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「んじゃ正義、まず話せ」
「…………?」

 化野と別れて、この現状を変えるということに協力してもらうことで話がまとまると、誠は笑顔で僕に問いかけてきた。その質問に、一瞬首を傾げる。
 何を話すんだろう。
 あ、これからどうしたらいいかっていう相談か。そうだよね、協力して貰うからには、僕が主体として動かないといけない。化野には、公開されたら困るデータとか、沢山あるし、まずはそれを返して貰わないといけないし、誰かをけしかけたり唆したりしたりもしないでほしい。
 でも、どうすればいいかな。素直に返して欲しいって言っても、返して貰えないだろうし、どうやったら返して貰えるだろう。

「うん、僕も考えるけど……誠は、なにかいい案あるかな?」

 きっと、僕よりも幼馴染みである誠の方が、化野には詳しいと思うから、聞き返すと、誠は微妙な顔をした。

「いやその前にだ」
「え?」
「お前が、なんで大志と付き合ってるかとか、今まで何されたかとか、話せ」
「…………え……」
「別に、マジで好きで付き合ってるわけでもないんだろ」
「…………」
「え、好きなん……?」
「いや、ちがくて、その……」

 全部、話していいんだろうか。
 僕のことはもう、この際いい。何をされたか話しても構わない。今更、知られて困る秘密なんて、あんなことしたあとじゃあもう何もない。
 でも、誠の中学生時代の写真とか、暴力事件の話なんかも、握られているって事、全部話したら、やっぱり誠は意見を変えたりするだろうか。……いや、僕が信用しないでどうするんだ。それに、誠はそんなことを発言をころころと変えるような人間じゃないはずだ。
 ここは、正直に全てを話そう。
 協力して貰う立場の僕が、嘘をついたり、隠したりするのはよくないし、何より協力して貰うには、信頼関係が大事だと思う。
 僕は意思を固め、小さく頷いた。

「うん……、わかった、全部話す」
「おう、出来ればもう、隠し事とかは無しにしてくれ」
「…………うん……っ、えっとじゃあ、話してなかったことから話すね……」

 そうして、僕は話し始めた。
 誠に今まで話していないこと、意図的に話さなかったこと、話したくなかったこと、全て包み隠さず打ち明ける。
 誠は、最初は静かに聞いてくれていたけれど、僕の話す内容によって、段々と顔色が変わっていった。周囲から受けたいじめの内容だけじゃなくて、写真を撮られたことも、化野にされたことも、他にも、色々……。
 赤くなったり、青くなったりする誠に、途中何度か話のをやめるか打診したけれど、結局続けて欲しいと言われ、僕の話はしばらく続いた。


 そうして、ようやく全てのことを話し終えると、ぐったりした様子の誠が、テーブルに肘をついて頭を抱えていた。

「大体、これで、全部……」

 もう、これで僕に隠していることは何もない。正真正銘、僕の身の回りで起きたこと、僕に起きたことは、全て誠に話した。
 けれど、それに対して、誠はさっきからずっと黙ったままだ。眉間に皺を寄せ、苛立たしげに拳を握っていた。

「あの、誠……」
「お……っ、前さぁ……!?」
「は、はい……!」

 突然、誠は項垂れていた顔を上げ、僕の両肩を掴んだ。

「言えよ! もうちょっと早く! 途中死ぬかと思ったわ俺! つーかそれ全部一人で抱えこんでたのかよ!? アホか! ……っあ〜〜、でもお前は言わねえよな……くそっ、あ〜〜〜〜〜むかつく……!」
「ご、ごめん……」

 やっぱり、話すべきことじゃなかったのかもしれない。誠のせいではないけど、間接的に誠をかばってしまったことになったから、そこも、気にしているんじゃないだろうか。
 僕が少しだけ俯くと、誠は慌てたように付け加えた。

「言っとくけど、むかついてんのはお前じゃなくて自分にだからな! はぁーー……あ〜〜〜〜〜〜……」

 ため息を吐きながら、誠は僕の頭をぽんと叩いた。

「悪かった……」
「…………? 誠が悪いところは一つもないけど……」
「いやあるだろ。つーか、中学の頃の俺の話とか放置しとけよ! そんなん俺の自業自得なんだから! 判断材料にすんな!」
「えっ、でも僕は、誠が学校から居なくなるのは嫌で……誠のためというより、僕のためだし……」
「…………っ〜〜〜〜!」

 僕の言葉に、誠は顔を覆う。嘘は言っていない。
 あの時、僕は誠がこの学校から居なくなるのは嫌だったし、僕のせいでそんなことになるのも嫌だった。誠がどう思うかを考えるよりも、自分のことを優先させた。ただの、僕のわがままで、だから、誠が悪いところはどこにもない。
 僕の言葉に、誠は顔を覆いながら、少し気恥ずかしそうに中学時代の頃の事を話し出す。

「……あの頃、俺ちょっと荒れててさぁ、馬鹿やってたんだよ。マジで今より馬鹿だったんだよ。でもああいうの、大志も一緒にやってたんだぜ? それを公開して俺だけっつーのも無茶な話っつーか、あいつだって言えねえと思うけど」
「…………そうなんだ、よかった……」

 誠の言葉に、僕はほっと胸を撫で下ろす。実際、化野が居たとしても、その証拠がなければしらばっくれることなんていくらでも出来るかも知れないけど、対抗材料があるのはいいことだと思う。
 僕は、誠が退学にならないのなら、それが一番良い。ほっとして、にこにこしていると、誠は呆れたように息を吐いた。

「……アホ……」
「えっ」
「いや、俺がな……。うぁ〜〜〜〜、マジで、あの頃の俺を消してぇ……黒歴史だよほんと……」
「あ、き、金髪だったね!」
「やめろ! っつかイキりすぎだろぉ〜、マジで……しかもお前の負担になってたとか死んだ方がいいわ……」
「そんなことないよ、中学の時も格好良かったよ」

 僕の言葉に、誠はなんとも言いたげな表情をしたと思えば、再び僕の頭をぽんぽんと叩いてきた。……? 癖なのかな。
 ぼんやりとそのまま誠の手を受け入れていると、はっと気がついたように誠は僕の頭から手を離した。

「っ! 悪い、お前の頭なんか触りやすっくて……いや、この言い方はおかしいな! 悪い!」
「…………? ううん、気にしてない」
「そ、そうか……ごめん」

 なんでそんなに謝るんだろう。頭を殴られたわけでもないし、ただ撫でられるくらい、別に誠なら気にしないんだけどな。
 でも、今は確かにそんなことをしている場合でもないのかもしれない。僕は部屋にあったノートを広げて、これからすべきことを誠と一緒にまとめることにした。
 ノートに書くのがいかにも僕らしいと言われたけれど、こういうのは紙に書いてまとめた方がきっとわかりやすいと思う。目標、と書いて、その隣に男にしては小さめの字だと言われる文字を綴る。

「じゃあ、まず化野からデータを取り返したいんだけど……」
「あいつ、返せっつって返してくれるような奴じゃねえぞ」
「うん……どうすればいいかな……。あっ!」
「ん? なんか気づいた?」
「うん、あの、化野の部屋に行って、僕が直接データを消す、とか……」

 僕としては、名案のつもりだった。 
 別れることを目標にしているとはいえ、僕はまだ化野と付き合っていることになっているし、家に入れて欲しいと言えば、化野のことだ。多分入れてはくれるだろう。その結果、どんなに恥ずかしいことをされたとしても、今までのデータを消すことが出来れば、次に繋げられる。それに、条件を飲めばデータを消してくれたりするかも……。
 けれど、誠は全力で首を振った。

「駄目だ」
「でも」
「絶対駄目だ。そんなお前、狼の住処に羊を送り出すような真似出来るか」
「僕は人間だけど……」
「例えだよ! お前簡単に食われそうだから駄目だ!」
「…………」
「……あと、大志そういうのすげえ隠すから、どうせ見つけらんねえよ」

 確かに、化野の部屋に入ったことは今までも何回かあるけど、そういうのがどこに仕舞ってあるのかはわからない。明確に部屋を漁ったことなんてないけど、注意深い化野のことだから、慎重に隠しているのかも知れない。
 壁一面に飾ってあったお面の印象が強すぎて、他が思い出せないというのもある。

「大志は馬鹿だけど、そういう情報系は詳しいし、見つけられたとしてもパスワードとか色々かけてるよ。お前そういうの詳しい?」
「…………よくわかんない」
「だろ」
「あ、でも勉強すれば……!」
「そうじゃねえよ」

 僕の言葉を遮るように、誠が言う。

「俺が、もうお前に大志の家に行ってほしくない」
「…………あ」
「だからもう家には行くな、頼むから」

 その言葉に、気がつけば僕は自然に頷いていた。
 ……なんか、顔が熱い。ドキドキと音がする心臓を無視して、了承する。

「うん、わ、わかった。誠がそう言うなら……」
「つーかな、俺はあいつの弱点探すより、今の繋がり切る方が重要だと思うんだよ」
「繋がり?」

 その言葉に、僕は首を傾げた。すると、誠は頷き、化野の事を語る。

「あいつ、昔からうまいんだ。人を操るっつーか……、言葉に説得力持たせるのが。あほくせえことも、大志が言うなら、みたいな気になっちまったりすんの。お前も、ちょっとはわかるだろ」
「…………ウン」

 確かに、と僕は首を縦に振る。わかる、なんてものじゃない。今までそういうことは何度だってあったし、だからこそ、化野の側に居たのかも知れない。
 化野が言うなら、本当のことかも、と思ったことは、数え切れない程にある。化野の言葉も、仕草も、直接胸に響くのだ。

「まああいつ自身結構カリスマがあったりするんだけど、そういうのもあって、なんつーの? 色んな奴と友達になるのが得意だから、その結果、他人の事を何でも知ってたりすんだよ」
「…………化野は、人には線があるって言ってた。人によってその線は違うけど、ソレを揺らせば人の心は簡単に動かせるって……」
「あ〜、それ、俺も昔聞いたことあんな。何言ってんだコイツとは思ったけど、まあわかるわ」
「うん……」

 結局の所、やっぱり化野はすごいんだと思う。僕には化野みたいに誰かの心を揺さぶることも、ましてや思い通りに動かすようなことも出来ない。そんな人に僕は太刀打ちできるんだろうか。少し怖じ気づきそうになったところで、誠が忠告するように口を開いた。

「おい、大志のことをすごいとか思うなよ」
「え……?」
「そんなこと思ってたらあいつの思うつぼ。つーかな、大志のことを好きな奴はそりゃ大勢居るだろうけど、同じくらい恨み持ってる奴も居るんだよ。そういう奴らが前に出て来ないのは、大志が怖いからだ。大志に何されるかわかんねーから」
「…………」
「でも、そういう奴らを、こっちに引き込めば、大志の手駒が減ると思わねえ? あいつだって万能じゃねえんだ、……王様の椅子から引きずり降ろしてやるよ」

 に、と笑った誠は、少しだけ悪い顔をしていた。
 言いたいことは、なんとなくわかるけど、そんなことどうやってするんだろう。化野のことが怖いなら、僕たちに協力してくれたりもしないだろうし。なんだか、まるで、将棋やチェスみたいだ。
 人を手駒なんて言い方をするのはよくないけど、例えばクラスの人たちの半分でも味方になってくれたなら、きっと状況は変わると思う。
 僕は、誠一人でも、味方がいれば嬉しいけど、人の数っていうのは、時として残酷なものだから。

「…………でも、そんなのどうやって……」
「俺に考えがある。目には目をってな」

 そう言って、誠は僕に提案をした。
 これからすること、起こすこと。
 それは、決して良いことではなかった。平和的解決なんて望めないだろうし、話してわかる人じゃないかもしれないとは思っていたけど、僕はその提案に躊躇い、首を横に振った。

「それは……だ、駄目だよ……いくらなんでも」
「お前がやらないなら、俺がやるけど」
「………………っ」
「つーか、別にお前が悪いわけじゃねえんだから」

 人を騙したり、脅したりするのは、良くないことだと思う。
 散々されてきたから、された側の痛みを、僕は知っている。だからこそ、人にはしたくない。
 でも、僕がしたくないからと言って、それを誠にやらせるのは違う。元々これは、僕がやると言い出したことで、誠にはあくまで協力して貰っている、というスタンスだ。なのに、僕が逃げ出せば、また責任を負わせてしまう。逃げてばかりじゃ、前と同じだ。
 ぐ、と唇を結んで、僕は誠を見据えた。

「でも、もし、違ったら?」
「その時は、また別の手を考えるよ」
「……わかった。じゃあ、やっぱり僕が言う……」
「いいのか?」
「うん。…………僕が言った方が、良いと思うし」
「まあ、その方がいいだろうな。んじゃ明日駅前に集合。俺が呼んどくから」
「………………」

 誠の言葉に、僕は頷き、覚悟を決める。
 申し訳ないとは思うけど、僕も守りたいものがある。だから、今まで見たいに、臆病で震えているだけでは居られない。
 
****

 翌日、僕は誠の言ったとおり駅前へと来ていた。休日だったのは、タイミングがよかったと思う。
 ざわめく人の合間を縫って、大きなオブジェの前で待っていると、誠が昨日離したとおり、隣に"彼"を連れ立ってやってきた。

「待たせて悪い。ちょっと遅れた!」
「あ、誠……ううん、全然待ってないよ」

 そして、隣立っている人にも僕は頭を下げる。

「……こんにちは」
「え? あ、どうも……?」

 怪訝な顔をして、露骨に誰? みたいな顔をしているけど、一応クラスメイトだよ。声で気がつくかとも思ったけど、全然気づいていないようだ。そもそも、僕に興味がないんだろう。何この空気? みたいな雰囲気を露骨に醸し出している彼を見かねたように、誠が僕を指さして言う。

「井上、これ小波だから」
「あ!? 小波!?」

 勢いよく、井上が僕を見た。
 そういえば、井上に素顔を見せるのは、これが初めてだ。
 途端に、なんだか恥ずかしくなってきて、僕は顔を少しだけ赤くした。こうなるから、お面をつけていたのに、なんだか付けていないだけで顔がスースーするような気すらしてくる。学校ではずっとつけていたからかな。
 誠の前ではもうつけなくても平気だけど、誠以外のクラスメイトに晒すのは、少し恥ずかしい。

「…………にっし−、なんで小波くんが? 話したいことがあるっつーから来たんだけど、俺」
「いやまあ、話したいことがあるっつーのはマジだから」
「にっしー、なんか企んでるだろ。俺帰る」
「いやいや、待てよ井上〜」

 怪訝な顔をして誠を睨めつけると、井上は僕から目線を外し踵を返した。その肩を掴んで、誠が井上の歩みを止める。僕も慌てて、井上の腕を掴んだ。

「ま、待って井上」
「……何さ」
「…………っ」

 僕はスマホを取り出すと、自撮りモードにしてカシャ、とカメラのシャッターを切った。フレームの中には、驚いている井上と、顔を赤らめながらも、しっかりと僕だとわかる姿があった。
 これは、賭けで、脅しで、人としては最低なことかもしれないけど、僕たちに残されている選択肢は多くない。
 駄目だとわかっていても、やらないと進めないなら、やるしかない。震える手で素早く保存すると、呆然としている井上を置いて、少しだけ距離をとる。

「……は? いや何、なに今の!?」
「…………は、話を聞いてくれないなら、僕はこれを化野に見せます……」
「あ!?」
「あ、化野は、僕の顔がほ、他の人に見られるのをすごく嫌がる、ので、コレ見たら、あ、化野は、井上のこと、怒る、かも…………」
「………………」

 井上は、露骨に誠を睨みつけた。
 舌打ちしながら、イライラした様子で、掴まれた肩を振り払おうとしていたけど、誠はそれを許さなかった。力強く掴まれた肩に置かれた手は、なかなか外れない。
 井上は、自分のことを平和主義者だと言っていた。
 それは、概ねあっていると思う。日和見というわけではないけれど、波風を立てず、順風満帆に、静かに過ごせればいいと思っているタイプの人だ。
 僕も、できればそうありたいと思っているから、井上の気持ちはよくわかる。わかるからこそ、井上の行動も、なんとなくわかる。
 誰とも争わない、傍観者として過ごすためには、不安要素は、井上としてもなるべく避けたいはず。
 井上は苛立ちを隠そうともせず、誠を睨む。

「離せやにっしー、どういうつもりだよ」
「だーから、まず話を聞けよ、な?」
「うっせーし。なんなん? こういうだまし討ちみたいなの、クソむかつくんだけど。つーか、にっしーだってコイツの顔見てんじゃん、知るかよ」
「俺は大志と喧嘩してっからいいんだよ。大志の顔見たろ? つーか、もう知ってるだろお前は」
「…………」

 井上は、その言葉に何か言いたげだったけれど、誠の発言に、思うところがあったのかもしれない。
 僕の方をちらりと見てから、大袈裟に息を吐いた。

「…………話、聞くだけだからな」
「うん、ありがとう……」
「んじゃ、そこの店行こうぜ、ついでに飯食おう」

 そう言って、僕たちは駅の中に入っている飲食店へと向かった。

****

 昼時を少し過ぎた時間帯ということもあって、店内は割と空いていた。このお店は小上がりかつ一つ一つ部屋が区切られていて、話もしやすかった。割と静かな音楽が流れる中、僕たちはそれぞれ席につく。
 元々、誠が計画していた通りだ。
 本当に、いいのかなとは思うけれど、今更引き返す事なんてできないし、それに、まだうまく行くとも限らない。
 店員にオーダーをして、料理が来るのを待つ間、井上の隣に誠が座り、僕は井上の正面に座った。
 井上は、苛ついた表情でスマホを取り出したが、それを誠が掴み取り上げた。眼鏡越しに、井上の目がつり上がる。

「おい、返せよにっしー」
「話があるっつったろ、終わってからにしてくんね?」
「………………んっだよもう……あー、ウザ……」

 低い声で問い返され、僕は一瞬肩をビクつかせたけど、ここで引くわけにはいかない。
 膝の上で手を動かしながら、僕は井上に言う。

「あ、あの、僕、井上に……協力してほしくて」
「協力? なんの?」
「その、……僕たちに」
「小波くんさあ、日本語わかる? なんの協力か聞いてるんだけど」
「…………化野に、対抗する協力」
「ハァ?」
「化野から、離れたいから……」

 僕の言葉に、井上は素っ頓狂な声を上げて、無言で誠を見た。
 誠は井上の視線を無視して、続けろ、と促す。

「何言ってんのか意味不明だし。つーか普通に無理じゃね。俺一応大志と友達だし、裏切りたくねーもん」
「……友達なの?」
「そうだけど」
「でも、この前、僕にも友達って言ってくれたよね」
「……そんなん、大志がそうしろって言ったからだろ、別に思ってねえって」
「化野がそうしろって言えば、井上はなんでもそうするの?」
「……は? 何が言いたいの」
「…………僕、今まで色々嫌がらせされたことあったんだ」
「あー……それが何か?」
「井上はさ、あの時僕に言ったよね。このままで居たらいいって。そっちの方が、僕にとってもいいって。もしかしたら、あれは、井上が思っていたことなのかなって、思ったんだ……」
「…………何が言いたいんだよ」
「僕への嫌がらせ、井上もやってた? そうすれば、化野が喜ぶから。そうすれば、元に戻れるかもしれないから」
「………………」

 空気が冷えていく。
 黒縁の眼鏡から覗く井上の目線は、酷く冷めていた。
 コレは、ただの賭けだ。そういう証拠なんて何もない。ただ、そうかもしれないと思っただけ。
 そもそも、誰がそうしたかなんて、僕にはわからなかった。あの時のいじめは全て、化野はやっていないと言っていたけど、化野以外はすると言っていた。
 それが本当なら、あれは、きっとクラス全員の仕業だったんだろう。なら、そこに井上が入っていないことは不自然だ。
 
 逆の立場で考えてみる。
 例えば、僕が傍観者で、井上の立場が僕だったのなら。
 僕は化野と普通に友達で、その生活を気に入っていた。
 だけど、誰か一人をきっかけに、その和が崩れて、元に戻りたい、戻したいと思ったら、化野の意向を汲んで動いてしまうかも知れない。化野の言うとおりに、望むとおりに、誰かをいじめてしまうことだって、あるかもしれない。いけないとわかっていても、自分本位に行動してしまう可能性が、ないとは言い切れない。
 ただ、それだけの話だ。
 化野の言葉は、説得力があって、人を容易く動かしてしまう。
 だから、もしも僕が井上の立場なら、同じ事をしたかもしれない。僕は、井上の気持ちもよくわかるから。
 それがいけないことだと知りながらも、欲しいものを掴みたくて、それを肯定してくれる、化野の言葉に縋って。
 もしかしたら、違うと言ってくるかと思ったけれど、井上は小さく息を吐いて、どうでもよさそうに、だから? と問いかけてきた。

「だから何? 俺以外にも、やってる奴なんて居ただろ。つーか、小波くんだって気づいてたんじゃないの」
「…………うん、なんとなく」
「だったら、俺だけを責めんなよな。仕方ないだろ、俺だって別に、好きでやってたわけじゃないし」
「……好きでやってたわけじゃないなら、どうしてあんなことしたの?」
「あんなことって?」
「机、汚したり、殴ったり……」
「殴ったりはしてねえけど」
「じゃあ、何したの?」
「別に、ただ机傷つけたり、教科書棄てたり? あとはまー、ネットに書き込んだりとか、他の奴らに比べたら、俺がやってたことなんて、大したことないと思うけど」
「……でも、僕は傷ついたし、辛かったんだ……」
「ならそう言えばよかっただろ。だんまりの癖に、今更なんだよ」

 開き直った様子で、井上は続ける。自分がしたことをこんなにあっさり話すとは思っていなかったけど、井上にとっては、本当に大したことをしていないと思っているのかもしれない。
 その言葉に、僕は頷いた。

「うん……、喋らなかった、僕も悪いと思う」

 でも、と言葉を続ける。
 これは、きっとよくないことだと思う。
 けれど、井上がしたことだって、決していいこととは言えないはずだ。井上は、どうでもいいと思っているのかも知れないけど、僕は辛かった。苦しかった。嫌だった。一つ一つは小さくても積み重なれば大きくなって押しつぶしてくる。
 それを、大したことない、で片付けないで欲しい。
 誠は、井上の言葉を黙って聞いていた。僕の言葉にも、口は挟まない。だってこれは、そういう話だから。
 今僕がしようとしていることは、化野と同じで、本当はこんなことしてはいけないとわかっている。
 わかっているけど、やるしかない。
 固唾を飲み込み、僕はスマホを井上の前に掲げた。声が震えないように、胸を張って、前を見据える。

「でも、そういうことをしていたら、いつか自分に返ってくる。……だから、井上は、僕に協力する義務がある……っ!」

 録音中、と表示されている画面を見て、井上はさっと顔色を変えた。

「な……っ! お前、返……っ」

 掴もうとした僕のスマホは、誠の手によって止められる。

「正義、保存して転送」
「う、うん」
「お前らなぁ……っ!」
「一応、今の発言は拡散されたらまずいよなぁ、井上。俺らバカ校だけど、こういうの厳しいし」
「…………クッソ性格悪いなにっしー、お前、そんなだっけ?」
「こっちも色々と事情があんだよ」

 僕は録音データを保存して、家にあるパソコンへと転送した。
 井上は、平和主義者だ。そう自称している。
 平和が好きだからこそ、その平和の為になら、多少の犠牲はきっと問わない。そもそも、僕なんて、井上にとっては犠牲にも数えられていないのかも知れない。でも、その犠牲が自分になったら、井上だって動かざるを得ないはずだ。
 今の発言は、しっかり録音されていて、いじめ加害者による確実な証拠だ。
 これで退学になることはないだろうけど、評価には関わるし、何より化野にも迷惑がかかる。そういうことを、井上はきっと望まない。物事を荒立てたくない平和主義を自称するなら、ここで下手な手は打てないと思う。
 僕を睨みつけてくる井上に、僕は頭を下げた。

「ごめん……」
「消せよ、今すぐ!」
「じゃあ、僕たちに、協力してくれる?」
「………………っ〜〜〜〜〜……!」

 ひりついた空気の中、緊張が僕らを包んだ。

「…………俺に、……何しろっつーんだよ……」



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