大志は、昔から変な物にはまりやすい奴だった。

 幼なじみの俺だから言えることだけど、あいつは非常に馬鹿で、それと同時に、怖い奴だ。

 一番最初に、俺が「こいつやばい」と思ったのは、小学生の時だった。初めて大志と同じクラスになった時の話。その頃から大志は顔も良くて、足も速いし、面白くて、女子たちから人気があった。
 俺はなんだこいつ、って最初はむかついてたけど、話してみると面白かったし、一緒にいると楽しかったから、それからしょっちゅう遊ぶようになった。でも、一緒にいるうちに気づいたのが、大志の好きな物は、変わっているのが多いということだった。
 ゲームでは、人気のないモンスターやキャラクターを偏愛する。給食では、人気のないメニューが好物。そして、他の人がそのキャラクターやメニューを選ぶと嫌がるのだ。まあ、あんまり選ぶ奴なんていなかったけど、なんでそれを選ぶ? って奴ばかり選択する。
 要するに、ちょっと変わった奴だった。
 
 ところで、当時俺たちのクラスでは、何故かビー玉を集めるのが流行っていた。そのブームも、一瞬で廃れてしまったけど、小学生の教室なんて、何が流行るかわからないもんだ。
 一番綺麗なビー玉を持ってきた奴が勝ち、みたいな、小学生特有の謎ルールが教室内に蔓延していた。ご多聞に漏れず、俺も大志も、ビー玉を教室に持ってきた。
 小学生だし、皆我先にと、買って貰ったり、集めたりしたビー玉を、放課後机の上に並べた。そんな中、大志はにこにこしながら、微妙なビー玉を、得意げに俺たちの前に晒した。
 今でもよく覚えている。
 透明のガラスの中に、青い模様が入った、何の変哲もないビー玉。いや、むしろ、失敗作だったのか、中の模様が歪だった気もする。けど、大志はそれが自分の中でお気に入りだったんだと思う。
 いいだろう、と言わんばかりに、嬉しそうに俺たちの前に見せびらかした。大きくもなければ、綺麗でもない。当時、俺たちは微妙だなと思ったはずだけど、子供でもある程度の空気は読む。
 ましてや大志は人気者だった。そんな奴が持ってきたビー玉は、それだけで価値が上がるのだ。みんな当たり障りのないコメントをしながら、大志のビー玉を褒めた。大志くんの奴いいなあ、かっこいいなあ。大志くんのビー玉、綺麗だね、なんて。多分気に入られたくて言ってる奴も居ただろう。

 しかし、空気を読まない奴なんて、いつの時代もどこにだっているもんだ。
 クラスの一人が、大志のビー玉を思いきり馬鹿にした。
 何だそのだせえビー玉、俺のビー玉の方がでかいし綺麗だし、そんな気持ち悪いビー玉捨てちまえよ、と罵倒し、あまつさえ大志のビー玉を奪って口に入れた。すぐに吐き出したけど、当然そいつは女子からも男子からも避難轟々だった。
 そいつは、自分の持ってきたビー玉が注目されないもんだから、腹が立ってやっただけだったんだろうが、大志はその場で怒ることはなく、にこにこと笑っていて、女子に「大志くん可哀想」なんて言われてた。
 俺は、その当時、こいつって何言われても怒らない、いい奴なんだなあ、なんて、暢気に思っていて、今考えると、とても、馬鹿な勘違いだったと思う。

 翌日、そいつのビー玉が粉々になって、鞄の中で発見された。
 皆、同情はしなかったけれど、大志だけは、笑いながら、そいつに声をかけていたのを、俺は知っている。
 他の奴には聞こえなかったかもしれないけど、近くにいた俺にだけは、聞こえていた。そうだよ、あいつ、自慢のビー玉が割れて半泣きの奴に向かって、こう言ったんだよ。
「壊れちゃったの? ざまあみろ、でもあれ綺麗じゃなかったし、そっちの方が似合ってるよ」って。そいつの手に握らせて言ったんだよ。超怖えよ。
 ビー玉なんて、ガラスなんだから、危ないのに、あいつはそれをわかっててやったし、言ったんだろう。無惨にも粉々になったガラスの欠片を、嬉しそうに見つめていた。というか、多分割ったのもあいつなんじゃないかと思う。それから、聞こえてしまった俺に気づいたんだろう。大志は、俺に向かって、笑顔で口元に一本指を立てた。

 これはやばい、とは思ったけど、何の因果か、結局俺は高校まで大志と一緒にいる。腐れ縁という奴かもしれない。そこがなければ、一緒にいると楽しいってのも、原因かも。
 ともかく、大志は変な奴だ。そんでもって、変な物にはまりやすく、それを馬鹿にする奴は許さないし、取る奴も汚すやつも、絶対に報復もする。されたことは、きっと一生忘れない。
 普段話してる分には、面白くていい奴なんだけど、ふとしたことがきっかけでスイッチが入ってしまう。
 俺は、今までそのスイッチは踏まないように、あいつと付き合ってきた。スイッチを押したら、やばいとわかっているから。
 そして、そんな大志が、最近お気に入りの物がある。それが、あれだ。

「ね〜、正義ちゃん。今度一緒にどっか遊びにいこ。あ、なんなら俺んちでもいいよ」
「…………」

 視界に映るのは、教室の隅に座る小波と、それに話しかける大志だ。なんて事のない日常風景だけど、そこに小道具が一つ加わると、なんとも微妙な光景になる。
 小波の顔には、狐の面。大志の顔には、ひょっとこのお面が張り付いている。お互い素顔を見せずに話している光景は、なんとも奇妙なものだった。
 いや、話しているのは大志だけで、小波はただ頷いたり首を振っているだけだ。そもそも、小波が声を発したところを、俺は聞いたことがない。

「毎度毎度、飽きねーよな大志も」

 近くに座っていた佐々木が呆れたように愚痴を零す。最近、大志が構ってくれないからつまらないのかもしれない。こいつ、大志大好きだしな。
 椅子を傾けながら俺に同意を求めてくる佐々木に対して、曖昧に頷いた。
 小波正義は、クラスメイトだ。
 入学初日から顔に狐の面をつけてくるというファンキーな真似をしていたが、その実性格や行動は大人しいので、あっと言う間にクラスの連中からなめられた。どう考えても、間違った高校デビューを果たしてる。
 行動力はあるけど、それに中身が伴わない、なんか痛い奴、みたいな認識。
 あいつがもっとお喋りだったり、面白かったら、こんなことにはならなかっただろう。大志みたいに。
 普通、そういう輪からはみ出た弱そうな奴は、周りからいじられたり、いじめられたりされそうだけど、そうならないのは、多分カリスマ溢れる大志に気に入られているからだと思う。じゃなきゃ、この学校ではあっという間に財布コースだ。

「正義ちゃん、今日一緒に帰ろーよ」
「…………」
「えー、なんで駄目なの?」
「…………」
「委員会? いいよ、さぼっちゃえさぼっちゃえ、どうせほとんど出ないって」

 視界の端で、大志が小波を誑かしている。
 端から見ても、大志の小波に対する執着はわかりやすい。だから、誰も小波をいじめないんだろう。からかうことはあっても、本気じゃない。
 最初に大志が小波を見た時、すげーキラキラした目をしてたのを、俺は今でも覚えている。その後、お面を被るようになったので、大概わかりやすい。
 ああ、やばいな、と思ったと同時に、小波には少し同情したものだ。
 昔から、変な物にはまりやすいとは思ってたけど、今度はこいつか、とも。
 何がそんなにいいのかわからないと、周りの奴らは言うが、俺は逆に大志らしいと思う。

「あー、つまんね。小波くんでもいじめちゃう?」
「やめとけって、大志怒るぞ」
「そうそう、今野みたいにぼこられっから」

 冗談めかして言う佐々木に対して、近くにいた井上が窘めた。
 そう、やめといた方がいい。それが賢明な判断だ。
 大志が気に入ってる物に対して横やりを入れると、碌なことにならない。それを佐々木もわかっているのか、つまらなそうに口を尖らせた。俺らグループのメンバーは全員知っている。大志を怒らせるとやばいということ。
 今野ってのは、以前小波に対して、ちょっとやりすぎたやつだ。元々、空気の読めない奴ではあったけど、笑ってすまされない、冗談ではすまされないことを、小波にした。俺らもちょっと引いた。
 だから、大志にぼこられたんだろう。翌日、痛々しい姿で登校してきた今野を見て、クラスの奴らは、ますます小波から遠ざかった。皆、あれを知ってるから、小波に手を出さない。

「ふられちった〜」

 そうこうしている内に、大志が戻ってきた。いつものことだ。よく小波のところに行って、一方的に話して、俺たちのところに帰ってくる。何が楽しいんだか。
 佐々木が笑いながらホモダチなのに可哀想、とかからかっていたが、大志はくねくねして恋する乙女なの、と茶化し返す。これも、いつもの光景。周りの奴らが、馬鹿みたいに笑ってる。俺も、へらへらと笑った。
 結局この立ち位置が、一番居心地がいいんだ。

「…………」

 それにしても、小波は、大志のことをどう思ってんだろう。あいつも結構謎なやつだから、よくわからないんだよ。そもそもあいつ喋ることってあんのか?
 ちらりと小波へ目をやると、偶然俺らを見ていたらしい。面越しに目が合い、小波の方から慌てて逸らした。
 大志を見てたのか? 本で顔を隠すようにして、その後こちらを向こうとはしなかった。よくわかんねーやつ。


****


 それから何日後の話だ、俺は何の因果か、小波の隣に座っていた。

 理由は、ただの席替え。
 俺は寝やすい位置がよかったんだけど、そこは大志に取られちまった。運がいいやつ、と思ったけど、大志は小波の隣の方がよかったみたいだ。散々羨ましがられて変わってくれと強請られたけど、ここで甘やかすとこいつの為にならないだろうと、俺は幼なじみというよりもお母さんみたいな気持ちで断った。最後まで大志は文句を言っていたが、どうせ遠ざかるのも今だけだ。
 よろしく、と言った俺に、小波は戸惑った様に頷いた。

 大志のお気に入り。

 その単語だけで、小波に近づきたいとは思わなかったけど、ぶっちゃけ、少しだけ興味もあったんだ。あまりにも大志が嬉しそうに小波のことを話すから、どういう奴なんだろうって。実際は、無口すぎて会話すら成立しないけど。それでも、こっちが話しかければ反応はしてくれる。置物みたいに突っ立ってるわけでもない。

 そして、近くにいる内に、一つ気づいたことがある。
 小波は、普通に頭がいいってこと。
 というか、俺らが馬鹿すぎるのかもしれない。県内でも有名な馬鹿高校で、まじめに勉強している奴なんて数えるくらいしかいない学校だ。他の高校受かんねーから、ここに来た、みたいな奴ばっか。
 そんな中、小波みたいに真面目に授業を受けて、真面目にノート取って、真面目に勉強する奴は結構稀だと思う。授業中なんて皆遊んでるか、ゲームしてるか、喋ってるか寝てるかだし。
 狐面さえつけてなければ、きっと小波は普通に真面目で、模範的な生徒だったんじゃないだろうか。俺がじっと小波を見ていると、俺の視線に気づいたんだろう。耳を赤くして、ノートへと視線を落とした。
 小波は狐面をしているから、自分の表情はばれないとか思ってるかもしれないけど、傍から見ると、相当分かりやすい。元来照れやすいのか、すぐに赤くなる。それは面からはみ出た耳を見ればすぐわかることだった。
 あと、なんだかんだ言っていい奴なんだろう。
 授業中に俺が教師の説明に対して「あいつ何言ってるかわかんなくね?」とか聞くと、ノートに書いて教えてくれる。しかも、結構わかりやすい。
 俺の冗談にも、すぐに笑ってくれる、ように見える。つまり、狐の面をつけてるから変な奴に見られがちだけど、中身は結構普通だ。
 そう思うと、俺はなんだか安心した。大志が気に入るなんて、どんな変態だと思ったけど、思っていたよりもずっと常識的で、拍子抜け。

「小波、今日委員会あるらしいけど、行くの?」
「…………」

 授業中、俺が話しかけると、小波は小さく頷いた。
 委員会の役員なんて、最初は決めるけど、ほとんどの奴が行かなかったり、さぼったりする。
 だから、最初に決める時、なるべく行ってくれそうな奴を選ぶのだ。小波なんて、おとなしいというよりは何も言わないから、勝手に美化委員にされていた。俺は、ジャンケンに負けた末の図書委員。といっても、俺はすぐさぼるから委員会会議なんて行ったことないけど。
 小波は真面目に毎回行ってるのかもしれない。

「ふーん、俺も行こっかな。一緒に行く?」
「!」

 小波は、一瞬狼狽えた後、何度か首を縦に振った。
 迷惑だったかもしれない。行動はわかりやすいけど、顔が見えない分いまいち、何を考えているのかわかりにくい。

「いや、やならいーけど」
「……!」

 ぶんぶんと、首を横に振る。
 狐面がはずれるんじゃないかという勢いだったけど、結構がっちり固定されているらしく、少しのずれもなかった。その仕草が、なんというか、小型犬みたいに見えた。ほら、俺、犬好きだし。
 そういえば、なんというか、狐というよりも犬っぽいなあ。なんて、少し和んでいると、後ろから頭を掴まれた。

「うわっ!?」
「せーいー、何俺抜きで正義ちゃんと話してんの〜」

 背後で、大志が笑いながら俺の頭を両手でロックして、締めあげてくる。地味に痛い。何気に力いれてないかこいつ?
 俺の名前を呼びながら、さらに力を込める。いつの間にか、授業は終わっていたらしい。まあ、もう終盤だったし、これが終われば放課後だしな。
 
「いでえ! 離せよ大志!」
「は〜〜あ、これが寝取られかー」
「なんだよ大志、男の嫉妬は見苦しいぞ」
「うわっ、セイが反抗期! ママ悲しい〜」

 冗談を飛ばしながら振り向くと、おかめの面をつけた大志が、大げさに嘆いていた。

「きもっ、何そのお面」
「えーんえーん」
「うぜー」

 泣き真似をする大志を笑っていると、挙動不審になっている小波の方に、大志が詰め寄る。

「まあこんな冷たいセイはほっといてー、正義ちゃん、今日俺と帰ろうよ。この間の続きしよ」
「…………っ」
「今日委員会だっての」
「えー、サボろうぜ〜」
「小波は真面目だから無理だろ」

 この間の続きってなんだろう、と思いつつも、助け船を出してやると、小波も同意したように何度か頷いていた。焦ったように、数回頷く。つまり、一緒に帰りたくないんだろう。大志ってば嫌われてんのか? そうは思うが、いつも小波は、大志とそれなりに楽しそうに話している。
 大志は面白くなさそうに口を尖らせたけど、基本的に、小波が嫌がるようなことはしないらしい。
 ふてぶてしく「わかった」と了承しながら、明日の約束を取り付けていた。どこまでも肉食系なやつ。つーか、どこまで本気なんだ。

 困ったように頷いている小波を見て、こいつ大丈夫かなと、密かに思った。

****



 委員会を終えると、俺と小波は並んで廊下を歩いていた。
 なんとなく、一緒に来たし、まあ、一緒に帰るか? みたいな。小波がどう思ってんのか知らねえけど、ついてくるって事は別にいやがってはいないって事だろう。
 実際、委員会っていっても、内申点狙いの三年生か、この学校には珍しい真面目な奴がちょっとしか集まってなくて、ほとんど教師が進めていた。小波も、来てはいるものの、喋らないから意見も出さないし、ただ資料をまとめて文書を提出しただけだ。
 なんというか、俺の方がまだまともに会議に参加していたと思う。委員会自体は退屈だったけど、小波に関しては、傍から見てると、結構面白かった。顔は隠れていても、仕草は分かりやすいのだ。
 ただ、言いたいことがあるならはっきり言えばいいのにと思う場面もいくつかあって、いらいらしたことも事実だ。今だって、俺が話しかけてもはいかいいえを、頷くか首を振るかでしか返さない。

「あー、すげー久々に委員会出た。あれやる意味あんのかね? 美化清掃とか誰も真面目にやんなくね?」
「…………」
「まー、小波は真面目にやんのか。つーかお前、なんでそれ被ってんの? なんか意味あるん?」
「…………」

 誰もが気になっていることを指摘すると、小波は困ったように首を傾げていた。狐面の奥で、困った笑みでも浮かべていそうだ。
 なんだそれ。自分でもつけてる意味がわからないとでも言いたいんだろうか。本当に、謎な奴。

「大志も、なんでお前と友達やってんだろうなー」

 言った瞬間、小波の足が止まる。
 やべ、ちょっと言い過ぎた?
 小波は友達少ないし、大志の事を友達と思ってるなら、今の発言は失言だったかもしれない。慌てて取り繕うように振り返る。

「いや、悪い意味じゃなくて。ほら、なんかタイプちげえじゃん? 大志はお前のこと大好きみたいだけど。もう友達の域越えてんじゃね? みたいなさあ、はは」

 無理矢理笑ってみたが、その言葉に、ますます小波がびくついた。え、何? 俺またなんか地雷でも踏んじゃった?
 しばらく、居たたまれない沈黙が続いたが、やがて小波が何か言いたげに顔を上げた。息を飲むような音が聞こえた。

「え、なに?」
「…………」

 こっちから問いかけてみたものの、小波はなにも言わない。いい渋るというか、言いにくいのか。手を握ったり開いたりしながら、どうしようか悩んでいる様だった。
 しかしすぐに、諦めたように首を横に振った。なんだよ、言いたいことがあるならはっきり言え。
 普段だったらスルーできるんだけど、何故かその時は無性に苛ついて、俺は肩を掴んだ。

「何だよ、言えよ」
「…………っ」

 別に、いじめている訳じゃないんだけど、傍から見りゃいじめに見えるのか? これ。小波は、狐面さえ被ってなけりゃ、真面目な生徒だ。
 対して、俺は髪染めていかにもちゃらちゃらしてますって感じの馬鹿生徒。教師に見られたらなんか言われるかもしれない。
 背だって俺の方が高いし、体格も、まあ、こっちのが上。多分喧嘩したら余裕で俺が勝つだろう。小波は人付き合いが苦手っぽいタイプだと思うけど、いつまでもそれじゃ仕方ないだろう。迷ったように逡巡している小波に対して、それよりもこの場面を大志に見られたらやばいかもな、なんて心のどこかで思った。

「…………」
「おまえって、本当喋んねーのな」
「………………。…………あの…………すみません」
「え」

 喋った。
 なんか、思ってたよりも結構あっさり、言葉を発した。こんな風に喋ることを強要しておいてなんだけど、喋らないと思っていたから、拍子抜けだ。しかも、腰が低い。一番最初がすみませんって。
 目を丸くしていると、狼狽えたように、小波が口を開く。

「き、聞きたいことがあって……」
「えっ、ああ、うん、聞きたいことな。おう、聞く。聞くし。何?」

 俺もちょっと動揺して、どもってしまう。うおー、なんか感動。こいつの声聞いた奴って、ほかにいんのか。いなくね? すごくね? 俺。
 内心ドキドキしている俺に対して、小波は言葉を続ける。

「に、西園は、あの、化野と……」
「大志?」
「その……」

 言いにくそうに、小波が俯く。
 しかし、こいつって口利けたんだな。あまりにも喋らないもんだから、口が利けないか、声にものすごコンプレックスでもあんのかと思ってた。けど、なんてことない、至ってまともな声だ。ちょっとぼそぼそしているけど、聞こえない訳でもない。てかこいつ、俺の名前知ってたんだ。一応クラスメイトだし、知ってるよなそりゃ。でも、呼ばれたことなかったし、なんか謎の感動を覚える。
 大志の事は化野って呼んでんだ。皆名前で呼んでるから、なんか変な感じ。

「大志がなに?」
「かがっ、あ……準備室で、いや、友達同士は、その……」
「なんて?」

 非常に言いにくそうに、仮面の下でもごもご喋られると、なにを言ってるかわからない。思わず聞き返すと、びくりと身を縮めた。いや、いじめてるわけじゃねえのに、なんでそんな怖がるんだよ。俺、そんな怖い?
 つるんでる奴は結構怖い奴もいるし、俺もチャラチャラしてる方かもとは思うけど、同じ男にそこまで怖がられる存在じゃねえと思うんだけど。まあ、顔は結構怖いって言われるけど。
 で、友達同士がなんだって?
 もう少し詳しく聞こうと思ったところで、不意に、後ろから声が投げかけられた。

「やほーーん!」
「うおっ」
「っ!」

 がしっと、背後から俺と小波両方の肩に手を回された。振り返らなくても、声でわかる。大志だ。もう四時すぎてんのに、まだ残ってたのかこいつ。
 振り返らずに答えた。

「あっぶねーな大志、こけたらどうする」
「お姫様だっこで運んでやるよ」
「俺を? 俺の方が背たけーのに?」
「セイを? なんで? 正義ちゃんだけに決まってるじゃん」

 けらけら笑う声が後ろから響く。振り返ると、大志は般若の面を着けていた。逆光で影になっていて、ちょっとびびる。

「うわ、お前今日こえー面つけてんな」
「ニューフェイス! つーかそれより正義ちゃん、一緒に帰ろって言ったじゃん? 俺待ってたのよ」

 声を弾ませながら、大志が小波の背中をばしばしと叩いた。それによろけながら、小波が視線を彷徨わせた。何きょろきょろしてんだ? あいつ。
 つーか、この時間まで待ってたのかよ大志は。暇人か。呆れていると、大志が小波を引っ張って、廊下の奥へと歩いていく。

「じゃーねセイ。俺ら帰るから」
「おい、玄関そっちじゃねーぞ。つーか俺も一緒に帰るよ」
「セイは駄目、俺らやることあっから。ねー」

 女の子みたいに可愛い声を出して小波に声をかける。小波は、どうすればいいか迷っているようだった。

「困ってるくね?」
「うるさ。いいんだよ。じゃあのう〜」

 ひらひらと手を振って、大志は小波の手を引いて歩いていった。一人残された俺は、ぽつんとその場に立ち尽くす。ええー、お前、幼なじみ相手に結構ひどいな。
 いや、大志がお気に入りを一番に優先するのは昔からだから、今更何も思わないけど、あいつら、どこ行くんだ? くどいようだけど、そっち側は玄関じゃない。玄関に行くにしても、遠回りすぎる。資料室や図書館、科学室がある方向だ。そっちに何か用事でもあるんだろうか。

 そこで、ピンと来てしまった。
 ……そういやさっき小波の奴、かがっ、準備室、とか言ってたか? かがってなんだろって思ったけど、もしかして科学準備室の事だろうか。
 そこで、なんとなく、いやな予感が胸をよぎった。
 自分の中で沸き上がったバカな考えを否定するように首を振る。
 真面目な小波は知らないかもしれないけど、科学準備室は、穴場だと、俺らの間で結構有名な場所だった。何って、学校内でエッチするのに。
 こんな底辺高校で、教師も放任主義、さぼりたい放題。なら、学校内でスリル味わいたくてセックスする奴もいるだろう。そこで、科学準備室は絶好の場所だった。
 人が来なくて、静かで、鍵もかけられて、教師だって滅多にこない。
 小波、さっき準備室の後、なんつってたっけ? 友達同士で、何?

「…………まさかな?」

 大志に手を握られて引きずられていく小波の光景を思い出す。いや、まさかな。だって大志、女好きだったと思うし。前につきあってた彼女も、変わってたけど、性別は実際女だったし。男なんだからそりゃ下ネタだって話すよ。あの女のまんこ臭かったとか、あいつマジおっぱいでかかったとか。大志だって、普通に話してたじゃん?
 それを、今は小波相手に? いや、ないない、だってあいつ男だし。でも、心のどこかで、それを否定できない自分がいた。小波の表情が読めないように、大志の行動も、読めないところがある。

「…………えー」

 違うよな? 単純に人形みたいな感じで気に入ってんだよな? 疑問が頭をもたげるが、あの気に入りようだと、それも微妙に思えてくる。
 いつだったか。中学の時? あいつ、水泳やってたんだよな。その時、一人の男の話延々としてたっけ。その時こいつもしかしてホモか? って思ったけど、その時も普通に女とつきあってたし。
 いや、でも前に小波のどこが好きかって聞いたら、体って言ってたような……いや、いやいやいや。
 頭の中で、嫌な想像ばかりが浮かんでくる。なんだか、非常にもやもやする。廊下には、すでに大志と小波の姿はない。俺は固唾を飲みこみ、玄関ではなく、あいつらが向かった方向へと足を向けた。
 自分のこの考えが、勘違いだったと証明したいんだ。そうすりゃ、安心して帰れるし、夜だってぐっすり眠れる。嫌だよ俺は、幼なじみがクラスの男と出来てるとか。だから、どうかこの想像が、間違いでありますように。
 そう思って、人のいなくなった廊下を歩き始めた。


****




 だけど、現実はいつだって俺を裏切る。それも、とても嫌な方向に。

「あ、ぅ……っ」
「しぃー、……正義ちゃん、声、聞こえちゃうよ」
「っ……う……」

 今目の前で起こっていることが、うまく理解できない。
 認識できない訳じゃない。ただ、認めたくないだけだ。本当に、想像が当たるだなんて、正直思ってなかった。否定しきれないといっても、心のどこかで、そんな馬鹿なことあるものかと笑う、常識的な俺がいたから。でも、実際は、想像を遙かに越えていた。ここまでしてるとは思ってなかった。せいぜい、キスくらいだったら、まだダメージが少なかったのに。
 こんなことなら、結局見あたらなくて帰った方がいくらかマシだった。
 大志の下に組み敷かれている小波を見て、俺は頭を抱える。

 科学準備室は、セックスするのに超穴場。
 それは、俺らの間では有名だ。けれど、科学準備室は、鍵をかけることが可能なので、中から鍵をかけられたら、こっちが鍵を持ってでもいない限り、開ける事はできない。だから、普通は中の様子を知ることなんてできないんだけど、俺は、今二人の行為を見ている。

「ふ、ぅ、……あっ!」
「大分慣れたよねー、そろそろ入れても大丈夫っぽい?」

 ぐちゅぐちゅと、卑猥な音が僅かに耳に届いてくる。涙と喘ぎ交じりの小波の声が、断続して響いている。大志が薄く笑いながら、小波の体を抱き寄せた。

 ……覗き穴の事を、知っている生徒は少ないんじゃないだろうか。カーテンと本棚で隠された場所に少しだけ、準備室の中が見える小窓がある。
 本当に小さな窓で、隠れているから、普段知られることはないけど、声も、僅かにだが聞こえる。日の落ち始めた夕暮れ時、教師もあまり来ない離れた棟にある科学室から、準備室をみると、たまに誰かがセックスしてる。
 それをわかってて、俺や大志、グループのやつらと、「鑑賞会しようぜ」なんて茶化しに行ったこともあった。でも、まさか、こんな茶化すことが出来ない場面に遭遇するとは思わなかった。

「ふ……っ、うぁ、だし、の」
「正義ちゃんさあ、さっきセイと喋ってなかった?」
「あ、あっ」
「そういうの、やだなあ、俺」
「ひぐっ」
「声も、顔も、見せないでよ」
「あ、ああっ……!」

 何だよこれ。
 何なんだよこれ。
 混乱に、頭がついていかない。こっからは、小波の後ろ姿と、お面をつけた大志の姿しか見えない。でも、二人が何してるかなんて、見りゃわかるし、声を聞けば明白だった。
 大志の手が、小波の足をがっちり掴んで、開かせている。小波は、右手で自分の体をようやく支えているのか、腕をつっかえ棒みたいにして、ぶるぶると震えていた。普段の小波からは想像もできないような、濡れた声を上げている。その事実に、なんとなく頭をハンマーで殴られた様な気分だった。
 小波はああ見えて結構真面目で、まともで、こういう色事には弱そうなイメージがあったし、まさか学校でこんな事してるだなんて、思ってなかったから。
 まさか、こんな。

「あっ、あだし、のっ」
「しぃー、声大きいって。正義ちゃん、無口貫いてるのに、大きな声出したらばれちゃうよ」
「っ……!」
「っ、あは、んじゃ、挿れるね」
「っ……〜〜! ぅ……!」

 こんな、男の下で喘いでるイメージなんて、全然なかったから。
 狐面の下に手を潜り込ませて、口を押さえているんだろう。角度的にうまく見えないが、多分そうだ。そんな小波の手を無理矢理はずして、大志が仮面をずらしてキスをした。小波の顔も、大志の顔も、口元しか見えない。その姿がなんだかひどく淫猥で、俺は下半身に熱が集まるのを感じた。
 いや、違う違う、俺はホモじゃないし。そう思ったけど、目が離せなかった。小波の下半身が、大志のものをずっぽり咥え込んでいる。お、男同士ってああやるんだ。
 昔、友達と冗談でホモビデオ見たことあったけど、げらげら笑ってたから、あんま見てなかった。でも、知り合いがやってる姿は、やたら扇情的で、上擦った小波の声が、準備室の隙間から漏れてくる。はぁはぁと続く荒い息。薄暗がりで行為に及ぶ大志と小波は、とても背徳的だった。
 ぐぷ、と音がして、何度も大志のちんこが小波の中を出し入れされる。

「ふ、うぅっ! あ、……化野っ、も……!」
「俺以外の前で喋んないでよ。この狐面もはずさないで」

 大志の手が、小波の面を外した。それから、愛しげに髪を舐めた。俺の場所からじゃ、やっぱり小波の顔は見えないけれど、その顔が真っ赤だってことはわかる。小窓から覗く大志の唇が、ご馳走でも前にしたかの様に、ぺろりと舌なめずりをした。
 事実、美味しくいただいているのかもしれない。

「手、こっちね。教えたでしょ」
「あっ……あ!」

 再びキスをして、小波が自身を支えていた手を、強引に自分の背中へと回させた。からん、とその瞬間、大志のお面が、地面に落ちる。

「化野っ……!」
「ははっ、かわい」

 濡れた音が響く中、大志が顔を上げた。

「っ……!」

 その時。

「あ……」

 一瞬、目が合った。

 次の瞬間、俺は駆けだしていた。
 ばたばたと大きな音を立てて、走り出した。
 走る音とか、扉を出る音、聞こえたかな。でも、もうあの場所にはいられない。あまりにも衝撃的な映像で、しばらく見てしまったけど、もう、無理だ。だって

 大志が、笑っていたから。

 顔をあげた大志は、俺と目が合った瞬間、にっこりと笑った。正直、ぞっとした。
 気づいてた? いつから? 最初から?
 よくよく考えてみると、あの準備室の覗き穴を発見したのも、俺に教えてくれたのも、大志だった気がする。
 あいつは、最初からそのつもりだったんだろうか。俺に、見せるつもりだったのか? 何のために?
 俺は逸る心臓を押さえるのに必死で、頭の中がぐちゃぐちゃにかき乱されるがままになっていた。
 なんだあれ。なんなんだよ。
 頭から、あの光景が離れない。組敷かれる小波と、甘い喘ぎ声。仮面の下から覗いた唇と、赤い舌。いや、違う違う違う、俺は何も見ていない! 熱が集まる下半身をなかったことにした。
 大きく首を振って、一目散に家へと帰っていった。その夜、ぐっすり眠れることはなかったけれど。









 翌日、俺は学校に行くかどうか、非常に悩んだ。一晩寝たからって、昨日の記憶が消える訳じゃない。そもそも、ぜんぜん寝付けなかった。けれど、ここで行かなかったら、後々もっと行きづらくなる気がして、結局学校に行った。
 幸い、登校途中、大志と顔を合わせる事はなかったけど、そういえば俺、小波とは席が隣同士だったっけ。こんな事なら、最初から大志と席を交換しておけばよかった。
 相変わらず狐面をつけて登校してきた小波に、俺は体を強ばらせる。けれど、当の小波は、俺が昨日見ていたという事に気づいていないんだろう。頭を小さく下げて、朝の挨拶をしてきた。

「お、おう……。おはよ」

 無視するわけにもいかなくて、俺も小さく言葉を返す。
 小波はそのまま席に着き、鞄から教科書を取り出そうとしたみたいだけど、座った瞬間、体を大きく仰け反らせた。座った瞬間、驚いたような感じだった。
 ……尻、痛いとか? いやいやいや、思い出すな俺!
 昨日の映像が鮮明に蘇ってきて、頭を振る。そんな俺を不審そうに見る周りの生徒。放っておいてくれ、昨日の衝撃を、お前らは知らないだろ。恨みがましい目で周りを睨むと、すぐに視線を逸らされた。
 辛そうに腰を押さえている小波の姿が、なんだか痛々しい。大志に目を付けられたばっかりに、そう思うと、なんだか同情心が湧いてくる。こいつ、嫌だとかはっきり言え無さそうだしなあ。

「……大丈夫か?」
「……っ」

 思わず声をかけると、耳を赤くして頷いた。小波が狐面をつけているのって、もしかして、すぐ赤くなる顔を隠すためだろうか。もしそうなら、耳でわかるから意味ないぞって言ってやりたい。
 俺が微妙な気分で小波を見つめていると、教室の扉が開き、佐々木や井上が声を上げた。

「おはろろろーん」
「うわっ、大志今日の面きもっ!」
「どっからそういうの買ってくんだよ!」
「ぎゃははは! 部族かお前は!」
「ピッポロキー!」
「あははは、馬鹿!」

 今日の大志の面は、どっかの部族がつけてそうな、謎のお面だった。ジャングルとかで、裸の民族がそういう面つけて踊ってそうな、気味の悪い面。教室に入ったあと、いつも通りすぐに小波の元へ……は意外にも行かず、俺の方へと歩いてきた。
 俺は、どんな顔をすればいいかわからず、口を結ぶ。だって、大志は知っているだろう。気づいていただろう、昨日俺が見てたこと。知ってしまったこと。相変わらず笑顔で俺に近づくと、唐突に口を開いた。

「俺さー、セイとは幼なじみで、昔から一緒にいるじゃん?」
「え? あ、ああ」
「家も近くでさあ、結構話してて楽しいし?」

 突然しみじみと昔を語りだした大志に、首を傾げる。小波も、不思議そうに、大志を見ていた。

「お前のこと、これでも一番の友達だって思ってんのよ」
「お、おお、ありがと」

 何を言いたいのかわからないが、口を挟むことも出来なくて、そのまま聞き続けた。
 不気味な面をつけたまま、大志は続ける。だから、と。

「だから、取らないでね」
「……は?」

 お面越しに、大志の目が細くなる。黒い瞳が、俺を射抜く。
 その目は、いつか昔、ビー玉を口に入れた奴に対して見せた笑みに似ていて、ぞわりとした戦慄を覚えた。

「セイでも、取ったら怒るよ」
「……いや、言ってる意味がわかんねーし」
「あ、そ。じゃあいいや。おはよ、正義ちゃーん!」
「…………」

 すぐに切り替えて、大志はそのまま小波の方へと向かう。そこにはもう、いつもの大志がいた。明るくて、馬鹿で、皆の人気者、化野大志。けれど俺は、動くことが出来なかった。
 意味がわからないとは言ったものの、実際、何を指しているかはすぐわかった。これで、何年もあいつの幼なじみやってんだ。あいつが言ってることなんて、すぐわかる。
 つまり、小波に近づくなってことだろう。自分の物だから、手を出すなってこと。だから、昨日あれを見せた。わざと自分の物だということを誇示したんだ。
 近づいたり、取ったりしたら、俺でも報復されるんだろう。そんなのまっぴら御免だ。大志がやばい奴だってのは、昔から知ってるし、あいつのスイッチは押さない様に過ごしてきた。今更押してたまるかっての。
 そうは思うものの、大志に肩を抱かれて、困惑気味に頷いている小波を見ると、どうしようもない気持ちになるのだ。





終わり

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