A


 そこは、一言で言うなら、異様な空間だった。
 この屋敷自体が異質なものではあったけど、その空間は今までの場所よりも群を除いて異常な所だった。重い扉に閉ざされた部屋の奥には、鉄格子。まるで牢屋だ。灯が囚われていた物と違うのは、そこの格子には札が貼られていて、そして、その奥にも無数の札が貼られているということ。ツンとした鉄の臭いが、鼻を突く。部屋の中には、あいつの鼻歌だけが響いていた。……違う、ほかの人の、声もする? けれど、姿は見えない。囁くような、笑い声。
 俺は、ごくりと喉を慣らした。扉を一枚隔てた所に、旭さんと、灯がいる。ここに入るのが許可されたのは、俺一人だった。灯は、最後まで俺にやめるよう説得してきたけど、俺だって、あいつに言いたいことがある。

「…………」

 どこまでも、異質で、異常な部屋。
 その中心に、渦見がいた。回転椅子に座りながら、鼻歌を歌っている。なんだっけな、この歌。中学の時、合唱コンクールとかで歌ったような気もするけど、思い出せない。

「……渦見」

 飛び出した声は、思っていたよりも掠れていた。俺の言葉に、渦見は鼻歌をやめ、回転椅子を軋ませた。
 ギィ、とさび付いた音がして、こちらへ向き直る。暗くて、表情は良く見えないけれど、中にいるのは確かに渦見だった。こいつに会うのも、いつぶりだろう。退院してから一回も会ってなかったけど、こうやって見ると、なんだか懐かしさがこみ上げてくる。

「……久しぶり」

 カツン、と音がした。渦見が、椅子から降りたんだろう。
 この屋敷の人間は、皆和服を着るの当たり前だと思ってたけど、こいつは違うんだな。俺と一緒にいた頃となんら変わらない服装で、ゆっくり近づいてくる。ようやく提灯の明かりで顔が認識できる所まで来ると、渦見は俺の顔をじっと見つめた。
 丸くでかい目に、俺が映ると渦見は口を開いた。

「笠原じゃん」
「……おう」
「何やってんの?」
「さあ……」

 いや、違う。何だこの会話。何やってんのじゃねえよ。
 なんでここまできて、こんなフワフワとした会話をしなきゃいけないんだ。俺が口を開こうとすると、その前に渦見が笑った。

「あひゃっ」
「っ……?」
「なーんて、嘘だよ。俺、笠原が此処に来てたこと、知ってたし」
「……そ、うか」
「逃げ出せそう? よかったね。俺、ちょっと悪いなって思ってたから」
「…………」
「笠原が、かわいそうな事になってるって、聞いてたからさー、ごめんね」

 へらへらとした顔で笑う渦見。ちょっと待てよ、おい。なんだその言い種。
 知ってたって、全部か? 俺は、お前がこんな家の奴だなんて、知らなかったし、お前が抱え込んでいるもんも知らない。だって、言われなくちゃわかんねえもん。でも、お前は俺がやられたこと、全部知ってるんだな。そう思うと、羞恥と同時に、怒りが沸いてくる。今までされたことを思い出して、顔が赤くなった。ぎゅっと、格子を掴む。
 どうして、俺がこんな目にあったと思ってんだ。お前の生け贄とやらに選ばれたせいで、俺は酷い目に遭ってんだぞ。奥歯を噛みしめると、渦見を睨みつけた。

「お前、ふざけんなよっ、よかったねじゃねーから! こんな事になる前に、先に言っとけ! 失踪してんじゃねーよ!」

 本当は、言いたいことが、沢山ある。なんでもっと早く言わなかったんだとか、知ってたんなら、どうして助けにきてくれなかったんだ、とか。俺はお前のこと、友達だと思ってたけど、お前は俺のことなんてどうでもよかったんだな、とか。言いたいことがありすぎて、頭の中がぐちゃぐちゃになっている。格子を挟んで目の前にいる渦見が遠い。
 俺には、こいつが何を考えているか、全然わからない。

「俺が、どんな思いしたとっ……!」
「俺なりの優しさだったんだけどなあ、笠原には伝わらなかった?」
「何がっ、!?」

 ぐ、と格子の間から、胸元を捕まれた。引っ張られ、引き寄せられると、渦見の端正な顔が目の間にきた。渦見はにやにやと笑いながら、もう一方の手で、俺の頬を撫でた。

「俺がせっかく逃がしてあげようとしたのにさあ、勝手に捕まったのは笠原の方でしょ。馬鹿じゃないの、お前」
「は……?」
「しかも、ここに来るなんて、ほんと馬鹿だよね、ああでも、旭が連れてきたんあっけ? 変なの、もっとおかしくなってから来るかと思った。奏もいたしね、あひゃひゃっ」
「喧嘩売ってんのかてめぇ……」
「あー、うー、売ってないよ。いいから早く行ったら? 旭には俺が適当言っておいてあげるから、もしかしたら逃げられるかもよ」

 その言葉に、かちんときた。こっちは散々なめにあったというのに、なんだその言いぐさ。もう、こいつとなんて話していても無駄だ。俺はきつく睨みつけて言葉を返した。

「ああ行くよ、灯と一緒に、さっさとこんな家出てくっつーの」

 その瞬間、空気が凍るような音がした。
 それは気のせいでもなんでもなくて、ぴしり亀裂が入るような、そんな音が、部屋の中に響いていたんだ。というよりも、今も尚音が響いている。

「……はぁ〜〜?」
「な、なんだよ」

 ピシ、ピシ。
 一体どこから聞こえてくるんだろう、この音。何かが割れる様な音とは、また違う。家鳴だろうか? でも、継続するように何度も音は聞こえてくる。
 ピシ、ピシ、ピシピシピシピシピシピシ。
 ラップ音? でもそれよりも、今は目の前に渦見が露骨に苛ついているように見えて、俺は後ずさった。いや後ずさろうとしたけど、ダメだったのだ。がっちりと胸ぐらを捕まれていて、外そうにも外れない。渦見がもう一方の手で、俺の頭を掴んで、引き寄せた。鈍い音を立てて、額を格子にぶつける。

「いっ!」
「はー……笠原さぁ、何言ってんの?」
「な、にが……」
「俺ね、ここにいるとき、笠原の写真見せられたことあるよ、あいつに。だから、笠原がされたこと、ぜーんぶ知ってる。あいつってさ〜、ほんっとーに昔から粘着質で鬱陶しくて面倒くさい奴だよ。関わっても面倒なことにしかなんないんだよ。なのになんで? あいつと一緒に行くことになんの? 笠原、あいつにされたこと忘れたの? それともああいうのが好きなの? されたかったの? ああー、悦んでたもんね、笠原って変態だったんだ?」
「うるせえ!」

 ぐっと格子を掴んで、渦見を睨みつけた。何にも知らないくせに。そんなこと、言われるまでもなくわかってんだよ。あいつがやばいやつなんてこと、俺だってわかってるよ。あんなことする奴がやばいわけない。
 でも、それをお前が言うのかよ。

「……お前は、助けにも来てくんなかっただろ……」
「ん、ん〜?」
「あいつは、本当に嫌な奴だよ。俺を捕まえるわ閉じこめるわ強姦するわで本当に最低だよ、さっさと刑務所入りした方がいいな、そんなん知ってるよ。けど、一応助けてくれたんだ。此処から逃げ出す様、手を掴んでもくれたんだ。だから、お前よりはマシだ。お前は、来てくんなかっただろ!」

 俺は、心のどこかで願っていた。もしかしたら、渦見が助けに来てくれるんじゃないかって、ずっと思っていた。でも、結局渦見は来てくれなかった。奏に拷問された時も、輪姦された時も、手なんて、伸ばしてくれなかった。ここに閉じこめられていたからってのもあるかもしれないけど、それでも、俺はお前にそんなこと、言ってもらいたくなかったのに。
 渦見は俯いて、小さく呟いた。

「…………手を掴まなかったのは笠原の癖に」
「は……?」

 それから、はー、と深いため息を吐いて、渦見はにっこりとかわいらしい笑みを見せた。女が見ればはしゃぎそうな、柔らかい笑顔。それは、かつて俺の家で良く見せていた、無邪気な笑みだった。

「あひゃひゃ、変だと思った。旭が、動ける笠原連れてくるはずないもんね、こういうことだったんだ」
「? ……何を」

 言ってるんだ、と言おうとしたところで、すごい勢いで引っ張られた。格子に頬がぶつかり、口に柔らかい物が触れた。

「ん、んっ!?」

 ぐにゅりとした何かが入り込んできて、それが舌だと気づいた時には、とっくに奥に入り込んできていた。生温い感触が伝わってきて、俺は必死に抵抗する。

「……や、めっ」

 突き放そうとしても、がっちりと頭を押さえ込まれて、咥内をかき回される。口でも噛んでやろうかとした矢先、渦見の歯が、俺の舌を挟んだ。

「っ……!?」

 嫌な音がした。
 俺は拳を降りあげ、持てる全ての力を込めて、渦見の顔をぶん殴った。

「ふはっ……!」

 渦見が倒れることはなかったけど、俺はその場に尻餅を突いて、渦見からは逃れる事が出来た。口の中が、痛い。鉄の味が、広がっている。信じられないような目で、渦見を見た。
 ……舌、食いちぎられるかと思った。いや、違う。離さなければ、食いちぎられていたかもしれない。口の中に広がる血のせいで、その想像は真実味を帯びていく。
 痛いくらいに早鐘を慣らす心臓を押さえると、渦見がごくりと喉を慣らした。

「あ〜〜、鉄くさいっ、まずい」
「お、前……馬鹿じゃねえの……何してんだよ、マジ……」
「あひゃひゃ、笠原声震えてる、怖かったあ? ごめんねー、冗談だよ、あひゃひゃひゃひゃっ」

 ケラケラと笑いながら、渦見が俺を見た。もう見慣れているはずなのに、その目が恐ろしくて、俺はじりじりと後ずさった。渦見は笑っている。
 何が楽しいのか、ずっとクスクスと笑っている。その笑い声に、渦見のものじゃないもんまで混じっている気がして、体が震えた。もう、こいつには近づいちゃダメだ。
 こいつと関わるな。俺の本能が全力でそう告げている。ごくりと生唾を飲み込むと、震える足を何とか立たせて、渦見に伝えた。

「……じゃあな、俺はもう逃げるけど、追っかけてくんなってお前の兄ちゃんに言っておけよ」
「あひゃひゃ、うん、またね」
「もう来ねーよ」
「そうかなあ? ひひっ」

 小首を傾げながら、渦見が言った。不穏なこと言いやがって、二度と来ねえよ、こんな所。ていうか捕まれ。警察に言っても相手にされないかもしれないけど、俺は絶対に言うからな。
 渦見に背を向けて、コンクリートのドアノブへと手をかけた。あの、牢屋の中にひっぱりこまれなくて、よかった。何故かそう思った。あの中に入ってしまったら、戻れない様な気がして。
 ノブを捻ると、背後から渦見の声が飛んできた。

「かーさはらー」
「……なんだよ」
「その内さあ、迎えに行くね!」
「……は?」
「あー、違った。笠原が俺の所に来るのが先かも。でもまー、どっちでもいいや。笠原一人ならよかったのに。だから、笠原が悪いよ」
「お前、何言ってんの」
「ひひひっ、灯に言っておいて、少しだけだよって」
「…………」
「あひゃひゃひゃひゃひゃっ!」

 もう、何を言っても話が通じない様な気がして、俺はその言葉には返さず、無言で部屋を出た。
 鍵がかかっていたらどうしようかと思ったけど、そんなことはなく、開いた先には、灯と旭さんが立っていた。灯は、でてきた俺を見ると泣きそうな顔をして駆け寄ってくる。

「良介くん!」
「……会ったぞ、もう、いいでしょ」
「そうだね、終夜はなんて?」
「さあ、あいつが言ってること、俺にはよくわかんなかったんで」

 そう答えると、なんだかわからないが旭さんは頷いて、渦見のいる部屋の中へと入っていった。……これは、もう逃げてもいいってことか? いいってことだよな、そう解釈して、俺は灯を見た。

「おい、行こうぜ」
「良介くん、あいつ、なんて言うてはったん?」
「さあ、なんか少しだけとか、なんとか」
「……そっか」

 暗い顔をしながら、灯が俺の手を握った。そして、その場から逃げるように早足で歩いていく。階段を上っていくと、ようやく明かりが見えてきた。今、何時なんだろう。皆、元気にしてるだろうか。父さんは、心配してるだろうか。バイト、どうなってんだろう。そんなことをずっと考えていると、灯が急に口を開いた。

「良介くん」
「……ん?」
「あいつん所から、戻ってきてくれて、ありがとう」
「…………」

 なんだそれ、とも思ったけど、声が震えていたから、俺は何もいえなかった。前を歩いているので、表情は見えないけれど、涙混じりの声だったので、泣いていたのかもしれない。こいつが泣いてる所なんて想像できないけど、少しだけおもしろくて、俺は吹き出した。

「……何笑ってはるん」
「いや、別に……、お前も泣くんだな」
「別に泣いてへんわ」

 ぎゅっと手を握る力が強くなった。灯はそうは言うけれど、頑なにこっちを向かない姿勢を見ると、なんかもうそれが答えな気がした。
 でかい子供みたいだな。そう思うと、なんか納得できる気がして、俺は灯の背中を叩いた。暗い階段を抜け、屋敷を抜けると、朝日が目に眩しい。どうやら、夜明け時刻だったようだ。数週間ぶりに、外にでた気がする。

 そうして、ようやく俺たちは、外へと抜け出した。


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