****

 翌日、俺は始発の列車で実家へと戻った。
 家に帰ったが、二人とも仕事をしているのか、人の気配はなかった。俺は実家の物置に置いてあるスコップを持って、弟の死体を掘り起こしに、あの森へと向かう。

 鬱蒼とした草木が生い茂る森の中は、当たり前の話だけど十四年前とは地形が変わりすぎている。
 立ち入り禁止、と書かれた柵を跳び越えて、森の奥へと進む。もう夏も終わりに近づきつつあるのに、森の中は妙に蒸していて、生ぬるい空気だった。だというのに、虫の鳴き声すら聞こえず、ただじっとりと、誰かに見つめられているような気配を感じた。

「…………」

 森の奥へと進む途中、気になって何度も後ろを振り返った。
 けれど、誰も居ない。
 段々、自分がどこにいるのかすらわからなくなってくる。ここに来るべきじゃなかったのかもしれない。でも、俺の足は気がつけばある方向へと向かっていた。不思議と、導かれているような気がして、自分の意思とは反対に、足は先へと進んでいく。

「………………」

 そうして数十分ほど歩くと、意外な程あっさりと、その木は見つかった。巨大な木の根元に、大きな洞と穴がある。ひょっとすると、ここじゃないかもしれない、でも、俺はなんとなくここだ、と確信していた。自分でもわからないけど、涼が俺に見つけられたがっている気がした。
 俺は無言でスコップで土を掘った。
 
 ざく、ざく、と土を掘り起こし、木の洞の中を見つめる。奥は暗くて、何も見えない。木と土の臭いが鼻孔を掠めた。あいつは、こんな暗い所で死んだのか。……いや、俺が殺したのか。
 十四年も経って、今更可哀想な事をしたという気持ちが、徐々に沸いてくる。後悔してるんだろうか。俺は。後悔するような、優しい人間性なだよかったのに。
 あの時俺は、確かに涼に死んで欲しいと思った。
 だから、殺した。
 ざく、ざく、と土を掘る。土の匂いと、木々の匂いに混じって、妙に嫌な臭いがした。その匂いがなんなのかまではわからないけど。
 額に浮かぶ汗を拭って、手を洞の中へと突っ込んだ。
 何もない。

「………………」

 『にいちゃん、まって、おいてかないで!』
 ……あれを言う前に、涼はなんて言ってたっけ。そもそもどうして、涼をあの洞に落ちたんだ? いつもついてくる涼が鬱陶しかった。けれど、それだけが理由だっただろうか。
 ……なんだか頭が痛い。ぼーっとする。熱中症か? 持ってきたペットボトルの水を一気に飲むと、汗が垂れた。

「ふっ……っ、は……っ」

 土を避け、洞の中を手で探る。
 『にいちゃん、もりにはいっちゃいけないんだよ』
 『うるさい、ついてくるな!』
 『にいちゃん、おれのこときらいなの?』
 『そうだよ、おまえなんてだいきらいだ!』
 こうして、無心で掘っていると、当時の記憶が徐々に蘇ってくる。
 喧嘩を、した。
 そう、あの時、俺はどこまでも付きまとう涼に嫌気が指して、我慢していたことを全部言ったんだ。俺の後を追いかけてくる涼に言った。嫌いだって、顔も見たくない、消えて欲しい、って。そうしたら、涼が泣いて。
 泣いて、それから、なんだっけ。

「……この、奥に」

 いるはずなんだ、この奥にあいつが。
 でも、洞の奥は真っ暗だ。
 泣いてる涼を見て、俺は少したじろいで、涼を置いて逃げようとした。けど、涼は俺を追いかけてきた。その途中、涼が転んで、洞に落ちた。自己だったんだ。だから俺は、最初助けようとしてた。
 だって、こいつを見殺しにしたら、怒られるから。両親から、親戚から、友達から、みんなに怒られるから。皆、涼のことを好きだから。だから、手を伸ばした。
 でも涼は
 『にいちゃんも、こっちきて、そばにいて』
 そう言って、俺の手を引っ張ろうとした。引っ張り上げて助けてやろうとした、俺まで巻き込もうとした。だから、俺はその手を振り払って、そう、そうだ。逃げようとしたら、涼がまた泣いて。
 イライラして、どこまで俺を困らせれば気が済むんだって、無性に腹が立って、それで。

「っ――!」

 瞬間、手に何かが触れた。見えないけれど、指先に何かが触れている。もしかして、と思い俺がさらに手を伸ばすと、突然洞の奥から、何かに手を握られた。

「え」
「――やっと迎えに来てくれたね、兄ちゃん」

 声が聞こえた瞬間、強く手を引っ張られ、目の前が真っ暗になった。

*****

 あり得ない夢を見た。
 涼と俺が、まるで仲良しの兄弟みたいに、談笑して、楽しそうに過ごしている夢だ。俺は涼のことを大切な弟だと思っていて、涼は俺のことを尊敬できる兄だと慕っている。
 その奇妙な光景を、俺は上から見守って居るのだ。
 変な夢。
 こんなの、逆に悪夢だ。俺だって、涼のことを好きになろうとした。血が繋がった弟なんだ。それに、涼は悪い奴じゃない。俺のことだって好きだと言ってくれる。
 俺が捻くれてるだけで、涼は全然悪くない。
 でも、涼がどんなに俺のことを好きだと言っても、俺は涼のことを好きになれなかった。例えば兄弟じゃなければ、弟じゃなければ、ここまで嫌いにはならなかったかもしれない。
 でも、涼は俺の弟だった。
 俺が友達と遊ぼうとしても、涼がついてくる。涼がついてくると、皆涼を構いたがるか、逆に涼がついてくるなら俺は来るなと言われた。お兄ちゃんだから、ただそれだけを理由に、俺は理不尽な我慢を覚えさせられた。
 涼はいつも幸せそうににこにこ笑って、俺ばっかりが我慢してる。そんな気持ちが沸々とわいてきて、涼が俺のことを慕えば慕うほど、俺は涼のことが嫌いになっていった。
 だからこれは、あり得ない夢なんだ。
 こんな、こんな夢は。

「……っ――」

 シャン、とどこかで鈴の音が聞こえて、目を開いた。
 目の前には、鬱蒼とした緑が暗闇に紛れて広がっている。

「……あれ……?」

 ここ、どこだ。瞳を動かすと、手を虫が這っているのが見えた。

「うわっ!」

 慌てて身を起こすと、ここが森の中だということがわかった。そうか、俺、森に来て……。なんだか、やけに体が重い。それに、動きづらい。

「は……?」

 起き上がって自分の格好を見て、驚いた。
 だって、俺がここに来る前に着ていたのはよくあるシャツにジーンズの、変哲もない格好だったはずだ。それが今は、何故か白無垢のような格好に変えられていた。腕を上げれば、長い袖がついてくる。純白の白無垢についた虫を振り払い、混乱の声を上げる。

「は、は? なに」

 シャン、とまた鈴の音が聞こえた。よく見たら、周りに誰かがいる。一人じゃない。二人、三人、四人……大勢に囲まれていた。俺を円の中心として、全員が俺を囲っている。

「っ、だれ」

 奇妙なことに、そいつらの顔は、全員白い紙のようなもので覆われていて、見えなかった。けど、俺の周りを囲んでいる奴らの中に、見覚えのある背格好を見つけた。顔は見えなくても、体格や、服装でわかる。

「……父さん? 母さん?」

 よく見ると、周りに立っている奴らは、皆俺が知っている人たちだった。父さん、母さん、隣のおばさん、八幡のばあちゃん、狭い田舎だ。大体の人間は知っている。俺を囲っている全員が、村の奴らだ。
 けれど、皆顔を白い布で隠していて、どんな表情をしているのかすらわからない。

「なあ、これ、何? みんな、何してんの……」

 震える声で問いかける。けれど、誰も口を開かない。
 本当は、頭の中ではわかってるんだ。自分が今、危険な状態だって事。でも、何か答えをくれるのではないかと思って、わざと明るい空気で声を上げた。

「あ、ド、ドッキリとか? ってかこの格好、やばくない? 土ついたら洗うの大変そう……」

 誰も、何も喋らない。ただ、俺を囲っているだけだ。
 ――逃げよう。
 どう考えても、これは普通の状況じゃない。黙っていると、恐怖で気が触れてしまいそうだ。

「と、とりあえず俺、もう帰る……」

 立ち上がろうと足に力を入れた瞬間、足が痛んだ。

「い……っ!?」

 裾をあけて見ると、足が赤く腫れている。どっかにぶつけたのか? 痛みを認識した途端、ズキズキとした痛みが襲ってくる。
 白無垢姿のまま這おうとすると、目の前の奴らが道を空けるように左右に避けた。それは、俺を逃がすためではなく、囲んだ外から、誰かを迎え入れる為のものだったらしい。
 人の波が分かれ、その中央から、涼がやってきた。

「兄ちゃん」
「…………りょう……」

 涼がにこりと笑う。
 その瞬間、さっきまで一言も喋らなかった奴らが、一斉に手を叩き始めた。拍手のように、バチバチとやかましい音を立てながら、めでたい、だとか、うれしいだとか、同じ言葉を全員が繰り返す。

「ああ、めでたい」
「めでたいですねえ」
「うれしや、うれしや」
「本当にめでたい」

 何が目出度いのかわからないが、父さんの姿をした奴も、母さんの姿をした奴も、皆一様に同じ動作を繰り返す。不気味としか言い様がなかった。
 涼が、ゆっくりと俺に近づいてくる。
 俺は、涼から遠ざかるように後ずさった。
 足が痛くて、立ち上がれない。

「兄ちゃん、可愛いね」
「は……?」
「真っ白で、きれいで、花嫁さんみたい、かわいーね」

 やけに幼い口調で話す涼に、俺はキレそうになった。ふざけんなよ、なんなんだよこの状況、この服にしたのお前か、あいつら全員に頼んだのか、俺をこんな目に遭わせる為だけに!
 人間、怒りって強いと思う。さっきまで確かに怖かったはずなのに、その瞬間は恐怖よりも怒りが勝って、俺は目をつり上げた。

「涼! お前、なんなんだよ。っていうかお前、涼じゃねえだろ! だって涼は」
「兄ちゃんが殺した」
「…………っ」

 俺の言葉に、涼は怯むでもなく、しゃがみ込み、俺の両頬を両手で挟んで、目線を合わせてきた。
 それから、さっきみたいな無邪気な笑顔ではなく、目を見開いた、狂気的な笑みで言った。

「そうだよ、お前が殺した、おれを、お前が殺した。殺した、殺した、殺した、殺した」
「…………っ」

 周りの拍手の雨が鳴り止まない中、涼がケラケラと笑う。俺は震える声で、涼に言う。

「だ、だから俺を殺すのか……!」
「ん?」
「俺が、お前を殺したから、復讐するんだろ!」
「………………」

 俺の言葉に、涼はきょとんとした顔で首を傾げた。

「殺す? 兄ちゃんを? おれが?」
「そ、そうだよ……、だから、妙な幻覚見せたり、この森の中で殺そうとしてるんだろ……!」
「なんで? おれは兄ちゃんのことが好きなのに。でも、置いてかれて寂しかったから、ちょっと意地悪しちゃった、怒った? 兄ちゃん」

 にぃ、と歯を見せて笑う涼に、俺は後ずさる。こいつは、一体何がしたいんだ?
 こんな格好をさせて。

「モリシシ様がね、助けてくれたんだ」
「モリシシ様……?」
「そう、モリシシ様。森の神様。兄ちゃんに置いてかれたおれを、かわいそうだって助けてくれたんだ。自分はもう長くないから、跡取りがほしかったんだって」
「…………」

 急に、何の話をしてるんだ。モリシシ様っていうのは、子供が悪さをしないよう言いくるめるための、ただの言い伝えで、現実じゃない。
 けど、この状況は、果たして現実的と言えるんだろうか。
 俺と涼を囲む奴らは、クスクスと笑っている。

「兄ちゃんは、いつもおれのこと嫌ってたよね」
「…………」
「でもそんなことしらな〜〜〜〜〜〜〜〜い!! きゃはははは!」

 ゲラゲラと狂った様に品のない声をあげながら、涼が笑う。
 何が楽しいのか、腹を抱えて笑っていた。突然人格が変わったような笑い方に、俺は凍り付いたように動けなかった。
 少しずつ、涼の顔が歪んでいく。陶磁のような皮膚が、赤黒い鱗のようなものに変化していく。涼は、涼だったものは笑うのをやめて、真顔でしゃべり出した。

「にいちゃん、にいちゃんがおれのことを置いてって、おれ、ずっと寂しかったんだよ。ずっとにいちゃんのこと呼んでたの。にいちゃんは、おれのこと好きじゃなかったでしょ? でも、おれはにいちゃんがすきだったの、にいちゃんがきらいなのと同じくらい、すきだったよ」
「…………なに、言って」

 涼の顔が歪む、薄い唇が、まるで鳥のくちばしのように変化していく。綺麗な瞳は黒く濁り、額から角のようなモノが生えていく。

「な・の・に・置いてかれたからぁ〜〜〜〜〜〜〜〜、おれ、怒っちゃったあ。だから、どうすればにいちゃんがずっとおれの傍にいてくれるか、考えたんだ」

 淡々とした喋りかと思えば、突如子供みたいな笑い声を上げたりして、感情も造形も不安定だ。涼が尖った歯を見せて笑う。いや、コレは涼じゃない。涼の姿を借りた何かだ。
 涼は、こんなことを言う奴じゃなかった。
 ……本当に? 
 涼は、こんな奴じゃなかったか? 子供の頃の記憶は曖昧だ。
 異臭と恐怖により、強烈な目眩に見舞われて、体が倒れそうになる。
 けれど、強い力で両頬を挟まれて、目を逸らすことも出来なかった。

「ちょっと時間はかかったけど、準備が出来たよ。兄ちゃんも、迎えに来てくれたし」
「なんの、話だよ」
「きゃははは! 兄ちゃん、声が震えてる。怖いの?」
「…………っ」

 怖い。怖くないはずがない。今すぐ叫びだして、逃げてしまいたい。でも、痛む足がそれを妨げた。

「モリシシ様が居なくなって、おれが新しいモリシシ様になるんだ」
「馬鹿なこと言ってんなよ……っ、大体そんな作り話……」
「モリシシ様はねぇ、ずっと寂しかったんだって。一人ぼっちは寂しいから、おれには二人でやっていきなさいって言ってくれたんだ。モリシシ様は、優しいねえ、兄ちゃんとは大違いだ」

 何が言いたい。
 なんだか、嫌な予感がした。

「兄ちゃんはぁ、おれが弟っていうのが嫌みたいだから、兄弟じゃなくて、別の肩書きをあげる」
「う゛……っ」

 ぐにゅ、と唇を押しつけられ、口の中に何かが流れ込んできた。最早涼の形を為していないその異形の口から俺に入り込んできたのは、蛆のような、小さな幼虫だった。
 俺は唇を離し、すぐさま吐き出した。唾液と一緒に、地面へ虫が落ちていった。

「うえぇっ……! げほっ、おえ゛、えっ……!」
「かわいーね、にいちゃん、まっしろで、きれいだねえ」
「…………っ……」

 涼だった異形が、俺の頭を撫でながらケラケラと笑う。昔、涼と一緒に花嫁を見たことがあった。俺たちの地元では、白無垢を着た花嫁と花婿が、あの田舎道を歩く姿を見ることが出来る。昔からの風習なのだ。田園の間を歩く白無垢を、綺麗だねとはしゃぎながら見ていた。
 そこまで考えて、どうして俺が白無垢を着せられているのか、察しがついてしまった。
 違う。俺は確かに、お前が弟であることは確かに嫌だったけど、立場が違えばいいという話じゃない。
 俺は泣きながら、涼に謝った。逃げたい。でも、なんだかもう、逃げられない気がして、口から謝罪の言葉が溢れた。

「ご、ごめん、許してくれ。涼、ごめん、ごめんなさい……」

 ぼろぼろと涙を溢して謝る俺を、もはや人ではない顔になった涼が見つめていた。それは、とても幸せそうに見えた。
 周りの顔を隠した奴らが、再び声を上げて手を叩く。

「ああ、おめでたい」
「きれいだねえ」
「うれしいねえ」
「よかったよかった」
「しあわせにね」
 
「いやだ、やだ……、ごめん、謝るから、ちゃんと、お兄ちゃんになるから……」

 涙でぐしゃぐしゃになる俺の顔を撫でながら、涼の鋭い爪が、俺の髪の毛を払いのけた。いやだ、こんなの。死んだ方がましだ。謝るから、なんでもするから。
 助けて、誰か。

「兄ちゃんは、もう兄ちゃんじゃなくていいよ。だって、今日からおれのお嫁さんになるんだ。そうすれば、ずっと一緒だから、ねぇ〜清」
「ひ、ひ…………」

 八月も終わる、まだ蒸し暑い暗い夜の森の中、俺の叫び声だけが虚しく響いた。

「もう、置いてかないでね」








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「ねえ、ちょっと聞いた?」
「聞いた聞いた、例の家でしょ」
「上の息子さんまで行方不明になっちゃったとか、呪われてるんじゃない?」
「奥さんもおかしくなって、引っ越したって話よ」
「やだ〜、怖いわぁ」
「私聞いたんだけど、清くんが、あの森に入っていくの見た人が居たんだって」
「ええ? でも見つからないんでしょ? やっぱりモリシシ様に連れて行かれちゃったのかしらねぇ」
「やだもう! ……でもあれねえ、下の子に続いて上の子までって、二人とも森で居なくなっちゃったなんて」
「ねぇ」

「まるで、神隠しにでもあったみたい」

終わり



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