A




「……――ま、そう言う訳で、カサハラさんは生け贄に選ばれてしまったんですね。ご愁傷様です」

 話を終えると、雨くんは一息ついたように、俺を見た。相変わらず、無感情な目。その話は非常に荒唐無稽で、にわかには信じ難いことばかりだったにも関わらず、彼はなんの表情も浮かべていない。持っていた本の中身を朗読したかのような、当たり前の顔をしている。俺はどうすればいいのかも、なんて答えればいいのかもわからず視線をさ迷わせた。

 彼曰く、俺が危ない目に遭っていたのも、幽霊を見るようになったのも、ここに連れてこられたのも、すべて渦見が原因ということらしい。俺は渦見の代わりに霊共に殺される。そのために、ここに連れてこられた、とか、あり得ないだろ、そんなこと。

「……嘘だ」
「せやから、僕嘘は嫌いなんです。ま、別にどっちでもええですけど。カサハラさんが信じようが、信じまいが。僕には関係ないことなんで」

 ふ、と息を漏らして、中断していた本を再び持ち上げ、読みだした。なんなんだこいつは。人が、目の前で拷問されるところを黙って見てたこともあるんだよな。面倒そうにしているけど、助ける気はないってことだろ。俺は、渦見の為にこれから拷問されるのか?
 雨くんは、意識が残っていると逃げだそうとして面倒だから、大抵の生け贄は渦見のところにいく前にぶっ壊されると言っていた。俺もこれからそうなるのだろうか。いや、それよりも、渦見は今までずっとそうだったのか? そんな、頭がおかしくなった人間差し出されて、自分の代わりに死ぬのを見て、それでもあんなヘラヘラ笑ってたのか? 俺だったら自殺してる。あいつは、何を考えて、ずっと俺と一緒にいたんだろう。ただの自分の身代わりだったのかな。考えても、渦見のことなんてさっぱりわからなくて、そもそも、そんなことあまり考えたくなかった。俺は、あいつのことを友達だと思ってたけど、あいつはそうじゃなかったのか。

「っ……なんで、俺はここに連れてこられたんだ……?」
「分家の奴の仕事が遅かったから、僕らにお鉢が回って来たんです」
「……分家って……?」
「カサハラさんを監禁していた、優男ですよ」
「灯のことか……?」

 実際は、優男と呼べるような奴ではないけど、外見だけならば優男と呼べなくもない。雨くんはうなずくと、ページを捲りなあら答えた。

「はい、本当は、一週間くらいで壊す予定やったんですけど、なかなか報告せんし、それどころかいつも本家騙くらかして。贄相手に情でも移ったんですかね? そういうんってほんまくだらないと思います」

 言いながら、彼は嫌悪を含んだ目で俺を見下した。
 一週間。それは、確か最初に灯が提示していた期間だった気がする。一週間経ったら、逃がしてやると。結局その約束は破られてしまったけど。いつの間にかそんな期間はどんどん過ぎていったし。……あいつも、逃がすなんて嘘をついていたけど、本当は俺を壊して、渦見のところに連れていく手はずだったんだろうか。
 渦見に会ってほしいっていう言葉自体は、嘘じゃなかったのか? それすらも、もうよくわからない。だってあいつは嘘つきだから。何が本当で、何が嘘かなんて、よくわからない。
 けど、一つだけ確かなことがある。それは、やはりここからは逃げなくちゃいけないということだ。この家はおかしいし、この家の奴らも全員おかしい。この家にいたら、俺も狂ってしまいそうだ。まだ中学生くらいであろうこの少年すらこうなんだ。こいつより年上の奴らなんて全員狂ってるに決まってる。逃げなくちゃ。

「……っ」

 再び転がって、扉の方に這いずっていく。後ろから、雨くんが呆れたような声をかけてきた。

「あのー、無駄なことはやめた方がええと思いますけど」
「……このまま拷問されて殺されるよりも、逃げようと必死になることは、無駄じゃないだろ」
「無駄ですよ。だってカサハラさん、逃げられませんもん」
「やってみなきゃわかんないだろ」
「なんですかその少年漫画みたいな台詞。無駄ですし無理ですし意味もないです。疲れるだけですよ。捕まった時点で終わりですから、諦めた方がええです。その方が、まだ楽ですから」

 その無気力で退廃染みた言葉に、俺はカチンと来た。
 なんだよ、それ。人事だと思って好き勝手言いやがって。無理? 無駄? 意味がない? 俺はこれから理不尽に暴力を受けて、殺されるかもしれないんだぞ!? それを、簡単に諦められるわけねえだろ! 楽だからって理由で、簡単に諦めた、死んじゃうだろ! 俺は、こんなところで死にたくないし、やりたいことだってまだ沢山ある。親孝行だってろくにしてないし、食いたいもんとか、行きたい場所とか、沢山あるんだ。ちゃんと就職して、金稼いで……、やりたい未来が残ってるんだ。
 こんなところで誰にも気づかれず死ぬなんて、絶対にごめんだ。

「うるせえよ、俺は逃げる! 絶対に逃げる! こんな狂った家で死ぬかよ!」
「どうやって? あ、その扉は鍵かかってますよ」
「じゃあ、鍵渡せっ、お前、そういうのどうでもいいんだろ!?」
「渡すわけないやないですか。馬鹿ですね。僕監視役ですよ? それに、渡したところでそんな拘束されてたら意味ないですし。その拘束具の鍵は僕ももってはりません」
「……っそれでも、俺は、まだ死にたくない……!」
「はー、それ、今までの奴らも皆言うてはりました。でも、無駄でした。最後はみーんな壊れておしまい」
「っ……」

 ぎり、と奥歯を噛みしめた。なんで、そんな簡単に言えるんだ。人が死ぬことって、そんな軽いもんじゃないだろ?

「お前だって、家族がいるだろ! 家族がこんな風に殺されたら、許さないって思わないのかよ」
「はい、思いません。むしろ少し見てみたいですし、殺した方に拍手を送りたいですね」
「っ……なんで……」
「そんなん、カサハラさんには関係ないでしょ」
「おかしいよっ……お前ら……」
「知ってますよ。知ってるから、諦めるんです」
「…………」

 わからない、その諦めるって、なんだよ。なんで諦められる。諦めたら、もう進めないし、その時点で未来なんてないも同然だ。終わったら、何も出来ないんだぞ。
 ぐっと拳を握った瞬間、軋んだ音を立てて、部屋の扉が開いた。

「っ……!」

 もしかして、助けがきたのか? なんて、まだ淡い期待を胸に抱いてしまう俺は、確かに馬鹿だと思う。おめでたい奴だとも思う。けど、何かに縋りたいと思うのは、仕方ないと思うんだ。けど、ここでは縋れるもんなんて何もない。助かりたいなら、自分自身でなんとかするしかないんだ。

「お待たせ〜、ごめんね雨くん〜、髪型が決まらへんかったんよ〜」
「……遅れるんは別にええけど、その理由やったら次からは僕待ってへんよ」
「ひゃーん、雨くんが怒った〜」
「ぃぎっ……!」

 現れたのは、奏という女の子だった。
 夏らしい、ワンピース姿で、水玉のバッグを片手に、ひらひらと手を振りながら入ってくる。近づいて来た際、なにを言われるかと思えば、俺をためらいなく踏みつけて雨くんの元まで歩いていった。完全に無視だ。
 サンダルのヒール部分が俺の背中に刺さって、思わず呻いたが、全く気にせず、話を続ける。髪をいじりながら、ポケットの手鏡を見てはなす姿は、場所が場所じゃなければ、完璧にかわいい女の子だ。胸が大きくて、美少女で、こんな異常な状況でなければ俺だって見惚れていたかもしれない。けど、生憎今は異常過ぎる状況だ。どこだかもわからない部屋の中で、手足拘束されてコンクリの上に転がされている。そんな中でときめくほど余裕はない。

「っ……」
「ていうかねぇ、外が雨降ってて〜、湿気で髪が広がるんよぉ。こんなウチじゃ京花ちゃんに嫌われてまう〜」
「いっ、ぐぁ!」
「もー、ウチ、雨嫌いやわぁ! じめじめじめじめ鬱陶しいねん! ……あ、雨くんのことやないから、落ち込まんで〜?」
「別に落ち込まへんけど、足下のはええの」
「足下? あー、気づかへんかったわあ。なんやゴミかと思って。かんにんなあ〜カサハラきゅん? うふふ〜」
「っ……」

 絶対嘘だろ。
 一度通り過ぎたのに、またわざわざ戻ってきて踏みつけてきた。これがわざとじゃなかったらなんだってんだ。しかもゴミだからって踏みつけることないだろ。確信犯なその女をぎっと睨みつけると、彼女は怯えた様に肩を縮込ませた。

「ひゃーん、なんなん? その怖い顔〜、ウチ、男の人に怒られるん嫌いやから、やめて〜」
「こっ、ここから出せ! これも外せよ……! つーか、お前らおかしい! なんでこんなこと出来んだよ!? ほかに方法とかねえのかよ!? 俺は……俺は絶対に殺されたりなんてしないぞ!」
「あれれ? 雨くん、まだここに居てるん? 珍しいねえ、だいたいウチが戻ってきたらすぐ出てくのに」
「まだこの本読み終わってへんから」
「おいっ、無視すんな!」

 俺の言葉を無視して会話を交わす姉弟に苛立つと、奏が再び俺の背中を踏みつけてきた。さっきよりも数倍の力で踏みにじられ、背中に激痛が走る。細い体のどこにそんな力があるんだと思う程、全体重をかけられて、体に穴が開くんじゃないかと錯覚しそうになる。けど、ここで泣き言を漏らすのは、俺のプライドが許さなかった。歯を食いしばって、必死に耐える。

「ぐ、っぎ、ぎ……!」
「せやからあ〜、その怖い顔やめて〜、ウチ繊細なんやからびっくりしてまうやん?」
「っ……!」
「うふふ〜、なんや、がんばるねえ。ウチ、努力する男の子って嫌いやないよ? えいえい」
「ぎっ、ぐぐ……!」

 言いながらさらにヒールをめり込ませてくる。灯も大概やばい奴だったけど、この女も相当だ。でも、ここで屈したら終わりの気がして、俺は首を動かして睨みつけた。

「……男踏んで喜ぶとか、気持ち悪い女だなっ……」
「……ハア?」

 近くで、雨くんの呆れたようなため息が聞こえた。もしかして、俺は言ってはいけない何かを言ってしまったのだろうか。奏の声が唐突に声が低くなると、血走ったような目が俺を見下してきた。一瞬、背中にかかっていた圧力がなくなる。と、思ったら、再び強い力が俺を襲ってきた。

「っぐ、あ!」
「……贄の分際で、何抜かしとん? タメ口も大概にせえや、このくされチンポ」

 それから何度も踏みつけられる。刺すような痛みが、俺の背中を打ちつける。何度も、何度も、何度も、何度も。繰り返される暴力に、声を上げた。

「あっ、ぐぅ!」
「ああああ〜〜〜、なんやもう、ほんっま腹立つわあ〜〜〜、こんなクサレちんぽ野郎の調教、京花ちゃんにさせへんでよかった、京花ちゃんのかわいいお目目が汚れてまうし、そんな汚い仕事京花ちゃんにさせる訳にはいかへんもんなあ。だいたい京花ちゃんが虐めたところでご褒美やん? そんなご褒美やってどないするんよ、お父様もほんまアホやわ〜、ウチの家の連中は京花ちゃん以外は無能しかおらへん。おいコラ、何一人で喚いとんねん、鬱陶しい」
「うっ……ぐ……!」
 
 お前が踏みつけてたからだよ。とは流石に言えずに見上げると、奏は俺の髪をひっつかんで無理矢理顔を上げさせてきた。首を無理な方向に捻られて、鈍い痛みが走る。

「ごめんなさい、申し訳ございませんでした。僕のような駄犬が奏様に大層な口を利いてすみません。どうかお仕置きして下さい、くらい言えへんのかい。まあお前みたいなくされちんぽにそんなん言われてもときめかへんけど」
「…………誰がっ……ぐぁ!」

 そのまま地面に顔面を叩きつけられた。鉄のような味が口の中に広がって、地面に赤い液体が鼻から零れた。鼻血が出たのかもしれない。すると、奏は今までの能面みたいな無表情を消して、先刻までの笑顔に戻し、俺を抱きしめてきた。豊満な胸の中に顔を埋められると、再びかわいらしい、ふわふわとした声で話しかけてくる

「むぐ……!」
「うふふ〜痛かった? かんにんなあ、でも、女の子睨んだりしたらあかんよ? 女の子って繊細やし男の子より弱いんやから、そないなことされたらびっくりしてまうやん? な、今ならまだ許してあげるし、ごめんなさいは?」
「……繊細、なっ、女はっ、こんなこと、しねーよ……!」
「ひゃん、まだ怖い顔〜、ほな、まずはその怖い顔なくさなウチ怖くて安心できんわ。えいっ」
「っ……!?」

 右頬に衝撃が走ったかと思えば、今度は顎が揺らされる。早くてよくわからなかったけど、殴られて、蹴られたんだろう。顎を蹴られたせいか、脳と視界がぐらぐらと揺れている。視界がぶれて、その場にうずくまると、自然に涙が溢れてきた。奏が俺から離れると、嫌な咳が漏れる。嗚咽というべきかもしれない。
 奏が笑いながら鼻歌でも歌いそうなテンションで、持ってきた鞄に手を伸ばしているのが見えた。

「せっかくいろいろ教えよ思ったけど、予想以上に元気で冷めたわ〜。ほんま分家の奴らは役立たずやね!」
「奏姉さん何しよるん?」
「ん? ほんまは今日別のことしよう思ってたんやけど〜、なんや鬱陶しいし、まずは言葉遣いからやね。今日はやめ〜! 明日からにしよ」
「……うぅ……う……」
「そんなん持ってきてはる時点である程度予想はしてたんちゃうの?」
「うふふ〜、聡い子は好きやなあ〜、聡すぎる子は、嫌いやけど。今日ペットショップで買ってきたの」

 揺らぐ視界の端で、奏が赤い首輪を片手に笑っている。犬につけるようなその首輪を持って、俺に近づくと、抵抗する間もなく俺の首に取り付けた。ぎゅっと、首を絞められるような感覚に息を漏らすが、未だに視界が揺れていて、うまく抵抗が出来なかった。荒い息を吐きながら這い蹲っている俺を見て、奏がにまにまと笑っている。

「ひゃーん、似合うやん。カサハラきゅんはこういうのあってはるんやね。生まれながらの奴隷根性ってやつかなあ?」
「ぐっ……」
「ほなお手」
「ふ、ざけ……んなっ」
「あ、手使えへんのやっけ。うっかりやったわあ、ほな、腹見せて服従でもしてくれはる? そしたらご褒美にお腹撫でてあげるよ」

 何言ってんだこのクソ女。頭イカレてんじゃねーのか。いや、イカレてるのは最初からわかってた。けど、俺はこのまま諦めるのも、屈するのも嫌だった。奥歯を噛みしめて睨みつけると、奏は再びわざとらしく顔を覆う。

「あかん〜、この贄まだウチのこと睨んではる〜、学習能力皆無や〜」
「何考えてんだお前らっ、俺はこんなことで」
「うふふ〜、仕方ないなあ、やっぱその言葉遣いから改めさせなあかんねえ」
「っ……!」

 奏が、再びバッグを手に取った。さっきは首輪。今度はどんな拷問器具が飛び出してくるんだ。少し怯えながら構えたが、意外なことに、出てきたのは俺の家にも置いてある、ごく普通のドライヤーだった。バッグから取り出すと、近くにあったコンセントに電源コードを差し込み、襟首をつかんで、俺の羽織っていた着物を刷り下げた。そのままドライヤーを背中に押し当てる。

「あらら、さっき踏みつけたとこ、真っ赤になってはる」
「うっ……」
「でも、目印みたいでわかりやすない? 本当は、後でもっかい髪整えよ〜、思ってたんやけど、これでええわ」

 踏みつけた場所を指でなぞると、奏の口から笑みが零れた。嫌な予感に、体が震える。けれど、背中の上に座られていて、うまく身動きがとれなかった。

「な、何す……」
「まずー、ウチには敬語。ご主人様はキッショいから、気軽に奏様でええよ。ウチって優しいやろ? あと、お返事はワンね。お前みたいなクソチンポ野郎は死ねばええ思っとるけど、犬やと思えば我慢できるから」
「何っ……うあっ」

 カチ、とドライヤーのスイッチが入った音がして、すぐに熱風が俺の背中に当てられた。ドライヤーなんてのは、本来熱風で髪を乾かす物で、そこに水分があったり、小刻みに動かすことを前提として作られた器具だ。同じ位置に長時間、ましてや皮膚にずっと当て続けるなんて、正気の沙汰じゃない。焼け付くような痛みが、俺を襲ってきた。さっきの踏みつけなんて、比較にならないような、激しい痛みに、俺は悶絶する。

「うあ、ああ゛ああああ゛ああっ! あづっ、あっぢぃ!!」

 じりじりと当てられる熱風にもんどりを打とうと体を動かすが、上に乗られて、熱風をずらすことが出来なかった。冷や汗がだらだらと流れてくる。喉の奥がひきつって、視界の奥がぼやけてきた。最初は暖かかった風が、刺すような痛みに変わり、皮膚が焼ける感覚を覚える。風を当てられている部分だけ、皮膚の裏側で血液が沸騰しているみたいだ。鼻の奥がツンと熱くなって、再び血がコンクリの上に染み渡る。熱い、痛い、頭を支配するのは、この言葉ばかりで、泣き叫ぶような悲鳴を上げた。

「あ゛あ゛あ゛あ゛っ! 痛っ! あ゛っ ど、どけよ!」
「言葉遣いが〜、なってなあい! ふふ、うふふふふふふ〜〜!」
「ひぃ、ぎ、ぐぎいぃいいいいい! あづいって、あ゛っ」

 対する奏は、鈴を転がすような声で笑っている。ああくそっ、皮膚が、痛い。俺からは見えないけどこれどうなってんの? もう焼け爛れてんじゃねーの? 目に浮かんだ涙が、ぼたぼたとコンクリの上に落ちていく。体が溶けるんじゃないかと思うような熱に、絶叫する。

「は、はなせっ! はなせぇええええ! 頼むっ、離してくれ!!」
「離して下さい奏様、でしょ〜?」
「ひっ、ぐ、ぅうううっ、は、離してっ、く、ください、奏、さまっ」
「うふふ〜」

 カチ、という音がして、ようやく熱風がやんだ。けれど、背中の痛みはまだ止まない。火傷してるんじゃないだろうか。

「はっ……はっ……」
「うふふ〜、ワンちゃんみたいに舌出して、熱かったぁ?」
「うぎっ」

 はぁはぁと肩で息をしていると、今まで熱風を当てていた部分を、指で強く刺激された。体全体に広がるような鋭い痛みが、俺を刺す。反射的に体を反らせると、くすくす笑いながら、ようやく奏が俺の上から退いた。

「うっ……ううぅうっ……!」
「失礼な口を利いてすみませんでした、は?」
「……っ……う……」
「言わないの?」

 す、と再びドライヤーを俺の顔に構える。俺の体が、さっきの痛みを思い出すように震えた。

「……し、つれいな口利いて、すんません、した……」

 途切れ途切れに伝えると、奏がにっこりと笑いながら、俺の頭を撫でてくる。

「よくできましたーあ。そうそう、怖い顔したり、怒ったり、生意気なこと言ったらこうなるから気をつけてねえ?」
「……っ、くそ……」
「お返事は? ワンちゃんならなんて返すんだったかなあ?」

 ぐ、っと強く耳を引っ張られ、俺は息をのんだ。目の前では、奏が笑っている。ここで、俺が死ねよこのクソ女とか言ったら、今度はドライヤーじゃすまないかもしれない。雨くんは、なんて言ってたっけ? 口の中にナイフを入れて固定した? 土に生きたまま埋めた? 目玉くり貫いた? 馬鹿言え、そんなことしたら、壊れる前に死んじまうだろ。
 ……俺は、生きるんだ。絶対に、死なないで、ここから逃げてみせる。そのためなら、なんだってする。そうやって自分に言い訳をすると、唇を噛んで、小さな声で呟いた。

「…………………………っ、……わん」
「うふふ〜、一応脳味噌がある子でよかった! これでもわからないようなら、耳削ぐところだったわ〜」
「…………」

 薄暗闇の中で奏は笑うと、とんでもないことを口走ってくる。畜生、畜生、なにが犬だよ。俺は人間だよ、畜生みたいな行動するお前に比べたらよっぽどマシな人間様だよ! けど、そんなこと口が裂けても言ってはいけない。耳を削がれてしまうらしいからな。
 コンクリの上で、力なく転がっていると、視界の端で、雨が無表情で俺を見ているのがわかった。くだらない、とでもいう顔をしていたので、俺は思いきり睨みつける。
 見てんじゃねえよ、クソガキ。俺は諦めないっつってんだろ。奥歯を噛みしめると、奏がドライヤー片手に微笑んだ。

「それじゃ、変な希望持たないように、もう二、三回やろっか〜」
「っ……!」

 カチ、と無機質な音がして、俺は再び絶叫した。なんなんだよ、こいつら。なんなんだよ、この世界。
 早く、ここから逃げ出したい。
 

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