A



 それから、数週間が過ぎた。
 なんとか生活も馴染み、安定したサイクルを送れるようになってきた。そんな最中、笠原が夜遅くになっても帰って来ず、灯は苛みながら携帯を操作していた。さっきから、メールを送っても返事はない。テーブルの上には、すっかり冷めてしまった夕飯がラップした状態で置いてある。
(今日は、バイトもなかったはずやのに)
 灯は、何度も何度も携帯を鳴らす。プライバシーに干渉するなというルールはあるけれど、もしまた本家の人間に連れ去られていたら、腹違いの兄に奪われてしまっていたら。そう思うと気が気でなかた。何度も爪で液晶を弾いていると、ピンポン、というチャイムが室内に響いた。
「! 良介くん!?」
 慌てて立ち上がり、玄関へ急ぐ。扉を開けると、ぐったりした笠原と、それを抱えるようにして、男が立っていた。
「……えっ、誰?」
 男が言う。その言葉に一瞬灯は顔を顰めたが、すぐに取り繕う様な笑みを浮かべた。
「……良介くんの友達? 僕、今理由あって良介くんと一緒に住んではるんです」
「あ、そうなんすか。俺こいつと同じ科の飯倉って言うんすけど、こいつ合コンで酔いつぶれちゃって……起きねえから送ってきました」
「ああ、そうなん? 迷惑かけてかんにんなあ。預かりますわ」
「あ、はあ」
 飯倉の手から笠原を奪うと、そのまま胸に預ける。なにやら呻いている笠原を両手に抱くと、狼狽えている飯倉に向かって笑顔を作り、部屋のドアへと手をかけた。
「ほな、後はこっちで面倒見るし。わざわざ送ってくれはりまして、どうも」
「イエ……どういたしましてー」
 ひきつった顔で飯倉は頭を下げると、そのまま部屋の前から去っていった。バタン、と無機質な音がしてドアが閉まり、閉じた瞬間灯は部屋の鍵を閉めた。腕の中には、笠原が酒と煙草と香水の匂いを纏って目を瞑っている。その匂いがひどく不快で、小さく舌打ちをした。
「……良介くん、起きて」
「……うー…………」
 小さく頬を叩くと、笠原はうっすらと目を開いた。ぼやけた視界の中に、不機嫌そうな灯の顔が映る。
「……灯……?」
「……良介くん、お風呂入った方がええで。匂いきついし」
「あー…………すげー……眠い……」
「今日の家事当番、良介君やったんやけど、僕が全部やっといたで」
「うー……」
「メールしたら、まだ授業とか言わはるし。嘘ついたらあきまへん言うたの、良介くんやろ」
「……んー……」
「ルール破ったら、ペナルティ言うたんも、良介くんやったね」
 ぼんやりとした様子で、何も聞こえていない笠原に、淡々と灯が言葉を続ける。アルコールがかなり回っているのか、答える様子もない。ふらふらとした足取りでおぼつかず、灯はそのまま笠原を抱えて、布団の上に降ろした。手足を投げ出して転がる笠原は、うとうととしており、今すぐにでも眠ってしまいそうだった。灯は布団の上で横になる笠原の髪を撫で、額へ手を当てる。
「……僕、心配してたんやで」
「……ううー……ごめん……」
「良介くんが、居てへんくなったらどうしよって、そればっかり考えてた」
「…………あー……」
 元々、こうやって何事もなく暮らせるのが、不思議なくらいだ。いつまた、あの時みたいになるかわからない。ぎゅっと拳を握って、笠原の上に覆い被さると、うっすら開いた口に唇を重ねた。
「んっ、ん……」
 許されているのはここまでだ。しかし灯だって健康な二十代の男性だ。好きな人間が目の前で無防備な恰好を晒していれば、欲情もする。そうでなくても、ここ最近は禁欲生活が続いていたのだ。むらむらする気持ちと、苛立ちがない交ぜになった感情を押さえつけ、笠原を抱き起こす。居候身分ということを考えて、親切心で頬を叩く。
「ほら良介くん、起きて。せめて歯くらい磨かな、服もしわくちゃんなんで」
「ううぅ〜〜」
 面倒そうに声を漏らすと笠原は灯の襟首を掴み、据わった表情で睨みつけた。
「……眠いんだよ……寝かせろやボケ」
「……ほーー、良介くんもよう言わはるわあ」
 ひくりと口元をひきつらせて、灯の眉があがる。散々心配して、夕飯も作って待っていたのに、この言われ様では、どうにもやるせない。そもそも、笠原は自分で作ったルールを自分で破っているのだから、ペナルティが課せられたっていいはずだ。灯はむっとした表情で、未だ思考がぼんやりとしている笠原に向かってにこりと笑みを浮かべた。冷蔵庫に貼ってあるルール表を剥がすと、笠原の目の前に掲げる。
「りょーすけくーん」
「…………なんだよ、もう、マジ眠いから……」
「でも、良介くんペナルティあんで」
「……あー……なにすればいいの……、明日やるから今日は寝かせて、マジで……」
 うつらうつらと、船を漕ぐ動きで笠原は頭を揺らす。そんな笠原を寝かせないよう体を抱えると、灯は続ける。
「いやいや、今すぐ、一瞬で、ぱっとできることやから。それ終わったら寝てもええよ」
「うー……」
 きゅっと笠原の手にボールペンを握らせて、耳元で囁く。眠い目を擦りながら、灯が言った通りの言葉を用紙に記入すると、灯は笑みを深めた。酒が回っているせいか、字はかなり歪んでいるが、読めないこともない。
「書いた。……もう寝る……」
「はいはい、おやすみ」
 書き終えると、限界を迎えたのか、そのままテーブルの上にうつ伏せになって眠ってしまった。もう揺らしても起きてくれそうにない。灯は小さく嘆息すると、笠原を抱き上げ、布団の上に転がした。
 それから、用意して置いた夕飯は冷蔵庫に仕舞い、寝間着に着替えると笠原の横で眠りについた。


***


「あっ………たまいてぇ……」
 翌日、笠原が目を覚ますと、既に太陽は真上に上っていた。ズキズキと痛む頭を抑えながら布団から起きあがると、灯がテーブルの上に朝、というよりも、時間的には昼飯を並べている最中だった。
「おはよ」
「…………おはよう」
「まあ、もう昼やしおそようやね」
 笑いながら、身につけていたエプロンを外すと、箸を並べる。食パンに目玉焼きにサラダ。余っていたウインナーとピーマンの炒め物。簡単だが食欲をそそる香りが室内に充満する。しかし、二日酔いの笠原はいまいち食欲が沸かず、緩慢な動作で、四つん這いになってテーブルまで近づいてきた。頭が非常に痛むのだ。間違いなく二日酔いだと確信しつつも、昨日の出来事はよく覚えていなかった。
「……なんか、怒ってる?」
「別に、怒ってへんよ」
「……連絡しなくて悪かったよ」
 昨日、笠原は灯からのメールには気づいていた。けれど、合コン等と真実を告げれば場所とか、相手とか、面倒なことまで聞かれそうで、あえて気づかなかったフリをした。しかし、それがまずかったらしい。最終的に、笠原は自分で作ったルールを自分で破る形になってしまった。気まずい空気の中、目を合わせないようにしている笠原に対して、灯は笑顔で座るよう進める。
「とりあえず、ご飯出来てるから食べよ」
「……お、おお」
 手を洗い、座ってから水へと手を伸ばす。喉が乾いていたので、一気に飲み干した。
「はぁっ……」
「さっきプリンも作ったから、後で食べよ」
「あ、う、うん」
 灯は、笠原が心配していたよりもいつも通りの様相だった。家事をすっぽかして合コンに行って、怒っていると思ったのに。と笠原は少しだけ首を傾げた。
 ちらりと灯へ視線を飛ばすと、相変わらず綺麗な所作で飯を食べている。育ちの良さがわかる姿勢の良さだった。無言で食卓を囲み、パンを咀嚼していると、ふいに灯が口を開いた。
「あ、良介くん、今日は大学休みやったよね」
「え? ああ……まあな」
 確かに、今日は祝日で、大学も休みだ。すると灯はうれしそうに笑みを浮かべた。
「ほな、今日は昨日の約束したことしてもええ?」
「約束?」
 笠原頭に疑問符を浮かべて答えた。約束と言われても、全く記憶にない。そもそも、どうやって家に帰ってきたかすらも覚えていないのだ。飯倉に強引に誘われて合コンに出たはいいが、久しぶりに飲む酒に、ひどく酔っぱらって前後不覚になるほど意識は酩酊していた。
「覚えてへんの?」
「……あー、わ、悪い」
「はあー、良介くんは、僕にルールを破るな言うといて自分で破った挙げ句、嘘ついて、さらにした約束も覚えてへんのやね、傷つくわ」
「…………ごめん。……あっ、か、家事は今日全部俺がやるよ! なんかあるか?」
「今日の分はもう僕が全部やったし、二日酔いの良介君はそない動けへんやろ」
「…………すません」
 その通りのことなので、何も言えず俯いた。そんな笠原を見て、慌てた様に灯が告げる。
「あ、別に怒ってへんよ」
「……そうか」
 その言葉に少し胸を撫で下ろすが、すぐに凍りついたような声で問われた。
「でも、昨日の男誰? 僕あんな奴知らんけど」
「……昨日の男?」
「イイクラとか言うてはったよ」
「あっ、あー、友達! いや、あいつに飲みに誘われちゃってさ……」
「イイクラに誘われて合コン行ってはったん?」
「…………」
 綺麗な笑みで問いつめられるようなプレッシャーを感じて、笠原は思わず顔を逸らした。せめて合コンって言わなければ、友達同士の飲み会で通じたのに。心のどこかでそう思うと、灯がすかさずつっこんでくる。
「今、なんや嘘つこうとしてへんかった?」
「し、してねーよ。つーかいいだろ別に行っても。プライベートに突っ込んでくるなよ」
「……僕、昨日夕飯作って、待っとったんやけどなあ……」
「う」
「なんかあったんやないかって、心配しとったんやけど……」
「あー」
 それを言われると、とても弱い。そもそも、嘘をつこうとしたことも事実なのだから。正論ばかり突かれてしどろもどろになりながら笠原が狼狽えていると、灯はくすくすと笑った。
「でもええねん。良介くんも、もうルール破らんと思うし」
「あ、ああ! 当たり前だろ! もう破んねーよ!」
「せやね」
 取り繕うように宣言すると、灯はにこりと笑って冷蔵庫に貼ってあった筈のルール表を掲げた。
「ほな、今日はいっぱいセックスしような」
「ああ! …………ん?」
「昨日約束したやんか」
「…………ちょ、え、ちょっと待て」
 テーブルの上に置かれたルール表には、Bのセクハラ禁止項目の横に、新たな文字が付け加えられていた。ミミズがのたくった様な字だが、かろうじて読める。そこには【セックスは週に3回まで】と書かれていた。覚えのない項目に、笠原が大きな声を上げる。
「……はぁ!?」
「ちょ、声大きいなあ。近所迷惑やで」
「いや、待てよ。なんだこれ!?」
「何って、昨日、書いてくれたやん? ルール破ったペナルティにって」
「こんなの無効だろ!」
 顔を赤くしながら、テーブルを叩くと、頭痛が笠原を襲う。自分の叫んだ声で、さらに頭が痛くなってきた。知らない内に付け加えられていたルールのせいもあるかもしれない。すると灯は相変わらず綺麗な笑みを浮かべながら、質問してきた。
「無効? なんで? ペナルティは相手の言うことを聞くことやん。ルール追加は禁止されてへんはずやけど」
「だっ、セ、セクハラ禁止だって」
「はぁ? これがルールに組み込まれてはるんやから、それは適用されへんやろ」
「俺、覚えてない!」
「飲み過ぎた良介くんが悪いやん。書いてあるしな。僕そんな下手な字ぃ書かれへんわ〜」
「……そ、そもそも、なんで俺相手に」
「良介くんとしたいからやけど。それとも、良介くんまたルール破るん? 自分で決めた決まり事、また守らへんの?」
「…………っ〜〜!」
 怒濤の様に責め立てられ、笠原は握っていた箸を握りしめた。反論がすぐに思い浮かばなくてぱくぱくと口を動かしていると、止めのごとく、灯が言った。
「ご飯食べてちょっと休んだら、いっぱいしような、久しぶりやから、優しくするで」
「…………」
 語尾にハートマークでもつきそうな笑顔でそう言われると、笠原はうなだれ、今後酒は飲まないと心に誓った。


終わり

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