A



「ほな、僕はここにいるんで、好きに洗ってください」
「…………そこにいんの?」
「一応、監視役なんで。外に白子も待機してはりますけどね。自分で体洗えるだけ感謝してほしいくらいです」
「……」

 それもそうだ。俺はまた、目隠しされたままあいつらに体を洗われなかったことに、密かに安堵していた。あの恐怖は今思い出しても体が震える。
 脱衣所で浴衣を脱いだので、今は全裸だ。ありがたいことに、両手の拘束もとかれて、首輪はついているけれど、今は自由の身だ。服は着てないけどな。
 子供に裸見られるのくらい、別にどうってことないし、雨くんも女ならともかく、年上の男の裸に興味はないだろう。彼は浴室の隅に座っている。浴室自体は、俺が前に灯に閉じこめられていたところで入った風呂場よりもだいぶ広くて、座るようなスペースもある。けれど、そんなところにいて暑くないんだろうか。お湯はかからなくても、湯煙の湿気で、暑そうだ。

「雨くんは、風呂入らないのか?」
「は? なんで僕が贄のアンタと仲良く風呂入らなあかんのですか」
「いや……」

 一緒に、とは言ってないけど。こんな窓もない風呂場で、逃げることなんて出来ないと思うし、ここにいなくともいいのにな。しかし、俺が何を言っても無駄なんだろう。俺は風呂場についてある鏡に自分の背中を映した。所々が赤く腫れていて、皮膚が抉れている箇所もある。けど、自分で想像していたよりは酷くなかったので、少しだけ安心する。これ以上傷つけたりしなければ、ちゃんと治るだろう。それでも、触れると痛いけど。
 俺は風呂桶にお湯を溜め、体にかける。お湯にタオルを浸し、備え付けの石鹸をこすりつけると、体の上を滑らせた。

「っ……!」

 飛び散ったお湯が背中についたのか、激痛が走り、背中を仰け反らせた。声にならない悲鳴が漏れる。なるべく、背中にお湯は当てない様にしようと思っていたけれど、無理そうだ。ごしごしと痛みを堪えて、体を洗っていると、雨くんの声が、浴室内に反響した。

「痛いですか?」
「……痛いよ……」

 当たり前だろ。お前の姉にドライヤーの熱当てられ続けて、そこを爪で抉られたりと、散々なことをされてるんだ。そこにお湯が当たれば、痛いに決まってる。塩塗りこまれないだけマシだけど、それ言っちゃうとあの女本当にやりそうだからな。ぶっちゃけ、こうやって話すのも億劫だ。すると雨くんは、着衣のまま、俺に近づいてきた。

「? 濡れるよ」
「ドライヤーの熱は、当て続けると100度を越えるらしいです」
「……あ、そう……」

 聞きたくないことを聞いた。もうドライヤーが使えなくなるようなことを言うのはやめてほしい。

「ここと」
「いっ!」
「ここ、それからここ」
「う、あっ」
「あとここにも当てられてましたね。ああ、ここは踏まれた所ですか」
「あ、ちょっ、痛っ、さわ、さわんなっ」

 雨くんの手が、俺の背中に伸びてくる。奏みたいに爪で抉る訳じゃないけれど、それでも触れられるだけでチリリとした痛みが襲ってくるのだ。一つ一つ当てられたところをなぞられ、溜まらず俺は振り返って、彼の手を掴んだ。

「やめろって!」
「…………はあ」

 冷めた目が俺を見下してきた。反響した声が、浴室内に大きく響く。

「カサハラさんは、これからどうするんですか?」
「ど、どうするって……」
「昨日一日でもわかったでしょう。逆らうと酷い目に遭うし、逆らわなくてもどうせ酷い目にはあいます。そんならもう、諦めていい方向に行くよう媚びた方がええと思いません?」

 相変わらずの無表情で、彼は言った。この子は、俺に諦めさせたいんだろうか。けど、諦めた所でどうなるんだ? 媚びたら、俺はここから生きて出られるのか? 違うだろ。あの女の言い方だと、渦見と二人、一生ここに閉じこめられるみたいな言い方だった。なら、俺は諦めたくない。諦めたら、そこから先の道は潰えてしまう。

「……俺は、ここを生きて出ていくよ。諦めたくない」
「出ていくって、どうやって?」
「…………」
「無計画に虚勢張られても、滑稽なだけなんですけど」

 鋭い視線が、俺を射る。雨くんの言う通りだ。確かに、逃げるにしても、具体的な策はない。そもそも、情報が少なすぎて、どうすればいいかわからないんだ。前に閉じこめられた時も考えたけど、結局結論は同じだった。一人で逃げるのは無謀、情報が少ない。
 ああ、でも、灯はもしかしたら、俺をその内外に出してくれるみたいなことを言っていたっけ。あれもひょっとしたら嘘だったのかもしれないけど、でも。
 きゅっと唇を結んで、俺は雨くんを見上げた。艶やかな黒髪が、湿気で少しへたって居る。

「……なあ、灯って今何してんの?」
「さあ、独房にでも居てるんちゃいますか」
「独房……なんで?」
「カサハラさんには関係ないことです」
「ふぅん……」

 関係ない、と言ったけど、なんとなく俺に関係しているんじゃないかと思う。あいつらは灯を無能呼ばわりしていたし。
 独房、な。つまりそれは、こいつらにとってはやはり灯が邪魔な存在だったということだろうか。なら、灯は本当に俺を逃がしてくれるつもりだったのか? けど、あいつが何を考えていたのか、俺にはぜんぜんわからないし、もう此処にはいない。それなら、他に協力者を見つけるしかないんじゃないだろうか。どうせ、一人で此処を抜け出すのは難しそうだ。
 俺は雨くんに向かってにこりと笑んでみせた。

「何ですか、にやにや笑って」
「なあ、雨くん、逃げるの協力してくれないかなって」
「はあ?」

 呆れを含んだ視線で、雨くんが俺を見る。まあ、そりゃそういう反応になるだろう。彼は俺をお敵とは思ってないかもしれないが、味方でもない。つまり、どうでもいいと思っているんだろうから。案の定、雨くんは冷めた目で俺に言った。

「カサハラさんは馬鹿ですか? 僕はアンタの監視役やって言うたはずですけど」
「監視役が協力しちゃだめだなんて決まりはないだろ」
「アンタと話してると頭がおかしなりそうです」

 それはこっちの台詞だ。俺もお前らと話していると、何が正常なのかわからなくなってくるよ。苦笑を含んだ表情で、俺は呆れ果てている彼に言った。

「雨くんは、子供だからな」
「は?」

 不機嫌そうな声を上げると、雨くんはシャワーを手に取った。そのまま蛇口をひねり、シャワーヘッドからは勢いよく水が飛び出した。そしてその水は、俺の背中に思い切りぶつけられた。

「いっ……!」

 冷たさと痛みに身悶えていると、いつもよりも低い声で、雨くんが発言する。

「僕、それ言われるのが一番嫌いなんですけど。やめてくれはりますか」
「……ああ、悪い。でも、そうやってむきになるとこが、子供っぽい。大人っぽくありたいなら、話くらい聞け……げほっ、えほっ」
「…………」

 当てていたシャワーを俺の頭に当てる。冷水頭から降り注ぎ、水が口の中に入って少し咽た。いや、気にしない。むしろ水分補給できてよかったくらいだ。苛んだように眉を寄せている雨くんは、変わらず俺にシャワーを当て続けてくる。せめてお湯にしてくれ。

「僕、馬鹿とは話したくないんですけど、そんだけ大口たたくなら、発言すること許したってもええですよ」

 あくまで上から目線だなこのクソガキめ。けど、ここで協力者を得られなければ、脱出する手だてはない。協力者、とまではいかなくても、少しは情報を手にしないと。

「……雨くんはさ、俺が此処から抜け出せるなんて、信じてないだろ」
「そりゃ、今まで抜け出した例がないんで」
「だったらさ、ゲームしよう」
「ゲーム?」

 眉を顰めて、俺を睨みつけてくる。普段が無表情なだけに、怒った表情は少し怖いが、子供相手に引いてられない。俺は苦手なポーカーフェイスを張り付けて続ける。

「そう、俺がこっから逃げ出せたら、俺の勝ち。簡単だろ」
「……僕がそうですね、って言うと思ってはるんですか?」
「さあ? でも、俺は色んな可能性に賭けてみたいと思ってるからな」

 これは賭けだ。けれど、彼が乗っても乗らなくても、別に俺に不利益はないと思う。。雨くんは、監視役とは言っているけど、正直、俺にそんなに興味はないだろう。これまでの言動から、それくらいはわかる。彼が乗ったら俺はその分情報を手にできて、乗らなければ、また別の方法を考える。そう考えると、この提案は俺にとっては悪くないんじゃないかと思う。
 ただ、俺は雨くんに是非とも乗ってもらいたかった。そもそも、彼はどっちでもいいんじゃないかと思う。だって、そうでもなければ、こんな無防備な姿で俺の近くにいないはずだ。いくら俺の体力が落ちているからと言って、雨くんの様な細身の少年にぼこぼこにされる気はしないし、頑張れば逃げられるんじゃないかと思う。外にいる白装束さえ撒ければ、の話だが。自らをか弱いとか言っていたし、多分、俺が逃げても逃げなくても、構わないんだろう。ただ監視役だから一緒に居るというだけなんじゃないだろうか。
 しかし、これはあくまで俺の勘だ。このことを奏に報告されて、耳や腕を削がれる可能性だってなくはないのだ。にこりと笑みを浮かべた俺に、雨くんは無表情で言葉を返した。

「抜け出せなかったら、どないするんですか?」
「俺の負け。たぶん、お前らのいいようにされるんだろ」
「あほくさ、僕が協力したところで、カサハラさんしか得せんやないですか。もともとアンタ、そうなる予定ですし」
「そうか? でも、雨くんは諦めたんだろ」
「…………」
「俺は、諦めてない。諦めないで、逃げ出すことが出来たら、雨くんはどう思う?」
「……あり得ないんで」

 ぽつりと呟かれた言葉に、覇気はない。元々覇気のない少年だけど、俺にはその眼が少し、揺らいでいる様に見えた。少しの間沈黙が続いた。流れるシャワーの音だけが、浴室内に響いている。この音で、俺たちの会話は外に漏れていないかもしれない。ややあってから、雨くんはゆっくりと口を開いた。

「一つ、条件があるんですけど」
「条件? 何?」
「カサハラさんは、普通の人間ですもんね」
「……多分な」

 普通の人間の定義がよくわからないけど、お前らが普通じゃないとしたら、俺はまともな人間に分類されるんじゃないかと思うよ。

「なら、逃げ出すことが、もしできたら」
「できたら?」
「……いえ、逃げ出せたら、言います。出来ないと思いますけど」

 なんだよ、言えよ。逃げ出すことが出来たら自殺してくださいとか言われても、俺は絶対に無理だぞ。訝しんだ顔で見ていると、雨くんはそんな俺の表情を見透かした様に答えた。

「別に、逃げ出せたら死ね言うわけやないです」
「あ、そう」
「僕は、いずれこの家を出るつもりです、けど……。僕、この家以外の事は知らないので、外に出て、もしカサハラさんが生きてはるなら、普通の生活を教えてもらえればなと、思っただけです」
「ああ、なんだ……それなら全然い」
「けど、僕協力するなんて言うてはりません」
「……だよね」

 いいよって言いかけたけど、それを遮るように雨くんは続けた。まあ、そんなうまくいくわけなはないと思った。けど、この子は渦見にも俺にも興味は無さそうだし、姉に言うことはないだろう。という希望的観測を込めて、苦笑した。しかし、協力者が駄目となるとやはり強行突破しかないだろうか。渦見のことが心の底から好きです、とか行ったら、渦見の所に連れて行かれるのかな。そうすれば、その途中逃げ出すことが……いや、でも、あいつどこにいるんだろう。悩んでいると、「ただ」という言葉が降ってきたので、俺は顔を上げた。

「ん?」
「……ただ、アンタが逃げたら、きっと渦見の奴らは困るんでしょうね」
「……?」

 そう言った雨くんの顔は、珍しく嬉しそうな笑みを浮かべていて、俺には彼がどうしてそんな嬉しそうな顔をするのか、よくわからなかった。とりあえず、ずっと出しっぱなしにされていたシャワーを止める。長い間当てられていたせいか、すっかり体は冷えてしまった。しかし、幸いにも、冷たい水を当てられ続けたせいか、背中の痛みはさっきほどではなくなった。早く湯船に浸かって温まりたい。

「っくし!」

 寒さにくしゃみをすると、はっと雨くんがシャワーから手を離した。それから、唇を結んで、俺から離れていく。そのまま、浴室の扉へと向かって行った。

「あれ? 出てくの? 監視は?」
「……窓も何もないのに、アンタがこっから逃げられるわけないやないですか」
「……そうだね」

 なら、なんで最初入ってきて見張ってたんだよ。

「服が濡れたんで、着替えます」
「風呂、はいる?」
「……入りません!」

 少しだけ眉を吊り上げて、雨くんは出て行った。ああいう顔をすると、年相応の男子に見えるんだけど。どうして、普段はああなんだろう。やっぱり、この家が異常なせいだろうな。だから、あの子もこの家を出たいんだろうか。まあ、こんな家にいたら頭もおかしくなるよなそりゃ。ぽた、と髪から雫が落ちて、俺はまた一つくしゃみをした。

「はー……寒……」

 風呂に入って温まって、少し寝たい。奏でがいつ帰ってくるかわからないから、それまでに体力を温存しよう。
 そう思いながら、俺は自分の体にお湯をかけた。

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