26

****

「化野、今日も学校に来なかったね」
「…………」

 化野が学校に来なくなってから何日かが過ぎた。
 ついこの間までやかましく鳴いていた蝉もその命を終え、季節は夏の終わりへと近づいていた。
 先生は、未だに家庭の事情という説明を貫いているけど、僕は内心違うんじゃ無いかと思っていた。クラスの誰も、今化野がどうしているのかを知らない。どこかで見た、という目撃情報もあるけど、声をかける人は居なかったし、ラインをしても既読にならないと言っていた。

 あの日の、悔しそうな、悲しそうな、化野の顔は、今での脳裏に焼き付いて離れない。誠は、僕のせいじゃないし、気にするなと言ってくれたけど、罪悪感がチクチクと僕の胸を苛んだ。もっと他に解決する方法もあったんじゃないかとか。化野が居なくなって、ほっとしている人もいるけど、化野が居なくて、寂しそうにしている人だって居る。

「…………」

 化野の考えていることはわからない。最初から、何を考えているのかわからなかったし、今だってわからない。
 けど、化野の居ない教室は、前よりもなんだか、ぽっかりと穴が空いたように思えた。化野が居なくても、クラスはあるのに、そこに化野が居ないだけで、違うクラスのように、皆バラバラになっていく。
 あんなに、嫌いだと思ったのに。酷いと思ったのに。苦しくて、辛くて、怖かったのに。

「…………気にすんなよ」
「……僕より、誠の方が気にしてるよ」
「…………」

 帰り道、ぼそりと呟くと、誠は気まずそうに僕から目線を逸らした。気にしているのは、きっと僕だけじゃ無い。佐々木だって気にしているし、井上だってきっとそうだ。でも、一番気にかけているのは、きっと誠だと思う。そもそも、気にするなと言われても、本当に気にしないことなんて、きっと出来ない。
 だって誠は、昔から一緒に居たんだ。
 僕には幼馴染みなんて居ないけど、子供の頃から友達だったのに、ある日突然こんな風になってしまったら、きっとすごく気にすると思う。もしかしたら、後悔だってするかもしれない。けれど、誠は眉間に皺寄せながら、低い声で言った。

「俺は」
「……うん」
「こうなるかもって、わかってて、大志と縁切ったんだから、別に気にしてねえよ」
「…………誠は」
「なんだよ」
「嘘吐くの、結構下手だよね」
「なっ……」

 誠は僕のことをわかりやすいと言うけれど、誠だって、結構わかりやすいと思う。嘘を吐くとき、あまり視線が合わなくなる。
 きょどきょどと彷徨う視線に、お面の奥で笑うと、照れ隠しの様に髪の毛をかき回された。

「そ、そりゃ、気にはなるけど、でも、普通気にするだろ! そんなの!」
「…………うん」

 そう、普通だと思う。気にするなっていう方が、無理なんだ。もしかしたら、化野はこうなることをわかっていたのかな。
 すぐに忘れようと思うには、印象も存在も強すぎる。平和な日々を送っているはずなのに、胸のわだかまりは溶けないままだ。

「おい正義」
「ん?」
「お前、さ……」
「うん」
「大志になんか言われても、ついていくなよ」
「え?」
「…………なんかお前、簡単に連れて行かれそうだから」

 その言葉に、僕は目を丸くした。
 連れて行かれるって、どこに連れて行かれるというんだろう。変な事を言うな、と思ったけど、すぐに否定できない自分が情けなかった。
 化野は口がうまいから、前の僕だったら、もしかしたらどこかに連れて行かれてしまったかもしれない。手を差し出されて、一緒に来てよ、と言われたら、もしかしたら断れないかもしれない。甘いというよりは、優柔不断なんだ、きっと。化野が、消えてしまうと言われたら、ひょっとすると僕は手を掴んで、後をおいかけてしまうかも。
 そう思ったけど、今は、大丈夫だ。

「……大丈夫だよ」
「ホントかよ?」
「連れて行かれそうになったら、誠に言うから」
「………………そっ……それ、はっ、大丈夫って言わねえ!」
「いたたたた……ごめんごめんっ」

 お面の下から頬を引っ張っられた。抓られた手はすぐに離されたけれど、僕はお面の下に手を入れ頬を抑えた。
 誠が笑いながら、僕に言った。

「ははは……、なあ、正義」
「……ん?」
「俺はさ、別にやったこと後悔してねえし、ああなったのは大志の自業自得だって思ってるよ、それはマジで」
「…………うん」
「でもさあ」
「うん」

 一瞬、誠は口を閉じた。何を言おうか、躊躇していたようだけど、やがて観念したように、喉の奥からその言葉を絞り出す。

「他の奴らに、大志の悪口言われんの、なんかすっげえムカつくんだよ。そいつらだって、理由があんのかもしれねけどさ」
「…………うん」
「俺らが先導して大志に言ってくれたから、皆お前についたんだよって言われると、……なんつーか……もしかしたら、もっと他にも、やり方あったんかな……って」

 力なく笑う誠に、僕は口を閉じた。
 化野の居なくなった教室は、僕にも誠にも、違和感がありすぎたんだ。

****

 携帯のライン一覧を見てみると、前は家族だけだった連絡先が、随分と増えたように思う。教室の中で、少しずつ話す人が増えていって、いつの間にかフレンド一覧は随分と賑やかになった。
 けれど、履歴に並ぶクラスメイトの名前の中で、化野とのトーク履歴だけは、随分と下に来ている。トーク履歴を見てみると、最後にラインで話したのはもう一ヶ月以上も前だった。画面をフリップして、前の履歴を遡ると、懐かしいトーク履歴が目に映る。
 化野とのラインは、基本的に化野が沢山送ってくるばっかりだったから、僕はそれにたいして相づちを打つばかりだった。
 でも、楽しい時も確かにあったんだ。
 最初はそれこそ、ラインを交換した時なんて、初めて家族以外の名前が並んで、感動すら覚えた。高校に入って、初めて友達が出来たと喜んだ。変な人だとは思ったけど、メッセージが来るのが楽しかったし、返すのも楽しかった。
 なのに、今はもう連絡すら取れない。

「どうすれば、好きになって、なんて……」

 わからないよ。
 そもそも、どうしてあんなことを聞いてきたんだろう。
 だって、あんなことされて好きになる人なんて居ない。化野は、僕にどうしてほしかったんだろう。わからない。わからないけど。

「今、大丈夫かな……」

 ひょっとしたら、化野も、わからなかったのかもしれない。
 自分がどうしたいのか、どうすればよかったのか。身の振り方がわからなくて、あんなことをしていたのかな。あるいは、アレが化野なりの愛情表現だったのかも。だからといって、許容できることじゃないけど、もう少し、ちゃんと話せばよかった。
 化野からの連絡を待つばかりじゃなく、僕の方から、連絡を取ってみればよかったのかもしれない。もしも、僕が化野の気持ちを受け入れて、話し合っていれば、今頃何か変わっただろうか。
 今となっては、もう手遅れかもしれないけど、もしも、という世界を考えてしまう。
 トーク履歴を遡りながら、笑う化野の顔を思い出した。僕は、化野のことが嫌いだ。でも、同時に僕の脳内の大部分を占めているのは、化野なのかもしれない。もしかしたら、嫌いと同じくらい、好きだったのかもしれない。

「…………」

 化野とのライン画面のメッセージ部に、文字を打っては消し、消しては打ったりを繰り返す。お元気ですか。今、どうしてますか。学校に来ないの? どれもすべてしっくりこない。
 結局、何も送らず、ぽい、と布団の上に携帯を転がしてうつ伏せになり、布団の上へと寝転がった。
 ……馬鹿か僕は。今更僕が、なんの言葉を送るって言うんだ。厚かましいにも程があるし、そんなもの、化野はきっと望んでいない。
 布団に顔を埋めていると、携帯から音が漏れた。

『……ちゃ…………』
「…………!」

 その音に、僕はがばりと布団から顔を上げて、慌ててスマホを手に取った。
 さっきまでは確かにトーク画面だったのに、いつの間にか通話がオンになっている。さっき布団に放った時に、誤って通話のボタンを押してしまったのかもしれない。

「あ、あっ」

 今、化野に、繋がってる? やばい、どうしよう、と思ったけど、まさかそこで切ることも出来ず、ばくばくと心臓が鳴り響く中、意を決して、僕は電話を耳に当てた。

「も、もしもし……」
『…………正義ちゃん?』
「……あ、うん……」
『急に、何、電話とか、かけ間違えたの?』
「いや、えっと、あ…………、学校、来ないのかな、って……」

 僕の言葉に、化野は黙り込む。しまった、もっと、今何してるのとか、聞けば良かった。実際、かけ間違えてしまったのは確かだから、化野の言葉を否定することも出来ず、僕は化野の言葉を待つ。
 僕が言うなよ、という言葉を吐いてしまったから、さぞや呆れかえっているか、怒られたりするかもしれない、と思ったけど、化野は何も言わなかった。
 気まずい沈黙の後、化野が口を開く。

『……正義ちゃんはさー』
「う、うん」
『優しいね』
「…………え?」
『優しくて、馬鹿で、残酷だね』
「…………」

 化野の笑い声が、携帯電話の奥から聞こえてくる。残酷、という言葉が、胸に刺さる。化野を学校に居づらくさせた張本人が、今更どの面を下げて電話してきてるんだ、と言われている気がした。

「……ごめ」
『ああ、怒ってるわけじゃないよ。嬉しいから』
「…………化野」
『だって、正義ちゃん、俺のこと嫌いなのに、こうやって電話までかけてくれるし』
「…………」
『かけ間違いかもしんないけど』
「ちがうよ……」

 かけ間違いというのは、そうかもしれないけど、声をかけようかとか、メッセージを送ろうかと悩みはしていた。ただ、僕に送る勇気がなかっただけ。押し間違えて偶然かかってしまったけれど、ここでこうして化野と話せるのは、いい機会かも知れない。

『そう? まあ、どっちでもいいんだけどさ。学校どう?』
「化野が居ないと、変な感じ……」
『え〜? 俺って愛されてるー、アハハ、なんつって。まあ、ちょっと諸事情があって、最近行けてねえんだけど、もうどうでもいっかって』

 かつかつ、と歩いている音がした。もしかしたらどこかに出かけている最中だったのかも知れない。時刻は夜の8時過ぎ。
 電話機の奥で、ドアを開ける音がした。同時に、ガサガサと雑音が耳に響く。

「学校、もう来ないの?」
『ん〜? 別にそんなん正義ちゃんには関係なくね? むしろ来ない方がいいでしょ』
「僕は……」
『それに、どっちみちもう会わないだろうし。まあ、最後に正義ちゃんの声聞けてよかったかな』
「え?」

 最後? 
 不穏なその言葉に、僕は思わず立ち上がる。

「あ、化野、最後ってなに……」
『いや、最後は最後でしょ』
「…………今、どこに居るの?」

 さっきから気になってたけど、随分と風の音が強い。最初に話していたときは聞こえなかったのに、段々と強くなっていった。
 時々、風の音に紛れて、化野の声がよく聞こえなくことがある。
 嫌な予感がして、震える声で問いかけると、化野は何でも無いことのように答えた。

『あー、屋上、学校の』
「屋上!? な、なんで」
『なんでだろうね。おー、月が近ぇ、正義ちゃん、月が綺麗ですね、なーんて』

 ふざけるような笑い声が聞こえた。でも、全然笑えない。
 どうして、この時間に学校の屋上に居るんだ。僕の学校の屋上は、鍵もかかって閉鎖されているし、屋上には誰かが落ちないようにフェンスがあったはずだ。そもそも学校だって閉まっているのに。
 僕だって、屋上なんて行ったことはない。でも、化野なら、ひょっとしたら屋上にも入れるかもしれないと思ってしまった。
 だって、どうやっていたのかは知らないけど、入れない場所の鍵を、いくつも持っていたんだから。屋上への鍵を持っていても何も不思議じゃ無い。
 問題は、どうして今屋上に居るのかということだ。
 夜のこんな時間に、どうして。嫌な予感がする。

「あ、化野、何する気」
『何って?』
「と、飛び降りたりとか……」

 最悪の想像に、胸がざわめく。でも、それが冗談だと、切り捨てることは出来なかった。学校に来なくなってしまった化野が、屋上にいるなんて、それだけで、冗談だと笑うことも出来ない。
 すると、通話の向こう側から、笑い声がした。冗談めかしたような、からかう声。

『俺が飛び降りるっていったら、止めてくれる?』
「当たり前だよ!」
『へー、なんで? 嫌いなんでしょ、俺の事』
「そういう問題じゃ無い、し、死んだら、駄目だよ……」

 体が震える。まさか本当に飛び降りたりはしない。しないはず、と頭の中では思っているのに、もしかしたらと思ってしまう。
 化野が、校舎の屋上から飛び降りる図を想像して、硬く目を瞑った。違う、僕はこんな、こんな風になってもらいたいんじゃない。
 僕のせいなのかな。僕が、あんなことしなければ……。

「はは……」

 耳に響く笑い声に、僕は立ち上がった。

「い、今行くから!」
『ん?』
「学校! い、行くから……そのまま、待ってて」
『あ、来るの?』
「行く! だから、それまで、飛び降りないで待ってて……っ」
『あー、わかった』

 僕はすぐさま部屋着から着替えて、携帯電話を持って飛び出した。玄関に行く僕を見て、お母さんが、驚いたように声をかけてくる。

「正義、あんたこんな夜にどこ行くの!」
「ちょっと、学校に忘れ物して……!」
「もう閉まってるでしょ、明日にしたら?」
「きょ、今日じゃ無いと間に合わないから……! 大丈夫、入れるから!」

 外靴を引っかけて、僕は急いで家を出た。もう、この時間だと駅までのバスは無いかも知れない。いや、そもそもバスを待つ時間はない。僕は自転車に跨がって、学校を目指した。

 嘘かもしれない。
 本当は、ただ、僕を騙す為だけの嘘で、化野は今学校の屋上にもいないのかもしれないし、本当に屋上に行った僕を笑うかも知れない。
 けど、嘘ならもうそれでいいと思った。
 化野が校舎の屋上から飛び降りる所なんて、見たくないし、そんなことになってほしくない。
 がしゃがしゃと必死にペダルを漕ぎながら、僕は学校を目指す。早く、早くしなくちゃ。
 ふいに、誠の言葉が脳裏に蘇った。

 『なんかお前、簡単に連れて行かれそうだから』

「…………っ!」

 キキッと音を立てて、自転車を止める。帰り道、切実そうに言う誠の顔が、僕の自転車を漕ぐ足を止めた。
 ……一人で行っていいのかな。でも、急がないと、時間がない。

 『連れて行かれそうになったら、誠に言うから』

「…………」

 口を真横に結ぶと、僕は、再び携帯電話を取りだした。


****


 学校に着いても、勿論校舎の門は閉まっている。
 けど、元々正門から入ろうなんて思ってない。化野と一緒に居ると、学校の色んな抜け道を知ること機会があって、入る方法なんていくらでも知っていた。
 古い学校だから、所々朽ちて、整備が行き届いていない面もあるのかも知れない。
 秘密基地の入り口から、校舎に入る柵があって、その一部が破れているから、そこから学校の中に入れる。
 夜の学校は、不気味な雰囲気で、一人で入るのは怖い、と思ったけど、尻込みしてもいられない。化野が校舎の屋上に居ると言うことは、どこかの入り口の鍵が開いているということだ。化野は、よく裏口のドアは鍵のチェックが緩いから穴場、と笑っていた。

 案の定、裏口のドアの鍵が開いている。普通、こういうのって、先生がちゃんとチェックするものだと思うけど、先生もここが開くなんて思っていなかったのかも知れない。
 学校の中に入ると、誘導灯のランプだけが、廊下をぽつぽつと照らしていて、物音一つしない。
 暗い闇の中、スマホの懐中電灯を照らして歩くと自分の足音だけが、廊下に響く。その度に、ぞわぞわとした感覚が背中を駆け巡った。
 こ、怖い……。やっぱり、誠の到着を待ってから、一緒に来ればよかったかもしれない。でも、待っている間に、化野が飛び降りたりしたら、きっと僕は一生忘れられないし、後悔する。
 でも、誠もすぐ来るって言ってたし……ここで待って二人で行った方が……。恐怖に、一瞬足を止めたけれど、すぐに化野の声が蘇ってきた。
 『最後に話せて良かった』

「…………っ!」

 ううん、やっぱり、行かなきゃ。
 首を横に振り、気合いを入れるように自分の頬を叩く。
 意を決して、スマホのライトを照らしながら、屋上への階段を上がっていった。土足のまま学校に入るのは気が引けたけど、今だけは許して欲しい。

「…………はっ……はぁっ……!」

 足下は少し見えにくいけど、誘導灯の灯りと、懐中電灯があるから、転ぶことはないだろう。全力疾走は無理だけど、なるべく急いで駆け上がる。
 そうして、ようやくたどり着いた屋上の鍵は、やっぱり解錠されていて、僕は勢いよくドアを開いた。

「あ、化野……っ!」

 ドアを開けた瞬間、ぶわ、と風が一気になだれ込んでくる。重いドアが、すぐに閉まりそうになったので、僕は全力でドアを押した。
 視界が広がり、目の前が拓けた。

「…………――マジで来たんだ、はは、ウケる」

 たどり着いた屋上の先には、化野が立っていた。

 夜空に浮かんだ月は、少しだけ欠けている。
 けれど、確かに普段見るより、近く見えた。
 びゅう、と吹いた強い風に煽られて、髪や服がはためくと、僕は一歩ずつ足を前に踏み出す。
 暗いけれど、月明かりに照らされているからか、化野の姿ははっきりと視認できた。
 屋上のフェンスは、一部がペンチでねじ切られたかのように、穴が空いていて、その光景を見た瞬間、僕は青ざめ、踏み出していた足の歩を早める。
 ここに来るまでは、半信半疑だった。冗談かも知れないという疑念もあった。けれど、やっぱり化野はここに居たのだ。だとすると、電話での会話も……。
 瞬間、ぶわっと背中に汗をかく。速まった歩調はやがて駆け足になった。

「あ、化野っ!」
「わ、なになに、どーしたの」
「じ、自殺なんて、やめ……っ」
「自殺? なんで俺が?」
「だ、だって、フェンス……」
「ああ」

 僕の言葉に、化野はケラケラと笑って、穴の空いたフェンスを指さした。

「こうしておいたら、驚くかなって。本当に飛ぶわけないじゃん、俺が」
「う、嘘だ」
「なんで?」
「だって、意味も無いのに、わざわざペンチなんて持ち込まない……」
「……あー、これ? 本当は、屋上なんて来る気なかったよ。ムカつく奴の机に仕返しでも仕掛けてやろうかなって、学校来ただけだし。屋上は、正義ちゃんから電話あったから、来ただけ。騙された?」
「………………」

 化野の言葉は、嘘か本当かわからない。はぐらかしているようで、真実かも知れないし、真実のようで、嘘かもしれない。でも、今はそんなことどっちでもよかった。嘘でも本当でも、僕は、ほっとしてその場に蹲る。

「よかった……」
「は?」
「……化野が、死んじゃうかと思った……よかった、死なないで……よかった」
「…………」

 嫌いだと思った。
 怖いと思った。
 消えてしまえば良いと思った。
 何度も何度も思ったよ。
 首を絞めようとしたことだってある。気の迷いでもなんでもない、強い感情が溢れて止まらなかった時だって確かにあるのに。
 でも、実際に化野が死んでしまう、と考えるとそれはとても恐ろしいことのように思えて、化野が目の前で生きていることに安堵の息を吐いた。強ばっていた体の力が、抜けていく。
 しかし、僕の言葉に、化野はぼそりと呟いた。

「何ソレ……」
「え?」
「俺が居なくなった所で、正義ちゃんには関係なくない? 他人なんだし」
「…………化野……」
「むしろ嬉しいでしょ。よかったね、ぜーんぶ正義ちゃんの言った通りだった! なんかさぁ、前までは簡単に出来てたのに、うまく出来無くなっちゃった。なんでだろね? ちゃんとできねえんだよ、誰かを動かす事なんて、簡単だったのに……!」

 月明かりがあるとは言え、それでも暗い夜の屋上では、化野の表情はうまく見えない。
 強い風に、ばたばたとお互いの服がはためいていた。屋上なんて初めて入ったけど、こんなに風が強いのか。一部切り取られたフェンスを背に、化野の口から言葉が溢れる。少し、焦っているように見えた。
 化野は、僕の言葉を気にしていたのかな。
 人は皆、そう簡単に操れたりなんてしない、って言ったことが、胸の内に引っかかっているのかも。化野は、僕の言葉なんて、気にかけたりしないと思っていた。だって化野は強いから。なんでも出来て、飄々としていて、いつも皆の中心で、クラスの王様で。
 それが化野大志という人間だと思っていたから。

 でも、目の前に居る化野は、今までの僕のイメージから、少し外れているように見えた。

「……なんで来んだよ、なんで電話なんてしてきたんだよ! 間違い電話だろ? 黙って切ればよかったのに! 俺の事が嫌いなら、もう放っておけばいいじゃん……!」
「ぼ、僕は……」
「あーーもう、くそっ、くそダサ……こんなの俺じゃ無い。もっと違うこと、話そうと思ってたのに、全然駄目。化野大志のお面が被れねえの。今までは出来てたのに……、なんだよ、もう。なんで出来ないのかもわかんねえし、俺もう、正義ちゃんが考えてること、全然わかんない。なんなのお前……っ?」

 悲鳴の様なその声に、僕は口を開く。一瞬、泣いているように見えた。でも、それは、見えただけで、実際は泣いてなんて居ない。
 化野が、泣く所なんて、僕は見たことが無い。
 悔しそうに、あるいは怒りを堪えるかのように感情を吐露するその様を見て、僕は初めて、化野という人間に触れられた気がした。

「人が考えてることなんて、わからないよ……」
「…………」
「僕はエスパーじゃないから、化野の考えてることだって、全然わかんない、けど……」

 ここに、来るべきじゃなかったのかもしれない。
 でも、あの電話を聞いた瞬間、僕の足はかけ出していた。考える暇も無く、家を飛び出していた。それは、化野に死んで欲しくなんて無かったから。化野に、居なくなって欲しいとは、思わなかったから。

「でも、化野と友達になりたいと思っていたことは本当だし、化野と一緒に居て、楽しかったこともある。消えちゃえば良いって思ったこともあるし、大嫌いって思ったことも、ある……。僕だって、化野のことなんて、全然わかんないよ……!」
「じゃあ、放っておけばよかっ……」
「でも、放っておけなかった!」
「…………っ」
「だって、僕は、化野に死んでほしくなんてない……」
「…………罪悪感?」
「それもある、けど、そうじゃないよ」
「…………」
「化野のこと、やっぱり心の底からは、嫌いになれないもん……」

 うまく言葉に出来ないけど、やっぱり僕は、きっと心の底から化野を嫌いになれないんだ。だって、楽しかった思い出も、確かにあるから。一緒に居て嬉しかったことも、友達で居たいと思っていたことも、全部全部本当のことだ。
 格好良くて、優しくて、面白くて、強くて、人気者で。
 僕は、化野大志になりたかった。化野は、僕の憧れだったんだ。
 化野は唇を噛みしめ、僕の方へと手を伸ばしてきた。

「まさ……」
「大志!」
「…………っ」

 その時、バン、と屋上のドアが大きく開いた。誠が息を切らし汗だくでドアの前に立っていた。僕はほっと息を吐く。
 よかった、誠も間に合った。そう思ったのに、僕に伸びかけていた手は、いつの間にか化野の手の内に戻っていた。さっきまでの表情も形を引っ込め、どこか冷めた様子で、近づいてくる誠を見つめていた。

「化野……?」
「……なんだ、やっぱそっちがいいんじゃん」

 自嘲気味に笑って、化野は僕達に背を向け、離れていく。

「あー、騙される所だった。結局、正義ちゃんはそっちを選ぶんだよね」
「お、おい大志!」
「化野……!」

 僕達が止める前に、化野は穴の開いたフェンスをくぐってしまった。なんで!? さっきまで、落ちる気なんて無いって言ってたのに。
 近くのネットフェンスに手をかけたまま、夜空を背に、化野が立ち上がる。屋上のギリギリの縁に立ちながら、化野の瞳は、僕達を見据えた。黒い瞳が、少しだけ細くなる。
 ヒュウ、と喉から空気が漏れて、僕は化野へ手を伸ばす。

「あ、あだ、化野、おちつ、落ち着いてっ……」
「いや、正義ちゃんのが落ち着けよ」
「おい大志、マジで危ねえって……!」
「何が?」
「なにがって、落ちたらやべえだろ! 死ぬぞお前!」
「別に、お前らが一生忘れられなくなるんだったらそれもいいかも」
「アホなこと言ってんじゃねえよ! いつまで拗ねたガキみたいなことしてんだ! お前のそれは、好きじゃなくて、ただのわがままだろ!? 恋でもなんでもねえよ!」

 誠が叫ぶと、化野は首を傾げて、少しだけ眉間に皺を寄せた。

「……なんで、セイにそんなことがわかんの」
「あぁ!?」
「恋じゃ無いとか、好きじゃ無いとか、なんで俺のことなのに、そういうのがセイにわかんだよ、簡単に言うな」
「大志……?」

 声色に怒りを滲ませながら、化野が誠を睨む。

「だって俺には、コレが普通だった! お前らの言う普通なんて知らねえよ! バァーーーカ!!」

 屋上に、化野の声が響き渡る。フェンスを掴み体を傾けながら、化野が笑った。感情をむき出しにして、化野が叫ぶ。

「皆が欲しがる物は、すぐ誰かに取られんだろ! なら、人気なんてなくていい。ただ俺の物になってくれるなら、それでいい……っ、俺の物になったあとに取られる位なら、死んだ方がマシだ!」

 顔を押さえ、髪の毛をかきむしるように掴み、化野は表情を歪めた。僕は声をかけることも出来ず、化野の暴論を聞いていた。

「正義は、別にお前の物じゃ無いだろ……」
「俺のだろ! だって、俺が最初に捕まえたんだから! コレが恋じゃない? ハァ? 恋だろ! だって俺には、俺にはこれしかないんだから!」
「…………っ」

 その剣幕に、誠が息を飲む。化野は、僕達の事なんて見もせずに、片手で顔を覆った。風に煽られて、今にも落ちてしまうんじゃ無いかと、気が気じゃなかった。誠が、じりじりと化野に近づいていく。


「なんで、これが好きじゃないの。なんでこれが恋じゃないって言えるんだよ、俺は正義ちゃんのことを欲しくて欲しくてしょうがないよ。これが恋じゃなかったらなんだよ! 好きじゃ無かったらなんなんだよ!」
「……っから! お前のそれは単なるガキのわがままだっつってんだよ! 正義は人間だぞ! 感情のない玩具じゃねえんだ! わかれよボケ!」

 その言葉に、化野は、くしゃりと顔を歪め、一瞬泣きそうな顔をした。僕の勘違いかもしれない。けど、あの時の、僕に縋るように聞いてきた表情に似ていて、僕は息を詰まらせた。
 早く、化野の手を掴まなきゃ。掴んで、こっち側に戻さなきゃ、そう思うのに、足が竦んで動かなかった。
 人の愛し方を知らない、恋の仕方もわからない、途方にくれた子供のような顔に見えた化野の顔は、今までの化野からはかけ離れていた。
 いや、違う。そうじゃなくて、化野にとっては、これが、恋で、好きで、普通なんだ。そして、これが化野なのかもしれない。
 泣き笑いの様な表情で、化野の唇が歪む。

「はぁ? わがまま? 俺は、わがままなんて、今まで一つも言ったことねえよ」
「あ?」
「だってさあ、我慢してきたんだから、一つくらい、ずっと俺の手元にあってもいいじゃんよぉ……」
「お前、何言って……」

 かみ合わない会話に、誠が眉を顰める。化野は、どこか遠い目をしているように見えた。

「全部譲ってきたんだよ。ほんとだよ、だってあいつ欲しがるからさ。正義ちゃんは俺が見つけたんだから、俺のにしてもいいでしょ。ずっと、一緒に居られると思ったのに、それなのに、セイに取られちゃうとか、もーやだ……なんで、取っちゃうんだよ、セイの馬鹿、クソ馬鹿」
「大志、あいつって……」
「もういい」

 化野がフェンスから手を離す。
 そこには、いつもの化野大志が居た。
 明るい笑みで、風ではためくシャツがばたばたと揺れる。黒い瞳が、細まり、口元がゆがみ、弧を描いた。

「もう、全部いらない。俺の物にならないんなら、そんなの見たくない。皆の望む化野大志には、もうなれそうにないし、こんな俺はいらない。使えねえし、必要ない。


 じゃーね」

 ふわり、と化野の体が宙に浮いた。僕の喉から悲鳴じみた声が上がるのと、誠が地面を蹴ったのは同時だった。
 それは一瞬の出来事で、化野の姿が僕の視界から消えたと同時に、誠が屋上の端で、うつ伏せになって小刻みに震えながら、腕を伸ばしていた。

「誠! 化野!」

 僕は慌てて二人の元に駆け寄る。誠の手は、化野の腕をギリギリ掴んでいて、化野は宙に浮いた状態で、僕達を見つめた。

「……何で止めんの。いらないでしょ。邪魔な物はさっさと消しといた方が良いよ。後々面倒くせえし。セイと正義ちゃんにとって俺が邪魔なら、ここで消えるのはいいことだろ? なのになんで止めるの? 意味わかんない」

 冷たい表情で風に揺られながら、化野が言う、僕は何か引き上げられる物は無いかと周りを見渡したけれど、ロープの様な物は何も無く、結局、僕も化野へと手を伸ばした。二人で両手を掴めば、なんとか引き上げられるかも知れない。

「あ、化野、こっちに手を伸ばして」
「何、心中してくれんの? うれしー。あ、でもセイも一緒か。微妙だな」
「死なねーわ! いいから早く上がれって……っ! きっつ……!」
「そうだよ! 化野は、ば、ばかだよっ! 死んだら駄目だって言ってるだろ……!」
「あーあ、怒られた」

 ははは、と笑いながら、化野は僕を見た。
 どうして、この状況で笑えるんだ。風が強くて、僕達だって、体を持って行かれそうになる。ここから落ちたら、死ぬかもしれない。恐ろしくて、化野を通して下を見ることすら出来なかった。
 僕の目線は、化野だけに集中する。すると、化野は嬉しそうに言った。

「正義ちゃんが俺だけを見てくれてんのうれしーなー」
「僕を見ようとしてなかったのは化野の方だろ! し、死んだらもう見れなくなっちゃうよ! いいから手を伸ばして!」
「…………クソ甘ちゃん」

 ぼそりと呟いて、面倒くさそうに嘆息した。
 化野は、手を伸ばそうとしない。
 それどころか、力を抜いているらしく、誠の顔色がどんどん赤くなっていく。がっちりと掴んだ手には爪が食い込んで、化野の腕からは少し血が滲んでいた。

「なあ、もう痛いから離してくんない? ほら血ぃでてるもん」
「ざっけんな……! お前の脳みそどうなってんだよ……! 落ちたらこんなんじゃすまねえっつの……!」
「……セイさー、俺のこと邪魔なのに、なんでこんなことすんの? 俺がいない方がセイ的にはいいわけじゃん? あ、そういえば昔……」
「今その話必要か!? 昔話はあとにしろあとに! つーかな、助けるのなんて、――お前が友達だからに決まってんだろ! ばっかじゃねえの!? 何年お前に付き合ってると思ってんだ! いつもわけわかんねーことばっかしやがって! このカス!! ボケ! いいから早く上がれ馬鹿!」

 誠が怒鳴りつけるように化野へ叫んだ。ぐぐぐ、と腕で化野の体を持ち上げる。もともと、ガタイも良いし、力も強いけど、今はいつもよりもすごい力を発揮しているように見えた。
 火事場の、というやつかもしれない。僕も肖って、段々と上に上がってきた化野の手に、必死に手を伸ばす。化野は、誠の言葉に、あっけにとられたように目を丸くしていた。

「もう俺とは絶交だっつってなかったっけ……」
「んなくだり何回やったと思ってんだ! つーか、お前がここで死んだら俺もコイツもトラウマだっつの! 植え付けんなトラウマを! 昔から一か百しかねえのかこの馬鹿! クソ馬鹿! いいからさっさと腕伸ばせ! 重いんだよ殺すぞ!」
「…………どっちだよ。あ〜〜〜〜〜……俺の周りってなんでこう……あほくさ」

 諦めたように化野がもう片方の手を伸ばすと同時に、誠が化野の体を徐々に持ち上げる。僕はすかさずその手を掴み、二人で力を合わせて化野の体を引っ張り上げた。
 ようやく屋上まで持ち上げると、誠は力尽きたように地面へと転がった。

「………………っはぁっ……はっ…………」
「あ〜〜〜〜あ、死に損なっちゃった」
「ざっけんな……お前…………、あとで殴る……っ……ぜってー殴る……っ」
「あんなに俺のことボコってきたくせに、まだ殴るの? セイって野蛮だよね〜」
「はぁ? お前だって俺のこと容赦なく殴ってきただろうが」
「そりゃー、殴られたら殴るでしょ」
「大体アレはお前が……っ!」

 がば、と誠が起き上がると同時に、僕も化野の腕を掴んだ。ごうごうと耳を覆いたくなるような風の音に、かき消されないよう、大きな声で言う。

「化野!」
「…………なに?」
「…………もう、飛び降りようとなんて、しないでね……っ」

 声が震える。
 怖かった。本当に、死んじゃうかと思った。化野は、僕を見つめて、拗ねたように目線を横へと逸らした。

「俺が生きてて嬉しい?」
「うん、嬉しい……」
「俺のこと嫌いなのに?」
「……僕、化野のこと、嫌いじゃ無いよ……」
「なーんだ」

 少し、残念そうな声で化野が笑った。

「どうせ他の奴に取られて一番になれないなら、死ぬほど嫌われて、一生俺が死ぬ時の映像を脳みそに刻みつけたかったのに。嫌われてもないなんて、あーあ……ほんと、なんもないね、俺」
「化野のその考え方は、僕には理解できないけど」
「正義ちゃんの好きな”フツー”の考え方じゃないからかな」
「でも、何にもないことはないと思うよ」
「ん?」
「化野は、僕にないものを何でも持ってて、僕はそれが羨ましかったし、心のどこかで、嫉妬してたかもしれない。僕は、化野に対してすごく、えっと、色々、考えさせられて、化野のことばっかり考えてしまって…………、だから、なんにもないなんて、そんなことは、ないんだ。化野は、きっと僕の中でいつも、中心だったし、僕は化野になりたかったよ……」

 ぽつりと呟くように告げると、化野は何も言わなかった。
 
「………………変なの。正義ちゃんって、やっぱちょっと変だわ」

 少しだけ、震えるような声で言うと、化野は笑った。僕も、少しだけ笑う。誠が、隣で呆れるような顔をしていた。
 もしかしたら、今なら、また元に戻れるかもしれないと思った。前みたいに、友達に戻れるかもしれないと。 
 けれど、そんな幻想じみた妄言を吐く前に、ごう、と突風が僕の体を押した。

「……あれ……?」

 屋上には、ずっと強い風が吹いていて、それでも、吹き飛ばされることなんてないだろうと思っていた。
 いくら強風でも、高校生男子一人飛ばしたりするような風量はないし、飛ばされたとしても、ちょっと体がよろめくくらいだって。
 そう心のどこかで高を括っていた。油断していた面もあるのかもしれない。
 だから。

「……――正義!」
「正義ちゃん!」

 青ざめる二人の顔。
 風に煽られ、バランスを崩して宙に浮いた自分の体が、理解できなかった。屋上の端にいた僕の体は、強風に煽られ放り投げられた。視界が一気に上を向くと、少しだけ欠けた月と夜空が瞳に映る。星空が、視界いっぱいに広がった。
 ……あ、これ死――……
 走馬灯の様に、今までの出来事が目まぐるしく駆け巡る。でも、それは高校に入ったときからの事だ。一緒のクラスになって、話しかけてもらって、友達になって、ああいうことをするようになって、それから。それから……――

 落ちる、と思った瞬間、目の前に二人の手が伸ばされた。

「正義ー!」

 僕は、無意識のうちに、その手を掴む。


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