19

 静かな部屋の中、僕たちは無言のままテーブルを挟んで正面に座った。しん、と沈黙が部屋を包み、僕は額に汗を浮かべた。
 …………勢いのまま会うとか言っちゃったけど、一体、何を話せばいいんだろう。そもそも、どうして誠は僕に会いに来てくれたんだろう。あんなことがあったのに。
 向かい合って座ったはいいものの、お互い顔を見合わせる事も出来なくて、ただ気まずい空気が流れる。誠から話し出すような雰囲気はない。
 空気を変えようと、僕はそそくさと立ち上がった。

「な、何か飲み物持ってくるよ……」
「あっ……、いや、いい。すぐ、帰るし、風邪引いてんのに、急に来て悪いな」
「え、いや……あの……いえ、はい」

 引き留められ、僕は自分でも何を言っているのかわからないまま、浮かせた腰をまた元の位置に戻してしまった。そして再び沈黙が流れる。……強引にでも、飲み物を持ってきて空気を変えるべきだっただろうか。でも、すぐ帰るって言ってたし、ひょっとしたら、この後予定があるのかもしれない。
 そうだとしたら、できるだけ話すことに時間を使いたかった。僕だって、誠と話がしたかったし。もう話せないと思っていただけに、来てくれたことに驚きはすれど嬉しかった。けれど。
 ちらりと誠の顔を見てみると、顔には大きなガーゼが貼ってあり、それ以外にも打ち身や擦り傷のようなものが服の合間からちらほら見える。怪我、どうしたんだろう。まるで、誰かに殴られたような痕だ。
 ……もしかして、いじめられているんだろうか。
 その想像に至った瞬間、背中に冷水を浴びせられた気分になった。サァ、と顔を青くして、自分の想像に震える。
 誠は大丈夫だと言っていたけど、僕が化野の怒りを買って、その腹いせに巻き込まれていたという可能性がないわけじゃない。そもそも、あの時すでに巻き込まれていた。
 あれだけ化野に嫌いと言ってしまったし、化野は怒っているのかもしれない。化野には、好きって言うように言われてたのに。
 そう思うと、居てもたってもいられなくて、つい口を開いてしまった。

「そ、その……!」
「あ?」
「…………怪我、ど、どうしたの……?」
「あーー……」

 誠は眉間に皺を刻み、非常に言いにくそうにしていた。その表情に、心臓が跳ねる。いつも割とはっきり物を言う誠が言い淀むと言うことは、やっぱり、いじめ……!? 
 僕の時は、物を隠されたり、落書きされたりといういじめはあったけど、こうやって表だって殴られたりすることはなかった。
 でも誠の場合、陰湿ないじめがきかないから、こういう手段に出たという可能性だってある。それなのに、僕はのうのうと布団の中で丸くなっていただなんて。
 情けなくて、申し訳なくて、謝ろうとした瞬間、誠の口から飛び出したのは、予想外の一言だった。

「大志と喧嘩した」
「え…………」
「久々にあいつのことぶん殴ったら、向こうも殴り返してきたから、こっちもやり返すじゃん。そしたら最終的にこうなった……」
「…………そ……」

 そんなことしたら、今度は停学になっちゃうよ……と言う顔を僕がしていたのだろうか。それとも、よっぽど青い顔でもしていたのか、僕の顔を見て、誠は気遣わしげに心配するな、と伝えてきた。

「今回は学校とかでしてねえから、謹慎とかにもなってねえよ」

 いやもう、喧嘩したっていう情報だけで、心配するには十分だった。そもそも、化野と喧嘩? あの化野と喧嘩できるのは、きっと誠くらいなものだと思う。一体どうして、喧嘩なんて。

「……でも怪我……い、痛くない?」
「まーちょっとは……、でも別にこんくらいは、普通だろ」

 わからない。僕と誠にも「普通」の認識に差があるのかもしれない。少なくとも、僕はそんな怪我を負うのは嫌だった。殴られるのも蹴られるのも、痛くて苦しいから。
 誠が殴ったと言っていたけど、どうして殴ったりしたんだろう。

「……なんで喧嘩したの?」
「…………あー……」

 けれど、その言葉に、誠は答えはしなかった。言いたくないってことなのかな。だったら、僕が無理に聞かない方がいいのかもしれない。
 それに、わざわざここに来たと言うことは、他に話したいことがあるのかも。僕だって、言いたいことは沢山……!
 喧嘩の衝撃に一瞬飛んでいた記憶が、二人の顔を浮かべた瞬間、蘇る。自分が何をやらかしたかを思い出して、顔に熱を浮かべた。頬が赤くなっていくのが自分でもわかった。
 お、お面、と思ったけど、今更狐面を探すのもおかしな気がして、僕は勢いに任せて誠へ頭を下げる。

「…………っごめん……っ!」
「……あ?」
「こ、この間の、こと……本当に、ごめん……」

 ごにょごにょと、口の中で呟いていると、自分でしでかした事実が、本当にとんでもないことだったという自覚が湧いてくる。あの狭い小屋の中でした事は、遊びで済まされるような物じゃない。噎せ返るような性の匂いに、今でも思い返すと頭がクラクラする。自分がしでかしたことを思い出す度に、頭を抱えて叫びたくなる。
 なんてことをしたんだろう、僕は。本当に……っ。

「あれが、ま、誠だって、知らなくて! その、気持ち悪かったと思うし、あんなことされて、嫌だったと思う。本当にその……ごめん……! わ、忘れてほしい……っ」
「…………お前さ」
「う、うん」
「……いつも、大志にああいうことしてんの?」

 その質問に、僕はどう答えればいいのかわからなかった。
 いつも、というわけじゃない。フェラは化野がして欲しいときにするけど、自慰を見せたのは初めてだし、道具だって使ったことなんてなかった。
 でも、誠が聞きたいのはそういうことじゃないんだろう。きっと、ああいうこと全般を指している。自分の意思にしろそうじゃないにしろ、僕が、命令されればなんでもする奴だということなのかもしれない。
 嘘をつくこともできず、少し間を置いてから、僕は小さく頷いた。

「…………そうか」

 ああ、嫌われた。今度こそ、完璧に変態だと思われた。
 せっかく、会いにまで来てくれたんだから、多少嘘をついてもよかったかもしれないのに。でも、もう誠に嘘をつきたくもなかった。
 羞恥と惨めさに、目頭がじわりと熱くなる。

「……ど、っ……一人で、さ、させられるのは、初めてだったけど……、く、咥えるのは、…………はじ、めてじゃない……」
「それは、お前の意思で?」
「…………っ」

 その問いには、流石に首を横に振る。
 あんなの、僕がやりたいと言い出した訳じゃない。流石に自主的にやりたいと言い出すような性癖はしていない。ただ、やるしか選択肢がなかった。でも、そんなこと誠には関係ないし、話すこともできない。
 黙り込んでしまった僕に対して、誠は僕の部屋をきょろきょろと見渡しはじめた。壁や机の上を見ている。
 ……なんだろう。別に、部屋の中はそこまでぐちゃぐちゃではないはずだ。これといって面白いものもないけど。目的の物が見つからなかったのか、誠は再び僕を見た。

「正義お前……今日はお面つけないんだな」
「えっ、あ……」
「どこにあんの? あれ。ちょっと借りて良いか」
「えっと……」

 僕は慌てて机の引き出しを開けて、いつもの狐面を取りだし、誠に手渡した。なんだろう、僕につけろって事なのかな。そう思っていたら、おもむろに誠は自分の顔へ寄せ、つけていいかと訊ねてきた。

「つけていいか、これ」
「う、うん……?」

 頷くと、誠はいつも僕が付けているお面を顔に取り付ける。なんだか、ちょっと変な感じだ。いつも僕がつけているお面を、誠が付けている。
 お面から覗くのは、誠の目だけで、僕を見ると微笑ましそうに少し笑った。

「あー、結構声とかこもるな」
「うん……でも、僕喋らないから……」
「まあ、そうか……」

 急にどうしたんだろう。僕のお面をつけることなんて、今までなかったし、何故つけているのか訊ねてくることはあっても、自分でつけようとしたこともなかったのに。
 再び静まりかえってしまった部屋の中で、僕は俯いたまま口を開いた。

「あの、僕……」
「――悪い」
「え……?」
「お前が、ああいうことされてるって、俺、知ってたのに、なんもしてやれなかった」

 お面の奥で、誠が言う。お面をつけているから、今誠がどういう表情をしているのかはわからない。けれど、その声は、少しだけ震えているように思えた。

「ただ驚いて、ビビって、逃げちまった。マジで、最低だと思った。家に帰ってから、めちゃくちゃ後悔してさ……」
「ま、誠は最低じゃない!」

 普通、あんなことを友達だと思っていた人間にされたら、驚いて逃げてしまうのも当たり前だ。それが普通の感覚だと思うし、むしろ、罵倒も嘲笑もしないだけ、優しいとすら思ってしまう。僕は、まくし立てるように口を開いた。

「もう、嫌われたと思ったし、喋ることも出来ないかと思ってたけど、こうして会いに来てくれただけで、すごく、や、優しいと思うし、僕は誠に感謝してる!」
「………………」
「知らなかったとはいえ、僕、誠にあんなことしたのに、ごめん……、あ、会いに来てくれて、ありがとう……」
「…………っ」

 僕の言葉に、誠は何か言いたそうにしていたけれど、僕は淡い期待を胸に秘めて、誠を見た。この後に及んでまだ、僕は縋っているのかもしれない。

「あの、ま、誠が許してくれるなら、なんだけど」
「…………何?」
「僕、まだ誠のこと、とっ、友達だって、おもっ、思ってても、いい、かな……っ!?」

 僕の夢。僕の友達。
 大好きな僕の。

 その言葉に、誠は小さく息を飲んだ。やっぱり、駄目かな。狐面に隠れて、表情は見えない。誠は、狐面をしていても僕のことはわかりやすいと言っていたけど、僕には、お面をつけている人の表情はわからない。
 誠は今、どんな顔をしているんだろう。何を考えているんだろう。
 いつもつけている自分のお面が、急に恨めしく思えた。
 こんなの、贅沢な要求だったかもしれない。けれど、諦めきれなくて、軽蔑されると思っていたのに、こうして話してくれるから、僕は。
 静かな空気の中、息を止めていたのかも知れない。
 やがて、誠は小さく頷いてくれた。

「……! ほ、ホント!?」
「ああ。つーか、許すも何も……お前のこと嫌いになったことはないけど……」
「…………っ!」

 その言葉に、じわじわと嬉しさがこみ上げてくる。あの時、もう終わりだと思った。死んじゃいたいとすら思った。軽蔑されて、近づくことすら許されないと思った。
 けれど、誠はやっぱり優しくて、僕は緩む頬を抑えられず、情けない笑みを見せた。

「………………あは……嬉し……僕、き、嫌われたと思って……よかっ……」
「…………っ」

 涙が溢れないように、ちょっとだけ目元を袖で拭うと、その言葉に、誠は唐突に間にあったテーブルにお面越しに頭を打ち付けた。ゴン、と鈍い音がして、僕は肩を飛び上がらせた。

「えっ!?」

 ど、どうしたの!?

「…………っあ゛〜〜〜〜〜〜〜〜………………」

 誠は低い声を上げながら、髪の毛をぐしゃぐしゃにかき回した。突然の奇行に、僕は目を丸くする。な、何か言ってはいけないことを言ってしまったんだろうか。慌てて行き場のない手で中をかいていると、突然、誠が顔を上げた。
 あ、お面の額、ちょっとヒビ入ってる……。けれど、そんなことを気にする余裕もなく、突然誠が声を上げた。

「誠、どうし……」
「やっぱ…………――だ……」
「えっ……?」
「……俺さあ、昔、大志と好きな奴が被ったことがあるんだ、確か小学生くらいの頃……」
「…………?」
「大志の好みはほら、あんなだから、滅多に被ることなんてないんだけど、あいつ、結構独占欲強いから、自分の好きな奴を他の奴も好きっていうの、大嫌いなんだよな。んで、俺と大志だったら、大体皆大志の方を選ぶ。あいつ、格好良いし」
「…………誠も格好良いよ」
「……。俺は、ガキだったし、乱暴だったし、その子のことだってちょっといいなって思ってたくらいで……。結局、あいつと争いになるのは嫌だったから、最後まで何も言わなかった」
「……あの、ごめん。突然なんの」
「つーか、言えなかった。大志にバレたくもなかったし」

 一体何の話をしているんだろう。
 誠の初恋の話だろうか、でも、突然どうしてそんな話を。

「でも、そもそもあいつに隠すのは無理なんだよな……そういうの絶対気づくんだよ、勘がいいから」
「…………」
「結局、その子はその後転校しちまったし、大志もそこまで執着してなかったらしいんだけど、だったら俺、後でやっぱ言っておくくらいはすればよかったかなーって。……でもそれすると、大志は怒りそうだし、結局怖じ気づいて、なんもできねえ。だからずっと、あいつと被んねえようにしてきた」
「…………」
「けど、永遠にこのままって訳にもいかないだろ。言わないまま後悔するのも嫌だから言っておこうと思って……」
「…………?」

 僕は静かに誠の話を聞いていた。誠が、何を言いたいのかはわからない。けど、真剣な声色から察するに大事な話の様な気がして、誠の話に耳を傾けていた。
 すると突然、誠はお面をつけたまま顔を上げ、僕へと向き直った。耳の端が、赤く染まっているのが見えた。

「…………悪い……! 俺っ、お前のこと友達だと思ってたし、今も、そう思うけど、実際はちょっと違うってわかった……友達だって、思えないかも」
「え…………」

 その言葉に、頭を殴られたような気分だった。
 なんだかんだ言って、ここまで来てくれたし、誠はまだ、僕の友達で居てくれるという、淡い期待を抱いていたからかもしれない。
 さっきも、頷いてくれたし。でも、そうだよね。いくら誠でも、あんなことをされたら、やっぱり、気持ち悪いだろうし、友達をやめたいと思うのも、当たり前の反応だ。大丈夫、わかっていたことだ。
 僕は、目を伏せて、唇を震わせた。

「ううん、いいんだ。しょうがないよね、……こ、困らせてごめ……」
「俺、お前のこと好きだ」
「…………………………………………え?」

 付けていた狐のお面を外すと、僕と同じくらい顔を赤くした誠の顔が現れた。
 いつも、クールで、怖面で、表情の変化がないわけじゃないけど、こんな表情を見るのは初めてだった。真っ赤になった誠が、真っ直ぐ見据えて僕に言う。

「だから! 好きなんだよ! お前が!」
「……………………」

 その言葉に、僕は理解が追いつかなかった。
 好き? 誠が僕を? いつの間にか、開いていた唇をはっとしたように引き締める。

「…………ぼ、僕も好きだけど……」
「言っとくけど、俺が言ってんのは、友達の好きじゃねえぞ」
「……………………あ」

 思ったことをそのまま口に出すと、真剣な眼差しと共に指摘された。じわじわと、顔が熱くなってくる。言われた言葉の意味を反芻して、かみ砕いて、飲み込もうと思うのに、上手く飲み込めなかった。
 好き?
 僕は、勿論、誠が好きだ。
 だって、誠は優しくて、格好良くて、きっと僕の理想の友達で、好きにならないはずがない。でもこれは、きっと友達の好きで。
 誠の好きは、友達の好きじゃない。
 頭の中に、疑問符ばかりが駆け巡る。どうしよう。どくどくと心臓が音を鳴らすと、勢いのまま口を開いた。

「正義、俺……」
「ま、誠は……っ」
「………………」
「なんで、僕の、どこが……僕……」

 逸る心臓を抑えながら、言葉を投げた。だってわからない。何もかもがわからなかった。僕のどこに、そんな風に思える要素があるんだろう。なんの取り柄もない。臆病で、口下手で、何もできない弱虫で、僕は、僕が嫌いなのに。どうして誠は僕のことを好きになってくれるんだ。
 僕は、誠のことを友達だと思う。
 だって、一緒に居ると楽しくて、対等に話が出来て、僕のことを笑わないで居てくれて、強くて格好良くて、僕には勿体ないくらいの人だ。僕を友達だって言ってくれた。
 でも……。
 『"友達"なら勃たないでしょ』
 一瞬、化野の声が頭の中で蘇り、びくりと肩が震える。
 これじゃ、化野の指摘した通りに思えてきて、頭を振る。
 誠は化野とは違う。実際、誠からこういうことを言われたら、と考えたこともあったけど、馬鹿な想像だと思って棄てた。だって、誠と僕は友達で、それを超える事はないと思っていたから。
 なのに。
 僕の問いかけに、誠はぶっきらぼうにぼそぼそと声を上げた。

「……最初は、変な奴って思ってたよ。変なお面つけてるし、大志に目ぇつけられて、好かれてかわいそーって感じで。でもなんつーか、……話してる内に、そこまで変じゃないっつか、むしろ中身は結構真面目だし、大志なんかよりよっぽど常識的っつーか」

 言いにくそうにしながらも、誠は僕のことを述べていく。

「クソ弱そうに見えんのに、意外と強い所とか、なんか妙なところで抜けてる所とか。話しかけるとちょっとはにかんだように笑うの、すげえ可愛いって思ったし」
「え……」
「遊園地ではしゃいでた時、あー、こいつ本当はこういう感じなんだろうなって思うと、嬉しかったし、一緒に居ると、楽しいし、お前が、…………大志にああいうことされてんのかって思うと、死ぬほどムカついて」
「………………」
「なんで俺、好きな奴に好きの一言も言わねえんだろって思って、それにもまたムカついて……。大志より気にすることがあるんじゃねえのって思ったりして」
「……誠……あの、ちょっと」
「つーか、お前がどう思ってんのか知らねえけど、俺、そんないい人じゃねえし、……多分、お前だから助けた。多分、割と早い段階で、お前のこと、好きだったんだと思う」
「わ、わかった、もういいよ」
「いやわかってねえだろ、まだある。並んだときお面から覗く耳が赤くなるのが好きだ。真面目に勉強してる横顔とか、綺麗にとってるノートも、頑張ってる所も好きだ。女子より髪の毛さらさらしててさわり心地がいいし、お前は恥ずかしいのかもしんねえけど、俺はお前の赤くなってる顔、可愛いと思う。一緒に居ると癒やされるし、自分より他人を優先させるところも、ミミズすら殺せない優しいところも、……ぜ、全部好きだ……っ」
「…………っ〜〜〜〜……!」
「あとは」
「も、もういいって!」

 誠の言葉に、僕は自分でも自覚するほどに真っ赤になっていた。顔どころじゃない。体全体が熱かった。
 風邪はもう治りかけだし、熱だって下がっていたはずなのに。でも、原因はわかっていて、わかっているからこそ、どうすればいいのかもわからなかった。
 だって、誠に好きだと言われた瞬間、僕は思ってしまったんだ。
 嬉しい、って。
 どんな好きでも良かった。僕は、誠に嫌われたくなくて、その好きが、友達じゃ無くても構わないと思ってしまったのかもしれない。
 だけど、誠の声を聞く度にドキドキして、好きだという言葉を耳にする度、心拍数が上がっていく。
 瞳の奥がぐるぐると渦巻いて、自分でも何を言えばいいのかわからなくなっていた。額に浮かぶ汗と共に、顔がどんどん熱くなる。
 僕は男で、誠も男で、僕は一応化野と恋人という立場にあるから、断らないといけないのに、誠に好きだと言われることが、すごく嬉しかったのだ。

「ぼ、僕……男……」
「いや今更か。知ってるよ。つーかお前が普通に女好きなのも知ってるし、俺だって女好きだよ」
「……なら、なんで」
「…………知らねえよ……、けど、好きだって思っちゃったんだから、しょうがねーだろ……っお前見てるとなんかこう、胸がざわざわすんだよ……っ!」

 真っ赤な顔で髪をかき乱され、心臓をぎゅうと掴まれたような気分だった。誠がこんな表情をするところは、僕も見たことは無くて、釣られて顔を赤くする。

「…………ぼ、僕、誠が思ってるような人間じゃない……あ、化野と、ああいうこと、するし……」
「…………だから、もうして欲しくねえんだって……」

 拗ねるように手のひらで顔を覆いながら、誠は、僕に狐面を返してきた。

「……お守りなんだろ」
「…………」

 僕は無言でそれを受け取って、つけようかと思ったけど、やめた。誠は、お面を取って告白してくれたのに、僕だけ言葉を返すときつけるだなんて、フェアじゃない気がしたから。
 赤い顔のまま、少しだけ目を伏せて、唇を開く。

「……僕は、誠のこと、と、友達だと思ってる……」
「…………」
「誠は格好良いし、強いし、優しいし、僕なんかには勿体ない友達だなって……思ってた、んだけど」
「…………そんな、大層なもんじゃねえだろ」
「大層なものだよ! 僕にとっては……っ」
「……悪い。やっぱ俺、気持ち悪いよな」

 少し落ち込んだように体を引く誠に、僕は腰を上げた。

「僕は、誠のことを気持ち悪いって思ったことなんてない! 好きって言って貰えて、う、嬉しかった……! 誠のことが好きだよ……!」

 その言葉に、誠はぐ、と真一文字に口を結んだ。
 そう、嬉しいんだ。誠に告白されたことも、好きだと言って貰った事も。
 化野の時は、無理だと思ったのに、どうしてだろう。
 友達じゃ無くなることも、恋人になることも、嫌だと思った。ずっとこのまま、変化すること無く安定していればいいと思っていたのに、誠に好きと言われると、胸の奥が熱くなって、嬉しいと返さずにはいられなかった。
 好きだ、という言葉は、すとんと僕の胸に落ち着いたのだ。

 本当は、僕も、誠の事が好きだったのかも知れない。でも。

「でも、僕、化野と付き合ってる、から」
「…………それは、お前の意思で?」
「…………」

 誠の言葉に、僕は何も言わずに、笑みを返した。

「だから……、不誠実な事は出来ない、ごめんね……」
「…………」

 そう、例え化野に何をされようとも、僕は化野のあの言葉に頷いて、まだ別れてもいない。
 そもそも、別れてもいいなら、付き合っていない。僕が化野と別れない、別れられないのは、それなりに理由があるからだ。別れたりしたら、どうなるかもわからない。誠だって、あの写真が流出したりしたら、退学になったりするかもしれない。
 そのことに誠は気づいているのか居ないのか、黙り込んだまま僕を見つめる。

「だから、えっと……その……」

 誠の気持ちは嬉しいし、僕も誠のことは好きだと思う。これが恋なのかは、よくわからないけど、化野の時とは違う気持ちが湧いてくるのも確かだった。
 でも、状況は変わっていないし、誠と付き合うことは出来ない。
 だから、断ろうと思ったのに、真っ直ぐに見つめられて、思わず目線を逸らした。

「……正義、俺、お前に言ったよな」
「……な、何を……?」
「助けて欲しかったら、すぐ言えって」
「…………」
「お前、本当に今大丈夫なのか? 本当に、俺はお前にとって、全然必要ないか」
「…………っ」

 誠の手が、僕の手を掴んだ。僕の手よりも一回り大きい、化野よりも無骨な手のひらは、熱い体温を残したまま僕の手を包み込む。誠のことが必要ないわけじゃない。でも、巻き込みたくもない。
 だから大丈夫、そう言おうとしたのに、言葉は上手く出て来ない。

「だ……」
「まあ」
「…………っ」
「俺はお前が好きだから、お前が大丈夫だっつっても、助けるけど」
「………………」

 え、と僕が呟いた瞬間、僕の視界が暗くなった。体を引っ張られ、抱きしめられた。
 耳元で、誠が呟く。

「つーか、もうここに来た時にもう決めてたんだわ! 悪いな!」
「え、あ」
「お前が死ぬほど嫌がってたらやめようって思ってたけど、お前死ぬほど嫌でも、俺のこと嫌いでもねえだろ」
「…………い、いやじゃ、ない……嬉しい……」
「よしっ」

 誠は僕を抱きしめたまま、小さく拳を握った。そんな聞き方されて、僕が誠のことを嫌いだなんて、言えるはずもない。
 じわ、と目頭が熱くなる。本当は、嫌いと言って、巻き込まないのが一番いいのかもしれない。だけど、そう言うには、誠の手の中は、あまりにも温かかった。
 抗いがたいほどに、心地よかったんだ。

「誠、僕は……」
「なあ、言えよ正義、助けて欲しいって。巻き込むとか、他人のこと考える前に、自分がどうしてほしいか言え、俺は覚悟決めたから、どうあっても俺の好きにするけど、お前の口から聞きたい」
「…………僕、は」

 口を開く。
 どうしたい。
 どうすればいい。
 巻き込みたくない。
 でも、ずっとこのままっていう訳にもいかない。
 助けてほしい。ううん、それよりも。
 僕よりもずっと早い、誠の心臓の音を聞きながら、ゆっくりと口を開いた。

「助けて、ほしい……」
「ま……っ」
「とは、言えない、けど」
「おい、お前な……っ!」
「でも、僕もこのままでいいって、思ってない。から、だから、誠……僕に、力を貸して欲しい」
「………………」

 誠の腕の中から抜け出して、今度は僕が誠を見つめた。
 例えばこれが少女漫画だったのなら、誠はきっとお姫様を助ける王子様なのかもしれない。助けられたお姫様は、王子様とハッピーエンドになるのかもしれない。
 でも、僕はお姫様ではないし、ただ助けられるだけのお姫様にもなれない。せいぜい、いいとこ村人Aとかのポジションだ。
 それにこれは漫画でもおとぎ話でもなんでもない、僕の人生だから、僕が自分の手で、切り拓いていかないといけない。
 すぅ、と息を吸い込んで、誠を見据える。怖かった。逆らうのも、これ以上失うのも怖かった。
 でも、誠が居れば大丈夫。

「僕に、協力してほしい、誠」
「………………あったりまえだろ」

 苦笑しながら、誠が僕の髪の毛をくしゃくしゃと乱しながら笑った。 僕もその時、あの日以来久しぶりに笑った気がした。




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