか、そのまま放置されると、痒みに体がおかしくなってしまいそうだ。

「あーあー、嬉しそうによう跳ねるわ」
「ひっ、くそっ……!」

 俺は歯を食いしばって、なけなしの理性を振り絞り、必死に耐える。汗ばんだ手が、体が、部屋の温度を上げているのか、さっきよりも蒸し暑い。
 ぐちゅぐちゅと卑猥な音がする中、何度も指が行き来する。かりかりと掻かれるたびに、上ずった声が上がり、それを押し殺そうとすると、灯の笑い声が、上から降ってくる。

「掻かれると、気持ちええ? こことか」
「あ、あぅ」
「ここも?」
「っ……ぅ……!」

 やだ、いやだ。やめてくれ。
 だけど、全身に鳥肌が立つくらい、痒くて痒くてたまらないんだ。

「良介くん、指じゃ足りひんやろ? 終夜ともやってはるんやから、とんだ淫乱やな、君も」
「ふぅーっ……、は……!」
「ああ、やってないとか、そういう嘘はいらんで。知っとるし。前より慣れとんのもわかるから」
「ンあっ」

 指を引き抜くと、灯は俺の胸の中心に手のひらを充ててきた。ちょうど、心臓の真上くらい。中を掻かれていないと、途端に身悶えする様な苦痛が襲ってくる。ぐつぐつと煮える様なもどかしさが、俺の体を支配する。

「ふ、ぅ……! あっ……!」
「欲しいなら、欲しいって言えるやんな?」

 ぴたりと、熱いもんが、肛門に押しつけられた。
 視界を覆われていても、それがなんなのかくらい、想像はつく。荒い呼吸音が、何度も何度も耳に響いた。生臭い匂いが、部屋の中に充満している。気持ち悪いし、息苦しい。だけど、それ以上に。

「良介くん」
「っ……!」

 凌駕するのは別の感覚だった。
 痒い。痒い痒い痒い!!
 尻穴の中が、薬を塗られた所が、痒くて痒くて堪らない。今すぐにだって掻いて欲しい。だけど、それを言ってしまうと、俺の中で本当に何かが終わってしまう気がして、必死で口を閉ざした。崩れかける理性を必死に保ちながら、舌を出し、犬みたいに息を吐く。すると、口の中に、何かが入ってきた。

「ん、ふ……!」

 舌、だろうか。頭が、ぼうっとしてきた。痒い。掻いて、痒い。掻いてくれ。何度も俺の中で誰かが囁く。けれど、俺は必死に首を振った。だめだ、それは、だめ。

「ん、んん」

 ちゅ、と音を立てて、舌を吸われる。
 いつの間にか、ぴったりと肌がくっついて、抱きしめられていた。痒い。痒い痒い。ここで首を振らないと、また、意識が崩れてしまいそうで怖い。う、あああ、背中が、なんかぞわぞわする。もう嫌だ、かいてくれ。本当は、中を掻いて欲しいんだ。痒くて痒くてたまらないんだ。今すぐそのちんぽでもなんでもいい、尻にぶち込んでかき回して欲しい。でも、そんな事いえるはずない。言ったら、多分全部終わる。違う。こんなんじゃない。俺は。

「ふ、ぁう、あ」
「はは、我慢強いなあ」
「はぁー……っ、ア、ぅ」

 ぐり、と入り口を突かれると、体が震えた。

「ひっ、あ!」

 なんでもいいから、挿れて掻いてくれという本能と、絶対に言いたくないという理性が、俺の中で拮抗している。
 濡れた音がして、薬に塗れた尻穴を、何度もつつかれる。

「良介くん」
「ぅ、あっ……! とも、す」
「素直に言えば、もっと気持ちようなれるんやで」

 灯の手が、俺の陰茎をなでた。悪魔みたいな囁き声で、ゆるゆると触ってくる。
 まるで欲しがるように、俺の陰茎からは粘着質な音が響いていた。頷いてしまえ、と本能が言う。
 気をしっかり持てと、理性が言う。口の端から垂れる涎を拭うことも出来ずに、体をびくつかせていると、灯のちんぽが、先っぽだけ、俺の中に入ってきた。ぬぷ、と音を立てて、中に収まると、体に電気が走った様な感覚が襲う。

「うぁっ!?」

 けれど、すぐにそれは抜かれた。掻いてもらえると思っていた俺の体は、さらなる苦痛に襲われる。あ、あ。痒いんだ。どうにかなりそうなくらい、痒くて、痒くて、痒くて、痒くて。頭が変になりそうだ。自分の体が、自分のものじゃないみたいで、苦しい。痒い。嫌だ。もういやだ。

「ほら、挿れてって」
「ふっ……ぅううう〜〜〜っ……」

 熱い。痒い。むずむずする。俺は息を切らしながら、声にならない言葉を発した。

「はぁっ……はあ……! も、やめ……」
「良介くんはええ子やから、ちゃんと挿れてくださいって、言えるやんな? 前はもーっと変態な事いっぱい言うとったもんな?」
「う、うううっ……!」

 ぼそぼそと、耳元で何度も囁かれる。だめだ、耳を貸しちゃいけない。それだけは、だめだ。だけど、俺の口は、俺の意志に反した事を喋りだす。

「い……」
「い?」
「……れて……くださ、い……」

 何言ってんだ。だめだ、そんなのダメに決まってる。否定しろ、暴れて逃げて、殺してでも拒否しろよ! だけど、俺の体は動かない。体だけ別の人のものになったみたいに、口も、体も。
 おかしそうな、灯の笑い声が聞こえる。視界が塞がれているせいか、その顔は簡単に想像できた。俺を、あざ笑っている様な声だった。事実、笑っているんだろう。屈した俺を、嘲笑している。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!

「聞こえへんよ」
「中、かいて、くれ。頼む、頭が、ヘンになるっ……!」

 吐き出すように、言葉をつづけた。身体が、変なんだ。違う変になってるのは頭の方だ。頭も、体も、全部おかしい。歪んでる。こいつも俺も、もう駄目なんだ。
 俺の言葉が、途切れ途切れに、吐き出さると、灯の笑い声が聞こえた。悔しいのに、屈していく俺の体は、欲望に塗れた言葉だけが、零れ落ちていく。灯がケラケラと笑いながら俺の頭を撫でた。

「よー言えたなあ、淫乱な良介くんにご褒美や……で!」
「あっ、ああっ、あ!」

 ぐぐぐっと、一気に灯のもんが、俺を貫いた。今まで掻けなかった所まで届き、快楽が、俺の体を支配する。暗い視界の奥で、ちかちかと星が散った。引き抜かれ、差し込まれる。

「あっ、あっ、ぅあ」

 頭が、思考回路が、ぶっ飛んでしまいそうだ。痒い、駄目だ。もっと、奥まで掻いてくれ。痒いんだ。

「あーっ、あっ、ぅあ!」
「あんあん喘いで、気持ちよさそうやなあ、あいつの前でもこうなん?」
「ち、がっ、あ」
「ああ、僕の方がええ?」
 違う、そうじゃない、気持ちよくなんてない。喘いでなんていない。そう言いたいのに、口からこぼれるのは、情けない言葉ばかりだった。灯が、俺の上で笑っている。嘲笑するみたいに、歪んだ声を漏らした。
「君は所詮、こういう人間なんや。ほかの奴に操立てても、意味ないで」
「ふぅっ、う」

 中を突かれ、息を漏らす。熱い。体が熱くて死にそうだ。熱があるかもしれない。引き抜かれて、また再び深く入ってくる。それを何度も繰り返して、繰り返して。くりかえして。

「う、あーーーー」
 ……早く帰らないと、帰って、飯作って、来週までの課題やって、就活の為のレジュメつくんねーといけないんだ。面接の練習とかしないとだし、早く家に帰らなきゃ。
「う、ううっ」
 渦見がスーパーで味噌と米買ってきてくれるはずだから、飯食った後は、あいつにも履歴書書かせよう。一人だと、なんもやんねーからな、あいつ。
「良介くんは可哀想やね」
「あっ、あ、あっ」
 仕方ないからつき合ってやるか。そしたらあいつ、面倒くさがるけど、なんだかんだ言いながら、ちゃんとやるし。やれば出来るんだよ、やんねえだけで。あんな家がなくたって、ちゃんと暮らしていけるって所、見せてやれば、なんとかなるかもしれないんだ。
「あいつに目つけられて、僕に目つけられて、可哀想」
「ふ、うう、ンッ、あ」

 そしたら、そしたらさ。
 ちゃんと、できるってわかったら、お前も、あんな家に縛られなくて済むのに。その体質がどうにかなる方法だって、探せばいいんだ。逃げても、大丈夫だって、そしたら。

「君は一生、死んでも、逃げられへんよ」

 そしたら、どうなるんだっけ?
 
 生臭い部屋の中で、汗が滴り落ち、俺の記憶は、そこで途絶えた。







 少し、気を失っていた気がする。目を開くと、体のあちこちが痛む。ぼやけた視界の中、さっきまで当てられていた目隠しが外されていることに気付いた。よく見たら、手の拘束も、外されている。ここ、何処だ? 辺りを見渡すと、あまり見たことのない場所だった。どこかの一室だろうか。布団の上で、俺は一人佇んでいた。服は着ているけれど、上のシャツがない。

「っ……」

 ずきん、と胸が痛む。精神的なもんじゃなくて、物理的に。

「なんだこれ……」

 胸に、変な痣? 傷? がある。丸い形の、渦模様? こんなの、あったっけ。まだ思考がぼやけている。思考だけじゃない、視界も、ひどくぼやけている。心臓の上あたりに刻まれたそれに手を伸ばすと、じくじくと痛んだ。ぽた、とズボンの上に目から零れた液体が染みを作っていく。

「…………」

 あー……体が痛いし、頭も痛いし、全体的に辛い。なんかもう死にそう。死んだ方が楽じゃねーのかってくらい、辛い。
 体内の血液を沸騰させるような痒みは収まったみたいだけど、痒かった時の記憶が消えることはない。掻き毟っても全然足りないあの感覚。さっきまで行われていた行為を思い出し、口を押えた。気持ち悪い。胃からせり上がってくるものを吐きだそうか悩んでいると、扉が開いた。

「おはよう」
「っ……!」

 灯。

「あ、ぅ」

 正直俺は、誰か、助けてくれたんじゃないかって、少し期待していた。俺が気絶している間に、なんとかなったんじゃないかって、でも、そんな淡い期待を裏切るように、普通に入ってきた。
 慌てて、逃げようとする。でも、どこに? 此処がどこかもわからない。力もうまく入らなくて、どうやって逃げようってんだ。もう、嫌だ。こいつ、何がしたいんだよ。俺が、お前に何した。口を開くのも嫌で、うなだれていると、灯が笑顔で俺の頭を撫でてきた。

「そんな死にそうな顔せんでもええやん」
「黙れよ……」
「僕の下であんあん喘いだのが恥ずかしかったん?」
「黙れ」
「恋人の腹違いの弟に犯されて感じてはった? 良介くん、最後の方はもっともっとって強請っとったで。記憶とんどんの? 覚えてない? あはは、いけない脳みそやなあ、ちんぽ大好き言うて、見ものやったわあ。僕に何度も何度もキスしてかき回してくださいって強請って、犬みたいにお尻振って」
「黙れっての!」

 胸倉を掴んで、思い切り睨みつける。何なんだよ、こいつは。何でそんなことが出来る。どうしてそんな酷いことが言えるんだ。人の心は何処に捨ててきた。憎悪と嫌悪を込めて、睨みつけるが、灯は愉快そうに笑っているだけだった。その笑みが、無性に癇に障る。

「っ何、笑ってんだよ」
「別に、ただ、これでもう、君は僕の事一生忘れられへんな思って」
「ど……」
「まあ、時間切れやね」

 どういう意味だ、と聞こうとしたところで、部屋のドアが開いた。開いた先には、渦見が立っている。声を上げようとしたところで、気づいた。いつも笑みを浮かべている顔は、無表情。それはあいつのわかりやすい癖で、怒ったり、気に食わないことがあると、途端にいつもの笑みを消す。

「渦見……」
「久しぶりやな、終夜」
「お前誰だっけ?」

 間髪入れずに渦見が答えた。
 灯は特に何も言わず、くすくすと笑いながら、俺の頭を撫でた。

「弟のこと忘れるなんて、痴呆もそこまで来たら死んだ方がええんちゃう?」
「俺、興味ないことって覚えたくないんだよね」
「そんなんしてるから、良介くんこんな目に遭うとるやん。あーあ、かーわいそー」
「…………」

 パリン、と何かが割れる音がした。それが部屋の窓ガラスだと気づいたのは、冷たい風が、部屋に入り込んできたからでもあるかもしれない。冬のせいだからだろうか、割れた窓ガラスから、冷気が入り込んできて、寒い。上を着てないから、余計に。
 渦見が、小さく呟いた。

「笠原、今そいつ殺すね。ごめんね、ちょっと待ってて」
「アホ抜かせ。お前になんて殺されるかい」

 灯が舌を出して笑う。
 異様な空気の中、渦見が近づこうとすると、灯が俺の肩を抱き寄せて、懐から何かを取り出した。黒くて、ごつごつしたそれはドラマの中でしか見たことのない代物。全く温かみを感じさせない。……拳銃?

「っ……!」

 一気に血の気が引く。殺される。そう思って、後ずさる。けれど、すでにがっちりと掴まれた腰から、手が離れない。

「笠原!」

 渦見が、俺の方に向かって走ってくる。
 灯が、目の前でにこりと微笑んだ。一瞬だけ、唇が触れ、綺麗な顔を歪めて言った。手の動きが、まるでスローモーションみたいにゆっくりと動いていくのが見えた。引き金を引く指が見える。銃口が定まり、そして。

「ほな、良介くん、また」
「え」

 ぱん、と乾いた音がして、目の前で赤が弾けた。



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