12

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 気がつけば、化野は僕の目の前に居て、僕を組み敷くように腹の上に座りこんでいた。僕は化野の下で、これから蛇に食べられる蛙のごとく、無様に転がっている。逃げなきゃ、と頭の中では思うのに、まずどうすればいいのかわからなかった。
 化野は、小波くん、と呼んでいた頃の、親しげな面はかなぐり捨て、僕を見下ろしてくる。

「ど、どいて……」
「嫌だけど? 人に頼んでばっかじゃなくて、たまには自分でどうにかしたら?」
「…………っ!」

 その言葉に、僕は力一杯手足を動かした。全力で暴れれば、なんとかなるかもしれないと思って。
 けれど、上から思い切り押さえつけられて、結局抜け出すことは叶わなかった。それどころか、元からここにあったものなのか、それとも化野が持ち込んだのか、どこからか取り出した結束バンドで僕の腕を縛り上げ、ソファ付近にあった柱へロープでくくった。
 手の行動が制限され、恐怖に血の気が引いていく。

「…………っ、な、何を……」
「いやー、もっかいやり直そうかなって」
「……やり、直……?」
「また失敗しちゃったし。っかしいなー、セイがいなけりゃ、もうちょっとうまく行ってたと思うんだけど」

 化野が、何を言いたいのかよくわからなかったけど、今の状況がまずいことだけはわかる。せめて、誰かに連絡が取れれば。
 鞄の中に入っている携帯電話は僕の場所からは遠い位置にある。せめて、ポケットにでも入れておけば良かった。誠と連絡が取れれば、きっと助けにきてくれるはずだ。
 しかし、そんな僕の考えを汲んだように、顎を掴まれ、無理矢理視線を合わせられた。

「正義ちゃん、何考えてる? 誰か待ってたりする? 誰も来ねえけど」
「…………なんで、こんなこと出来るんだよ、化野はおかしい……」
「こんなって? おかしいって?」
「だって、こんなの、普通じゃない……!」
「普通ってなによ」
「え……」
「正義ちゃんはさー、ことあるごとに普通普通言って、それに憧れてるみたいだけど、それは正義ちゃんの普通でしょ? その意見を俺に押しつけないでよ。俺にとってはコレがフツーなの。だから、コレは俺にとって当たり前」

 ね、と笑って、僕の頬を撫でてくる。後頭部に手のひらを移し、やわやわと耳たぶへ触れてきた。その手つきに、ぞくりとしたものを感じて、口を噤む。化野にとっては普通でも、僕にとっては普通じゃない。こんなことが、当たり前であってたまるかと思う。
 きっと僕たちは、永遠にわかりあえない。

「ま、そんな怖がんないでよ。逃げようとすっから捕まえただけで、お話しにきただけなんだし」
「…………」

 本当だろうか。本当に話をしたいだけなら、手を縛る必要はないと思う。僕の視線に、化野はケラケラと笑った。

「あ、その顔、疑ってる? やだなー、疑われると俺傷ついちゃうよ。繊細だから」
「……に、逃げない! から……手を解いてほしい……」
「うん、もちろん。お話が終わったらね」
「………………」

 解く気は無いようだった。
 化野は、鼻歌でも歌いそうな上機嫌っぷりで、僕を見つめていた。さっきから、執拗に耳を愛撫し、嬉しそうに口元を歪める。
 もう、触らないでほしかった。

「は、話は……」
「ああそうそう。話は戻るんだけど、正義ちゃんは、セイと俺に仲直りしてほしいんだっけ?」
「…………え?」
「別にいーよ。俺、セイが嫌いなわけでもないし。正義ちゃんがそうしてほしいって言うなら、聞いちゃうよ。やさしーから」

 ははは、と笑う化野に、僕は少しだけ目を輝かせた。ほんの少しだけ、希望を持ってしまった。
 誠が、西園と仲直りしたいと思っているかどうかは別として、僕が原因でこじれるのだけは嫌だったし、小学生時代からの幼馴染との友情を壊すのだって、嫌だった。

「本当?」
「うん、ほんとほんと。でも、一つ条件があるけど」
「…………条件?」
「俺、友達と好きな子被んのヤだから、正義ちゃんは俺の恋人になってよ。そしたら解決、ねっ」
「………………」

 ねっ。じゃない。
 どうして、そうなるんだろう。それじゃあ、振り出しに戻っただけだ。僕は、化野とは付き合わないって言ったのに、なんで、そうなるんだ。いや、ここは、ちゃんと断らないと。僕は目を伏せ、緩く首を横に振った。

「……ごめん……、化野とは、付き合えないよ……」
「あーそ、またフられちゃったよ」
「…………ごめん……」

 僕が断れば、割とあっさり化野は引く。冗談の様に言ってきたから、ひょっとすると冗談だったのかも知れない。一瞬そう思ったけれど、すぐに僕はその自分の考えを覆すことになる。
 化野は、陽気な笑みで首を横に振った。

「いやいや、気にしないでよ。俺、別に諦めるとか言ってねえし」
「え……」
「ところで正義ちゃん。俺と仲直りしない状況で、セイが登校してきたら、どうなると思う? 正義ちゃんはよくわかるよね、体験したんだから」
「そ、それは……」
「正義ちゃんは、俺の友達だから、いじめられないかもしれないけど、セイは違うかもね、セイの嫌いなもん、俺結構沢山知ってるよ」

 その言葉に、ぞっとする。
 僕のせいで、誠が僕と同じ目に遭う。想像するだけで嫌だった。僕がされる分には、構わない。誠が居るなら、耐えられる。でも、誠も同じとは限らない。それに、僕に誠を守れるだろうか?
 お前のせいだ、と頭の中で、かつての彼が僕をなじってくる気がした。

「正義ちゃんは、いやだよね。正義の男の子だもんね」
「あ……」
「だから、仲直りしてほしいっしょ?」
「………………化野が」
「なに?」
「……今までの事は、全部化野がやってたの……?」

 僕の呟きに、化野はケタケタと笑った。面白くて仕方が無いという様子に、僕は呆気にとられた。

「なんでだよ! はっ、ははははははっ、だからさー、俺は何もしてないってば! すっげー疑うな〜」
「だったらなんで!」
「ん?」
「なんで、誠が同じ目に遭うかも、なんて、言えるんだよ……」

 もし、化野が本当に何もしていないなら、そんな断言するように、僕と同じ目に遭うなんて言えないはずだ。

「なんもしてないよ? 俺はね」
「…………?」
「でも、俺以外はする訳じゃん」
「……どういう」

 勿体ぶった言い方に、僕が口を開こうとすると、その前に化野が口元を歪めた。

「正義ちゃん、知ってる? 人間ってさぁ、その人を支える細い線みたいのがあるんだよ」
「………………?」
「イメージなんだけど、ピアノ線みたいに、一本通ってて、ソレを弾けば簡単に揺れる。心も揺れるし、切れば壊れる」
「な、何言ってるのかよく……」
「その線っていうのは、例えば人には知られたくない秘密だったり、信頼だったり、恐怖だったり、愛情だったり、まあ色々なんだけど……、俺は人より多くその線を知ってる」
「………………」
「俺が、何を言いたいかわかる?」
「……わ、かんない……」
「そうだよね、正義ちゃん馬鹿だし、わかんねーか」
「……っ」
「あ、怒った? でも俺はそんなとこが可愛いと思ってるんだよ」
「何が、言いたいんだよ……っ!」
「だからぁ、その線を握ってれば、人なんて簡単に動くんだよ」

 わかんないかなあ、と化野は呟くけれど、全然わからない。化野が考えてることなんて、わかった試しがない。僕が押し黙ると、化野はどうでも良さそうに、僕の心臓へと手のひらを当てた。

「で、正義ちゃんの線はこれだと思ったんだよ」
「…………」
「セイのことが大切だっていうんなら、セイのこと見捨てらんないよな?」
「…………っ」

 化野の言ってることなんて、結局わからないけど、その線とやらが、他人にとって、触れられたくない部分というのは、なんとなく理解出来た。
 どうしてそんなものを、人より多く知っているのかわからないけど、自分は何もしてなくても、それを揺さぶって、自分の思い通りに出来るっていうことなのだとしたら……。僕は、僕に優しく接してくれたクラスメイト達を思い返して、ぞっとした。何が、何もしてない、なんだろう。直接手を加えることは無くても、それは何かしていることと同じじゃないか。
 普通は、そんなこと出来ないけど、化野は普通じゃない。僕の考える普通と、化野の考える普通は、イコールで繋がってはいないから。
 だからきっとそれは、化野にとっていつも「普通」にしていることなんだろう。
 化野がいつも弄っている携帯が、頭の中にちらついた。

「んじゃやり直し。もっかい聞くね、正義ちゃん。俺と恋人になろうよ。そうすれば、セイとも仲直りするし、正義ちゃんの心配事はなくなるわけでしょ? いいことしかないじゃーん」
「…………」

 別の心配事が産まれるのに、そういうことを、化野は考えないんだろうか。
 確かに、今ここで僕が頷けば、丸く収まるのかもしれない。化野は、僕とまた友達みたいに接してくれるし、誠も僕みたいな目に遭わなくて済む。
 化野が、どうしてこんなにも僕に執着してくるのかはわからないけど、頷いて、誠にも嘘をつけば……誰かに迷惑をかけることは……。

「…………っ」

 遊園地で見た誠の顔が、頭に浮かんできた。化野は、誠がいい奴ではないと言う。それは、ひょっとすると、僕が知らないだけで、本当の事なのかも知れない。だけど、僕は化野の知らない顔を知っている。
 嬉しそうにする顔や、楽しそう笑う声、優しさや、今まで知らなかったことを、知ることが出来た。それを裏切ることは、やっぱり出来ない。
 僕はゆるゆると首を振り、勇気を振り絞って口を開く。

「や、やだ…………」
「………………」
「ま、誠が僕と同じような目に遭ったら、今度は、ぼ、僕が助けるから……だから、化野の、言いなりには、ならない……っ」

 誰かに、敵意を向けるのは苦手だった。
 誰かと争うことはしたくなかった。
 井上は自分を平和主義者と言っていたけど、僕もきっとそうだと思う。人と争いたくない。波風なんて立てたくない。だって、それはとても大変なことだ。ただ、静かに、穏やかに暮らせればそれでいいと思ってしまうのは、仕方のない事だと思う。だから、井上の事を悪くは言わない。
 でも、ここで逃げたら、きっと僕は後悔する。
 平和主義と、ただ逃げることは、きっと別のことだと思うから。

「化野なんて、嫌いだ……っ」

 化野をきっと睨みつけると、化野は表情を無くした。

「…………あーあ、俺だけのだと思ってたのにナァ……」
 
 耳に触れ、以前ピアスを付けられた孔を親指で擦られた。

「…………っ」
「でも、ここは俺しか触れてないよね。正義ちゃん、ピアスつけないから、孔ふさがっちゃったけど」
「……っさ、触ん……」
「でも、また開ければいっか」
「っ!」

 ごそごそと自分の鞄を探り、ピアッサーを持つと、僕の右耳に押し当ててきた。いつかの衝撃が蘇ってきて、僕は震える。

「や、やめろよ……!」
「じゃ、付き合う?」
「…………っ、こんな、脅迫みたいなことしても……っ、誰も、化野のことなんて、好きにならないっ」
「いや、これは俺が単に開けたいだけだけど」

 ね、という声と共に、バヂンッ!!と大きな音がして、耳に衝撃が走った。

「あ゛っ〜〜〜〜〜……!!! あ゛、い゛っ、ぐぅ……――っあ…………っ」
「今度はちゃんとつけとけよ?」
「……っ……! ふっ……! はぁっ……ハ……っ」

 痛い。ぶつりと貫通する感覚。
 前に開けた時も思ったけど、突然襲ってくる痛みと熱に、僕の体が大きく跳ねた。今回は消毒もしなかった上に、心構えをする準備も無かった。じわじわと襲ってくる痛みに、汗を浮かべて目を瞑る。
 歯を食いしばって耐えていると、そんな僕のことは無視して化野は再びスマホを取り出した。

「そういえば、さっきの話に戻るんだけど」
「……はぁっ……、はっ……っ……っ」
「セイの線はなんだと思う?」
「…………、ま、誠、の……っ?」
「あいつさあ、中学の時、教師ボコボコにしたことあるんだよね。んで、停学くらってんの。ウケるっしょ」
「…………っ」
「それだけじゃなくてさ、他にも色々知ってるよ。あいつがしてきたこと。でも、俺はセイとは友達だから、言いふらしたりしないんだぁ。だって、言いふらされたら、すっげーセイは困るだろうから」

 化野の、言わんとしていることに、僕は震えた。さっき、ピアスを開けられた時よりも、恐ろしかった。カチカチと鳴る歯に、僕は首を横に振る。

「でも、もう友達じゃないから、言いふらすかも」
「化野……! なんでっ」
「はい、そんじゃあもっかいやり直し! 始めからね!」

 パンッ、と両手を叩き、明るい声色で、僕に微笑みかけてくる化野は、改まって、頬を赤く染めた。怖いよ、なんでこんなこと、当たり前みたいな顔して出来るんだよ。
 幼馴染なんでしょ? 友達なんでしょ? なんで、そんな事が言えるの。明るく振る舞ってくる化野が、怖くて怖くてたまらなかった。

「好きだよ正義ちゃん、だから、俺と恋人になって?」
「………………や、やだ……!」
「おっけ〜、んじゃ次ね!」

 スマホを操作して、化野はその画面を僕に見せつけてくる。そこには、少し幼い誠の姿があった。けれど、髪の毛は今よりもっと明るい色に染まっているし、近くには血まみれで倒れてる人が転がっていた。

「中学ん時の写真。こっちとか見てコレ、中坊のくせに、イキって酒飲んでんの」
「…………っ」
「バレたら退学よな?」
「…………あ、だし、の……」
「優しい正義ちゃんは、こんなの人に見せたくねぇよな? 大切なお友達のセイくんが、だーい好きなんだもんなぁ」
「…………」

 退学、という言葉に、体が震えた。
 僕に関わったりしなければ、化野はこんなことをしなかったのかも知れない。化野が見せてきたデータは、確かに僕の知らない誠の姿があった。中学生の時のものかもしれないけど、誠だとはっきりわかる。
 コレが出回ってしまえば、確かに、謹慎や停学なんかじゃ済まないのかもしれない。ドクドクと激しく鳴り響く心臓に、自分の呼吸音なのか、荒い息が響く。震え体に、ぎゅうと目をつむった。
 唇を震わせながら、化野に懇願する。

「その写真、消して……く、ください」
「ん?」
「僕のせいで、ま、誠に迷惑かけたくない……」
「はー……ぶっちゃけ、こういうのって画像に残しちゃったあいつ自身の責任だと思うけど、正義ちゃんは優しいから、そういうの考えないよね」
「…………っ」
「それじゃ、もっかい聞くよ。俺もあんまり気が長い方じゃねえから、今度は間違えんなよ?」

 優しい手つきで頭を撫でられ、化野は再び晴れやかな笑顔を見せてきた。

「好きだよ、正義ちゃん。だから俺と付き合って?」

 その質問には、最早、肯定以外の選択肢は残っていなかった。


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