*****


 そうして、涼と暮らすようになってから、一ヶ月程経った。
 家に着いてからまず生活スペースを分け、ルールを定めた。
 俺の居住スペースには立ち入らないこと、同じ部屋に住むにしても、プライバシーは守ること。涼は何か言ってくるかと思ったけれど、特別反論もせず「わかった」と大人しいモノだった。
 俺は涼と最低限しか口を利かず、大学とバイトで部屋に帰るのは夜寝るときだけになった。たまに友人の家に泊まりにいったり、とにかく涼となるべく関わらないことにした。
 涼が昼間何をしているかは詳しく知らない。一度、働どこに行っていたのか聞いてみたことがあったけれど、「仕事」としか言わなかった。働いているなら、家を出てって欲しい。
 けど、なんにせよ、その「仕事」とやらで部屋に居ないのはありがたく、どうせならそのまま居なくなって欲しいとすら思った。

「はーー……」

 今日も、バイトをギリギリまで粘って、深夜に帰ってきた。おかえり、と迎える涼を無視してシャワーを浴びて、さっさと自室のベッドに潜り込む。冷たい、と言われるかと思ったけれど、涼は特に気にした様子はなさそうだった。飯を作ってくれている時もあったけど、なんだか薄気味悪くて、俺は口にすることができない。涼がこの部屋に来てから、部屋の中で、変な臭いがする気がする。土の臭いと、鉄の臭いを混ぜたような、嫌な臭い。換気しても、中々取れなかった。もしかすると、ストレスでそういう臭いがしているだけなのかもしれない。

 ベッドの上に寝転がり、ドアを見つめた。
 涼を見ていると、どうしても昔のことを思い出す。兄ちゃん、と泣く声。俺に伸ばされた手。……手? いや、なんでもない。
 それより、自分が殺した相手と一緒に暮らすなんて、どうかしている。
 ……それとも、どうかしているのは俺の方か? 子供の頃のあれは、恐怖に駆られた俺が作り出した妄想で、涼は死んでいなくて助かって、本当に記憶喪失のまま孤独な老人に助けられたのかも知れない。そう考えれば辻褄は合う。
 辻褄は合うけれど、妙な違和感はどうしても拭えない。だって、俺は覚えているんだ。涼の首が折れた、嫌な音を。
 自分の隣に居るのが、化け物かもしれないという気持ち悪さは、どうしたって消えなかった。

「寝るの、やだな……」

 前に、眠っている時ふと目を開けると、涼が間近でじっと俺の顔を見下ろしていた。俺の部屋に勝手に入って、俺を見ていたのだ。恐怖に叫ぶと、「寝ぼけてた」と涼は笑った。でも俺は笑えなかった。
 黒い瞳に、引き攣った俺の顔が映っていた。
 いつまで、こんな生活が続くんだろう。

*****

 そんなある日、夜遅く家に帰ると涼が居た。

「おかえり兄ちゃん」
「………………」

 俺は涼を無視して寝室へと向かった。何度無視しても、涼は俺に声をかけてくる。
 普段涼はこの時間、仕事とやらに行ってるはずなのに、なんで居るんだ。舌打ちをしたい気持ちを堪えて、服を脱ぐ。部屋着に着替えようとシャツに手をかけると、部屋のドアが開かれた。俺と涼の生活スペースは分けている。狭い部屋だけど、涼はそれに納得したし、深夜に顔を覗き込まれていた時以来、その約束も守られていた、はずだ。
 なのに今、当然の顔をして涼が入ってきた。

「おい、入ってくるなよ」
「兄ちゃんは、おれのことが嫌いなんだよね」
「……は……?」
「だから、おれのことを殺したの?」
「…………っ」

 突然、責めるような口調で言われた。
 疲れていたのかも知れない。ストレスで、イライラしていたのかも知れない。なんでそんなことを言うんだよ、と狼狽える前に、かっとなって言い返した。

「ああそうだよ、俺はお前のことが大嫌いだから、お前なんて居なくなればいいと思ったんだ!」
「……おれは、兄ちゃんのことが好きなのになぁ」
「気持ち悪いんだよ、お前。その顔も、声も、仕草も、性格も、何もかも全部嫌いだ。俺に付きまとうな、お前が隣に居ると……!」

 また、お前と比べられる。
 お前と兄弟でいる限り、一生逃れられない呪いのように。俺はもう、お前の隣に並びたくない。親、親戚、友達、同級生、全員に言われてきた。似てないねって、嘲笑を含んで。
 ……俺だって、出来るならお前みたいになりたかった。お前みたいに、誰からも愛されるような人間になりたかった。でも、俺だって、頑張ったのに、俺だって。
 じわりと胸に広がった染みは、どんどん大きくなっていく。

「消えろよ! もう二度とその顔を見せんな。お前が弟である限り、俺は自由になれないんだよ! 消えろ! 消えろ! 消えちまえ!!」
「……ひどいよ兄ちゃん、おれはずっと、兄ちゃんのことを考えてたのに」
「うるさい! 知るか! お前なんて知らない、俺に弟なんて居ない! 死ねよ! お前なんて死んじまえ!」

 耳を塞いで、首を横に振った。消えろ。消えてくれ。お前が近くに居ると、あの日のことを思い出す。お前とのことを思い出す。俺のしたことを思い出す。思い出したくなんてないのに。
 ああ気持ち悪い。気持ち悪い! 
 涼が、俺に近づいてくる。俺はベッドの上から後ずさり、壁に背中をつけた。

「来るな!」
「どうして? 兄ちゃん、遊ぼうよ、昔みたいに、二人で」

 部屋の照明がチカチカと点滅する。
 俺は、近づいてくる涼が怖かった。点滅する照明の下、涼の顔が見えない。いや、見えないというよりも、違う形に見えた。人の形じゃない、例えるなら、鳥のような、獣のような……。異形にも見えるその姿に、喉奥から引き攣った声が漏れる。
 怖い。
 ゆっくりと近づいてくる涼が怖い。体が、無意識のうちに震えていた。子供時代の俺が、顔を出す。弱くて、逃げて、嫉妬の末に愚かなことをしでかした。
 涼は、怒ってるんだ。俺が、お前を殺したから。
 だから、お前も俺を殺そうとしているんだろう。そうなんだろ。
 いやだ、死にたくない。我が儘でも、自分勝手でも良い、お前にだけは、殺されたくない。

「来るな、来るな来るなぁあ!!」
「にぃちゃぁあ〜〜〜ん」

 涼の声が、何重にも重なって聞こえた。腕を掴まれたけれど、それは人間の手じゃなかった。鋭い爪が俺の腕に食い込み、血が滲む。殺される、食われる! 助けて!
 沼の底から這いずるような不快な声が、耳に流れ込んでくる。

「に゛ぃ、ぢゃ、はやぐお゛れど、いっじょ、に」
「……っ――――――!」

 はっと目を開くと、俺は自室のベッドの上に居た。
 ………………ゆ、夢? いや、でも……。全身が汗で濡れた体は、湿っていて気持ちが悪い。
 部屋の中を見渡してみたけれど、そこに涼の姿はなかった。携帯の画面を見ると、深夜をまわっている。……どっから夢なんだ?
 掴まれた腕の感触が、まだ残っている。でも、そこに血は滲んでいなかった。
 俺はふらつきながら部屋を出て、洗面所で顔を洗う。鏡には、酷い隈をつけた男が衰弱しきった顔を晒していた。……さっきのは、夢だ。
 夢。涼が近くに居るから、こんな悪夢を見る。
 頬を抓ってみたら、ちゃんと痛い。よかった、これは、現実だ。
 最近、なんだか自分が夢を見ているのか、現実に居るのかがわからなくなってくる。涼が現れたせいだ。
 ぼんやりと鏡の中の自分を見つめていると、鏡越しに涼と目が合った。

「うわっ……!」
「兄ちゃん、こんな夜中にどうしたの?」
「っ……」

 さっきみたいな、化け物の姿でもない、ちゃんとした、人間の形をした涼だ。入り口に立っているから、俺は涼を避けて部屋に戻ることが出来ない。
 夢の中で掴まれた腕の、生々しい感触が蘇る。鳥肌が立ち、面と向かって顔を見ることも出来なかった。土と錆びた鉄の様な臭いが、鼻孔を擽る。
 ……これも、俺がおかしくなっているだけなのかもしれない。

「なんでも、ない。もう寝るから」
「兄ちゃん、痩せたね」
「は……?」

 どけろ、と言おうとしたところで、涼が一歩、足を進めた。狭い洗面所の中では、一歩進んだだけで簡単に俺の前に来る。するり、と涼の手が俺の腰に回った。
 俺よりも大きくなった背丈は、俺を見下ろすように笑った。

「ほら、細くなってる」
「…………さ、わるな」
「………………」

 涼は、何も言わなかった。ただ、不気味に微笑んでいるだけだ。

「触るなよ!」

 普段は、俺がこう言えば、涼は簡単に引いてくれる。うん、ごめんね、兄ちゃん。とか言って俺の言うとおりにしてくれる。なのに今日は、言うことを聞く気配がない。
 それどころか、腰にまわっていた手が、シャツを捲り上げてきた。

「な、っ」

 シャツを捲られ、腹を撫でられた。一体なんのつもりだ、気持ち悪い。突き飛ばしてやろうと手を上げると、簡単に手を絡め取られた。大きな音が、洗面所に鳴り響いた。

「いっ……!」

 衝撃と共に鏡に手を押しつけられ、後頭部を鏡にぶつけ一瞬意識が揺れる。洗面台に半身が乗った状態で、涼が俺の唇へ自分の口を押し当ててきた。

「ん゛っ〜〜〜〜〜……!?」

 キスとかいう可愛い表現じゃない。ただの接触。無理矢理の接触だ。気持ち悪い。生々しい皮膚の感触も、ぬるい体温も、ぬめりを帯びた唾液も、全てが気持ち悪い。涼は目を閉じることはせず、見開いたまま俺を見つめてくる。
 なんなんだよこいつ!

「んん゛っ、ん゛!」

 突き飛ばそうと暴れたが、すごい力で押しつけられていて、動かすことが出来なかった。嘘だろ、成人男性が全力で暴れて、こんなに動かないことってあるか? まるで巨大な石に押し潰されているみたいだった。俺が抵抗する度に、洗面所に置いてあった櫛やら歯ブラシやコップやらが音を立てて落ちていく。押しつけられた瞬間、水道のレバーに触れてしまったのか、蛇口から水が溢れて、俺の服を濡らした。
 くっついたまま、唇は離れない。体を押しても、びくともしない。

「や、め゛っ」

 口を開いた瞬間、涼の舌が、口の中に入り込んできた。それが、異様に長い。

「う゛っ……!?」

 人の舌の長さからはかけ離れている。でかいナメクジが口の中に潜り込んできたような気分だった。肉厚な涼の舌が、俺の口の中を這いずり回り、通常は届かない喉奥を擦ると、反射的に吐きそうになる。

「ふ、う゛ぐっ、んっ」

 ぢゅるぢゅると音を立てながら、口を啜られ、俺は必死で涼を引き剥がそうとした。けれど、岩のよう硬く、体が動かない。口の端から唾液がだらだらと溢れ、堪能するように口の中を貪られる。なんだこいつ、なんなんだよ!
 鼻息を荒くして、涙目で涼を睨むと、涼は楽しそうに目を細めていた。

「っ……!」

 俺は、口の中に入り込んできた舌に思い切り噛み付いた。ざまあみろ! 涼の血の味が広がってくる。しかし、痛みに離れるかと思いきや、涼の体は動かなかった。

「う゛ーー! う゛っう!?」

 にちゃ、ぐちゃ、と粘着質な音が口から響く。
 気持ち悪い、気持ち悪い!
 口の中に広がる鉄の味も、入り込んでくる舌も、こいつも、全てが気持ち悪くて、恐ろしかった。いつまでこんな時間が続くんだと思っていたら、やがて、ゆっくりと口の中から涼の舌が抜けていった。胃の奥まで舐められた気分だった。ずるり、と引き抜かれ、俺は放心状態で洗面台に座り込んでいた。
 出っぱなしの水は服を濡らし、放心状態で俺はその場から動けなかった。。
 何か言ってやりたいと思うのに、言葉が出ない。

「……っ…………」

 涼は、そんな俺を見下ろしながら、普段と変わらない笑みを見せた。

「あとちょっとだよ、兄ちゃん」
「は…………?」
「あとちょっとだよ、兄ちゃん」
「なに、なんの、話」
「あとちょっとだよ、兄ちゃん」
「おい、なん」
「あとちょっとだよ、兄ちゃん」
「っ! やめろ!」

 壊れたテープのように、同じ言葉を繰り返す涼が、不気味で仕方なかった。蛇口から出る水の冷たさか、それとも目の前のこいつのせいか、鳥肌が止まらない。
 あとちょっとって、何があとちょっとなんだよ。
 お前は一体、誰なんだよ!
 怯える俺に対して、突然涼が笑い声を上げた。

「きゃはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!きゃはははははははははははははははははははははははははははははははは!」
「っ〜〜〜〜!」

 まるで無邪気な子供のような笑い声をあげながら涼はその場で俺をみつめてきた。俺はたまらず、その場から逃げ出した。
 笑っているのに、顔は全く笑っていない。
 アレは絶対に、涼の形をした別の何かだ。笑う膝を奮い立たせ、携帯だけ持って部屋を飛び出した。
 急いで両親に電話をかける。
 限界だ。もう無理だ。これ以上、あいつと一緒に暮らすなんて、絶対に嫌だ。口の中に残る血の味に、今すぐ吐いてしまいたかった。
 電話をかけ、早く出ろ、早く出ろと祈っていると、数コールの後、電話が繋がった。

「もっ、もしもし! 母さん!? なあ、アレやっぱり涼じゃねえよ! か、明日帰る、帰ったらちゃんと話すから!」
『あとちょっとだよ、兄ちゃん』
「ひぃっ!?」

 けれど、電話口から聞こえた声は、母のものではなかった。何重にも重なったような、涼の声。
 俺はすぐさま電源ボタンを押して、携帯の電源そのものを落とす。気が狂いそうだった。財布も何もない。電子マネーも少しはあるけど、そんなに長くは持たない。

「っざけんなよ……っ」

 唇を服の袖で何度も拭った。さっきの感触が離れない。
 このままだと、俺は涼に殺される。あいつはきっと、俺が殺したことを怒っているんだ。
 でも、俺だってこのまま死にたくなんてない。
 両親に、事情を説明しよう。本当は俺が殺したんだって、ちゃんと言おう。それで……、それで、どうするんだ? 二人が、大変だったねって俺をねぎらうとでも思っているのか? 弟を殺した俺を、二人が守ってくれる? お祓いでもしてもらうのか? そんなの、するわけない。
 人通りの多い道に出て、立ち尽くす。
 人は沢山居るのに、俺は一人ぼっちだ。
 …………謝ろう。ぼんやりと、そう思った。
 まず、涼に謝ろう。
 家に居るアレは、涼じゃない。本物の涼は、きっと今でもあの木の洞の中に居る。俺が殺した、あの暗い穴の中。だから、そこから出して、供養しよう。そうすれば、涼も少しは許してくれるかもしれない。

「……金……」

 帰るのに、金がいる。でも、あの部屋にはもう戻れない。戻りたくない。あそこには、涼の姿形を真似た『何か』がいるから。

 結局俺は、携帯から親しい友人に連絡して、寝床と、金を借りた。ずぶ濡れの俺の状態を見て、何があったのかと心配してくれたけど、詳細を話す気にはなれなかった。
 死ぬまで、誰にも言わないつもりだったんだから。


- 411 -
PREV | BACK | NEXT

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -