B




 疲れた。
 終わってから思うのはいつもそれだ。虚しいくらいの脱力感と全力で襲ってくる倦怠感。肌の上に飛び散った精液をティッシュで拭いながら、俺は身なりを整えている灯を見た。涼しい顔をして、未だにだらしなく浴衣を羽織っている俺を眺めてくる。あまり見ないで欲しかった。まあ、こいつ相手に言っても聞く気はないし、今更恥ずかしいとかは思わないけど。拭ったティッシュをくしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱に投げ捨てる。

「……なんだよ」
「いや? ご飯まだ持ってきてへんな思って」
「ああ……腹減ったな」

 腹は減ったけど、今すぐには食べる気にはなれなかった。灯が近づいてきて、ティッシュを一枚取ると、俺の頬を拭った。

「まだついてはるよ」

 てめえがつけたんだろうが、という台詞は飲み込んで、大人しく拭かれる。鏡は顔を洗う時に見たりするけど、この部屋にはない。今俺の格好が鏡に映るとしたら、さぞかしだらしない格好なんだろうな。自嘲しながら、目を瞑ると、灯の指が、俺の頬をなぞった。しかし、すぐに離れるかと思ったその手が、いつまで経っても離れない。

「…………?」

 不思議に思って目を開くと、存外近い位置に、灯の顔があった。思い詰めたように眉を顰めて、俺に触れてくる。
なんだってんだ。口を開いたかと思えば、それは酷く低い声だった。

「……良介くん、君は、僕のや」
「は?」
「僕のもんやろ?」

 確認するように問いかけてくるけれど、それに俺はなんて答えればいいんだ。はい、そうです。とでも言えばいいのか? 灯は、そう言って欲しいんだろう。気分的には否定したいけど、違うなんて答えら、また何かされそうだ。正直、はいともいいえとも答えたくない。言い淀んでいると、灯の目が俺を見据えてきた。

「良介くん」
「……っつーか、お前はどうなの」
「ん?」
「俺がお前のもんになったら、お前は俺のもんになるの?」

 迷った末に、俺は質問に質問で返すことにした。人が嫌がることを、他人に押しつけちゃいけません。なんて、小学生でも習うことだ。こいつに関しては、あまり意味のない言葉だとも思うけど。なんせ、人が嫌がることをするのが大好きな男なんだから。
 灯は、一瞬虚をつかれた様な顔をしたが、すぐにまた笑みを浮かべた。呆れたように笑いながら、右手で顔を覆う。

「あー、……せやね、君が、僕のになってくれはるなら、僕は君のになってもええよ」
「…………あ、そ」
「あらら、釣れへん返事やなあ。君が言い出したくせに」
「うるせえ、いいから此処から出せ」

 最近、二言目にはこの言葉を吐いている気がする。どうせ出してくれないのは知っているけど、気が変わるということもあるから。しかし、いつもは「無理に決まってるやん」と流される言葉が、今日に限ってはそうじゃなかった。

「……出たい? 此処から」
「え」

 聞き返してくるとは、思ってなかった。一瞬間を空けて、俺は半信半疑で灯を見る。灯は俺の方を見ずに明後日の方向を向いていたけれど、袂を引っ張ると、こっちを向いてくれた。

「……出してくれんの?」
「んー……ま、今は無理やけど。その内な」
「その内って、いつ」
「もうちょい、待ってくれはる?」

 ぽん、と頭を叩かれ、俺はなんとも言えなくなってしまった。その内って言われても。出してくれるんだろうか。本当に? 出す意志はあるのか? そもそも、こいつが俺をここに閉じこめる意図だって未だにわかっていないのだ。けど、今の口振りを見る限り、ここに閉じこめるのを指示しているのは、灯じゃないのか。ああもう、わからないことだらけで、頭がパンクしそうだ。
 いや、違う。本当はそんなこと、どうだっていいんだ。ここから、五体満足で出られれば、それで。

「ほな、ちょっとご飯持ってくるわ。着替えも今持って来させるから、待っといて」
「ああ……うん」

 俺が呆けていると、穏やかな顔で笑み、灯は部屋から出ていった。ああやって、話している分には、普通なのにな。どうしてこんなことになったんだっけ。
 俺は自らの体を見て、深いため息を吐いた。

 ……シャワー浴びたい。精液は拭ったけど、汗でべとべとだ。白装束に言ったら、浴びさせてくれるかな。つーか、外に白装束の奴いるかな。まあいるだろうな、見張り役みたいなもんだし。声とか聞かれてたらすごいやだけど、もう今更か。
 悟ったように起きあがると、緩んだ帯を結び直した。はあ、喉、乾いた。汗かいたし、飯と一緒に水も持ってきて欲しい。つーか疲れた。この部屋に閉じこめられてから、確実に運動不足だ。こんなんじゃ、外に出たときに筋肉痛になっちまう。妙に現実的なことを考えながら、汚れたシーツを畳んでいると、再び扉が開いた。

 もう戻ってきたのか、早いな。それとも白装束が着替えを持ってきたのか?

「あ……」

 しかし、入ってきたのは、そのどちらでもなかった。

「うふふ〜、こんにちは〜!」
「奏、あまり喋るんじゃない、此処はそういう所だぞ」
「いややわあ、京花ちゃん。ウチは京花ちゃん残して逝かへんよ?」
「そうじゃなくて、渦見の規則には従わなきゃ……!」
「そんなん、ウチらは対象外やって〜」
「…………」

 ……誰?

 現れたのは、見たこともない男女。
 二人の少女に、一人の少年。どちらも、この場には似つかわしくない姿だ。一人は、長い黒髪に白いふわっとしたワンピースを着ている。柔らかい笑みを浮かべながら、もう一人の少女の腕に、自らの腕を絡めていた。そして、その手を絡められているもう一人の少女は、長い髪の彼女とは対照的に、灯と同じく和服姿で、肩より少し上くらいの、短めのボブカット。少しきつめな印象を受ける、切れ長の目をしていた。どちらも美少女と形容される類の顔で、それから、そんな二人よりも一歩下がって眺めている、学ランの少年が一人。こっちは美少年だ。黒髪の少女は楽しそうにけらけら笑っている。

 突然現れた見知らぬ存在に、俺は狼狽えた。もしかして、助けに来てくれたんだろうか? そんな希望が芽生えるが、その芽はすぐに摘まれてしまった。

「こんにちはぁ〜、うふふ、突然ごめんなあ」
「っ……あ」
「もしかしてエッチしたあとやった? それやったら先に言うてほしかったわあ、京花ちゃん、びっくりしてまうやん」
「か、奏!」
「ひゃーん! 顔赤なる京花ちゃんかわええー!」
「あんたら……何だ?」

 ずりずりと後ろに下がりながら、近づいてくる彼女らを観察する。もしかしたら、助けがきたのかも、なんて淡い期待を抱いたけれど、すぐにそうじゃないと悟った。長い黒髪の少女の目は、灯や渦見と、よく似たものだったから。その子だけじゃない。後ろに控えている喋らない少年も、短めの髪の少女も、よく見ると皆同じだ。
 ……何故だろう。会ったこともないはずなのに、俺の中の本能が全力で逃げろと叫んでいた。初めてここに連れてこられたときと同じく、いや、それ以上に。ゆっくりと後ずさると、ボブカットの少女が、俺に話しかけてきた。

「お前、名前は言えるか?」
「は……?」
「名前だ」
「…………」

 これは、なんの意図があっての質問だ? そもそも、こいつらは一体誰で、何の為にここに来たんだ? 俺がここに閉じこめられている理由を、閉じこめられていたことを、あんたたちは知っているのか? 質問なんてこっちの方が山ほどある。けれど、どれを最初に聞くべきか悩んでいる内に、髪の長い方の少女がつかつかと俺へ近づいてきた。なんだ? と思った瞬間、思い切り蹴り飛ばされていた。

「がっ……!?」
「京花ちゃんが聞いてはるんやから〜、さっさと答えろやこのボケンダラ〜」

 鈍い痛みが、腹部に走る。乾いた咳を吐いていると、襟を掴まれ、目の前でにっこりと彼女は笑った。ここにいる奴らは、白装束を除いて美形ばかりだけど、なんでだろう、どいつもこいつも、怖い奴ばかりだ。もうやだこんな所。
 力自体は女性の物なので、そこまで強くはないが、監禁されて弱った体に、セックス後で疲れているせいか、思いの外ダメージがでかかった。ずきずきと痛む腹部を押さえながら、とりあえず刺激しないよう、自分の名前を名乗る。

「か、笠原、良介……」
「はあい、よく言えました〜」

 にこにこと笑いながら、頭を撫でられた。巨乳の美少女に笑顔で頭を撫でられ、褒められるなんて、普段なら最高のシチュエーションだけど、今は全く興奮しないし、それどころか、この異質な空間では逆に恐怖を煽られる。
 後ろから、再びボブカットの少女が問いかけてきた。

「年は?」
「え、は、二十歳……」
「この指は何本?」

 そう言って、少女は三本指を立てる。この子は、さっきから何を言っているんだろう。けど、逆らえばまた蹴られるかもしれない。避けることは出来ても、その後のことを考えると、ここは素直に答えておいた方がいい。なんとなく、俺の本能が逆らうなと言っている。こいつらが何者か、まだわかってないし。

「……三」

 見たとおり素直に答えると、少女は二人で顔を見合わせた。

「うん、わかった」

 それから、ボブカットの少女が納得したように頷く。
 ……わかったって、何が? 俺は何一つわからないし、不安と恐怖しかないよ。震える唇を開いて、彼らを見据えた。

「な、なあ、あんたら一体」
「つまり君は、未だに正気な訳だ」
「……は?」
「あんなに猶予をあげたのにぃ〜、分家の奴は馬鹿ばーっか、だから私と京花ちゃんが駆り出されるんだよ、迷惑ぅ、ね、雨くん?」
「さあ、僕は関係あらへんし」

 ふいと学ラン少年は視線を逸らす。初めて声を発したかと思えば、京混じりのその方言に、こいつらはやはり渦見の家の人間なんだなと感じた。ていうか、正気って、どういうことだ? こいつらは、俺が発狂してると思っていたんだろうか。それはつまり、俺がここに長い間閉じ込められていると知ってたと言うことで。

「お、おい、あんたら一体なんなんだ? 俺を閉じこめてどうする気なんだよ、つーかこっから出してくれよ!」

 溜まらず、一番近くにいたボブカットの少女の手を掴んだ。俺としては、藁にもすがる思いだったわけだけど、彼女の手を掴んだのは、間違いだった。瞬間、再び鋭い蹴りが飛んできたから。

「汚え手で京花ちゃんに触んじゃねえよ!」
「う゛あっ……!」

 再び畳の上に這いつくばる。二回も同じところ蹴ってきやがったこの女。女にこんなに蹴られるのは情けないけれど、その蹴りは鮮やかで、避けることができなかった。蹴ったのはまたしても長い髪の少女の方で、侮蔑と憎悪を孕んだ目で俺を見てくる。さっきまで浮かべていたにこやかで柔らかい雰囲気は、もうどこにもない。冷たい目で俺を見下してくる。

「生け贄風情が京花ちゃんに触るとか調子こいてんなよ?」
「いっ……」
「クソが! チンポあるからって、京花ちゃんと子供作れるからって、男ってだけでいい気になんなよクズが殺す! 京花ちゃんをいやらしい目で見てからに、許さへん、殺す殺す殺す殺す」
「ひ……」

 髪の毛を掴まれて睨まれる。恐怖に、引き攣った様な声が漏れる。渦見によく似た目が、ぎょろりと俺を睨んでくる。掴まれた髪が痛い。つーか、正直超怖い。さっきまでふわふわしてた女の子らしい女の子に、こんなドスの聞いた声で喋られると、心が折れそうになる。なんなんだよもう。泣きそうになるわ。どうやらこの子は、あのボブカットの少女に傾倒しているらしい。俺に呪いの言葉を吐き続けていたが、ボブカットの少女が制止の声を上げると、その手は呆気なく離された。

「奏、やめな」
「はぁい〜」

 離されて、その場に手をつくと、心臓がばくばくと早鐘をうっていた。汗で体が濡れている。この汗は、さっき流した汗じゃないだろう。……なんなんだ、こいつらは。ちらりと視線を移すと、再び髪の長い方の女が俺に近づいてきているのが見えて、思わず後ずさる。

「っ……」
「ひゃーん、怯えへんで? かんにんなあ、今のはちょっとした冗談やって〜」
「だからっ、あんたらはなんなんだよ……」

 がくがくと、体が震える。逃げろ、逃げろ。そうは言うものの、体は硬直したように動かない。髪の長い少女が、にっこりと笑った。

「そんなん、後で教えるしぃ、今はここ出よ?」
「は……?」

 え、出られるの? と素直に思ったのが間違いだったのかもしれない。いつの間にか、彼女たちの後ろにいた白装束が、無言で俺を囲んできた。足早に取り囲まれ、混乱する俺を余所に、白装束達は俺に手を伸ばしてきた。

「な、なに、んぐっ」

 手足を畳に押しつけられ、目を塞がれる。視界が奪われたことに動揺する暇すらない。次いで、口に猿ぐつわを噛まされた。突然のことに、頭も体もついていかない。なんだよ、これ!? 

「うーっ! うーっ!」

 じたばたと暴れるが、強い力に押さえつけられて、思うように手足を動かせなかった。それどころか、麻縄のような物で、足と腕を強く縛られる。

「んんっ!」

 ぎちぎちと強い力で結ばれ、手足が痛んだ。なんだよ、これ!? なんなんだよ!?
 ひたひたと、近づいてくる足音が聞こえて、精一杯身を捩った。けれど、体を抑えられている為か、少しも動かない。くすくすと、可愛らしい笑い声だけが耳に入ってくる。

「ううっ、ううう!」
「うふふ〜、よかったねえ、これで"此処からは"出られるね」
「っ―――!」

 バチッという音がして、目の前で白い光がはじけた。腹部が、焼け付くように痛み、体が、痙攣して動かない。視界が塞がれているので確信はできないけど、多分、スタンガンか何かを押しつけられたんだろう。

「ふーっ、ふーっ!」
「あれぇ? まだ意識あったん? ほな、電圧ちょい上げるな〜」
「ううっ!?」

 可憐な声とは裏腹に、襲ってきたのは強い衝撃で、腹に再びそれを当てられた瞬間、俺の意識は深い闇へと落ちていった。
 最後に、脳裏で灯の顔が浮かんだのは、どうしてなんだろうな。

「おやすみぃ、生贄君」

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