先輩、なんで泣いてるんですか?


 僕は、卯月のことが嫌いだった。

「先輩、卒業、おめでとうございます」

 そう言って微笑むこの後輩の首を、何度絞めてやろうと思ったかわからない。
 何度、泣かせてやろうかと思ったかわからない。僕は曖昧に頷くと、小さく「ああ」と呟いた。
 卯月が、僕に近づいてくる。

「先輩、おれ、ずっと先輩に言いたいことがあったんです」

 言いながら、卯月は僕よりも小さな体を近づけ、薄い影を落としてきた。







 ――季節は三月の中旬で、まだ少し肌寒く、桜の花も、その身を潜め、未だ芽吹く素振りは見せない。
 よく、卒業式では桜が舞っているイメージがあるけれど、僕が住む地域では、どうやら桜が咲くのはもう少し先の様だ。
 卒業式が終わり、教室でホームルームを終えると、クラスメイト達が高校生活最後の時間を過ごそうと散っていく。僕は教室の外に出ていた。教室の中では、クラスメイトたちが写真を撮ったり、友人と抱き合ったりしている。親に写真を撮ってもらっている生徒もいた。
 僕は、それを後目に立ち去る。
 だって、馬鹿馬鹿しいと思ったんだ。

 別に、今生の別れになるわけでもないのに、どうして泣くんだろう。卒業したって、メールも出来るし、会おうと思えばいつでも会えるじゃないか。
 なんて、そんな捻くれたことを考えるのは、単に僕に友達と呼べるような存在がいないからかもしれない。
 我ながら、空っぽな高校生活だったと思う。
 肩を並べて勉強出来なくなる事が、昼休みに一緒に食事をとる事が、放課後、はしゃぎながら帰ることができないなんて惜しい、と思える友人が、とうとう最後まで作れなかった。
 そんな友人が作れていれば、僕もこの輪の中に入れただろうか。
 最高の三年間だったと、感涙しながら笑うことが出来ただろうか。実際は、独りぼっちで鞄を肩に下げている。

 部活も幽霊部員で、これといった趣味もない。つまらない人間だった。だから、高校最後の卒業式で、こんなつまらない感想しか抱けないんだ。
 自分でとても空しくなる。親も、息子の最後の卒業式だというのに、中学生の弟の卒業式に行ってしまい、僕のところには来ない。
 何が「高校生にもなったら、卒業式に親に来てもらうのなんて恥ずかしいでしょ」だろう。
 単純に、弟を優先させたいだけのくせに。

 そうして、一人で教室に居るのが居たたまれなくて、すぐに教室を出た。
 廊下、階段、踊り場、視聴覚室、音楽室。今まで過ごした学び舎を抜けて、玄関まで歩いていく。学内には、どこかもの悲しいBGMが流れている。
 どこもかしこも、人がいて、皆、卒業おめでとうだの、また会おうね、だの、この後どこかに遊びに行こうか、だの、楽しそうにしていた。
 ……やっぱり、空しい。

 先刻歌った卒業式の曲が、まだ耳に残っている。泣きながら歌っている子も居た。ピアノの音と、合唱音。体育館に響きわたった歌声を思い出して、目を伏せた。いつか、あの歌を唄った事を、懐かしく、いい思い出だったと思う日が来るんだろうか。
 残念ながら、到底思えそうにない。
 思い出らしい思い出なんて、何もない。玄関で靴をはき変え、ついでに上履きを袋に詰める。もうこの上履きを使うこともないし、なんなら捨ててもいいくらいだ。
 制服だって、もう、着ることもないだろう。
 三年間着古した学ランの詰め襟を正し、小さく息を吐いた。

 ぼんやりとした足取りで外履きに変えると、突然、後ろから聞き馴染んだ声が投げかけられた。

「先輩! 戸桜先輩!」

 その声に、僕の手が止まる。大きな声だったので、玄関付近にいた他の生徒も、声の主へと視線を運んだ。
 正面玄関の奥から走ってきたのは、僕がかつて所属していた、文芸部の後輩だった。見覚えのある顔が、僕と目が合った途端、花開いた。

「戸桜先輩、よかった。教室にいなかったから、もう帰っちゃったかと思いました!」

 柔らかな笑みを作り、後輩は、卯月ヒナタは僕の元へと駆け寄ってきた。
 僕より何センチか低い背丈、まだ幼さを残した顔立ちに、細く短めの黒髪。僕のクラスメイトの女子なんかは、よく彼を可愛いと言っていた。もう何年かすれば成長期で、一気に男らしい顔立ちになるかもしれない。
 二つ下の後輩は、急いで外靴に履き変えると、その可愛いらしい笑みを浮かべながら、隣に並んだ。

「戸桜先輩、もう帰っちゃうんですか? 写真とか、撮らないんですか?」
「……ああ……」
「おれ、先輩と一緒に写真撮りたいです」
「…………」
「あ、すみません、写真撮ってくださーい」

 僕が何か言う前に、卯月はポケットから自分のスマホを取り出し、近くにいた女子生徒の集団に渡した。その内の一人が快く受け入れ、僕たちに向かってスマホのレンズを向ける。

「シャッターはそこの真ん中のボタンなんで、よろしくお願いします」
「はーい、撮りますよー」
「ほら先輩、笑って」
「…………」

 僕は、笑わなかった。
 というより、笑えなかった。不自然に目を反らし、仏頂面の僕と、明るい笑みを浮かべた卯月が並ぶと、シャッターをきる音がした。卯月が笑顔でスマホを受け取り、困ったような顔で僕を見る。

「先輩は、いつも仏頂面ですね」
「悪かったな。それじゃ……」
「あ、先輩、待って! 待って待って」

 帰ろうとした僕を声で呼び止め、卯月が追いかけてくる。僕は足を止めず、そのまま玄関を出た。
 外は、未だ少し冬の匂いを残していて、息を吐くとほんの少し白い。マフラーでもしてくればよかっただろうか。そう思ったけれど、どうせすぐ家に帰るのだ。必要もない。手に持っている卒業証書すら、邪魔に思えた。
  足を早め、手が悴まないように、ポケットに手を突っ込んだ。

「先輩、どこ行くんですか」
「家に帰るんだよ」
「文芸部の人たちに、挨拶とかしないんですか? 他の先輩達は、部室に来てましたよ」
「……お前が、僕にそれを言うのか」

 剣呑な目つきで卯月を睨みつけると、卯月はいつもの淡い笑みを作り、全く思っていないような口振りで「すみません」等と嘯いた。
 舌打ちをしたい気分で、僕は卯月から目線を外し、歩調を早める。すると、卯月もまた歩調を早め、僕の横に並んで歩き出す。

「何だよ、ついてくるな」
「一緒に帰ります、だって、学校で先輩に会うのも、これが最後じゃないですか」
「学校でじゃない。お前と会うのは、これが最後だ」
「そんな寂しいこと言わないで、あ、ちょっとこっちに来てください」
「ちょ……おい!」

 腕を引かれて、体育館の裏側へと連れて行かれる。ぐいぐいと先に行かれ、少し足を早めた。振り払って、家に帰ることも出来たけど、どうせ、これが最後なんだ。卒業式まで、疲れたくない。
 僕はそのまま大人しく卯月に連れられ、未だ溶けていない雪が残る場所まで連れてこられた。日はあたるけれど、太陽の光が射し込む部分が少しだけのせいか、まだ溶けきっていない雪が名残惜しむ様に佇んでいた。
 何をされるんだろうと、思考停止したような脳で考えていると、卯月は鞄から何かを取り出し、僕の胸元へと差し込んだ。

「これ、先輩にあげます」
「……何だこれ」
「桜です」

 薄桃色に色づいた花弁から、ほのかに香る匂い。造花ではなく、生花の様だ。祝 卒業おめでとう、という短冊までついている。これは、卯月が作ったのだろうか。
 僕の住む地域は、桜が咲くのは、まだ先の筈なのに、なんでこんなもの。疑問に思っていると、それに答えるように卯月が笑った。

「ほら、卒業式に桜って、綺麗でしょう? だから、育てたんです。暖かい所なら、咲くんですよ。先輩の名前にも、よく似合ってます」

 ふわりとした笑みを浮かべ、そう答える後輩に対し、僕はなんて答えればいいのかわからなかった。
 ありがとう、はなんだか違う気がする。僕が口ごもっていると、卯月は鞄から瓶を取り出し、中に入っていた桜の花弁を、空へと投げた。
 桜は吹雪となって、僕たちの下に落ちてくる。

「ほら、これで先輩と同じ名前になった。綺麗でしょ、戸桜先輩」
「…………僕の名前、女みたいな名前だって思ってんだろ」
「フブキって、綺麗な名前だと思いますよ。先輩の書く話と同じで」
「…………」

 戸桜フブキ。僕は昔から、この名前が嫌いだった。
 小学生の頃から、女みたいとからかわれることがいやだったし、ピンク色のイメージも好きじゃない。だから、桜も自然と嫌いになっていったのだ。春になるのが憂鬱で、桜が咲けば、早く散ってしまえばいいとすら思っていた。これは、卯月の嫌がらせなんだろうか。
 それとも、善意なんだろうか。どちらにせよ、僕には意味のない行為に思えた。

「先輩、卒業おめでとうございます」
「…………」

 目の前で、卯月が笑う。
 僕は、卯月が嫌いだった。

「先輩、おれ、先輩に言いたいことがあるんです」

 この優しい笑みを浮かべた少年の首を、何度絞めてやりたいと思ったことだろう。僕が言い淀んでいると、卯月ははっきりとした口調で口を開く。

「先輩の書くお話が好きでした」
「お前……」
「あれは、申し訳ないとは思ってます。でも、別に後悔してないんですよ」

 口元を歪める卯月に対して、僕は目を反らした。
 趣味もなく、特技もない。そんなつまらない人間の僕だったけど、文字だけは、書くのが好きだった。
 何もない紙の上に、物語を綴っていくのが楽しかった。真っ白な紙上に、自分の考えた物語が展開されていくのが楽しかった。
 女々しい趣味だと思っていたけれど、高校に入って、文芸部に入部して、趣味を共感できる友人も出来て、最初は楽しかった。これから楽しい高校生活になりそうだとすら思った。
 けど、楽しかったのは、最初だけで、段々と息苦しくなっていったのは、いつからだっただろう。
 もともと、人付き合いが得意な方じゃない。口べたで、本を読むのが好きで、それでも、誰かに伝えたいから物語を書き始めたのだ。
 段々と部内では孤立していったけれど、誰かに読んでもらうのは楽しかったから、部室で一人になっても、書き続けた。部誌にも何度か載せてもらった。
 僕が三年生になってから入部した卯月は、その部誌を見て、僕のファンだと言ってくれた。正直、嬉しかったんだ。誰かに好きだと言ってもらえて、とても嬉しかった。
 認められた気がした。だから、裏切られたときの反動も大きかった。

「先輩が部員の人と仲直りしたら、多分おれ、また同じ事をすると思います」
「…………」
「だから、先輩がおれを怒るのは当然です。殴ってもいいですよ」

 卯月が手を広げる。僕は拳を握って、唇を噛んだ。
 卯月が入部してから、僕は以前よりも多く話を書く様になった。相変わらず部室では浮いていたけど、それでも、卯月が好きだと言ってくれたから、書いた。
 いろんな話を、沢山書いた。冒険もの、推理もの、日常小説からサスペンス。
 卯月にもっと読んでもらいたくて。出来れば、他の人にも読んでもらいたくて。
 努力が報われたのか、やがて、僕の話は卯月以外の人にも読んでもらえるようになった。そして僕の話を好きだと言ってくれる人が増えた。賞に応募して、小さいながらも受賞することが希にあった。
 趣味で書いていた話が、好きだと言ってもらえることが増えて、認められて、嬉しかったんだ。僕に価値が生まれたと思っていた。でも、卯月はそうじゃなかったらしい。

 今でも思い出すと、心臓が冷たくなっていく。放課後の部室、皆の前で卯月に言われた言葉。部誌発行の際、僕が口を出した瞬間、凍った空気。

 『先輩が、本当はこんな下手くそな奴らと一緒に書きたくないって思ってるのは、知ってますよ』

 和気藹々とした空気の中に、僕が口を挟んだのが駄目だったのだろうか。元々、部にはあまり馴染めていなかった。それが賞を取ったりしている内に、部の中で僕は「お高く止まっている」と思われるようになったらしい。
 僕は、そんなことを思っていない。ただ、書くのが好きで、読んでもらえるのが嬉しくて、それを、共感したくて、友達が欲しくて、そう思っていたのに。続く卯月の言葉に、言葉が凍った。

 『大丈夫ですよ、先輩。先輩の顔は立てようっておれたち後輩皆で話してます。先輩がおれらや他の先輩の悪口言ったって、気にしませんから』
 『ち、違……』
 『あ、でも他の先輩達には、申し訳ないです。でも、戸桜先輩も他の奴らの話は載せなくていいって思ってますものね?』

 否定したかった。
 そんなこと、思ってないって。他の人の話を読むことも楽しいって、口を大きくして言いたかった。しかし、それを許さない空気が、すでに出来上がっていたし、僕自身、心のどこかでそう思っていたのかもしれない。そう思うと、もう、何も言えなかった。
 もう、ここに居るのは許されないと思った。
 卯月はいつもの明るい笑みを崩し、いかにも申し訳なさそうに他の部員に謝っていた。空気を悪くしてすみません、と。結局僕は、その場に居ることができず、部室に行っても居場所はなくなり、やがて部活に出ることをやめた。
 一人で書いていこうと思ったんだ。別に、誰にも読んでもらわなくていい。僕が書いて、楽しければいい。
 そう思っていたのに、それからも卯月だけは僕につきまとった。

「先輩」
「っ」

 卯月の顔が近づいてくる。
 柔らかいものが唇に触れた。長い睫が上がり、黒目がちな瞳が僕を射抜く。卯月の指が、僕の首元に延びてきた。
 するりと僕の首に巻き付き、親指が頸動脈を軽く押さえた。

「先輩は、こうやっておれの首を絞めたいと思ったことがあるでしょう」
「……っ……」
「それでいいです、おれは、先輩の中に残りたかった。後輩の内の一人、なんて嫌だったんです」

 最初に、卯月に告白されたのは、いつだっただろう。
 確か、僕が文芸部から孤立して、一月くらい経ってからだったと思う。
 当時僕は自分を孤立させた卯月を恨んで避けていたけれど、あまりにも卯月がまた僕の話が読みたいとしつこいものだから、一度だけ卯月に話を書いてあげた。それは今まで書いたこともないような、ひどい奴がひどい目に遭うだけの、ストーリーも何もない話だったけれど、これで諦めて、どこかに行けばいいと思った。

 でも、卯月はそれを読んで、僕に告白してきた。
 訳が分からなかった。そもそも、男同士で、何を言っているのかと思った。けれど、卯月にそれは関係なかった様で、戸惑う僕に対して、じゃれる様に、キスをしてくる。
 制服の下に手を滑り込ませ、薄い皮膚の上に熱い温度が伝わってきた。

 『戸桜先輩、おれね、高校では、最初サッカー部に入ろうと思ってたんです。ほら、サッカー部ってモテるし。体動かすのって、結構好きだし。でも、中学の時、学祭で、先輩が部誌に書いた話を読んで、頭殴られた気がしたんです。先輩の書く話、おれ、好きです。元々、小説とか、あんま読むタイプじゃなかったですけど、先輩の話は何か違って。おれ、こんな風に思ったこと一度もなかった。だから、こんな話を書く人の近くに行きたいって思ったんですよ』

 走馬燈の様に、蘇る。
 卯月と過ごした記憶は、明るいものから、暗いものまで、全て僕の中に眠っている。そして、その眠りを妨げないように、これからの人生を過ごしていこうと思っていた。全てなかったことにしようと、そう考えていたのかもしれない。

 『先輩に会って、一緒に居る事が出来るようになってから、おれ、もっと先輩の事を独占したいって思うようになったんです。先輩が他の部員と話していたり、先輩の話を他の奴が褒めたりすると、いらいらする。その逆も。おかしいですか? でも、これって、人間なら当たり前に持つ欲求だと思うんです』

 まだ幼い手のひらが、僕の頬を包む。赤い舌が頬を舐め、視界が制服の黒で染まる。

 『だから先輩、おれ』

「先輩」
「っ……――!」
「先輩、なんで泣いているんですか?」



 すぐ目の前に、卯月がいる。先刻空へと投げた桜の花弁が、頭や肩に張り付いていた。自分の顔に手を寄せると、指先が濡れている。本当に……どうして、僕は泣いているんだろう。卒業式で泣くなんて、バカみたいだ。
 ましてや、僕に悲しい事なんて何もないのに。友人もいない、楽しかったことも、記憶の彼方。僕が泣く理由なんて、どこにもない。
 卯月の指が、僕の目尻にたまった涙を拭った。

「先輩、おれ、先輩が好きです。先輩がおれを嫌いでも」

 そう言って、微笑んだ。僕は、静かに息を漏らす。
 僕は、卯月が僕の書いた話を好きだと言ってくれて、本当に嬉しかったんだ。純粋に、喜んだ。卯月に読んでもらいたくて、書いたこともある。
 なのに、どうしてこんな事になったんだろう。一年という短い間だった筈なのに、僕らの関係は、高校生活の中で、どんどん変化していった。
 単純な、先輩と後輩の関係だったら、この卒業式も、いい思い出になったのだろうか。僕は、卯月の事が。

「先輩」

 ちゅ、と音を立てて、卯月が僕の涙を吸った。

「おれ、先輩の思い出になる気はないですから」
「は……?」
「卒業してもメールすればいいし、会うことだって出来る。だから、泣くなんておかしいって、思いますよね。でも、違うんです先輩。卒業したら、すぐにそんなことすら出来なくなる。最初はしていても、徐々になくなっていく。特に、先輩と後輩なんて、段々疎遠になっていきます。おれは、そんなの嫌です」
「卯月……」
「先輩、進学じゃなくて、就職ですよね。じゃあ、もっと会えなくなる。おれの知らない所でおれ以外の人間と先輩が、親しくなってく……」
 
 卯月に握られた制服の袖が、皺寄った。後半の声は震えていて、あ、と口を開きかけた瞬間、卯月の目から涙が零れ落ちた。卯月の制服の上に、涙の染みが広がった。

「すみません、先輩……。おれ、先輩のことが好きです。先輩の書く話も、先輩も、全部。だから、誰にも渡したくなかった。おれだけの先輩でいてほしかった、すみません。ごめんなさい、おれ、先輩を傷つけたかったわけじゃなくて、ただ……」

 卯月の泣く姿は、初めて見た気がする。僕の腕を掴んで俯きながら泣くその姿に、言葉を無くした。今更、なんだって、そんなことを言うんだろう。
 卯月は、たまに僕に向かって好きということはあったけれど、あんなことをした卯月を好きになんてなれなかった。
 いや、違う。本当は、自分が他の部員を見下していたかもしれないという事実を認めたくなくて卯月のせいということにして憎んでいた。そうすれば、楽だったから。卯月にはめられたから、僕は孤立している。卯月のせいで、僕は居場所を失って一人ぼっち。全部全部、卯月のせい。
 そうやって理由をつければ、一人でいても耐えられたから。卯月が何を思ってあんなことをするかなんて、考えないようにしていた。
 それが、どれほど残酷なことかも知らずに。

「ほ、本当は、卒業おめでとうなんて、ぜんぜん思ってないです。卒業なんて、しないでください。おれは、先輩より二つも下で、何年経っても先輩には追いつけなくて」
「卯月」
「先輩は、俺の、あ、憧れで、好きで……でも、結局おれ、先輩を傷つけてばかりで」
「僕は、……お前が、僕が書いた話を好きだと言ってくれて、嬉しかったよ」
「……先輩」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を歪めて、卯月が、僕に抱き着いてきた。小さく震える肩は、まだ未発達で、僕も体格が良い方じゃないけど、卯月はまだ子供に見える。たった二つしか、違わないはずなのに。
 卯月とは、これで終わりにするつもりだった。今まで学校であったことも、卯月にされたことも、僕が卯月に抱いていた思いも、全部全部、この学校に置いていくつもりだった。その方が楽だから。
 そしていつか、僕が大人になり、年を取ってから「あんなこともあったな」と思い出せれば、それでいいと思っていた。卒業式なんて、そんなものだろう。

「先輩、おれは、先輩を追い掛けます。これで、終わりだなんて思わないでください」
「……怖い事言うな……」
「おれは、先輩のことになると怖いんです」

 涙に濡れた顔をいつもの笑みに変えて、卯月が僕に口づけてきた。涙に濡れて、少し塩辛い。頬にくっついていたらしい桜の花びらが、一緒についてきたので、僕はその花びらをそっと取り除き、卯月の頭を撫でる。柔らかな髪は、猫の毛並みに似ていた。この髪の柔らかさは、手触りが良くて好きだったな、そういえば。

「……じゃあな」
「…………先輩、おれ、本気です」
「うん、わかった」

 わかった、と口では言うけど、二年も経てば、人は変わる。
 二年という歳月は短い様で、長い物だから。赤い目をした卯月に向かって、僕は微笑んだ。

「お前がこの学校を卒業する時も同じだったら、僕も本気だって思うよ」

 校舎から流れる別れの歌が、耳に響いてくる。
 卯月は本気だと言うけれど、人の気持ちなんて移ろいやすいものだ。だから、僕は僕の気持ちをこの学校に置いていこう。全部、置いて卒業する。
 胸に刺さった桜の花に手を当て、僕は卯月の横を通り抜けた。

「先輩、二年後は、おれに桜を持ってきてくださいね!」
「……覚えてたらな」

 おそらく果てる事のないだろう約束を交わして、僕は高校生活に幕を下ろした。


終わり

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