紐を握る@



 熱い、燃えつくような痛みが、昨日からずっと続いている。背中は焼き鏝でも当てられたみたいに、刺すような痛みが襲ってくる。背中は熱いのに、なぜか体の中は冷えていく、そんな感覚。俺はじっと歯を食いしばって座っていた。
 自分の背中なんて見ることはできないけど、もし見ることが出来たなら、さぞかし痛ましいことになっているんだろうな。と、考えながらコンクリートの上に正座し俯いていた。
 目の前には、奏が座って漫画を読んでいる。キラキラした男と女が表紙で笑いあっている。少女漫画だろうか。ページを捲りながら、奏はぷるんとした瑞々しい唇を歪ませた。

「ウチなあ、ハッピーエンドが好きやねん」

 可愛らしい声で、そう発言する。俺はそれを黙って聞いていた。こいつのことは殆ど知らないけれど、怒らせない方がいいということだけはわかる。というよりも、理解させられた。昨日、ドライヤーを何度も背中に当てられて、爛れた皮膚に爪を立てられ、喉は枯れ、ついでに涙も枯れた。抵抗する気力は根こそぎ削がれた。それをじっと見ていた少年も、この女も、全員どうかしている。自分より年下の少年や女にこんな事をされるなんて、屈辱的だけど、勝てる気がしなかった。
 俺は生きてここから逃げ出したいけど、逆らったら、逃げる前に殺される。そんな気がして、逆らわないことに決めたのだ。とりあえず、逃げられるまでは、おとなしく従うことにした。
 奏は、歌うように言葉を続ける。

「ヒロインとヒーローは、必ず結ばれるべきやと思わへん? せやなかったら、何のために物語が展開されてるかわからへんやん。障害があればあるほど燃えるって言うやんかあ」

 クスクスと笑いながら言っているが、俺にはこいつがなにを言いたいのかわからなかった。ハッピーエンド? 今の俺は絶望が九割を占めているしほぼバッドエンドだよ。下唇を噛みながら、痛む背中を意識しないようにする。
 痛みを認識してしまうと、さらに痛覚が過敏になり、痛みが増す気がするから。抵抗する気がなくなったと見なされたのか、後ろ手で縛られていた手は、今は前でつながれている。それに、足の戒めも解かれた。それだけが、せめてもの救いだ。相変わらず部屋の鍵は開かないが、自分の意志で動けるのと動けないのじゃ大違いだ。自分の意志で動けないのであれば、簡単に殺されてしまうから。
 奏が、また一枚ページを捲った。

「結ばれなかったら、それはそいつらの努力不足やと思うんよ。ほんまに好きなら、どんな奴を踏み台にしてでも、結ばれるべきや、そう思わへん?」
「…………」

 奏が、俺に問いかけてくる。黙っている訳にもいかないので、言葉を選びながら、口を開いた。

「……俺、今好きな人いないので、わかりません」
「ふぅん、つまんない男やね」

 鼻を鳴らしながら、奏が笑う。一応、言葉遣いにだけは気をつける。耳を削がれるのも、またドライヤーで炙られるのもまっぴらごめんだ。奏は俺の首についている首輪を掴むと、そのまま上へと持ち上げた。

「いっ」

 半強制的にに、顔が上を向く。客観的に見れば美少女と言っても差し支えのないきれいな顔が、穏やかに微笑み、俺の唇をなぞった。柔らかな笑みが、緩やかに狂気を帯びていく。

「ほな、好きな人作ったらええやん」
「……は……?」
「ああ、ウチを好きになれ言うてはるんやないよ〜、勘違いせんといてな、キモすぎるわ」
「…………」
「もちろん、京花ちゃんを好きになったらあかんよ。そんなん言うたら切り取るで」

 なんてことを言いやがる。もとよりお前みたいな狂った女を好きになる気なんて毛頭ないし、そこまで命知らずでもないけど、声のトーンが本気っぽくて、思わず青ざめた。切り取るって、どこを切り取るつもりだ? 嫌な想像をして、股間が縮こまった。暗い顔をしている俺に笑いかけながら、奏は続ける。ふくよかな胸が俺の目の前で揺れるが、そこを凝視する気にはなれなかった。

「せやから、ウチ考えたんよ、贄風情のカサハラきゅんが幸せになる方法。ウチってほんっま優しない?」
「……?」
「ぶっちゃけ、どうでもよかったんやけど、京花ちゃんがお父様に言われたはったし、しゃーないな〜」
「い、言ってる、意味が」
「カサハラきゅん、あの呪い子のこと、好きになってくれはる? 愛したってぇ〜。何よりも優先するように、ね」
「……は?」

 呪い子って、確か渦見のことだよな。昨日、雨くんがそう言っていた。雨くん本人は今日はここに来ていないから聞くことはできないけど、知らない人間の事は言わないだろうし、おそらくそういうことなんだろう。奏は両頬に手を当てて、恍惚とした表情を浮かべた。涎でも垂らそうかという勢いで、くねくねと体を捩らせる。

「うふふ〜、やってあの呪い子がぁ、自分を閉じこめてまで逃がしたかったんやろ〜? まあ結局捕まってもうたけど、でもそれってもうラブやん? ラブが成すことやない? 障害を乗り越えてくっついたら最高にハッピーエンドやんか〜」
「…………」
「せやから、ウチ気づいたんよ。カサハラきゅんがあの呪い子、好きになったら、二人でずっとここで幸せに暮らせるやん。そうなったら、呪いも少しは押さえられるんちゃう? これはウチの勝手な想像やけど。これでカサハラきゅんも痛い目見んですむし、京花ちゃんも幸せや」

 頭のネジが全部はずれてんのかこの女は。
 どうしてこの状況で、こんな目に遭わされてまで、俺が渦見を恋愛的な意味で好きになると思うんだ。俺は、何も知らないままここに連れてこられて、閉じこめられて、犯されて、またここで拷問を受けてんだぞ? すべての元凶である渦見を好きになると思うのか? あいつの境遇や体質には同情するけど、俺にだって自分の人生があるんだ。
 いや、そもそも、それ以前に俺も渦見も男だろう。
 渦見が、なにを考えていたかなんて俺には全く理解できないけど、仮に渦見が俺を逃がそうとしてくれたのなら、それは友達だからじゃないかと思う。……あいつが、俺を友達と認識していたかどうかは微妙なところだけど。けど、こんな風になる前に、一回くらい話しくれればよかったのにとは思っている。そうすれば、何かが変わったかもしれないのに。
 今はこれ以上無いくらい、最悪な状況だ。とりあえず、真っ当な言葉を返した。

「俺は男で、渦見も男なんすけど」
「それが何?」
「いや、だから……」
「同性やからなんやの? そんなん関係ないわ。ウチは京花ちゃんが男でも女でも関係ないし」

 鼻で笑いながら、奏は嘯いた。まあ、この女はあのもう一人の姉? に傾倒しているのがわかりやすく表れているから、気にしないのかもしれないけど、俺は気にするんだ。そんな簡単に越えられてたまるか。
 しかし、次いで挟まれた言葉に俺は口を噤んだ。

「それにぃ、カサハラきゅんは散々男に犯されてはるんやから別によくない?」
「っ」
「ウチ、なんでも知ってはるから、カサハラきゅんがあのレプリカにされたことも知ってはるよー。ひどいことされたねえ、可哀想にねえ。ビデオ、ウチも見たから」

 よしよし、と頭を撫でてくる手を振り払いたかった。顔に、熱が集まってくる。全く可哀想と思っていないような顔で、奏は俺をあざ笑った。思い出したくもないことを思い出してしまい、俺は目を伏せる。そう言えば、昨日灯に犯されてすぐ、ここに連れて来られたんだっけ。ぐっと拳を握りしめると、頭を撫でていた奏の手が、俺の頬まで落ちてきた。

「弟に犯された恋人を慰める囚われのヒーロー。ひゃーん! それってなんや、少女漫画みたいやんか〜」
「……俺は、渦見のこと、そういう目で見たことは」
「うん?」
「い、あっ」

 がり、と背中に爪を立てられ、冷たい汗が流れた。じくじくと痛む背中に、綺麗に整えられた奏の爪が食い込んでいく。目に涙が浮かぶのを、奏は笑いながら見ていた。
 ただ、笑ってはいるけれど、苛ついているのがありありとわかる。こいつらの沸点、低すぎるだろ。もっとカルシウムとか取った方がいい。けど、このまま怒らせると、またひどいことをされるのか。
 昨日のことを思い出して、俺はひきつった声を上げる。

「や、やっぱり好き、かもです」
「うん、せやね?」
「…………っ、はい」
「よかったわ〜、でも、なんか嘘っぽいから、ウチ、カサハラきゅんが本当に心の底から盲目的にあの呪い子のこと愛する様に頑張るね? 愛は地球を救うんやて。テレビでそう言っとったわ」

 ケラケラと笑いながら、俺の背中をなぞっていく。それと同時に、痛みで体が反り返り、びくびくと震えた。痛みから少しでも逃れようとするが、執拗に背中をかいてくる。呻く俺を、奏は楽しそうに見て笑っていた。こいつが、こいつらが何を目的としているかなんてわからないけど、俺が渦見を好きになって、何かいいことでもあるんだろうか?
 わからない。じわじわと広がっていく痛みに歯を食いしばっていると、奏が自分の手首をみた。腕にはかわいらしいデザインの腕時計が取り付けられている。

「ああ、そろそろ行かんと、京花ちゃん大学いくから、ウチも一緒にいくねん」
「…………う……」
「帰ってきたら、また遊ぼうな。お返事は?」

 ぐ、と首輪を引っ張ると、奏の目が細まった。

「…………わ……わん……」
「うふふ〜、ええ子やね」

 俺の頭を撫でて笑うと、奏は部屋から出ていった。ようやく部屋の中には俺一人になり、安堵なのかなんなのかわからないが、どっと汗が吹きでてきた。あの女と一緒にいると、ストレスで死にそうだ。

「はぁ……」

 背中、痛い。寝るときもたぶん仰向けには寝られないだろうな、これ。軋んだ音がして扉が閉まると、俺は深いため息を吐いた。ここに来てから、わからないことばかり起こっている。前よりは少し内情がわかったかもしれないけど、それでもわからないことは多いし、何より非現実じみている。
 これは、本当に現実に起こっていることなんだろうか。実は全部夢で、目が覚めたらいつものアパートの布団の上、なんてことはないだろうか。そんな現実逃避を何度も繰り返したが、結局眠りから覚めてもこの悪夢から逃れられることはなかった。

「……渦見……」

 脳裏に、渦見の顔が思い浮かんだ。もうしばらく会ってない気がする、あの脳天気は、今何してるんだろう。奏は、俺に渦見を好きになれと言っていたけど、何のために? 俺がそう言ったところで、渦見は喜ばないだろう。俺は、あいつに言いたいことがあってここに来たけど、今となっては、会わずに逃げた方がいい気がする。逃げられれば、の話だけど。

「っ……」

 背中が痛む。手を繋がれているので、さすることも出来ず。ふらふらと立ち上がって近くの椅子に座った。一瞬立ちくらみが俺を襲ったが、なんとか意識は保つことが出来た。自分の姿を、見下ろしてみる。前は、何もされていないから、傷はない。けれど、背中はひどいことになっているんだろう。
 腹あたりに、乾いた精液がこびり付いているのを見つけた。ああ、あいつのか、いや、俺のか? 昨日まで、あの部屋にいたことが、昔のことみたいだ。そういえば、灯は、今何をしているんだろう。俺がここに閉じこめられていることは知っているんだろうか。
 あいつも、渦見の人間だし、知っていたところでどうこうするわけではないかもしれないけど。
 その時、再び部屋の扉が開いた。

「……っ!」

 慌てて扉の方を見ると、私服姿の雨くんが、トレイに何かを乗せて入ってきているところだった。部屋の鍵を閉めると、こちらへと向かってくる。白いシャツにハーフパンツ。夏らしい格好に、そういえば今の季節は夏だったなと、ぼんやりとした頭で思い出した。ここ何日間も外の景色を見てないから、忘れかけていた。

「カサハラさん、ご飯です」
「…………それ」
「お腹、空いているでしょう。死なれても困りますし、奏姉さんに持っていけと言われたので。どうぞ、召し上がってください」
「…………」

 召し上がってください、と丁寧な言葉の割に、目の前に差し出されたそれは犬用の皿に入ったおじやの様な物と、水だった。もしかして、それが俺用? あのクソ女、死んじまえ。それをまったく疑問に思わず持ってくるこいつもこいつだ。
 心の中でそう呪ったが、もちろんそんなこと言えるはもない。とりあえず、飯をもらえるだけでも儲け物だ。確かに腹は減っているし、体力を付けないといざって時にどうにもならなくなってしまう。俺は不自由な手を彼の前に晒した。

「……手を」
「四つん這いで、みっともなく這い蹲って犬みたいに食えと言ってたんで、箸はないですし、拘束もはずしません」
「…………」

 吐かれた台詞に、眉を潜めた。雨くんは俺の前に食事のトレイを置くと、近くの椅子に腰掛けた。足を組んで、そこから俺の様子を見下ろしている。俺は一度彼に目を遣ったが、そこから動く気配はない。そうだな、こいつが、そんな優しいことする少年だったら、元からこんなことはしないよな。
 俺は縛られた腕を床につけ、彼の言葉通り、みっともなく四つん這いで、犬のように皿へ顔を近づけた。腹は減っているし、喉も乾いている。すでに冷めている内容物に口つけた。がぶ、と皿に入った物を、胃の中へと詰め込む。幸い、皿の中身は普通の人間が食えるもので、口の中には薄い塩味のついた粥が広がり、喉を落ちていった。ドッグフードでも入ってたらどうしようかと思ったけど、そこら辺はこいつらなりの温情か? しかし、こう考えると灯の時は贅沢だったのかもな、なんてよくわからない思想が頭に浮かんでくる。
 水を吸いつつ、がつがつと悔い漁っていると、呆れたような声が上から降ってきた。

「カサハラさんは、プライドとかないんですか?」

 気がつけば、目の前に雨くんがしゃがみ込んで、頬杖をついていた。俺は顔を上げて、彼を睨みつける。

「……プライド持って対応してたら、殺されるだろうが」

 実際、昨日は一歩間違えたら殺されていた。いや、殺されはしなくて、確実にもっと酷い目に遭わされていた。
 俺の今の目標は自分のプライドを貫くことじゃなくて、生きてここから逃げることだ。そのためなら、プライドなんてどうだっていい。そりゃ、屈辱的なことは何度やらされても慣れないけど、命があるだけマシだ。雨くんは、奏みたいに俺に拷問をしてくることはないし、そういうことに興味もなさそうなので、奏よりは言葉遣いに気を使わずにすむ。
 その言葉に、雨くんは解せないという顔を浮かべた。

「なんで、そんな生きたがってはるんです?」
「死にたい奴なんて、いるわけないだろ」
「カサハラさんはおめでたい頭を持ってはるんですね」

 腹の立つ台詞を言い放ち、雨は俺の頭を掴んだ。そのまま、犬の皿に、俺の顔を押しつける。

「んぅっ!?」
「ほな、そのプライドのないところ見せてくれはります?」
「う、うう……っ」
「わん、って鳴いてみてください」
「……やめ……っ」

 飯が入った皿の中でもがく。熱さはないけど、息苦しい。口どころか、鼻の中までまで米粒が入ってくる。押さえつけてくる少年を涙混じりに睨みつけると、彼は嘲笑しながら手を離した。

「その目、奏姉さんの前でせん方がええですよ。躾がなってないって、今度は前を焼かれますから」
「……っくそ……」
「ああ、べとべとで、汚いですね」
「お前のせいだろ……」

 皿から顔を離すと、口周りどころか、顔全体から服まで汚れていて、水が入っていた皿はひっくり返っていた。くそ、貴重な水分が……。

「そんな、捨て犬みたいな顔せんでも、飯の後は風呂入れる予定やったんで、そこで水でもお湯でも飲めばええやないですか」
「風呂?」
「はい、カサハラさんの体が汚らわしいんで、奏姉さんあんまり触りたくないそうです」
「……あっそ……」

 随分な言われ様だが、風呂は素直に嬉しかった。昨日からべたべたしたこの体を、ずっとシャワーとかで流したいと思っていたのだ。残った飯を無理矢理胃袋に流し込むと、拘束された手で口周りを拭った。雨くんは、それを見届けると、俺の目に黒い布をあてがう。
 もともと薄暗い場所だったけど、今度は完全な闇が俺の視界を覆った。

「……なんで、目を隠すんだよ」
「風呂場に行くまでの道、覚えられたら面倒なんで」

 ギィ、と戸の開く音がして、複数人の足音が聞こえてきた。

「だ、誰?」
「ただの白子ですよ。僕は非力な中学生なんで、一応逃げるの防止です」
「…………」

 白子、あの白装束のことを言っているんだろうか。風呂場に、白装束なんて、いつかのことを思い出し、体が強ばるのを感じたが、そんなことお構いなしに、白装束たちは俺の周りを囲み、俺を風呂場まで連れていった。


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