10

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 深呼吸、深呼吸。
 土日が開ければ月曜日。
 風邪も全快して休む理由もなくなった僕は、当然学校に行かなければいけない。無駄に休めば心配もかけるし、家族にバレたくもなかった。
 いつもの様に、狐面を付けたまま、僕はドアの前で少しだけ立ち止まる。
 今日からしばらく西園は居ない。でも、西園が居なかった時だって、一人で耐えることは出来たし、大丈夫だ。それにずっと居ない訳じゃない。二週間くらいって言ってたし、それまで頑張れば良いだけだ。大丈夫大丈夫。
 すぅ、と息を吸い込みいざ、と決意を固める。
 机の上にゴミを散らしてあるパターンか、落書きか、それとも机自体がないか。どれでも想定の範囲内……! 最悪なのは、この間の写真が貼られてることだけど……。

「おい、小波何立ち止まってんだよ、通れないって」
「……えっ……」
「よ、おはよー」
「…………あ、おは、よ……」

 ぽん、と肩を叩かれ、振り向くと、そこには井上が立っていて、僕の横をすり抜けて教室に入っていった。今、僕に挨拶したよね?
 小波、って呼ばれたから、勘違いとかじゃないはずだ。
 ……井上から話しかけられたのは、初めてだったので、お面の中で目を丸くするが、確かにドアの前に立っているのは邪魔だったかもしれない。少しだけ震える体を奮い立たせ、固唾を飲んで教室に足を踏み入れる。

「…………っ」

 すると、信じられない出来事が起きた。

「あ、小波だ。おはー」
「よ、おはよ」
「ウィース」
「…………え? え……?」
「お前、後ろ髪跳ねてんぞー」
「あはは、小波くんかわいー」

 何、これ?
 そこには、つい先日までのどこか殺伐とした雰囲気は微塵もなかった。何故か、皆、僕を僕だと認識して、挨拶をしてくる。教室を間違えたかと思ってしまったくらいだ。
 一度も話したことがないクラスメイトに挨拶され、僕は曖昧に挨拶を返す。
 これは、流石に想定してなかった。
 ひょっとして、新たないじめなんだろうか。ドキドキしながら自分の席へ向かうと、そこでも、僕は自分の目を見張った。
 き、綺麗だ……! 何もされてない……!
 それが当たり前のはずなのに、連日机に何かしらされていたので、綺麗なままのことに驚いた。
 椅子を引いてみると、画鋲が散らばってることも、接着剤が塗りたくられていることもない。机の中にある教科書だって、そのままだ。
 それに、皆が、僕を遠巻きにしながらくすくす笑っていることもない。
 なんで? と頭に疑問符を浮かべながら席に着くと、化野が登校してきた。

「おはよ〜」
「お、大志おはよ」
「おはよー」
「おはよう」

 化野は、いつだって皆から人気だし、愛されている。だから、通りがかった人が化野に挨拶するのも、いつものことだ。
 けれど、手を振りながら、へらへらと笑って、僕の後ろの席までやってくると、僕にも当たり前のように挨拶してくるのは、いつものことじゃない。

「小波くん、おはよー」
「お、おはよう……」
「はは、髪の毛後ろ跳ねてるよー」
「ウチの櫛貸そっか?」
「お、貸して〜」
「えー、大志折りそう」
「折らねえよ! ゴリラか! うほっ、うほほっ」
「きゃははは! うける! 似てんだけど!」

 なんだろう、これ。
 目の前で起きている現象に目を見張る。だってこれじゃあ、まるで普通の友達みたいだ。
 なんで、突然こんなことになってるんだ? 混乱する僕をよそに、佐々木と井上が化野の近くに集まってきた。

「……はよ」
「う、うん、おはよう……」

 佐々木ですら、ぶっきらぼうに僕に挨拶してくる。今まで、佐々木の方からおはよう、なんて言って貰えたこと無かったのに。
 ただ、寝不足なんだろうか、佐々木の目の下に、うっすらと隈が出来ているのが見えた。井上が、近くの机によしかかりながら、僕に声を駆けてきた。

「小波、昨日何してた?」
「えっ?」
「なんかテレビとか見てた?」
「え、あ……」

 唐突に井上に話しかけられて、僕は戸惑う。
 だって、今まで井上に話しかけられた事なんて、全然なかったし。こんな世間話みたいなフリをされると思ってなかった。昨日は、前日の遊園地で遊び疲れてたから、一日寝たりごろごろしたりしてたんだけど……。
 しどろもどろになりながらも、見ていたテレビの事を答える。

「お、お笑い、見てた……」
「あー、O−1グランプリ? 俺も見てた、アレおもろいよなー」

 井上が僕に対して親しげに笑いかけてきたところ、初めて見た気がする……。あまりの変わりように呆然としていると、近くに居た化野も会話に入ってきた。

「あ、それ俺も見た〜。おにぎりマンの所超ヤバくなかった? 俺すげー好きなんだけど」
「ヤバかった! めっちゃ笑ったわ! 小波は誰か好きな芸人とかいる?」
「えっ、えーっと……、アンダッシュとか……」
「へー、佐々木と同じじゃん、佐々木も好きだったよな?」
「……あー、まあ」
「んじゃさあ、昨日のやつもよかったんじゃね〜?」

 なんて、会話がどんどん進んでいく。
 化野と井上が、適度なところで僕に会話を振るものだから、気がつけばまるで僕もこのグループの一員みたいに、輪になって雑談していた。
 一体、どうしたって言うんだろう。
 だって、井上とは、今まで全然話したことなんてなかったのに。芸人の話をしている内に、チャイムが鳴って、授業が始まってしまった。
 けれど、授業中、後ろから消しゴムが飛んできたり、変な手紙が回ってくることも無く、それどころか、たまに近くの(一度も話したことのない)クラスメイトに冗談をふられたりして、逆に怖くなって、普段よりもうまく話せなかった。
 だって、皆、急にどうしちゃったの? ついこの間まで、僕が話しかけても、無視してたのに。宇宙人にでも乗っ取られたのだと言われた方が、信じれたかもしれない。まるで、別の世界にでも来てしまったみたいだ。
 
 暢気なことを思えば、いじめがなくなったと考えるのが妥当かもしれないけど、そんな、突然なくなったりするかな。
 僕は後ろの化野に意識を集中させる。
 あの日、あの教室で僕に言った言葉を、僕はよく覚えている。
 『セイと喋らないなら、友達になろうよ』
 その言葉に、首を横に振ったはずだ。
 だって、誠と友達になれて嬉しいし、誰かと友達になるために友達をやめるなんて、おかしな話だと思うから。
 でも、化野は、まるで普通の友達の様に、僕に話しかけてくる。ひょっとしたら、僕と誠が話をしていないと勘違いしているのかもしれない。だって、僕と誠は、あの日以来一緒に学校に来ていないし。
 だとしたら誤解を解かないと。

「ねーねー、小波、消しゴムかして。忘れちゃったー」
「あ、う、うん……」

 話したことのない斜め前の女子に、突然消しゴムをねだられ、僕は自分の物を渡した。どうして、皆突然仲良くしてくれるんだろう。
 化野が、言ってくれたのかな。だから、皆あわせてる? いや、まさかね。いくらなんでも、それはおかしな話だと思う。
 だって、それじゃまるで……。
 まるで、この教室の支配者だ。
 考えた瞬間、ぞくりと悪寒めいたものを感じて、僕はその考えを棄却した。馬鹿なことは、考える物じゃ無いと思う。
 化野は確かに人気はあるけど、そんなことをするような人じゃないはずだ。
 ひょっとしたら、何かの勘違いとか、ただの前振りかもしれない。一度持ち上げて落とすとか、そういうやつ。
 期待しすぎると、後で悲しい思いをするかもしれない、と思いつつも、本当は、胸の奥で少しだけ期待してしまう僕がいた。
 だって、さっきのはまるで普通の、友達みたいな会話だった。当たり前で平凡な、僕が憧れた普通。

 でも、そこに誠の姿が見えないことだけが、悲しかった。

****

 授業が終わると、移動教室だ。いつもは一人で行くけれど、今日は、井上が次の授業の教科書をまとめる僕に声をかけてきた。

「小波ー、次視聴覚室だってさ」
「う、うん……」
「うわっ、お前それ自分の教科書? ボロボロだな。俺の使う?」
「いのうーは頭悪いから教科書見た方がいいっしょ〜」
「うっせー、お前に言われたくねぇ〜〜」
「……俺の使えば、どうせ俺使わないし」
「え? あり、がとう……」
「どうせ皆寝るしね〜」

 けらけらと笑いながら話す化野と井上に、いつもよりテンション低めの佐々木が、綺麗な教科書を貸してくれた。僕の教科書は確かにボロボロだったから、ありがたいと言えばありがたいけど……。

「な、なんで」
「ん?」
「なんで貸してくれるの……?」

 僕の、至極まっとうな質問に、どうしてか井上が笑って答えた。

「え? だって、俺ら友達じゃん」
「…………」
「なあ大志」
「うん、そうそう。友達になったもんね、小波くん」

 その笑みに、僕の背筋が冷えた。
 なんでだろう。コレはきっと、僕が憧れた普通だ。化野は、僕の望み通りのことをしてくれたのかもしれない。
 何気ない会話に、友達と送る学校生活。
 これは僕がやりたかった高校生活だと思うのに、素直に喜ぶ事が出来なかった。お面の奥で、瞳をきょどきょどと彷徨わせながら、何も言うことが出来ず、俯いて頭を下げた。

「ってか、チャイム鳴るし早く行こうぜ、小波ー」
「ヤマセン、寝るのは文句言わねえけど出席だけは絶対間違えんよな」「遅刻厳しいよな〜、大志もうリーチじゃん」
「リーチじゃねーし! ってか今日視聴覚室で何見んの?」
「映画だって」
「マジか、AV流してくんねーかな」
「ははは! いいね〜」
「俺寝るわ……」

 なんて、会話の中に、混ざっているようで全然混ざれない。周りに人は居るのに、僕だけ少し歩くのが遅れていく。その度に、井上や化野に、早く来いよ、なんて笑って声をかけられる。
 僕はどうしたらいいのかわからず、だけれど、足は再びグループの中へと入っていった。
 これが嘘でも仮初めでも、ほんの少しだけ、日常の中に、溶け込めそうな気がしてしまったのかもしれない。
 実際は、そんなうまいこといくわけもないのに。

****

 コレが、本当だったらいいのにな、と思う。
 今までのことは、全部なかったことにして、誠が謹慎からあけたらこの輪の中に入って、皆で、楽しそうに笑えたら、なんて、思うんだけど、それはきっと出来ないことなんだと思った。
 食事の時間、僕は当たり前のように化野達のグループに誘われ、お弁当を食べた。複数の誰かと一緒にお昼ご飯を食べる事なんて、初めてだった。化野と二人か、誠と二人で食べたことはあるけど、こうして教室内でグループで食べるのは初めてだ。
 お面を少しだけずらして食べる食事は食べづらかったけど、逃げられない空気があって、結局僕はそこでお昼を共にした。
 合間に繰り広げられる会話は、ごく普通の高校生みたいなものばかりで、楽しいと思うこともあったけど、何故かひっかかりを感じて、素直に楽しむことが出来なかった。

 ようやく、お弁当を食べ終わると、僕はトイレに行くという名目で、グループから抜けた。
 実際、トイレに行きたかった。
 個室に入って、一人で考えたいことがあったのだ。上から水をかけられたり、また誰かが覗き込んできたりしたらどうしようかと思ったけど、今日に限って言えば、僕の周りは僕に対して異様に好意的だった。
 化野と仲が良かった頃よりも、周囲の目が厳しくない。このお面だって、当たり前のものとして捉えられている。

「……はぁ……」

 トイレの個室に入り、立ち尽くす。
 化野達と、友達みたいに話すのは楽しいと思ったし、クラスの皆も、普通に声をかけてくれるし、きっとコレは僕の理想のはずなのに、どうしてこうも息苦しいんだろう。
 誠に、今日のことを話そうかな。とスマホを見てみると、ラインが届いていた。
 近所の野良猫か何かだろうか、猫と、誠が飼っている犬が仲良さそうに寝ている写真が送られてきていた。
 和んで口元を緩め、可愛いね、と送信したところで、こんこん、とトイレのドアがノックされる。

「…………」

 入ってます、というように、僕もノックをし返すと、ドアの奥から佐々木の声が聞こえてきた。

「小波か」
「…………あ」
「出て来なくてもいいから、そのまま聞けよ」
「…………」
「……俺、お前のこと嫌い」

 ぼそりと呟かれた言葉に、胸が痛まないわけでもない。誰かに嫌いと言われるのは、それなりに辛いから。
 けど、誰からも好かれる人間なんてきっとごく少数だし、佐々木が僕のことを嫌いだなんて、元から知っていたことだ。
 今更、はっきり宣言されなくてもわかっていたつもりなのに、今日はどうしてか、化野達にあわせるみたいに、僕とも仲良さそうに話してくれていた。
 何か、理由があるのかもしれない。
 ドア越しに、僕は佐々木へと話しかける。

「…………じゃあ、なんで、今日は僕と話してくれるの?」
「…………大志が、そうしたいって思ってるから」
「……化野が、なんで?」
「知らねえよ、知らねえけど、大志が友達って言うなら、仕方ないだろ」

 仕方ない、の意味はわからないけど、佐々木はなんだか焦っているように思えた。どん、と、ドアが向こう側から殴られたような音を立てる。くそ、と呟くような、佐々木の声が聞こえた。

「なんで、お前の……」
「…………佐々木?」
「お前が……! …………っ、お前のせいで、なんでにっしーがハブられなきゃなんねえんだよ……っ」
「え……」

 どういうこと、と聞こうとしたところで、やべ、という声がして、そのまま佐々木の足音が遠ざかっていく。誰かが来て、佐々木は去って行ったらしい。
 追いかけようと思って、トイレのドアを開けると、目の前に居た井上とぶつかりそうになった。

「おっと」
「…………っご、ごめんっ、それじゃ……」
「あー、いいって、行くな行くな」

 横を走り抜けようとした僕の腕を、井上が掴んで止める。なんで、止めるんだろう。おかしいといえば、井上もおかしい。だって、今まで喋ったこともなかったのに。

「な、なんで止めるの……」
「だって、お前も、変に物事荒立てたくないだろ?」
「は……?」
「俺はさ、平和主義者っていうか、ま、フツーに空気悪いの嫌いなんだよね。だから、今のままの方がマシっつーか。佐々木みたいに情に厚いわけでもないし?」
「…………」
「過ごしやすいだろ。だから、お前もこのままでいろよ。小波だって、あんな目に遭い続けるよりこっちの方がいいだろ」

 吐かれた言葉に、理解が追いつかない。
 井上は、何を言っているんだろう。佐々木は、誠がハブられると言っていた。僕のせい? 僕と一緒に居たことで、誠が皆から無視されるのは、わかっていた。でも、それは僕も一緒に無視されてたから、申し訳ないと思いながらも、受け入れていた。
 確かに、僕の状況からすれば、井上の言うとおり、今の方が、前よりもいい環境なのかもしれない。でも、誠が無視されたりするのは全然よくない。
 どうして、僕だけこのままの状態でいいと思えるんだよ。
 化野が、そうしたいと思ってるから、ってどういうこと? そんなの、全然よくない。
 体がにわかに震える。それが、怒りなのか、恐怖によるものなのか、わからない。ただ、得体の知れない感情に、僕の体は突き動かされる。井上の手を振り払い、歩き出す。

「あ、おい……っ」

 確かに、僕はこういう風になりたいと思ってた。
 友達と、普通の会話をして、過ごす日常に憧れてた。でも、きっとこれは違う。だって、内心楽しくないと思ってる。
 表面上は笑っていても、心の中ではきっと笑っていない。そんなの、僕は望まない。
 それを、化野に言わないと。

「どこ行くんだよ、小波」
「……僕は、……抜ける。……こんなのは、違うと思うし」
「…………あっそ。別にいーけど、後悔してもしらねーぞ」

 井上は、諦めたのか、あるいは、僕の答えなんて最初からどうでもよかったかのか、そのまま立ち去っていった。
 少しの間だったけど、貴重な体験は出来たと思う。でも、コレは僕の望む形じゃない。
 僕は、スマホを取り出して、化野にラインを送る。
 【二人で話したいことがある】
 誰も、そうだとは言っていない。でも僕の中で、ひしひしと感じるものがあった。
 口に出して、どうこうという訳では無いけれど、逆に、こんなことが出来そうな人を探す方が難しい。送ったメッセージはすぐに既読となり、ぴこん、と小気味よい音を立てた。
 【いいよー、放課後に校舎裏で待ち合わせしよ(^^)】
 なんて、返答が来る。可愛らしい絵文字をつけて、ちょっとふざけた空気感を出してきた。
 でも、別に嫌みというわけでもない。化野には、そういう空気があった。思えば、最初からそうだったのかもしれない。
 彼が、言えば、クラスの雰囲気は変わるし、明るくも暗くもなる。
 陽気で華やか、ムードメーカーだし、人気者だし、それに。

 化野大志は、クラスの王様だから。



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